ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

複製可能なのに唯一無二、コピー本の世界

研究者共通の悩みとしての本の処分

研究者として大量の文献を集めて読んでを繰り返してこれまでやってきましたが、しばしば仲間内でも話題になるのが、蔵書の整理の問題です。

私はそれなりに広い自宅と個人研究室にめぐまれているので、現時点では本を置く場所に困ることはないのですが、もちろんこれから20年たって自分が定年退職するころには、蔵書のかなりの部分を手放さざるを得ないし、自分にもしものことがあれば、残った本の処理を妻に頼むほかありません。

しばしば研究者を悩ませる問題が、引退後あるいは死後の蔵書の処分です。

数年前に大学院時代の恩師であった川島昭夫先生が亡くなられたことを書きましたが、あのときは川島先生門下の多くの研究者たちや、古書仲間の方々が先生の蔵書を形見分けしました。

schlossbaerental.hatenablog.com

先生がせっかく蒐集した蔵書がふたたび散逸してしまうことを惜しむ気持ちはありますが、われわれ弟子たちの手に渡ることで、先生の教えの一部が私たちの中に生き続けているようにも感じます。

自分が収集した知識が、多くの弟子たちへと引き継がれていくというのは考えてみれば研究者の最期として理想的なあり方ではないかと思います。

 

書籍など所詮はモノでしかない

情緒的なことを書いてはいますが、残念ながら引き取り手のない蔵書は、多くの場合図書館への寄贈も断られ、古書店にも買い取ってもらえず、廃棄されることになります。

昨年他大学の先生から大量の蔵書をいただきましたが、これも私が名乗り出なかったら、大学図書館がすべて廃棄していたことでしょう(売れば相当な額になるものもあったのですが、たぶん大学側はめんどくさがって売却など考えもしなかったでしょう)。

もったいないことではありますが、仕方がないと諦める他ありません。

私は文学研究者で、基本的には買ったりコピーしたりした本を読んで研究をしています。文書館で貴重な資料を複写して集めたり、調査地の人々にお話をうかがって聞き書きをしたりといった資料は基本的に用いません。

そのため私は、書籍というのは複製可能なモノでしかないし、廃棄されることがあってもこの世のどこかにかならず保管されているはずだし、コピーやデータとして残っていればそれで十分だと考えています。

私には弟子も子供もいなし妻は他分野の研究者なので、私が集めた資料を受け継ぐ人など今後はいないでしょう。そう思って自分で使う本はどんどん付箋を貼り、ページを折り、書き込みもしています。

書物など使用するためにあるのだ、そしてもし汚れたり水に沈めたりした場合にはいくらでも買い替えは可能なのだと気楽に読んだり書き込んだりすることで、逆に唯一無二のかけがえのない一冊となるのではないか、というなんだか逆説的なことを今回は言いたいと思います。

複製可能な書籍のコピーにすぎないのになぜコピー本は貴重なのか

書籍などモノでしかないし、自分が研究者をやめたり、死んだりしたら何もかも失われても仕方がない、そうはわかっていても自分が持っている本、とりわけ院生時代に作ったコピー本には「使用するものとしての」特別の愛着を覚えます。本そのものではなく、複製されたコピー用紙の束でしかないのに、そう思ってしまうのはなぜでしょう。

以前も書きましたが、もう20年近く前、京大大学院で学んでいた頃は毎日学内の図書館を回って文献を集め、コピー屋さんでコピーをとるのが日課でした。

そのころ私が集めていたのは、19世紀末から20世紀初頭のさまざまなドイツ語書籍だったので、多くの場合表紙から最後までまるごとコピー(すなわち全コピー)をとっていました。A5サイズの書籍であれば、見開き両面コピーで400ページの本が100枚のコピーになります。こうして集めたコピーは、生協や共同研究室にある製本機で製本したり、大阪コピーに依頼してくるみ製本にしてもらっていました。

研究室の一角にはこのようなコピー本のコーナーがあります。大学院に入った2000年代初頭から、今の職場に勤めだした2015年頃にかけて収集したコピー資料です。

幅900mmのスチール本棚を四段分占領している大量のコピー本たち。これでも大学院を出たあとでかなりの量を廃棄しました。よく見るといろいろな種類があるので、以下でお気に入りのコピー本とともに紹介していきます。

コピー本のさまざまな製本方法

コピーの束を製本したものをコピー本とわれわれは読んでいましたが、いろいろな製本方法がありました。

本棚に何冊か見えますが、背も表紙もないのがホッチキス綴じやホッチキスすらせずクリアファイルに入れっぱなしにしたコピーもあります。

大阪府立図書館で2011年3月11日にコピーを取っていた、カール・デュ・プレルの博士論文。図書館の閲覧室がしずかに揺れて、周囲の人がざわついたことを思い出します。

パウル・シュレーバーの主治医だったパウル・エーミール・フレックシヒの自伝です。これは京大医学部図書館で見つけました。あまりちゃんと読んでないので、ホッチキス綴じで済ませていました。

多くのコピー本は、大学生協で売っている製本機で製本カバーを使って綴じていました。

東大駒場生協さんのツイートですが、売り場の写真にあるような縦型もしくは横型のカバーをいつも使っていました。2枚目の写真が製本機です。

製本機は大学生協および共同研究室にあり、電源を入れてしばらく待って糊を熱で溶かし紙束を接着する仕組みでした。

製本カバーは安くて、だいたい一冊150円程度ですみました。しかしこの簡易製本にはいろいろ欠点がありました。

一つは糊が偏って固着してしまうとときどきページが開きにくくなったり、背が真っ二つに割れてしまったり、途中のページが脱落することもありました。構造的にしかたがないと諦め、私は木工用ボンドを常備して、壊れた箇所に塗って修復していました。

もう一つは表紙の透明なカバーが経年劣化するおそれがあるという点でした。何年か保存するとカバーがベタベタになったり、割れたりすると友人から聞いていました。今のところ表紙が破損したコピー本はないのですが、たしかに紙の表紙と違ってページが折れたり、あるいは逆に本棚で近くの本を傷つけることもありました。

院生時代から読み続けているCarl du PrelのDie Philosophie der Mystik. フロイトの『夢解釈』でも数カ所で言及される重要な本です。

カバーの背には自分で印刷したタイトルを糊づけし、上からテープを貼っています。

この本はカバーがすっかり黄ばんで劣化が進んでいます。

中はきれいです。グフタフ・フェヒナーの『死後の生活』の訳です。

同じ本の後半には、平井金三『心霊の現象』。明治期にヨーロッパのスピリチュアリズムを日本で最初に紹介した本の一つです。カール・デュ・プレルがはじめて日本語の文献に出てきたのもこの本だと思われます。

1890年代初頭にレクラム文庫から出ていたデュ・プレルの『心霊主義』です。リルケなど多くの同時代の知識人がこの本を読んだようです。

レクラム文庫なので文庫本サイズでかつこの小さなフラクトゥーア書体です。そのまま読むのはかなり大変なので少し拡大コピーしてB5の紙に印刷しています。

院生時代に苦労して読みました。当時の古書はネットでも買えますが、ネットで本を買って読むより、コピーを拡大して読むほうが当然読みやすいし、ペンでメモしたり付箋をはったりもできます。

大阪コピーのくるみ製本が最高

院生時代私が毎日通っていた百万遍の大阪コピーには、製本サービスがありました。

100枚から500枚くらいの大部のコピー本を作るときは、お店に依頼してくるみ製本にしてもらっていました。納期は5日から一週間ほどで、一冊あたり800円で表紙の色が選べました。

エドゥアルト・フォン・ハルトマンの『無意識の哲学1、2』をまとめた本です。

500ページ以上ある本を2冊まとめているのでかなりの厚みですが、どのページもきれいに開きます。

京大文学部の地下書庫にあった本です。

19世紀半ばから20世紀初頭まで続いた心霊主義の雑誌、Psychische Studienは東大本郷の図書館で二日がかりでコピーしました。皮の装丁がぼろぼろに傷んでいて、コピー機に載せるのがためらわれましたが、自分が読まなかったら図書館に置いてる意味がないと、意を決してコピーしました。どうやって持ち帰ったのか覚えていませんが、京都で大阪コピーにもちこみ、200〜300枚ごとに一冊に分けて製本してもらいました。

年代物で傷みの激しい本であっても一度コピーしてしまえば全く気にせず読むことができます。

これは天理図書館で複写した雑誌Sphinx。カール・デュ・プレルを中心にミュンヘンのオカルティストサークルが参加していました。

天理図書館はこのとき(2005年くらい?)初めて訪れましたが、古くて落ち着いた館内の雰囲気が印象的でした。ブックワゴンで雑誌を書庫から出してもらい、必要なページにしおりを挟みながら読んで、最後に一枚30円で係の人に複写してもらうという形式でした。

判型が大きめの本だったので、B4でコピーし、2冊に分けて大阪コピーで製本してもらいました。クセのある装飾的なヒゲ文字で書かれているのですごく読みにくいです。

この二つの雑誌は、いずれも現在ではフライブルク大学図書館のリポジトリでPDFを全部ダウンロードすることができます。もちろん私は普段はPDF版を利用していますが、たくさんの記事をブラウズしたいときなどはコピー本も有効です。

 

あまりありがたみがないキンコーズ製本

大阪に勤務するようになると、皮肉なことに大阪コピーからは遠くなってしまったので、コピー本をつくる機会が減りました。

それでも2014年、2015年と海外調査に出た時には大量のコピーを取っていたので、南森町にあるキンコーズに持ち込んで製本してもらいました。納期が早くて安いのはいいのですが、キンコーズの製本はかなり簡素です。

背はテープで、表紙・裏表紙は薄めの紙です。

この形式で何冊かコピー本を作りましたが、なんだか味気ないというかありがたみがない感じがします。複製可能なコピー本にありがたみもへったくれもないはずなのに、そう思ってしまうのはなぜなのでしょうか。

 

やたら豪華なコピー本もある

私が作ったコピー本ではありませんが、昨年他大学の先生からもらった古いドイツ語の本のなかに、数冊製本されたコピー本が入っていました。

ハードカバーに金文字のタイトルが入っています。

中身はふつうのコピー用紙ですが、りっぱな装丁で所有欲が満たされます。

同様にハードカバーのコピー本ですが、こちらは紙がすべて2つに折ってありA5サイズになっています。

ドイツ語の詩についての研究書です。

見開きコピーした紙を中央で折って2ページにしています。たぶんこの折る作業も業者さんに依頼していたのでしょう。

もらった本や古書には意外なものが挟まっているものですが、この本からはカセットテープのラベルが出てきました。懐かしいですね。

ハードカバーや紙を折って綴じる方式などは、これまでやってもらったことがなかったのでむしろ自分でもこういうコピー本が欲しいと思ってしまいました。どこか大阪でも近所に持ち込める業者さんを探してみたいです。

思い出や痕跡が遠慮なく残されているコピー本のかけがえのなさ

以上のように私がもっているいくつかのコピー本を眺めながら、かつて毎日ともにすごしたコピー本の世界を振り返ってみました。

現在は海外調査に出かけてもほぼ全ての資料をスキャナで撮影しデータを持ち帰るだけです。しかし改めてコピー本を手に取ると、同じように複製可能なデータとはまったくちがう存在感があることに気づきます。

自分で作ったコピー本を見ると、オリジナルの書籍をどうやって取り寄せたり探したりしたのか、コピーをとるとき風化した皮表紙のかすが手にいっぱいついたことや、でき上がったコピー本を辞書を引きながらせっせと読んではメモを書き込んでいた院生時代の日々のことなどがつぎつぎと想起されます。

コピー本は複製なので遠慮なく使用することができます。貴重な本や古い本であれば躊躇してしまうことも、汚してしまっても所詮はコピーだ、複製可能なのだと考えれば、遠慮なくコピー本に書き込んだり、付箋を貼ったりできるのです。しかし逆にこうして残した痕跡によって、コピー本には所有者の思い出が書き込まれ、印刷されたオリジナルな書物(これも矛盾した言い方ではありますが)よりも、オリジナリティすなわちかけがえのなさを発揮することになりうるのではないでしょうか。

数年前、同じ分野の仲間とあつまってかけがえのなさやオリジナリティをめぐって共同研究をしたことがありました。そのときは、記憶や人の命などのかけがえのなさを問題にしましたが、印刷された書物という媒体についてはまったく頭に思い浮かびませんでした。2016年から17年にかけて書いていた「かけがえのなさ」についての論文です。

researchmap.jp

そもそもが複製であり、さらなるコピーが生み出されうる紙の書物において、かけがえのなさやオリジナリティをどのように考えることができるのでしょう。これはなかなかおもしろい問題だなと思いました。