ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

ドイツ近代文学講義のふりかえり

関西学院大学、ドイツ近代文学講義をふりかえる

非常勤の授業、ドイツ近代文学講義も3年目を迎えました。

じつは今年がはじめての対面での授業だった(一昨年は前期も後期もオンデマンド、昨年も春学期の一回目のみ対面で実施しましたが、その後一年間オンデマンドでした)ので、これまでとだいたい同じ内容を扱いながらも、授業資料を作り直したり、授業方法を見直したりとかなり時間をかけて毎週準備をしていました。

昨年も秋ごろにまとめを書いてみましたが、今年も変更点や気づいたことなどを書いておきたいと思います。

schlossbaerental.hatenablog.com

昨年もほぼ同時期に書いていました。

1)対面授業でどのように講義をすればいいか

私は日頃少人数クラスでのドイツ語の授業をおもに担当しています。講義科目をどのように進めたらいいかというのは、私にとっては難しい問題です。語学のように決まった教科書はないし、専門の必修科目ではないので、必ず教えるべき内容もとくにありません。自分の得意分野で好きなように講義をすればいいと言われているので、これまでは、一年目はシュレーバーの『ある神経病者の回想録』の世界、二年目は狂気から読むドイツ近代文学というテーマを選びました。昨年度のテーマは、これまで19世紀末以降を中心的に勉強してきた私にとっても、新たに知ることが多く楽しかったので、今年も同じテーマに決めました。

対面授業でいちばん気がかりだったのは、授業時間を守らなければならないという点でした。オンデマンド動画による授業であれば、動画の時間が授業と同じ時間である必要はありません。なぜなら本来授業時間に含まれる、コメントカードを書いたり、質疑応答をしたり、課題に答えたりする時間もふくめての講義時間だと思っていたからです。

対面授業では、こちらが話題を提供し、学生がコメントを書いたり質問をしたりといったことを毎週100分の時間に合わせてやらなければいけません。とくに講義内容を100分で、というのはかなりむずかしく、昨年作った授業資料2回分を対面授業1回分にまとめるといったことも必要になりました。

講義方法については、iPadに入れた講義ノートをプロジェクタで写しながらひたすら読んでいき、難しいところは立ち止まってApple Pencilで加筆しながら解説するという方式をとりました。これについては以前書いた通りです。

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2)文学部なのだから、文学の話をしていいのだという気づき

今学期の授業で私がようやく気づいたのが、このことでした。毎週私はゲーテやロマン派のいろいろな作品について話していましたが、学生たちはいつも楽しそうに(もちろん退屈している学生もいたでしょう)、熱心に耳を傾けていました。学生たちが自分なりに熱心に講義を聞いていることは、毎週のコメントカードからもよくわかりました。

そんな学生たちの様子を見ていたら、文学部なのだし、文学の話ばかりしてかまわないんだな、という当たり前のことに気づきました。私も25年くらい前は彼らと同じように私立大学のドイツ文学専攻で学んでいましたが、いつもこんな現実離れした勉強ばかりしてていいのだろうかと不安を抱えていました。大学の勉強は楽しいけど、帰り道に新宿駅で乗り換えるときなどに、こんなことをしていていいのだろうかと不安になったりしたものでした。

卒論で東ドイツの現代文学を選んだのも、なるべく現実的な社会の問題(当時はユーゴスラビア紛争や歴史における記憶がアクチュアルな話題でした)に関係するようなことを研究しなければ「いけない」と思っていたからでした。

大学院を出て、ドイツ語を教えるようになってからは、ドイツ語やドイツ文化は近代化以降の日本を形作った基本となる学問だからと理由をつけて学生たちに教えていました。文学それ自体、そして文学研究の楽しさに正面から向き合うことをじつは私は自分から避けていたように思いました。

学生たちに講義をするうち、何かの役に立つようにとか、広い視野から世界を知るとか、そういったシラバスに書くような学習目標はひとまず置いておいて、文学作品がどうおもしろくて、どうわからないのか、どう難しいのかといったことに集中する講義でいいのだという開き直りのような心境にはじめてなることができました。

文学部の授業が文学を楽しまなくてどうするのでしょう。せっかくドイツ文学を専門とするクラスなのだから、ドイツ文学に熱中してかまわないのです。むしろ余計な価値観を持ち込むことは学生や専門の先生方に失礼です。

この当たり前のことに気づけただけでも、今学期授業をしてよかったと思いました。

 

3)今学期の講義内容

講義のテーマは2年前から同じで「狂気と近代ドイツ文化」です。(ちなみに最初の年は『シュレーバー回想録』の中心的な論点を紹介しました)。

昨年はゲーテ、ホフマン、クライスト、ビューヒナーを扱いましたが、今学期は内容をさらに増やしました。

 

  1. 講義の概要
  2. 狂気とは何か古代から近代までの狂気をめぐる言説
  3. 魔女狩り、ヒステリー、精神医学
  4. ゲーテ『リラ』
  5. ゲーテ『若きヴェルターの悩み』、『タウリス島のイフィゲーニエ』
  6. ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』、『親和力』、『ファウスト』
  7. ホフマン『砂男』、『廃屋』
  8. ホフマン『廃屋』つづき、『磁気催眠術師』、『悪魔の霊酒』
  9. ティーク『金髪のエックベルト』、『ルーネンベルク』
  10. ベンヤミン『カフカ論』、アイヒェンドルフ『秋の妖惑』、『大理石像』
  11. ノヴァーリス『青い花』
  12. クライスト『聖ツェツィーリエあるいは音楽の力』、『ハイルブロンのケートヒェン』
  13. ハイネ、ブレンターノ『ローレライ』、クライスト『ペンテジレーア』
  14. ビューヒナー『ヴォツェック』、『レンツ』

ゲーテからロマン派へと時代順に話していくつもりでしたが、途中順番を間違えて、ホフマンのあとにティークが出てきて、後期ロマン派のアイヒェンドルフの話をしたあと、やはりノヴァーリスも必要だと初期ロマン派に戻るなど、ややいきあたりばったりなところもありました。13回ではハイネを少しだけ取り上げましたが、これは学生からのコメントにヒントをもらったためでした。

ノヴァーリスの回のときは、このシャツを着ていきました。

4)狂気とは何なのか?

これらの作品を取り上げましたが、当然「狂気」という共通するテーマでテクストを選んだものの、狂気とはなにか?精神病もメランコリーも恋わずらいも同じ事象として並べていいのか?という疑問が生じます。

これは学生も書いていたことだし、私もはじめから気にしていたことでした。

しかし私は修士論文、博士論文をダニエル・パウル・シュレーバーをテーマに書いた経験から言いますが、狂気について考えようとすると、どうしてもそれ以外の話ばかりになってしまうのです。医学的な観点から病気の分類をすることが目的ではない場合、「狂気」や「狂い」といった主題は膨大な拡がりを持っていることがわかります。シュレーバーを読むさいにも、彼の妄想世界に登場する、神経や神、光線、宇宙における生存競争、魂の不滅といったモチーフから、神経解剖学、宗教学、光学、進化論、心霊主義などさまざまな方向へと思考を拡散させざるをえないのです。

 

5)学生たちはどんなレポートを書いたか

評価方法として中間レポートと期末レポートを課しました。いずれも力作ばかりで楽しく読むことができました。

中間レポートはまだ7回〜8回までしか進んでいない段階だったため、最初の方で扱った魔女狩りの歴史や、ゲーテの『若きヴェルター』、そして古代における狂気の治療といったテーマについて書いてくる学生が多く見られました。

期末レポートでは、この授業でとりあげた作家・作品から一つ選んで論じるという課題を設けました。

学生たちのレポートでの人気度は以下のような具合になりました。

(多い)

ゲーテ

ホフマン

クライスト

ハイネ

ビューヒナー

ノヴァーリス

ティーク

アイヒェンドルフ 

(少ない)

60人程度の履修者でどのくらいの数かは正確に集計していませんが、上位のゲーテ、ホフマン、クライストでだいたい7割、残り3割がその他の作家作品を選んでいました。残念ながらアイヒェンドルフはゼロでした。

授業での登場回数が多かった上位の3人はまあ順当といったところです。とくにホフマンは、昨年までおられた木野先生のご専門なので、授業で親しんでいた学生もいたことでしょう。

意外だったのは、授業の中の小見出し程度の扱いとして言及しただけのハイネがなぜか人気だったことでした。(『ローレライ』という有名な主題を取り上げたからかもしれません)。

また、難解なので授業で話したことがつたわっていないかもと心配していた、ビューヒナーやノヴァーリスをテーマに選んだ学生も少なからずいました。しかし逆に自分としては面白い話ができたと思っていたティークやアイヒェンドルフはあまり学生の関心を惹かなかったようです。このあたりは私自身がもう少ししっかり読み込まないといけないと思います。

 

さて、夏休みもあっという間に終わってしまってもう後期一回目の授業がはじまります。後期の講義、ドイツ文学特殊講義では、フロイトと『夢解釈』がテーマです。初期のフロイトがどのようにその思想を形成していったのかを、『失語論』から著作を紹介しながらたどっていきます。昨年の講義では、準備が間に合わず、結局『夢解釈』前半部分までで終わってしまいました。今年はどうなるか、ちょっと心配ですががんばりましょう。