ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

ゲーテ全集を見比べる

ゲーテを研究するなら全集を読もう

今年はじめにゲーテの『リラ』について論文を書き、また10月には京大人文研でゲーテにおける妹への愛について『リラ』、『兄妹』を中心に発表しました。そして関学や近大での講義でも、『若きヴェルターの悩み』、『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、『親和力』、『ファウスト』などは例年取り上げています。

論文がどれくらい書けるかわかりませんが、やはりゲーテ作品はもっと原文で読みたいし、解説などもしっかりついた資料がほしいと思うようになりました。

すでに『リラ』論を書くときに、ミュンヘン版全集(Münchner Ausgabe)は入手していましたが、今回あらためてフランクフルト版全集(Frankfurter Ausgabe)も購入しました。それとは別に研究室にもちょっと調べるとき用にハンブルク版全集(Hamburger Ausgabe)を買っていました。

もちろんどの全集を開いたところで、ヴェルターが失恋して自殺する話は変わりません。どの世界線でもロッテと結ばれることはないのです。それは当然なのですが、実は全集ごとに収録作品や解説などが異なっています。今回はゲーテ全集の代表的な三つの版を、内容だけでなく本の作りなども含めて概観してみましょう。

 

もっとも基本的なハンブルク版全集14冊

今年の夏頃に日本の古本屋で5000円くらいで入手していたのが、全14冊のハンブルク版です。この全集がおそらくいちばんたくさん売られていて、一般的な全集といえます。

きれいな箱に入っています。

第1巻、第2巻:詩集。『ヘルマンとドロテーア』、『ライネケ狐』、『西東詩集』など

第3巻、第4巻、第5巻:戯曲集。『ファウスト』、『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』、『タウリスのイフィゲーニエ』、『タッソー』、『エグモント』など

第6巻、第7巻、第8巻:小説集。『若きヴェルターの悩み』、『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、『遍歴時代』、『親和力』など

第9巻、第10巻、第11巻:自伝集。『イタリア紀行』、『詩と真実』、『フランス駐留記』など

第12巻:芸術論、格言集。

第13巻、第14巻:自然科学論集、および索引。

以上のような構成となっています。私が持っている本はdtvから出ているペーパーバック版ですが、それぞれ厚さ5cm以上あってがっちりした本です。

基本的と書きましたが、それでもこの版だけで代表作の殆どを網羅することができます。また注や解説もかなりページ数が多く充実しています。

 

日本語訳全集もほぼハンブルク版に準拠

ゲーテの日本語訳全集は第二次大戦以降に2種類出ていますが、いずれもハンブルク版に準拠しています。

人文書院版『ゲーテ全集』

研究室用に、人文書院版とハンブルク版を並べています。


人文書院版のゲーテ全集(1960〜61)は全12巻で、収録作品はほぼハンブルク版と同じですが、『エッカーマンとの対話』や最終巻にトーマス・マン、カロッサらのゲーテ論が収録され、かわりに自然科学論集などは省かれています。

これもちょっと調べるためにかなり安く買って研究室に置いています。判型が小さくじゃまになりにくい反面、小さな字で上下二段組の紙面はやや読みづらいです。

昔の本なので、文字が小さいです。

えんぴつでマークしているのは、メフィストフェレスのセリフ「あなたが知ろうとする最高の真理は、学生たちにはむやみにいうことのできないものですよ」。フロイトは『夢解釈』をはじめ、何度もこの文章を引用しています。分かるようで分からん表現なのでずっと気になっています。

潮出版社版『ゲーテ全集』

もう一つ、私が大学院のころに新装版(ペーパーバック版)として刊行されていたのが、潮出版社版のゲーテ全集(もとは1970年代ごろに刊行)です。こちらはほぼハンブルク版と同様の構成で自然科学論集も含まれており、合計15冊の構成です。この全集で便利というか、役に立ったのは、『親和力』の舞台となるエドゥアルトとシャルロッテの邸宅の見取り図でした。邸宅内をあちこち移動したり、庭園を造成したりする物語は、図がないとイメージがわかりにくいですからね。

ペーパーバックでかつコンパクトなので持ち歩きに便利です。しかし上下二段組です。

収録作品が多い改造社版『ゲーテ全集』

私が『リラ』論を書くさいに参考にしたのが、戦前に刊行されていた改造社版です。というのもこの版にのみ、初期ゲーテの歌唱劇作品の訳が収録されていたからです。『リラ』の訳はないのですが、同時代のいくつかの作品を読むことができました。

日本語で出ている全集では、いちばん巻数が多いのが改造社版です。全32巻、36冊だそうです。こちらに詳細が載っていました。

iss.ndl.go.jp

私も初期の演劇に関連する巻を日本の古本屋で買っていました。

しかしなにせ戦前の本なので、本自体が扱いにくい(箱から取り出すたびに紙の屑が出る)し、訳文も今の我々には読みにくく、戯曲テクストだととりわけ頭に入りにくいと感じました。結局『感傷の勝利 Der Triumph der Empfindsamkeit』は原文で読み直して話がわかりました。

全作品を収録したミュンヘン版33冊

専門家が論文を書くときに依拠するのが、ミュンヘン版およびフランクフルト版全集です。私は2年前にネット古書店でドイツから取り寄せていました。

ペーパーバック版で33冊。

年代ごとに編集されています。これはヴァイマール赴任からイタリア旅行までの時期。

ページが薄いです。

ミュンヘン版の特徴は、時代ごとにすべての作品を収録し、さらに自然科学論文や、シラー、ツェルターとの書簡集も収録されている点です。

もともとはハードカバー版です(大学図書館には緑の表紙のハードカバーがありました)が、私が買ったペーパーバック版も廉価で出ているのでありがたいです。

本の質感も、解説や注も気に入っていますが、唯一使いにくいのは、どの巻にどの作品が入っているかわかりにくい点です。これは年代順に並べられているため、巻数やタイトルだけではどの巻かわからないからです。ちゃんと覚えておけ、という話かもしれませんが、自分で使いそうな作品が収録されている巻には目立つように付箋をつけています。

しかし、ゲーテの場合書簡や日記も見ておく必要があるし、行政官としてヴァイマールの宮廷でどのような文書を残していたのかを調べる、となるとミュンヘン版だけでは不十分です。

 

ほぼ全部入りのフランクフルト版45冊

ということで日本の古本屋で見つけたフランクフルト版全集を先月買いました。一年分の個人研究費が吹き飛ぶくらいの値段でしたが、それでもドイツから古本を取り寄せるよりもずっと安いと分かったので、思い切って買いました(当然私費です)。

全45冊のうち43冊というセット(10年前に出たばかりの総索引の巻だけ欠)を大阪の古本屋さんから購入し、ダンボール3箱で送られてきました。

古書店の段ボールを開け、机の上に積み上げました。

机の上に並べるとすごい量だと思ったのですが、本棚に並べるとそうでもないと気づきました。いつも言ってることですが、本というのは本棚に入っているときが一番少ない(少なく見える)のです。

 

幅60cmの棚を三段分占領していますが、それほど多くは見えません。

さて、フランクフルト版ですが、ミュンヘン版と同じくすべての作品が収録され、およそ年代順に並べられていますが、巻ごとにテーマが設けられているため、どの巻にどの作品が入っているかはだいぶわかりやすい編集となっています。

全部で45冊ありますが、第一部(作品、自然科学論文)が27巻まで、第二部(書簡、日記、談話など)が28から40巻まで。

代表的な作品を中心にまとめられているので、わかりやすいです。

表紙とプラスチックのカバーもいいです。

ミュンヘン版と違って、巻数が背に書いてありません。最初のページを見ると、第一部10巻とわかりました。

フランクフルト版全集は、Deutscher Klassiker Verlagのシリーズとして刊行されています。ゲーテだけでなく、ドイツ語文学の古典が多数収録されており、近年はペーパーバック版も安く手に入れられます。

シラー、ホフマン、クライスト、アイヒェンドルフなどときどき買っています。

このシリーズは装丁がとてもきれいで、本の大きさも日本の新書判より少し大きいサイズとちょうどよく、さらに文字がとても読みやすく編集されています。特に私はこのシリーズの文字が気に入っています。

全147冊のヴァイマール版もあるよ

さらにもう一種類、いちばん冊数が多いのが、ヴァイマール版全集です。これは全部ひげ文字(フラクトゥーア)で読みづらいし、細かく巻が分けられているのでちょっと参照しづらいですね。

これだけ巻数が多いのに、日本の古本屋などで格安で売られています。安く売られているのは、いまやインターネットですべて読めるようになっているためでしょう。

de.wikisource.org

 

書簡集はまだ完全なものは完成していません。ゲーテの書簡はゲーテ・シラー・アーカイヴ(GSA)に所蔵されているだけでなく、日本にもいくつか残っているそうです。石原あえか先生が今年発表された、日本に所蔵されているゲーテの書簡についての論考が非常におもしろかったです。

PDFが読めます。

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/record/2006008/files/ES22_009.pdf

 

Siegfried Seifert (hrsg.) Goethes Leben von Tag zu Tag

いくつかの研究書で言及されていた、ザイフェルト編『ゲーテ年代記』全8巻もヤフオクで安く入手できました。この本は、ゲーテの日記、手紙、作品をもとに、いつ頃どんなことを書いていて、誰と会ったり、どのような出来事があったのかが非常に詳しくまとめられています。生まれた時から83歳で死ぬまでの記録なので、全部で8分冊ですが、買ってみてこんなに大きい本だったのかと驚きました。高さが23cm、厚さが5cm以上です。

 

いずれにせよ、これもテクストの成立や、ゲーテの生活史を確認するのに必要でしょうから、持っておくことにします。

ドイツの古本屋で300〜400ユーロでしたが、ヤフオクでほぼ半額程度で買えました。


論文のためなのか、本を揃えること自体が楽しいのか?

ゲーテを本格的に読み始めて、まだ2年くらいですが、文献が増えてきました。

これら大量の本を使って、これから論文を大量生産できればいいのですが、自分の思考のペースを考えると、それもそう簡単なことではないよなと感じています。もしかしたら買うだけで全然使いこなせないかもしれない、とも思います。

そもそもゲーテ研究がやりたいのではなく、本を集めて本棚に並べること自体が楽しいのではないかという気がしてきました。しかしこの点をあまり深く考えると自分の研究者としての自我が崩壊するかもしれないのでやめておきましょう。

おまけ ブルーちゃんの本棚あそび

フランクフルト版全集を本棚に詰めたところ、ちょっと空いた隙間にブルーちゃんが登って遊ぶようになりました。危ないので(ブルーちゃん自身は安全に降りられるのでしょうが、本を叩き落とさないか心配だったのでした)抱きかかえて下そうとすると抵抗して嫌がります。

ブルーちゃんの声がかわいいので、ぜひ音を出して見てください。

 

 

 

 

複製可能なのに唯一無二、コピー本の世界

研究者共通の悩みとしての本の処分

研究者として大量の文献を集めて読んでを繰り返してこれまでやってきましたが、しばしば仲間内でも話題になるのが、蔵書の整理の問題です。

私はそれなりに広い自宅と個人研究室にめぐまれているので、現時点では本を置く場所に困ることはないのですが、もちろんこれから20年たって自分が定年退職するころには、蔵書のかなりの部分を手放さざるを得ないし、自分にもしものことがあれば、残った本の処理を妻に頼むほかありません。

しばしば研究者を悩ませる問題が、引退後あるいは死後の蔵書の処分です。

数年前に大学院時代の恩師であった川島昭夫先生が亡くなられたことを書きましたが、あのときは川島先生門下の多くの研究者たちや、古書仲間の方々が先生の蔵書を形見分けしました。

schlossbaerental.hatenablog.com

先生がせっかく蒐集した蔵書がふたたび散逸してしまうことを惜しむ気持ちはありますが、われわれ弟子たちの手に渡ることで、先生の教えの一部が私たちの中に生き続けているようにも感じます。

自分が収集した知識が、多くの弟子たちへと引き継がれていくというのは考えてみれば研究者の最期として理想的なあり方ではないかと思います。

 

書籍など所詮はモノでしかない

情緒的なことを書いてはいますが、残念ながら引き取り手のない蔵書は、多くの場合図書館への寄贈も断られ、古書店にも買い取ってもらえず、廃棄されることになります。

昨年他大学の先生から大量の蔵書をいただきましたが、これも私が名乗り出なかったら、大学図書館がすべて廃棄していたことでしょう(売れば相当な額になるものもあったのですが、たぶん大学側はめんどくさがって売却など考えもしなかったでしょう)。

もったいないことではありますが、仕方がないと諦める他ありません。

私は文学研究者で、基本的には買ったりコピーしたりした本を読んで研究をしています。文書館で貴重な資料を複写して集めたり、調査地の人々にお話をうかがって聞き書きをしたりといった資料は基本的に用いません。

そのため私は、書籍というのは複製可能なモノでしかないし、廃棄されることがあってもこの世のどこかにかならず保管されているはずだし、コピーやデータとして残っていればそれで十分だと考えています。

私には弟子も子供もいなし妻は他分野の研究者なので、私が集めた資料を受け継ぐ人など今後はいないでしょう。そう思って自分で使う本はどんどん付箋を貼り、ページを折り、書き込みもしています。

書物など使用するためにあるのだ、そしてもし汚れたり水に沈めたりした場合にはいくらでも買い替えは可能なのだと気楽に読んだり書き込んだりすることで、逆に唯一無二のかけがえのない一冊となるのではないか、というなんだか逆説的なことを今回は言いたいと思います。

複製可能な書籍のコピーにすぎないのになぜコピー本は貴重なのか

書籍などモノでしかないし、自分が研究者をやめたり、死んだりしたら何もかも失われても仕方がない、そうはわかっていても自分が持っている本、とりわけ院生時代に作ったコピー本には「使用するものとしての」特別の愛着を覚えます。本そのものではなく、複製されたコピー用紙の束でしかないのに、そう思ってしまうのはなぜでしょう。

以前も書きましたが、もう20年近く前、京大大学院で学んでいた頃は毎日学内の図書館を回って文献を集め、コピー屋さんでコピーをとるのが日課でした。

そのころ私が集めていたのは、19世紀末から20世紀初頭のさまざまなドイツ語書籍だったので、多くの場合表紙から最後までまるごとコピー(すなわち全コピー)をとっていました。A5サイズの書籍であれば、見開き両面コピーで400ページの本が100枚のコピーになります。こうして集めたコピーは、生協や共同研究室にある製本機で製本したり、大阪コピーに依頼してくるみ製本にしてもらっていました。

研究室の一角にはこのようなコピー本のコーナーがあります。大学院に入った2000年代初頭から、今の職場に勤めだした2015年頃にかけて収集したコピー資料です。

幅900mmのスチール本棚を四段分占領している大量のコピー本たち。これでも大学院を出たあとでかなりの量を廃棄しました。よく見るといろいろな種類があるので、以下でお気に入りのコピー本とともに紹介していきます。

コピー本のさまざまな製本方法

コピーの束を製本したものをコピー本とわれわれは読んでいましたが、いろいろな製本方法がありました。

本棚に何冊か見えますが、背も表紙もないのがホッチキス綴じやホッチキスすらせずクリアファイルに入れっぱなしにしたコピーもあります。

大阪府立図書館で2011年3月11日にコピーを取っていた、カール・デュ・プレルの博士論文。図書館の閲覧室がしずかに揺れて、周囲の人がざわついたことを思い出します。

パウル・シュレーバーの主治医だったパウル・エーミール・フレックシヒの自伝です。これは京大医学部図書館で見つけました。あまりちゃんと読んでないので、ホッチキス綴じで済ませていました。

多くのコピー本は、大学生協で売っている製本機で製本カバーを使って綴じていました。

東大駒場生協さんのツイートですが、売り場の写真にあるような縦型もしくは横型のカバーをいつも使っていました。2枚目の写真が製本機です。

製本機は大学生協および共同研究室にあり、電源を入れてしばらく待って糊を熱で溶かし紙束を接着する仕組みでした。

製本カバーは安くて、だいたい一冊150円程度ですみました。しかしこの簡易製本にはいろいろ欠点がありました。

一つは糊が偏って固着してしまうとときどきページが開きにくくなったり、背が真っ二つに割れてしまったり、途中のページが脱落することもありました。構造的にしかたがないと諦め、私は木工用ボンドを常備して、壊れた箇所に塗って修復していました。

もう一つは表紙の透明なカバーが経年劣化するおそれがあるという点でした。何年か保存するとカバーがベタベタになったり、割れたりすると友人から聞いていました。今のところ表紙が破損したコピー本はないのですが、たしかに紙の表紙と違ってページが折れたり、あるいは逆に本棚で近くの本を傷つけることもありました。

院生時代から読み続けているCarl du PrelのDie Philosophie der Mystik. フロイトの『夢解釈』でも数カ所で言及される重要な本です。

カバーの背には自分で印刷したタイトルを糊づけし、上からテープを貼っています。

この本はカバーがすっかり黄ばんで劣化が進んでいます。

中はきれいです。グフタフ・フェヒナーの『死後の生活』の訳です。

同じ本の後半には、平井金三『心霊の現象』。明治期にヨーロッパのスピリチュアリズムを日本で最初に紹介した本の一つです。カール・デュ・プレルがはじめて日本語の文献に出てきたのもこの本だと思われます。

1890年代初頭にレクラム文庫から出ていたデュ・プレルの『心霊主義』です。リルケなど多くの同時代の知識人がこの本を読んだようです。

レクラム文庫なので文庫本サイズでかつこの小さなフラクトゥーア書体です。そのまま読むのはかなり大変なので少し拡大コピーしてB5の紙に印刷しています。

院生時代に苦労して読みました。当時の古書はネットでも買えますが、ネットで本を買って読むより、コピーを拡大して読むほうが当然読みやすいし、ペンでメモしたり付箋をはったりもできます。

大阪コピーのくるみ製本が最高

院生時代私が毎日通っていた百万遍の大阪コピーには、製本サービスがありました。

100枚から500枚くらいの大部のコピー本を作るときは、お店に依頼してくるみ製本にしてもらっていました。納期は5日から一週間ほどで、一冊あたり800円で表紙の色が選べました。

エドゥアルト・フォン・ハルトマンの『無意識の哲学1、2』をまとめた本です。

500ページ以上ある本を2冊まとめているのでかなりの厚みですが、どのページもきれいに開きます。

京大文学部の地下書庫にあった本です。

19世紀半ばから20世紀初頭まで続いた心霊主義の雑誌、Psychische Studienは東大本郷の図書館で二日がかりでコピーしました。皮の装丁がぼろぼろに傷んでいて、コピー機に載せるのがためらわれましたが、自分が読まなかったら図書館に置いてる意味がないと、意を決してコピーしました。どうやって持ち帰ったのか覚えていませんが、京都で大阪コピーにもちこみ、200〜300枚ごとに一冊に分けて製本してもらいました。

年代物で傷みの激しい本であっても一度コピーしてしまえば全く気にせず読むことができます。

これは天理図書館で複写した雑誌Sphinx。カール・デュ・プレルを中心にミュンヘンのオカルティストサークルが参加していました。

天理図書館はこのとき(2005年くらい?)初めて訪れましたが、古くて落ち着いた館内の雰囲気が印象的でした。ブックワゴンで雑誌を書庫から出してもらい、必要なページにしおりを挟みながら読んで、最後に一枚30円で係の人に複写してもらうという形式でした。

判型が大きめの本だったので、B4でコピーし、2冊に分けて大阪コピーで製本してもらいました。クセのある装飾的なヒゲ文字で書かれているのですごく読みにくいです。

この二つの雑誌は、いずれも現在ではフライブルク大学図書館のリポジトリでPDFを全部ダウンロードすることができます。もちろん私は普段はPDF版を利用していますが、たくさんの記事をブラウズしたいときなどはコピー本も有効です。

 

あまりありがたみがないキンコーズ製本

大阪に勤務するようになると、皮肉なことに大阪コピーからは遠くなってしまったので、コピー本をつくる機会が減りました。

それでも2014年、2015年と海外調査に出た時には大量のコピーを取っていたので、南森町にあるキンコーズに持ち込んで製本してもらいました。納期が早くて安いのはいいのですが、キンコーズの製本はかなり簡素です。

背はテープで、表紙・裏表紙は薄めの紙です。

この形式で何冊かコピー本を作りましたが、なんだか味気ないというかありがたみがない感じがします。複製可能なコピー本にありがたみもへったくれもないはずなのに、そう思ってしまうのはなぜなのでしょうか。

 

やたら豪華なコピー本もある

私が作ったコピー本ではありませんが、昨年他大学の先生からもらった古いドイツ語の本のなかに、数冊製本されたコピー本が入っていました。

ハードカバーに金文字のタイトルが入っています。

中身はふつうのコピー用紙ですが、りっぱな装丁で所有欲が満たされます。

同様にハードカバーのコピー本ですが、こちらは紙がすべて2つに折ってありA5サイズになっています。

ドイツ語の詩についての研究書です。

見開きコピーした紙を中央で折って2ページにしています。たぶんこの折る作業も業者さんに依頼していたのでしょう。

もらった本や古書には意外なものが挟まっているものですが、この本からはカセットテープのラベルが出てきました。懐かしいですね。

ハードカバーや紙を折って綴じる方式などは、これまでやってもらったことがなかったのでむしろ自分でもこういうコピー本が欲しいと思ってしまいました。どこか大阪でも近所に持ち込める業者さんを探してみたいです。

思い出や痕跡が遠慮なく残されているコピー本のかけがえのなさ

以上のように私がもっているいくつかのコピー本を眺めながら、かつて毎日ともにすごしたコピー本の世界を振り返ってみました。

現在は海外調査に出かけてもほぼ全ての資料をスキャナで撮影しデータを持ち帰るだけです。しかし改めてコピー本を手に取ると、同じように複製可能なデータとはまったくちがう存在感があることに気づきます。

自分で作ったコピー本を見ると、オリジナルの書籍をどうやって取り寄せたり探したりしたのか、コピーをとるとき風化した皮表紙のかすが手にいっぱいついたことや、でき上がったコピー本を辞書を引きながらせっせと読んではメモを書き込んでいた院生時代の日々のことなどがつぎつぎと想起されます。

コピー本は複製なので遠慮なく使用することができます。貴重な本や古い本であれば躊躇してしまうことも、汚してしまっても所詮はコピーだ、複製可能なのだと考えれば、遠慮なくコピー本に書き込んだり、付箋を貼ったりできるのです。しかし逆にこうして残した痕跡によって、コピー本には所有者の思い出が書き込まれ、印刷されたオリジナルな書物(これも矛盾した言い方ではありますが)よりも、オリジナリティすなわちかけがえのなさを発揮することになりうるのではないでしょうか。

数年前、同じ分野の仲間とあつまってかけがえのなさやオリジナリティをめぐって共同研究をしたことがありました。そのときは、記憶や人の命などのかけがえのなさを問題にしましたが、印刷された書物という媒体についてはまったく頭に思い浮かびませんでした。2016年から17年にかけて書いていた「かけがえのなさ」についての論文です。

researchmap.jp

そもそもが複製であり、さらなるコピーが生み出されうる紙の書物において、かけがえのなさやオリジナリティをどのように考えることができるのでしょう。これはなかなかおもしろい問題だなと思いました。

 

あのころのドイツ文学―『ラテルネ』綜輯号を読む

同学社さんから『ラテルネ』綜輯号をいただく

たしか2022年の秋の独文学会のときだったか、オンライン懇親会の席で同学社の近藤社長と話しているとき、雑誌『ラテルネ』のバックナンバーを送ってくださるという話になり、飲酒していたこともあってほとんど覚えていなかったものの、いきなり大きな荷物が学部事務あてに届いて、ああこれが、と思い出したのでした。

日頃封筒に入っている小冊子『ラテルネ』ですが、送られてきたのはB5版箱入りの『ラテルネ綜輯号』全3冊でした。

こちらが最新号(2023年秋号)です。京都での全国学会に向け、京都支部ゆかりのみなさんが寄稿されています。

これが第1巻。

B5サイズで箱入り、全3巻の立派な冊子です。

同学社さんが出しているPR誌である本誌を創刊号から収めた綜輯号を読みながら、ドイツ語教育そしてドイツ文学研究業界が昔から現在へとどのように変化してきたのか考えました。

 

私も以前寄稿していた

『ラテルネ』という雑誌については、すでに2022年春号に寄稿したことをこのブログにも書いています。

schlossbaerental.hatenablog.com

原稿の依頼を受け、この雑誌の傾向に合わせて自分の思い出話を書き始めたのですが、コロナ禍での授業運営の話のほうが自分らしいなと思い、オンライン授業と猫とDIYについて書きました。

全三巻の構成と変遷

今回いただいたのは現在でている第一巻から第三巻までの3冊ですが、

第一巻は創刊号(1960)から30号(1973)まで、第二巻が31号(1974)から60号(1988)、第三巻が61号(1989)から90号(2003)までとなっています。

私が大学に入ったのが1996年で大学院に入ったのが2000年なので、第三巻の最後の方に入っている東北大学での全国学会についてはまだ修士課程のころなので参加はしていませんが、覚えていました。(私が初めて発表したのは、2005年春の早稲田学会でした)。

第三巻になると知っている先生、今活躍されている先生も増えてきます。

話題も教養部の解体、それにともなうドイツ語受講者の減少など、現在の私たちにもつながっている問題が多くなります。

しかし第三巻が終わった時点からちょうど20年を経過した現在になっても、『ラテルネ』本誌の誌面構成はまったく変わっていないし、社長が代替わりしたにも関わらず編集の方針や編集後記の文面もほぼ創刊号から変化はありません。逆にこれだけ変えずに60年続けてこれたことに価値があると思います。

60年前のドイツ文学界の状況を知る

第一巻の冒頭には、「発刊の挨拶に代えて」と題して当時の近藤久寿治社長が、発刊にいたる経緯を説明されています。現在も続いている教科書出版社同学社がドイツ語教科書出版に参入するにあたり、近藤社長と旧制高知高校からの同級生である独文学者高橋義孝およびその紹介で国松孝二ほかの協力により、広報誌として『ラテルネ』を昭和35年(1960)に創刊したそうです。

創刊号の最初の記事は、浜川祥枝(白水社の参考書『現代ドイツ語』やゲーテ、マンの翻訳で有名)による「レーヴェンフェルダーさんのこと」。九州大学が新たに招聘したドイツ人女性研究者が紹介されています。

またこの号に収録されている熊谷恒彦「春を待つ心」では、脊椎カリエス闘病中の思いが綴られています。まだ「脊椎カリエス」という、文学作品のなかでしか見る機会がなさそうな病気が身近な時代だったのですね。

この方は私の親族ではないのですが、おなじ熊谷姓ということでその後どうなったのか気になっていました。読み進めていくと67年春の第16号に、43歳で亡くなったことが伝えられています。カリエスからは回復したものの、その後も病気がちだったそうです。

同じ号で山下肇(ブロッホ『希望の原理』の訳者)は「白銀時代」と題した文章で、近年ではドイツ語を学ぶ熱意を持った学生が減少してきたと嘆いています。すでに彼ら旧制高校で学んできた世代から見ると、60年代初頭ですら、ドイツ語の人気や学習意欲は陰りが見えていたのでしょう。

 

高橋義孝伝説

目次をざっと眺めて初めに気づくのは、特定の著者が何度も書いていることでした。それぞれの先生方がどのくらい記事を書いているのか、索引にまとめてあったので見てみると圧倒的に多かったのが高橋義孝です。

上述したように近藤前社長の同級生という間柄のため、しょっちゅう原稿を寄せていたのだろうと想像できます。また、ラテルネ表紙の「Laterne」の文字も高橋によるものだそうです。

高橋義孝といえば新潮文庫でゲーテの『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』、カフカの『変身』、さらにはフロイトの『夢解釈』などが今でも読める非常に有名な独文学者です。

 

 

江戸っ子で横綱審議委員会のメンバーだったことや、九州大学に毎週飛行機で通勤していたことはよく知られていますが、北海道大学でのエピソードも強烈です。

昭和23年秋に汽車と連絡船を乗り継いで札幌に着任し、半年は勤めたものの翌年の春休みに帰省した後高橋はそのまま6月まで札幌に戻らずに過ごしました。その後やめてしまおうと職場を訪れると法文学部長に怒鳴りつけられ、さらに一週間ほど札幌で夏酒を楽しみ、東京へ戻り、そのまま退職したという話です。つまり最初の半年くらいしかまともに働かずに辞めてしまったようです。

そのほか当時活躍していた有名な先生方も文章を載せています。

私の恩師で現在90歳を超えている神品芳夫先生も、かなり若い時期(第4号、昭和36年)に学会準備の苦労について書いていました。

 

学会特集号ではさまざまな大学が登場

『ラテルネ』誌は現在も春と秋の学会シーズンに合わせて刊行されており、それぞれ特集号として全国学会実行委員の先生やその地域の大学関係者(出身者や現在勤務している教員など)がエッセイを寄稿するのが慣例です。

綜輯号を読んでいて興味深いのは、いろいろな地方大学で全国学会が開催され、その地域ゆかりの先生方が思い出などを綴っている記事です。

第6号は高知学会特集。当然旧制高知高校出身の高橋義孝も寄稿しています。

第13号は弘前学会号。小栗浩先生はつい最近100歳で亡くなられました。

岐阜大、鳥取大、静岡大、熊本大、新潟大などいまではドイツ語教員がほとんど残っていない(あるいはもういなくなっているかもしれない)地方大学でも全国大会が開かれていました。全国学会が開かれているということは、当該の大学にドイツ語教員が複数所属していたし、近隣の大学に実行委員として参加できる教員が多くいたということを意味します。

一昔前の先生方にとっては、秋の学会に合わせて日頃おとずれないようないろいろな地方に出かけ、旧友と集まり、酒を飲んだり温泉に行ったりするのが何よりの楽しみだったのでしょう。残念ながらわれわれの世代では授業が休めなかったり、出張旅費が出なかったり、あるいは家族の事情などによって、地方大学への出張を楽しむことはできなくなりました。*1

また近年では、京都支部、阪神支部など教員や学生院生がまだまだたくさんいる地方支部でないと全国学会の開催は難しくなっています。小さな支部(東北、北海道、北陸など)の場合はオンライン開催を選ばざるを得なくなっています。今後は地方で学会を行うこと自体も見直しを迫られているといえるでしょう。

 

詳細な学界消息と追悼記事特集

現在でも教科書会社のPR誌というよりは、学会(業界)消息のような雰囲気のある『ラテルネ』ですが、昔の号を見ると、現在よりもかなり詳しく、どこの先生が何をした、どうなったなどと各先生の消息が書かれています。

創刊号には中大の菊盛英夫、早大の浅井真男がそれぞれミュンヘンとボンへ在外研究に出発することが報じられています。

先に書いた熊谷恒彦氏への追悼記事のように、本誌に寄稿していた人物、独文学会の著名人などについては多くの追悼記事が掲載されています。

第2号は小牧健夫(ゲーテやノヴァーリスの翻訳で有名)の追悼特集。多くの著名な独文学者が追悼文を寄せている中、ご子息らしい小牧昌実という人も文章を寄せています。この雑誌では他の追悼特集でも、家族や子供による文章が収録されているのが特徴的です。

最新号の目次にも、最近亡くなられた独語学者在間進先生の追悼特集があるように、現在も著名な研究者については追悼記事が載せられています。

 

業界が高齢化したんじゃなくて昔からずっと懐古的だった

最初に紹介した私の記事にもあるように、私は『ラテルネ』は回顧調の記事が多いみたいだし、私自身のこれまでを振り返ったり、研究にまつわる思い出話を書いたりするべきなのかなと考えていました。結局当時収束しつつあったコロナ禍の体験を書きましたが、『ラテルネ』は書き手が若い人でもベテランの方でも総じて研究者が自分の学生時代や修行時代をふりかえる、ちょっとじじくさい思い出話が中心的な雑誌といえます

おそらくそれは、創刊号において中心的な寄稿者だった高橋義孝がすでに47歳、彼と同世代の多くの寄稿者もみな、すでに大学教授というひとかどの人物となって自分の青春時代を振り返る時期に差し掛かっていたことが挙げられます

私は最初、『ラテルネ』のじじくささ(失礼!)は、ドイツ文学という業界が高齢化してしまったためなのかと思っていましたが、綜輯号を紐解いてみると、創刊号から続く、なかば伝統のようなものにも思えてきました。

もちろんどの執筆者も同じように昔話を書いているわけではなく、最新のドイツ事情や研究者としての所感などを書いている人も多くいます。

もしかしたら、われわれドイツ語教員が常に大学1年生、2年生ばかりを相手にしてずっと若者たちに対峙しながら自分はどんどん歳をとっていくという状況に置かれているからこそ、そこそこ若い教員であっても、ついつい老人じみた懐古をしてしまうものなのかもしれません。すなわち自分の若い頃を思い出させるような少年少女を常に相手にしているので、日々自分がドイツ語を学び始めたころのことを回想し続けているのが私たちドイツ語教員の宿命なのかもしれないと思っています。

 

これからどうなるのか?

いまや大学におけるドイツ語教育はがけっぷちどころか虫の息です。ごく一部のエリート大学をのぞけば、ドイツ語を本格的に学べる場所は徐々に減りつつあります。

今後このような雑誌に寄稿できるドイツ語教員も徐々に減っていくでしょう。未来は暗いと思ってしまいそうですが、先に書いたように60年ほぼ変わらない形で続けてこれたのだから、まだまだやっていけるのでは、とも思ってしまいそうです。

業界の今後は決して明るくはないけれど、せめてわれわれ研究者が元気で活動していたひとつの資料として、ふたたび『ラテルネ』綜輯号が第四巻、第五巻と刊行されることを願っています。

 

*1:自分自身のことを振り返っても、院生やOD時代のほうがお金はなかったけどもっと野放図に地方学会を楽しめていたように思います。夜の博多で痛飲したり、金沢でりっぱなノドグロをごちそうになったりしたのはいい思い出です。

ゲーテ研究、はじめました

ゲーテについての論文を書きました

先日発行された『希土』48号(希土同人社)に、「演劇で病を治すことはできるか——ゲーテの『リラ』について」という論文が掲載されました。


こちらからPDFをダウンロードできます。

researchmap.jp

ドイツ近代文学講義から出てきたテーマ

関西学院大学のドイツ近代文学の授業で取り上げてきたゲーテの歌唱劇「リラ」を論じています。この授業については、去年も秋ごろに内容をまとめていますが、だいたい3年くらい同じテーマで少しずつ内容を変えて続けています。

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2020年に関西学院大学でドイツ近代文学における狂気のテーマについて講義をすることに決めました。そのとき私が念頭に置いていたのは、これまで関心を抱いてきた精神病者シュレーバーと世紀転換期ヨーロッパの心性というテーマを別の角度から考え直したいということでした。

そこで、これまで専門としていた19世紀末よりももっと古い時代(1770年代くらいから)から19世紀なかばごろにかけて、狂気がどのように考えられ、文学作品に描かれてきたのかを知ることで、シュレーバーや世紀転換期ヨーロッパとの差異や連続性が見えてくるのではないかと考えていたのでした。

ゲーテの作品で狂気が描かれるものといえば、『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』や『タウリス島のイフィゲーニエ』が有名です。また、強すぎる絶望や悲嘆から正気を失ってしまう人物としては、『若きヴェルターの悩み』や『親和力』のオティーリエなどをあげることもできます。

 

ゲーテの未邦訳の作品『リラ』

今回取り上げた『リラ』は1777年に最初に書かれ、上演された(1788年の第三稿が決定版とされています)歌唱劇です。ゲーテといえばドイツ文学でもっとも有名な作家ですが、全作品が日本語訳されているわけではありません。

『リラ』はいまだ日本語訳がなく、広く読まれているであろう潮出版社版『ゲーテ全集』にも収録されていません。(そもそも潮版全集の底本であるハンブルク版ゲーテ全集にも入っていないからです)。戦前に出された改造社版『ゲーテ全集』は潮版より多くの作品が入っており、初期の劇作品も読めますが、『リラ』はなぜか訳されていませんでした。

なぜ訳されなかったのかはいろいろ理由がありそうですが、ドイツ語でも30ページと非常に短い作品なので、わりと簡単に読めます。

あらすじは以下の通りです。

主人公リラは、夫のシュテルンタール男爵が留守にしている間、彼の身を案じていたが、何者かによる夫が死んだという誤報を信じてしまい絶望し、妄想の世界に入り込んでしまう。家族や親戚の者たちは彼女の身を案じるが、彼女は自分の妹すら本物の人間とは信じられず、家族は人喰い鬼に囚われていると考える。医師ヴェラツィオは、彼女の病を治すために家族がみな、彼女の妄想の世界に合わせて劇を行うことを提案する。ここから劇中劇が始まり、劇の中でリラはヴェラツィオ演じる賢者マーグスや義妹の演じる妖精たちに導かれて、人喰い鬼に捕えられた夫や家族を解放し、皆がふたたび再会を祝って歌い踊るという場面で終わる。

今回の私の論文では、医師ヴェラツィオがおこなった治療とはどういうものなのか、演劇における意味、そしてゲーテをめぐる実際の人間関係においてこの治療をどう考えることができるか、という点について論じました。

いちばん有名な作家の研究を新たに始めることの難しさ

ゲーテの「リラ」を読んだのが2年前ですが、論文として完成するまでに2年もかかってしまいました。現代文学の作品を論じるときなどは、作品を読み終わったら即学会発表、そして半年後に論文完成というスケジュールも珍しくないので、今回は非常に時間がかかってしまったと感じています。

なぜ2年もかかったのかといえば、やはりドイツ文学でもっとも著名な作家の作品を扱っていることが理由といえます。

古典的な作家・作品を論じようとなると、数多くの先行研究に目を通す必要があります。論文を書く前の手続きとして考えられるのは以下のとおりです。

1)代表作、日本語で読める作品は当然全て読む。

2)日本語で読める研究書・伝記なども関連するものは当然読む。

3)代表的なドイツ語論文、研究書などを読み、研究の動向を探る。

4)当該作品(分野)を論じた最新のドイツ語文献を読み、芋蔓式に必読文献を集める。

私は2年前に、この作品で論文を書こうかなと思い始めたときは、ゲーテの作品は正直なところあまり読んでいませんでした。学生時代に『ヴェルター』、『ファウスト』、『親和力』などは日本語・ドイツ語で読んだものの、『ヴィルヘルム・マイスター(修行時代・遍歴時代)』などはやたら長いので途中で挫折していました。

それで2年前にミュンヘン版ゲーテ全集を買い、日本語訳もあわせて代表的な作品に目を通し、研究史を概観し、いろいろな文献を読みました。

最初の論文を2年前に書き上げたものの、2回も不掲載と判断されてしまい、ようやくこの夏にこの論文が完成したという流れです。

一本の論文に2年もかけるなんてあまりに生産性が低いと言わざるを得ませんが、未知の分野に踏み込むということはそれだけ時間がかかるのだろうと思います。

 

参考文献がたくさんあるのってやはり便利だ

今回の論文を書くのにつかった文献のうち、面白かったものを挙げておきます。

ホルスト・ガイヤー(満田久敏校閲、泰井俊三訳)『狂気の文学』創元社、1973年。

原書は1955年刊行なのでけっこう古い研究ですが、ゲーテ、クライスト、ビューヒナーなどの作品に登場する狂気をおびた人物について、わかりやすく紹介されています。

 

コンラーディ(三木正之ほか訳)『ゲーテ 生活と作品』南窓社 2012年。

上下巻の分厚い伝記です。他の伝記的研究であまり言及されていない、ヴァイマール移住後の1770年代後半あたりのゲーテの活動がくわしく書かれており参考になりました。

 

 

ジークリット・ダム(西山力也訳)『奪われた才能コルネリア・ゲーテ』郁文堂 1999年。

 

『リラ』が書かれた当時、ゲーテの妹コルネーリアは結婚して最初の出産後に鬱状態となり、さらに第二子を産んだ直後に亡くなっています。『リラ』における治療や救済はやはり妹コルネーリアにむけたものだったのではないかとしばしば解釈されます。

 

オットー・ランク(前野光弘訳)『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ』中央大学出版部 2006年。

 

ゲーテだけでなく、シラーやロマン派の作家たちなどにおけるオイディプス・コンプレクスや近親相姦の問題について論じた大著です。ゲーテにおける妹への愛着は、『リラ』だけでなく、『兄妹(Geschwister)』、『タウリス島のイフィゲーニエ』、『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』などの作品で形を変えて描かれています。この本は、ゲーテだけでなくいろいろな作家について、これまでに気づかなかった読みの視点が得られたように思えました。

 

Eissler, K. R. Goethe. Eine psychoanalytische Studie 1775-1786. DTV München  1987.

20代から30代終わりごろまでのゲーテについて、精神分析的に解釈している重要な研究です。この本も大いに参考になりました。

 

Goethe, Huber, P. Borchmeyer, D. (Hrsg.): Johann Wolfgang Goethe Dramen 1776-1790. Sämtliche Werke, Briefe, Tagebücher und Gespräche Bd. 5. Deutscher Klassiker Verlag, Frankfurt am Main 1988. 

フランクフルト版ゲーテ全集です。私はおもに2年前にまとめ買いしたミュンヘン版全集を使っていましたが、フランクフルト版(こっちのほうが高い)も参照しました。フランクフルト版はテクストの初稿、第二稿も収録されており異同を確認できます。また、解説や文献案内も充実しており、最初はここに挙げられている論文を集めるところから始めました。

 

次は何をするか?

せっかく始めたゲーテ研究なので、今後しばらくは続けてみる予定です。

さしあたっては、授業でも紹介した『タウリス島のイフィゲーニエ』や『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』に描かれた狂気について考えてみようと思います。

また、ゲーテの作品でちょっと気になっているのが父子関係です。ゲーテ自身の父そして息子との関係も興味深いし、いくつかの作品でも年をとった父親が息子と同じ相手に恋をする話が描かれるなど、兄妹関係と同様にゲーテの気持ち悪さ(あるいは危うさ?)が見えるのが、父子のモチーフではないかと考えています。

いずれにせよ、非常に大きな研究分野なので、いくらでもこれからできることはあるかなと思います。

 

研究室にもっと自作本棚を増やそう

春休みはDIYの季節

毎年集中的に本棚などを自作しているのが、夏休みと春休みです。自宅ではベランダが工作場所になるので、直射日光が照りつける夏よりは、すこし日が長くなった春がいちばんDIYにもってこいの季節と言えます。

例年春休みにいろいろなものを作ってきました。

昨年は2月から3月に、一ヶ月ほどかけて研究室に自作棚を作ったり、使いみちのなかった出窓をきれいにしたり、床に木目調のフロアシートを貼ったりと大掛かりな作業をしました。

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あまりできが良くなかった出窓の棚を直したい

昨年思い切って出窓を塞いで本棚を作りました。幅150cm、高さ120cmほどの大きな棚ですが、使用している1x8材は歪みがひどく、組み立てて設置してもなんだか不安定なままでした。棚板が明らかに見てわかるレベルで傾いているので、本を並べても整然とした感じがまったくなく、その後一年間、あまり活用することができずにいました。

本棚の裏側の窓は、夏の西日が嫌なのでほぼ年間を通じてブラインドを下ろしたままにしていましたが、それでも隙間から入ってくる日光が気になっていました。どうせ窓として役に立たないなら本棚に背板をつけて、完全に塞いだほうがいいと思いました。

 

大量のもらった本が部屋を埋め尽くす

別のある大学で退職されることになったドイツ語の先生から、貴重な図書をたくさんゆずっていただきました。本来ならば研究室の書庫に保管しておくべき全集や辞書などが多数含まれていましたが、文系の専攻をもたない大学なので、個人研究室で保管し、その先生の後任が採用されないということですべて廃棄せざるをえなくなったということです。

私の専門分野とは少し離れた本もありましたが、そのうち論文の参考文献に使うこともあるかもしれないと考えて、たくさんの本をいただきました。ダンボール20箱以上が年末の研究室に届きました。

これらの本を収めるため、既存の棚のリメイクだけでなく、いくつか新しい棚を設置することにしました。

 

出窓の本棚のリメイク

出窓に設置するのは、高さ127cm、幅160cmほどの棚です。以前は最上段は文庫本、下段はプリンタと大型本が入る高さにしていました。今回は大きい本からハードカバーまで(26cm〜22cm)まで各段で高さを変えています。

昨年新たに取り入れた、トリマーを使った大入れ継ぎで接合時に棚板の高さがずれないようにしました。また、年末頃に使い始めたポケットホールジグと専用スクリューで、棚受け金具を使わずに接合しています。ポケットホールジグは私が棚作りを始めた3年前頃はそれほど普及していなかった(はず)のですが、一年ちょっと前からYou Tube動画などでもしきりに取り上げられています。もっと早く取り入れるべきだったと思います。

youtu.be

このように専用の器具を木材にあてて、ドリルで斜めに穴を彫り、そこに専用のネジを打ち込みます。かなり強力に接合できます。今回の棚のように、2列の棚板の間に側板が入る場合にとくに適しています。

また、窓からの光を防ぎ、堅牢性を高めるために、側板に溝をほって背板をはめ込んでいます。片方はまったく抵抗なくつるっとはめ込んだのですが、もう片方は溝の深さが足りなかったらしく、うまくはめ込めず、板の大きさを変えたりしてなんとか背板をつけました。

低い本棚に拡張棚をつける

研究室の本棚は前からあったスチール棚がほとんどですが、高さが低いものもいくつかあります。低い棚の上にはPCの空き箱などを置いていましたが、考えてみればもったいないスペースです。この部分にも板を組んで2段の棚を設置しました。

高さ70cmほどの隙間には、ホフマンスタール全集とヘルダーリン全集などがぴったり収まりました。

(追記:2月14日)

上の写真ではバラバラに並べていたホフマンスタール全集ですが、番号順に並べ直してみたら、なんと全40巻(42冊)揃っていました。去年春に出た最終巻もちゃんと含まれていました。本を並べ替える際に、上の段が重さで揺れ動いていたので、やはり下の段に補強を兼ねた仕切り板を挟む必要があると思いました。

入り口にあった棚も上が空いていたので、こちらも同じく2段の棚を作り、ハイネ全集などを置きました。

使い道のないスペースにも細い棚を

もう一つ、ずっと前から気になっていたのが、ちょうど机の左手側にある幅35cmの隙間です。本棚を置くには狭いので、とくに決まった用途はなく、掃除機やプリンタトナーやゴミ箱などどうでもいいものを置く場所となっていました。せっかく天井まで空いているのだし、ここにも本棚を作りました。

数ヶ月前に猫脱走防止扉を作る際に、間違って短めにカットし、塗装まで済ませていた2x4材があったので、それを側板にして、棚板は1x6材を使うことにしました。新たに買う必要があるかと思ったら、自宅のベランダに転がっていた木材だけで十分な数がそろったので、端材を利用することにしました。

トリマーで木端から角まで丸くカットすると、端材には見えないくらいきれいに仕上がりました。これも出窓の棚と同様に、大入れ継ぎで側板にくっつけました。

すべての段の高さを19cmにしているので、文庫、新書、そしてドイツの中公新書ともいえる、C. H. Beck Wissenシリーズがぴったりと収まります。

棚板の幅は28cmほどしかありませんが、実はこの棚だけでもそれなりに収納力があります。やはり隙間があれば自作本棚を作るというのが正解です。

 

高いところの本を取るのに便利な踏み台チェアも自作

今回の工作で余っていた、カフェ板(20cmx3cmの杉板)があったので、組み合わせて、座面30cm四方くらいのチェアを作りました。サブデスクとして使っているスキャナ台(これも以前廃材で作りました)にちょうどいいイスになります。

高さは40cmあるので、上に登ればどの棚の本も取り出すことができます。これも本棚と同様にポケットホールスクリューでがっちりと接合しているので上に登っても安心です。

このチェアは油性ニスで塗装しましたが、ワックス仕上げより木目がはっきり出ています。

 

今回は以上のように、

窓際の本棚のリメイク、

スチール棚の上の拡張本棚2つ、

小さな隙間の文庫・新書棚、

そして踏み台チェアの自作をレポートしました。

実はもう一つ、数ヶ月前から構想を練っていた棚がありますが、それは次回。

二年生向けの教科書ができました

新しい教科書ができました!

朝日出版社さんから、新しい教科書『ミニマムドイツ語・レーゼン』を刊行することになりました。

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11月初めに大学の先生方向けに見本をお送りしております。

今回は、この教科書をつくるまでの経緯、どのようなことを考え,どのような内容にしたのか、そしてこだわりのポイントなどについて書きます。

二年生向けの教科書を作りたい

自分の大学で使うための初級用教科書を書いたのが、ちょうど4年前のことでした。

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その後たくさんあった誤字を修正した第2版、動画教材を加えた増補版を出すなど細かなを改訂しながら4年間使い続けてきました。内容的に不十分なところはあるかもしれませんが、使いやすいという評価をいただいています。

↓こちらが改訂版です。

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自分で教科書を作れば毎年の教科書選びは当然楽になります。一年生向けの教科書で悩むことはなくなりましたが、問題は二年生クラスです。多くの教科書は一年で2コマ授業を行うことを前提として作られていますが、私の勤務校では週1コマなので、二年生クラスといってもそれほど高度なことから始めるわけにはいきません。一年生と同じように発音や文法の復習から始めて、徐々に高度な内容や読解、作文までをふくめた教科書となると、なかなかちょうどいい本が見つかりません。

どうしても難しすぎたり、あるいは簡単すぎたりして、年度途中で別の本にしておけばよかったと後悔することもしばしばあります。

私たちは毎年会議で教科書を決めます(専任教員が共通教科書を指定しています)が、選んだ教科書が使いにくかったり、難しすぎたりして後悔するばかりです。それならばやはり自分たちで教科書を書くほかありません。

 

新しい教科書に何が必要か?

一年生向けの教科書を完成してから、すぐに二年生向けとしてどんな教科書が書けるだろうかと考え始めていました。

既存の教科書の問題点として

・読解教材が長すぎる、または難しすぎる

・練習問題が高度すぎる

・ページ数が多すぎる

という点が挙げられます。

私たちの大学で使うためには、

・週1回、前後期30回でだいたい終えられる分量

・高度すぎず、それなりに内容のある文章を含んだ教材

・座学、アクティブラーニング、オンラインとさまざまな授業形態に対応できる

・発音や初歩から復習もできる

という教材が必要です。

さらに共著者の大喜先生と相談し、ドイツやドイツ語圏のさまざまな文化を盛り込んだ読解テクストを入れることが決まりました。

 

締め切りごとに一気に書く

朝日出版社の編集者さんを交えてミーティングをして、全体的な方向性を決定したのが、今年冬ごろのこと。その後春休み中に目次と第一章のサンプルを作りました。

年度が代わり、前期の途中に第5課までの原稿を提出し、ゲラになったページのイメージを確認し、さらに8月の前期終了と同時に、10課までの完成原稿を出しました。ちょうど大学の仕事が忙しさのピークを迎える時期が原稿提出と重なってしまうので、私も共著者もかなりあっぷあっぷしながら原稿を書いていました。

毎回締め切り一週間前になったら必死で作業をして、合間にSlackで共著者とやり取りをして、出版社さんに原稿を送る。終わったら次の締め切りまでの一ヶ月はいっさい教科書のことは忘れて過ごす、というサイクルで原稿を書きました。長い時間少しずつ作業をすすめる、論文を書くプロセスとはだいぶ違っているように思います。

 

Lesetextを書くのがとてもたいへん

全10課のうち、2課から10課に、それぞれ10行程度の、ドイツ語圏のさまざまな文化についてのテクストを収録しました。

目次からの抜粋ですが

Lektion 2 ドイツ語圏の地理

Lektion 3 食べ物・スイーツ

Lektion 4 産業

Lektion 5 旅行

・・・

など、さまざまなテーマを取り上げています。

今回とりわけ難しかったのは、読解教材の文章を書くことでした。

ドイツ語論文を大量生産しているような研究者ではない私は、そもそもドイツ語の文章を書くのが苦手です。もちろん授業で教えるような簡単なドイツ語作文であれば、さらさら書けるのですが、今回は会話文ではなく、読み物を書かなければならないので、とても難しく感じました。

同業者のみなさんは、手元にある他の先生方の教科書を見てもらいたいのですが、多くの教科書で、読解教材は複数の登場人物による会話文になっているはずです。

よくあるパターンとしては、日本人留学生のA子とドイツ人学生ダニエルとの会話で、ドイツの食文化や生活文化、歴史などが紹介されるような文章です。

一方、「ドイツの地理的、言語的特徴はこれこれこのような点である…」といった文章や、「ドイツの教育制度とは…」、「ドイツのスポーツの歴史は…」という論説文ふうの文章は、おそらくかなり難易度の高い中・上級向けの教科書に収録されることがほとんどです。

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たとえば私が三年生クラスで使っていたこちらの教科書は、各課に1ページ以上の長く、読み応えのある文章が収録されています。

私たちの教科書は、週1コマで二年目の学生が対象なので、難易度は当然抑えて、かつ長さも10行程度(1ページの3分の1から半分程度)にしなければなりませんでした。

共著者とは半分ずつ担当を分け、それぞれ読解教材を書きましたが、難易度として適切かどうか、やはりいまだ自信が持てません。もっと簡単な内容にしたらよかったのではないかとはいまも少し思います。

 

共著だからできた

非常に困難な執筆作業でしたが、今回何よりもありがたかったのは、共著者がいたことでした。

ドイツ語学(スイスドイツ語研究)を専門とする大喜先生が教科書作成に加わってくださったことで、私の負担は前著の半分以下になりました。

作業の分担としては、文法解説を大喜先生、練習問題を私、読解は半分ずつで、4ページ目の応用的な練習も半分ずつ問題を作っています。

単純に作業を分担できるだけでなく、うまく進まないとき、迷いがあるときなどに気軽に相談できる仲間がいることがどれだけありがたいかようやく分かりました。単著だと誰に気兼ねなく、自分で構成や内容を決めることができます。それはもちろん気楽なことですが、出版後に多くの先生方に使用してもらって、現場からのご意見・ご批判にさらされることになる教科書の場合は、やはり執筆時から複数の人間が関わっていたほうがいいのではないかと思いました。

 

写真にこだわる

表紙や本文にも多くの写真を入れましたが、ほとんどは私がこれまでにドイツやオーストリア、スイス、ルクセンブルクなどで撮ってきた写真です。

各章のテクストにも関連する写真を入れています。

右の2枚は私が2014年にフランクフルトで撮った写真です。

ベルリンの写真は2019年夏の滞在時に撮りました。

この3年間はコロナのためまったく海外調査旅行ができず、新しい写真が撮れませんでしたが、これまでの教科書で使っていないお気に入りの写真などを表紙に載せてもらいました。

表紙と裏表紙です。

どこで撮った写真かはこちらに書いておきます。(拡大して見てください)。

表紙の一番大きい写真は、2019年冬に訪れたルクセンブルクです。

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とても寒かったけど、きれいな風景が撮れて本当に行ってよかったと思います。

 

読書猫の写真を撮る

今回の教科書は、読解教材が売りということで、タイトルにも「レーゼンlesen(読む)」を入れました。それに合わせて本を読むブルーちゃんの写真も表紙に入れてもらえました。ブルーちゃんがカバーを飾っています!

編集者さんから、猫も登場させたらどうかという提案をいただき、せっかくだからそれっぽい写真を撮ってみようかなと思い、本を読むブルーちゃんの「やらせ」写真を撮ることにしました。

これが表紙に採用されたもとの写真です。ほかにもたくさん撮っていました。

ひもを両手でつかんでがじがじ噛んでいます。

夜にテーブルで撮ってみましたが、興奮していて両目が真っ黒なのでボツにしました。

最初に読書しているところを撮ろうと思ってやってみたのがこの写真です。とても自然な雰囲気です。

読書は毎日の日課ニャ!というような賢そうな様子です。

自室の窓辺でも撮ってみました。ひもに夢中です。

じっくりページに目を走らせているように見えますが、視線の先にあるのはひもです。

 

じつはブルーちゃんの写真は一年生向けの『ミニマムドイツ語・ノイ』でも一枚使われています。この教科書を使っていた学生や先生が、二年目向けの『レーゼン』を手にして、ブルーちゃんが大きくなったことに気づいてほっこりしてもらえたらうれしいです。

2020年の8月末に撮っていました。

まだ家に来て一週間しか経っていないころです。いまと比べると本当に小さいです。

 

とりあえず冊子としての教科書は完成しましたが、まだまだやらなければならないことが残っています。

・練習問題の解答解説、補足問題など教授用資料の作成

・オンライン学習用の動画作成

これから春休みまでにこのあたりの仕事もこなしていかなければいけません。

 

仕事はまだ残っていますが、来学期に新しい教科書を使うのが楽しみです。

 

 

ドイツ近代文学講義のふりかえり

関西学院大学、ドイツ近代文学講義をふりかえる

非常勤の授業、ドイツ近代文学講義も3年目を迎えました。

じつは今年がはじめての対面での授業だった(一昨年は前期も後期もオンデマンド、昨年も春学期の一回目のみ対面で実施しましたが、その後一年間オンデマンドでした)ので、これまでとだいたい同じ内容を扱いながらも、授業資料を作り直したり、授業方法を見直したりとかなり時間をかけて毎週準備をしていました。

昨年も秋ごろにまとめを書いてみましたが、今年も変更点や気づいたことなどを書いておきたいと思います。

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昨年もほぼ同時期に書いていました。

1)対面授業でどのように講義をすればいいか

私は日頃少人数クラスでのドイツ語の授業をおもに担当しています。講義科目をどのように進めたらいいかというのは、私にとっては難しい問題です。語学のように決まった教科書はないし、専門の必修科目ではないので、必ず教えるべき内容もとくにありません。自分の得意分野で好きなように講義をすればいいと言われているので、これまでは、一年目はシュレーバーの『ある神経病者の回想録』の世界、二年目は狂気から読むドイツ近代文学というテーマを選びました。昨年度のテーマは、これまで19世紀末以降を中心的に勉強してきた私にとっても、新たに知ることが多く楽しかったので、今年も同じテーマに決めました。

対面授業でいちばん気がかりだったのは、授業時間を守らなければならないという点でした。オンデマンド動画による授業であれば、動画の時間が授業と同じ時間である必要はありません。なぜなら本来授業時間に含まれる、コメントカードを書いたり、質疑応答をしたり、課題に答えたりする時間もふくめての講義時間だと思っていたからです。

対面授業では、こちらが話題を提供し、学生がコメントを書いたり質問をしたりといったことを毎週100分の時間に合わせてやらなければいけません。とくに講義内容を100分で、というのはかなりむずかしく、昨年作った授業資料2回分を対面授業1回分にまとめるといったことも必要になりました。

講義方法については、iPadに入れた講義ノートをプロジェクタで写しながらひたすら読んでいき、難しいところは立ち止まってApple Pencilで加筆しながら解説するという方式をとりました。これについては以前書いた通りです。

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2)文学部なのだから、文学の話をしていいのだという気づき

今学期の授業で私がようやく気づいたのが、このことでした。毎週私はゲーテやロマン派のいろいろな作品について話していましたが、学生たちはいつも楽しそうに(もちろん退屈している学生もいたでしょう)、熱心に耳を傾けていました。学生たちが自分なりに熱心に講義を聞いていることは、毎週のコメントカードからもよくわかりました。

そんな学生たちの様子を見ていたら、文学部なのだし、文学の話ばかりしてかまわないんだな、という当たり前のことに気づきました。私も25年くらい前は彼らと同じように私立大学のドイツ文学専攻で学んでいましたが、いつもこんな現実離れした勉強ばかりしてていいのだろうかと不安を抱えていました。大学の勉強は楽しいけど、帰り道に新宿駅で乗り換えるときなどに、こんなことをしていていいのだろうかと不安になったりしたものでした。

卒論で東ドイツの現代文学を選んだのも、なるべく現実的な社会の問題(当時はユーゴスラビア紛争や歴史における記憶がアクチュアルな話題でした)に関係するようなことを研究しなければ「いけない」と思っていたからでした。

大学院を出て、ドイツ語を教えるようになってからは、ドイツ語やドイツ文化は近代化以降の日本を形作った基本となる学問だからと理由をつけて学生たちに教えていました。文学それ自体、そして文学研究の楽しさに正面から向き合うことをじつは私は自分から避けていたように思いました。

学生たちに講義をするうち、何かの役に立つようにとか、広い視野から世界を知るとか、そういったシラバスに書くような学習目標はひとまず置いておいて、文学作品がどうおもしろくて、どうわからないのか、どう難しいのかといったことに集中する講義でいいのだという開き直りのような心境にはじめてなることができました。

文学部の授業が文学を楽しまなくてどうするのでしょう。せっかくドイツ文学を専門とするクラスなのだから、ドイツ文学に熱中してかまわないのです。むしろ余計な価値観を持ち込むことは学生や専門の先生方に失礼です。

この当たり前のことに気づけただけでも、今学期授業をしてよかったと思いました。

 

3)今学期の講義内容

講義のテーマは2年前から同じで「狂気と近代ドイツ文化」です。(ちなみに最初の年は『シュレーバー回想録』の中心的な論点を紹介しました)。

昨年はゲーテ、ホフマン、クライスト、ビューヒナーを扱いましたが、今学期は内容をさらに増やしました。

 

  1. 講義の概要
  2. 狂気とは何か古代から近代までの狂気をめぐる言説
  3. 魔女狩り、ヒステリー、精神医学
  4. ゲーテ『リラ』
  5. ゲーテ『若きヴェルターの悩み』、『タウリス島のイフィゲーニエ』
  6. ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、『親和力』、『ファウスト』
  7. ホフマン『砂男』、『廃屋』
  8. ホフマン『廃屋』つづき、『磁気催眠術師』、『悪魔の霊酒』
  9. ティーク『金髪のエックベルト』、『ルーネンベルク』
  10. ベンヤミン『カフカ論』、アイヒェンドルフ『秋の妖惑』、『大理石像』
  11. ノヴァーリス『青い花』
  12. クライスト『聖ツェツィーリエあるいは音楽の力』、『ハイルブロンのケートヒェン』
  13. ハイネ、ブレンターノ『ローレライ』、クライスト『ペンテジレーア』
  14. ビューヒナー『ヴォツェック』、『レンツ』

ゲーテからロマン派へと時代順に話していくつもりでしたが、途中順番を間違えて、ホフマンのあとにティークが出てきて、後期ロマン派のアイヒェンドルフの話をしたあと、やはりノヴァーリスも必要だと初期ロマン派に戻るなど、ややいきあたりばったりなところもありました。13回ではハイネを少しだけ取り上げましたが、これは学生からのコメントにヒントをもらったためでした。

ノヴァーリスの回のときは、このシャツを着ていきました。

4)狂気とは何なのか?

これらの作品を取り上げましたが、当然「狂気」という共通するテーマでテクストを選んだものの、狂気とはなにか?精神病もメランコリーも恋わずらいも同じ事象として並べていいのか?という疑問が生じます。

これは学生も書いていたことだし、私もはじめから気にしていたことでした。

しかし私は修士論文、博士論文をダニエル・パウル・シュレーバーをテーマに書いた経験から言いますが、狂気について考えようとすると、どうしてもそれ以外の話ばかりになってしまうのです。医学的な観点から病気の分類をすることが目的ではない場合、「狂気」や「狂い」といった主題は膨大な拡がりを持っていることがわかります。シュレーバーを読むさいにも、彼の妄想世界に登場する、神経や神、光線、宇宙における生存競争、魂の不滅といったモチーフから、神経解剖学、宗教学、光学、進化論、心霊主義などさまざまな方向へと思考を拡散させざるをえないのです。

 

5)学生たちはどんなレポートを書いたか

評価方法として中間レポートと期末レポートを課しました。いずれも力作ばかりで楽しく読むことができました。

中間レポートはまだ7回〜8回までしか進んでいない段階だったため、最初の方で扱った魔女狩りの歴史や、ゲーテの『若きヴェルター』、そして古代における狂気の治療といったテーマについて書いてくる学生が多く見られました。

期末レポートでは、この授業でとりあげた作家・作品から一つ選んで論じるという課題を設けました。

学生たちのレポートでの人気度は以下のような具合になりました。

(多い)

ゲーテ

ホフマン

クライスト

ハイネ

ビューヒナー

ノヴァーリス

ティーク

アイヒェンドルフ 

(少ない)

60人程度の履修者でどのくらいの数かは正確に集計していませんが、上位のゲーテ、ホフマン、クライストでだいたい7割、残り3割がその他の作家作品を選んでいました。残念ながらアイヒェンドルフはゼロでした。

授業での登場回数が多かった上位の3人はまあ順当といったところです。とくにホフマンは、昨年までおられた木野先生のご専門なので、授業で親しんでいた学生もいたことでしょう。

意外だったのは、授業の中の小見出し程度の扱いとして言及しただけのハイネがなぜか人気だったことでした。(『ローレライ』という有名な主題を取り上げたからかもしれません)。

また、難解なので授業で話したことがつたわっていないかもと心配していた、ビューヒナーやノヴァーリスをテーマに選んだ学生も少なからずいました。しかし逆に自分としては面白い話ができたと思っていたティークやアイヒェンドルフはあまり学生の関心を惹かなかったようです。このあたりは私自身がもう少ししっかり読み込まないといけないと思います。

 

さて、夏休みもあっという間に終わってしまってもう後期一回目の授業がはじまります。後期の講義、ドイツ文学特殊講義では、フロイトと『夢解釈』がテーマです。初期のフロイトがどのようにその思想を形成していったのかを、『失語論』から著作を紹介しながらたどっていきます。昨年の講義では、準備が間に合わず、結局『夢解釈』前半部分までで終わってしまいました。今年はどうなるか、ちょっと心配ですががんばりましょう。



 

 

 

 

 

 

出張で行くのに便利な大学はどこか?

 

久しぶりの東京出張

日本独文学会春季研究発表会とオーストリア文学会が対面で行われるため、二年半ぶりに東京に行ってきました。コロナ後はじめての東京、そして父の一周忌を2019年秋に行って以来の実家泊でした。

気づけば地元を離れて25年以上経っていますが駅の様子は何も変わっていません。

今回の会場校は立教大学。独文学会は毎年春は東京、秋は地方の大学を会場としており、東京では東大、早稲田、慶応、上智、明治、中央、学習院大、日大、東京外大、武蔵大、獨協大などドイツ語ドイツ文学専攻がある大学が持ち回りで開催しています。しかし会場校のスケジュールはいろいろな事情で変更もあるので、私はこの18年間で3回立教大学の学会に参加しています。

久しぶりの立教大学。便利でおしゃれなキャンパス。高校3年生の頃、最初の入試で落ちた大学です。

立教大学は池袋駅西口から近く、周辺には大きなデパート、劇場、公園、おしゃれなカフェなどが立ち並んでいるし、ビジネスホテルもたくさんあります。ここ最近、関西の主だった大学で、お昼を食べるのに便利なところはどこかと考える機会があった(これも近日中にブログにまとめます)のですが、久しぶりに東京の大学に来て、レベルの違いに打ちのめされました。

これまでに訪れたいろいろな大学の中で、どこが出張のときに便利だったか、またどこが不便だったかを思い出してみました。

今回はこれまでに出張で訪れた大学のなかで、どこが便利だったかを比較してみます。以下はあくまで私の印象です。東京在住の人が抱く便利さ、不便さとはまた違うことはご理解ください。

 

出張に便利な大学はここ!

立教大学 

東京駅から25分、山手線から徒歩10分です。周辺には飲食店が多数。宿泊施設も選び放題。百貨店もあるのでお土産も買えます。(ついでにいえば、栃木までの帰省にも便利です)。

上智大学 

東京駅から近く、ビジネス街なので飲食店もたくさんあります。宿泊は新宿駅周辺でいろいろ選べます。

明治大学 

御茶ノ水、明大前いずれも駅から近く東京駅、品川駅からの乗り換えも容易。周辺は学生街で飲食店はたくさんあり、宿泊施設も新宿、渋谷などいくらでも選べます。

東京大学 

本郷、駒場いずれも便利な場所、飲食店も多い。駒場ならば渋谷や新宿に泊まると近いでしょうが、本郷だと池袋周辺で宿泊となるのでしょうか。私の場合は東大本郷に行くなら、千代田線、東武線を乗り継いで実家泊です(1時間半かかりますが)。

学習院大学 

目白駅すぐとなり。宿泊は池袋、新宿どちらでも選べます。以前の出張時には、駅直結のホテルに泊まりました。

早稲田大学 

山手線の駅が遠いため、あまり便利じゃないかもと思っていましたが、東西線を使って東京駅から直行することは可能なのですね(自分ではこのルートで行ったことはありません)。飲食店、新宿周辺の宿泊も充実しています。

 

次点:良くもないが悪くもない

 

慶応義塾大学 

三田キャンパスは便利。日吉キャンパスは東横線の駅からすぐですが、新幹線からはやや遠い。飲食店は充実しているものの宿泊施設はあまり近所にありません。私は川崎市のどこかに泊まりました。

(追記 2024年7月)先日の学会で日吉キャンパスに久しぶりに行きましたが、新横浜から東急線一本で行けることに気づきました。昔は乗り換えが必要だったのですが、いつ変わったのでしょう?

おかげで都内の大学よりも、ずっと関西からは早く着くことがわかりました。日吉駅周辺は飲食店も多いし、沿線の武蔵小杉や新丸子などには安いビジネスホテルがいくつもあります。

武蔵大学

池袋から数駅離れているので、次点としていますが、十分便利な場所です。駅から大学までの間にいろいろなお店があり、食べるところには不自由しません。宿泊はやはり池袋エリアで選ぶことになるでしょう。

日本大学文理学部 

明大和泉校舎の隣の駅ですが、駅から少し距離があり、渋谷からは乗り換えの必要があるためやや減点となりました。宿泊は新宿から西新宿あたりがちょうどいいでしょう。

明治学院大学 

品川駅からバス一本。妻がしばしば出張に出かける場所です。宿泊は品川周辺、飲食店もおしゃれで高い店は色々あるとのこと。私は一度も行ったことがありません。

 

ここはちょっと不便

東京工業大学(大岡山)

研究会で一度だけ行ったことがありましたが、大学周辺はきれいな住宅街であまりお店などはなく、当然宿泊施設もありませんでした。通勤通学にはいい場所なのでしょうが、出張となるといまいちです。

東京外国語大学 

私は移転前の北区西ヶ原キャンパスに一時期通っていましたが、移転後の府中キャンパスは二回出張で訪れています。立地が郊外であることはまだいいのですが、駅から遠く駅周辺には飲食店はありません。また宿泊施設も何駅か離れたところ(しかも乗り換えも必要です)にしかありません。私は京王八王子駅周辺のビジネスホテルに泊まりました。

麗澤大学

南柏の駅からしばらく歩いたところにありました。駅周辺はにぎわっていますが、柏まで来るのがやや不便でした。私は柏駅前に泊まりましたが、都内在住の人とは逆方向になってしまい(学会後、都内で飲み会をしていたので、もう一度柏に戻る必要がありました)少し困りました。

千葉大学 

東京に住んでいた頃から千葉の遠さにはときどき驚かされていました。また西千葉周辺には宿泊施設がないので千葉駅まで行くか、都内に戻るかしないといけません。

中央大学

多摩モノレールができたおかげで、私が学部生の頃に比べると格段に便利になっていますが、それでもやはり出張には不便です。10年前の学会の時は、橋本のホテルに2泊し、多摩センター駅前で飲みました。

 

関西ならばどこが便利だろうか

以前の記事にも書きましたが、関西の大学はほとんどすべて駅や市内中心部からは離れたところにあるので基本的には出張にも不便なところばかりです。中でも例外的に便利そうなところを挙げておきます。

京都大学 

京都駅からバス一本だが、バスは時間がかかりとても混雑します。慣れている私たちは、地下鉄で今出川駅まで移動してそこからタクシーに乗ります。宿泊は大学周辺にも旅館がいろいろあります。

同志社大学 

地下鉄と直結しているのでもう何も言うことはありません。

龍谷大学 

京都駅から地下鉄、JRですぐ来れるという利点がありますが、周辺に飲食店はほとんどないため、私は研究会などの際にはいつも京都駅でカレーかうどんを食べてから出かけていました。宿泊は京都駅周辺ならばたくさんあります。

大阪大学 

新大阪からはいったん梅田に出て阪急電車に乗り換える必要がありますが、30分以内に着くはずです。飛行機で伊丹空港に着く場合はタクシーやモノレールですぐ行けるのでとても便利です。

近畿大学 

いちおう新大阪から電車一本(+バス10分)で来れますが、電車の本数が少ないのであまり便利とは言えないかもしれません。周辺の飲食店はたくさんあるし、宿泊は上本町、鶴橋、なんばなど選択肢は多いはずです。

余談:タクシーは都会の大学でないと利用できない?

出張時に心強い味方となる移動手段がタクシーです。駅からタクシーで大学に向かうのはどこでも可能でしょうが、大学から駅に戻る際に、東大や京大では当たり前のように大学前にタクシーが並んでいますが、地方都市ではそうはいきません。近畿大学のような道路が狭い街にある大学ではタクシーは電話で呼ばないと乗れません。これは着任したばかりの頃にものすごく驚いたことでした。

 

YouTubeで白猫ドイツ語講座を始めました

新学期、授業動画を作らない日々

2020年から、相変わらずコロナ禍は続いていますが、大学のほうは徐々に平常に戻りつつあります。

昨年度後期は、講義科目のみオンデマンド、ドイツ語はすべて対面授業となっていましたが、今年は本務校と関西学院大学の講義科目も含めて、すべて対面授業に戻りました。昨日のブログでも書いたように、対面授業はやはり学生たちの反応がよく見えるし、リアルタイムなのでその場であれこれ工夫して授業を組み立てるのは、とても楽しいです。

schlossbaerental.hatenablog.com

2020年に毎日毎日カメラの前で動画を撮り編集しYouTubeにアップロードしていた日々がなんだか遠い昔のことのようにすら思えます。

 

やはり動画はおもしろいし、YouTubeで配信してみたい

新学期に入ってから昨年までの授業を思い出すために、なんどか自分の授業動画を見返していました。関学の講義は、講義ノートをひたすら読んでしゃべるだけの自撮り動画ですが、ときどきブルーちゃんを登場させたり、あるいは勝手に撮影中に机に飛び乗ってくることもありました。

これまでの動画から、ブルーちゃんが登場する場面だけを集めてYouTubeで公開したいと考えていましたが、そんなことをわざわざやるくらいなら、新たに撮ったほうが早いと思えてきました。

毎回ブルーちゃんをカメラの前に連れてきて、いやがって逃げ出すところからドイツ語の学習法や基礎文法などの解説をする、そういう動画があってもいいのではないかと四月の後半ごろから考えていました。

また、同世代のドイツ語教員仲間である、川村和宏さんや馬場浩平さんが充実した内容のYouTube動画を公開していることも非常に刺激になりました。

 

白猫ドイツ語講座を始めました

4月末に新学期のバタバタした感じがだいたい落ち着いてきたので、動画の撮影を始めました。ドイツ語についてのYouTube動画といっても、私はすでに一年分の授業動画を作っているし、さらには教科書とセットの解説動画も作っています。

多くの先生方がやっているような、教科書の目次のように、文法事項をひとつずつ紹介していく形式ではなく、ちょっと知りたいことをわかりやすく説明するような動画を作ることにしました。

タイトルは「白猫ドイツ語講座」として、マスコットキャラクターのブルーちゃんを写真に入れました。ドイツ語講座をシリーズ化するにあたって、教科書通りでなくてもいいので、やりたいことをざっと箇条書きにしてみました。

サムネイル写真をかわいくするのもこだわりのポイントです。

これまで私がブログやYouTube動画で公開してきたもののなかで、それなりに好評だったのが、辞書や参考書の紹介です。

schlossbaerental.hatenablog.com

まずはこのテーマについて新たに作り直すことにしました。

 

辞書の紹介シリーズ

第一本目の動画は、『中級者向け、独和辞典の選び方』にしました。ちょうど手元に辞書があったからです。初級者向け辞典は、研究室に本を置いていたので、第2回に回しました。さらに、3回目には『初級者に優しい独和辞典』や『ベーシッククラウン独和・和独辞典』など7冊のコンパクト版独和辞典を紹介しました。

youtu.be

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教科書とリンクしない、ちょっと調べたい時のためのドイツ語文法動画

辞書紹介シリーズのあとは、4回目にドイツ語のウムラウトの発音、5回目にはドイツ語の数字の読み方について解説動画を公開しています。

youtu.be

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私は先ほども書いたように、教科書の進度に必ずしも即していない動画配信を考えています。学生の皆さんは必ずしも授業で同じようなペースで学ぶわけではないし、このブログを読んでいるひとのように、趣味としてドイツ語を学んだり、現地でドイツ語を学んでいるという人もたくさんいます。そういう方々のために、ちょっと調べたい時に学習のヒントが得られるようなドイツ語解説動画を提供できればと思っております。

今後配信予定の内容です。

序数詞

形容詞の名詞化

間違いやすい発音

カタカナとドイツ語

ドイツ語圏の人の名前

不規則変化動詞の色々

所有冠詞と2格

接続詞と副文

などなど

日頃の授業で、もう少し説明が必要かな、こういうの苦手な学生が多いな、と思うような文法事項を紹介したいと思います。

 

独文学会でブース発表をします

最後に告知ですが、5月7日の午後に立教大学で日本独文学会研究発表会にて、ブース発表を行います。コロナ禍の2年間、私と同じようにYouTubeを使ってきた、川村和宏さんと共同で、この2年間で気づいたことや今後の展望などを、来聴者の皆さんと共に考えていければと思っております。

www.jgg.jp

 

研究室にフロアシートを貼ってみた

春の研究室リフォーム第3回

前回に引き続き、個人研究室リフォームの話です。これまでの経過はこちら。

schlossbaerental.hatenablog.com

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前回までに、作るべきものはすべて作りましたが、まだまだ完成にはいたっていません。私がこの部屋に移った五年前からじつはいちばん気になっていたのが床でした。

この研究室は古い法学部の教室(資料室?研究室?元は何があったのか私は詳しく知りません)を改装し、壁や床は新しくされていました。白く塗られた壁はいいのですが、灰色のつるつるした床材は汚れが目立ちやすく、またコーヒーをこぼした跡などが残りやすく、靴底や自転車のゴムタイヤなどの跡も残ってしまいます。さらに業者さんにワックス掛けをしてもらったさいにはごみや髪の毛などがワックスとともに固着してしまっていました。冬に部屋が寒い原因は床にあるらしいということで、他の部屋の先生は、床にタイルカーペットを並べている人もいました。

私の場合、寒さは電気ファンヒーターでカバーしていますが、とにかく汚れやすく、汚れがとれないというのががまんできないので、先日出窓に貼り付けたフロアシートを床にも貼ってみることにしました。

 

このヒーターは小さいのに暖まります。自宅でも同じものを愛用しています。

 

入念に計画を練る

フロアシートはこちらの商品を選びました。

裏面に強力な糊がついていて、しっかり固定できます。強力な接着力がありますが、めいっぱい引っ張れば(シート自体が破れると思いますが)剥がすこともできるので、おそらく原状回復も可能でしょう。

まずは引越しをしたときと同様に、部屋の寸法を細かく測ります。

フロアシートは幅が100cmとなっています。縦に(廊下から窓の向きに)並べて貼るとなると、部屋の幅が340cmくらいあるので、3枚半必要です。しかし部屋の半分以上は両側に奥行き35cmの本棚があるため、間の幅は270cmほど、つまりシート3枚で足りることになります。

しかしシート3枚だけでは、入り口周辺をカバーできません。細かい貼り残しも生じてしまいます。研究室で連日シミュレーションを繰り返し、配置を考えました。

マスキングテープなどがあればよかったのですが、見つからなかったので、床にホワイトボードマーカーで直接書き込んでいます。

何度も計算した結果、だいたい15~16mくらいのフロアシートがあれば部屋全体に貼ることができるとわかりました。ついでに自宅のトイレも改装したいと妻がいうので、さらに少し付け足して、楽天で18mのシートを注文しました。

dreamsticker.jp

シートは1m単位でカットしてもらえます。2m単位で買うこともできますが、割安なので、18mつながったものを選びました。前回出窓で使ったときには2mだけでしたが、今回はその9倍もあるので、梱包がどのくらいの大きさ、重さになるか心配でしたが、自宅に届いた荷物はそれほど大きくもなく、重さも10kg以下でした。

いつものように台車に乗せて研究室に搬入します。

 

困難をきわめた貼り付け作業

研究室の家具を廊下に出す必要があるだろうし、妻の手を借りたかったので、作業は日曜日に行いました。

はじめに先ほどの配置図にあるように、4枚の大きなシートを切り出しました。物があふれる私の部屋では到底5mものフロアシートを広げて切ることは不可能です。廊下に出て作業をしました。新学期前でほとんど人がいない日曜を選んで正解でした。

次に研究室の家具類を動かします。チェアやオットマン、サイドテーブル、スキャナ台など動かしやすいものは部屋の外に出し、ミーティングテーブルやワーキングデスクなど大きいものは、フロアシートを貼る位置に合わせて、室内の片側に寄せることにしました。私は小学生男子のように、机の中になんでも詰め込んでしまうので、デスクの引き出しがものすごく重く、そのまま持ち上げることはまったく不可能で、一つ一つの引き出しを外して移動しました。

途中経過。このように机を左側に寄せ、右側にシートを貼っていくという方法をとりました。

当初私は、出窓の床を貼ったときと同様に、一人でこの作業をするつもりでしたが、始めてみるとやはりもう一人補助役が必要だとわかりました。フロアシートは幅が1メートルあり、長さはそれぞれ4m〜5mあります。裏面の糊は強力なので、一人は貼り付ける係、もう一人はシートを広げる係と分担しないとまっすぐに貼り付けることは困難です。私が位置を合わせて、空気が入らないようにシートを貼り付け、妻は残っている部分を保持しつつ、剥離紙をはがしながら移動しました。この共同作業で、主立った部分を貼り付けることができました。

最後にデスクやテーブル、家具類を移動し、入り口周辺や、貼り残していた本棚の周辺など細かいところを貼っていき、だいたい2時間くらいで完成しました。

やっと完成です。

ところどころ空気が入ってしまっている箇所がありますが、カッターなどで気泡を抜いて踏みつけておけば問題ないでしょう。見た目も感触もとても良くしあがりました。

 

ちょうど作業を終えたときには夕飯の時間帯だったので、大学を出て、八尾のうどん屋さんで夕食をとりました。

おいしいうどんを食べて満足し、かなりくたびれたので、帰宅後すぐに寝てしまいました。

ちょうど春休みが終わり、今週末にはいよいよ新学期が始まります。私もDIYの季節を終え、新年度の仕事に取り組むことにします。

 

追記

翌週にふたたび出勤したさい、フロアシートからめきとかぱきとか音がする箇所がありました。気泡が入ってしまって、踏むたびに移動して音がでるわけです。スマホの保護シートのように、シートの切れ目まで気泡を移動するということは粘着力が強すぎて全く不可能です。そこで、カッターの先で極小の穴をあけ、空気を抜くという作業をしました。数ヶ所穴をあけて踏みつけると、まったく音は鳴らなくなりました。

 

それから、自宅のトイレに敷くため1.4m分切り出しておいたシートは、休日の午前中に貼り付けました。便器の部分をくりぬくために、新聞広告を並べて型紙を作り、シートを切り抜いて貼り付けました。

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便器周辺や入り口周辺はすこし形が複雑でしたが、はりつけ作業じたいはすぐにできました。