講義の題材と進め方になやむ
10年たっても相変わらず講義科目が苦手です。ドイツ語のように、教科書があって、教えるべき内容がきまっている科目であれば、数年いくつかの大学で教えていれば、教科書はすべて頭に入って、どんな大学でもだいたい問題なく教えられるようになります。もちろんそのうえで、さまざまな工夫をして、学習効果の高い授業をつくっていく必要があります。
しかし講義科目はだいぶ勝手が違います。教える内容は、必修科目でなければ、教員の裁量にまかせられていますし、教える学部や専攻ごとに、内容を選ぶという先生も多いでしょう。私が担当している関西学院大学文学部の講義は、ドイツ文学専攻の専門科目です。配当学年は三年生以上ということなので、ドイツ文学全体をまんべんなく理解するとか、研究に必要な基礎知識を教授するという性格の科目ではなさそうです。
講義の基本方針を決める
「近代ドイツ文学講義」という題目なので、近代ドイツ文学の話をすればいいのでしょうが、私が専門的に勉強してきたのは、近代というより現代に近い時代だし、文学といっても、ぜんぜんスタンダードな文学ではなく、むしろ思想史研究に近い領域です。いったいどんな題材で、15回の講義ができるだろうかと、ずいぶん悩みましたが、大まかな方針や目標を以下のように決めました。
1)この講義では、私がテーマを決めて作品を読み、研究を進める方法を見せる。
2)講義で取り上げた作品を学生が実際に読み、ドイツ文学の知識を得ることができる。
3)研究の視点から文学を読む方法を解説し、卒業論文を書くための参考にすることができる。
私自身、あまり講義科目で勉強をした記憶がないので、どのように授業をすればいいか悩みましたが、やはり私自身が面白いと思うテーマや、これからやってみたいと思っている研究の概要を、学生たちに紹介しながら、学生たちには、より多くの作家作品を知ってもらい、研究の方法を模索してもらえればいいかと考えました。
テーマは狂気と近代ドイツ文学にしました
先に書いたように、この講義で私がやりたかったのは、「研究の視点から文学を読む方法を見せる」ことでした。研究者なら、こういう点に着目し、こういう方向に発展させ、論文を書くことができる、ということを講義を通じて考えてもらうことが、学生の卒論に役立つかなと思ったからです。
そうなると、なにか中心となるテーマを決めて、それにそって近代ドイツ文学のいろいろな作品を読むというのがいいかと考え、やはり私がこれまで研究の一つの軸としてきた、狂気を扱うことに決めました。
まさに狂人が書いている『シュレーバー回想録』や、さまざまな狂気を取り上げたフロイトの著作だけにとどまらず、考えてみればドイツ文学にはさまざまな狂気が登場します。それは統合失調症や強迫神経症のような、はっきりとした病名を与えることができるようなものだけではありません。怒りだって、恋愛感情だって、嫉妬だって、人の行動を逸脱させ、運命を狂わせる、すなわち狂気になりうるのです。より広い観点から、「狂い」の要素を含む作品をさがし、紹介することをこの講義の中心に据えることにしました。
当初の計画
本務校の授業でも同じですが、シラバスは遅くとも正月ごろに確定します。そのため、4月に授業が始まるころには、冬に何を考えていたのかなど、きれいさっぱり忘れています。私はぎりぎりまでほとんど準備をせずに過ごしていましたが、3月末頃、あらためてシラバスを見て、がく然としました。こんな授業がほんとうにできるのだろうかと。
本務校のシラバスは、ぎっちりと各回の内容だけでなく、予習復習で何をするべきか、どのくらい時間をかけるべきかといったことまで書かなくてはなりません(そんなところは学生は一切読まないのに)。それにくらべると関学はおおらかで、ある程度の予告程度のシラバスでよかったので、第一回目にシラバス案をもとに、もう少し具体的に今後の予定を示しました。
とにかくさまざまな作家作品を取り上げよう、と意気込んで、第2回〜3回で狂気とその意味についての歴史的な変遷を追い、ゲーテ、ホフマン、クライストあたりから、シュレーバー、フロイト、カフカ、トーマス・マン、バッハマンや現代ドイツのトーマス・メレまでかなり広く紹介する計画を立てました。しかし、わずか数回でこのプランは頓挫しました。
近代ドイツ文学講義まとめ
結局、全14回でどんな作家作品をとりあげたのか。このような流れになりました。
- イントロダクション
- 狂気とは何か?
- 狂気と魔女狩り
- ゲーテ1 『リラ』
- ゲーテ2 『若きヴェルター』、『タウリス島のイフィゲーニエ』
- ゲーテ3 『親和力』
- ゲーテ4 『ファウスト』
- E. T. A. ホフマン1『砂男』
- ホフマン2 『廃屋』
- クライスト1『聖ツェツィーリエあるいは音楽の力』
- クライスト2 『ハイルブロンのケートヒェン』
- クライスト3 『ペンテジレーア』、『公子ホンブルク』
- ビューヒナー1 『ヴォイツェック』
- ビューヒナー2 『レンツ』、全体のまとめ
2回目、3回目では、フーコー、中井久夫、ロイ・ポーター(『狂気』岩波書店)などを参考に、狂気や精神の病についての歴史的な背景を説明しました。第4回から第7回までずっとゲーテを扱っています。これまでゲーテにはそれほど関心はなく、『若きヴェルター』と『ファウスト』でいいかなとぼんやり思っていました。しかしいろいろ文献を見ていると、他にも狂気や精神の病が出てくる作品はたくさんあり、4回といわず、もっとゲーテ作品を読みたいと思いました。
ゲーテ1で取り上げた『リラ』という作品は、ガイヤーの『狂気の文学』(創元社)に取り上げられており、私は今回初めて知りました。妖精や人食い鬼が出てくる妄想の世界に逃げ込んでしまった女性主人公を、歌や踊りが好きな家族が劇中劇を演じて回復させるという楽しい作品です。この作品は、学生にも好評でした。
他の作品も、あまりよく知らなかったけど今回改めて読んだものばかりでした。とりわけ面白さに心を動かされたのは、ハインリヒ・フォン・クライストです。周りの人がみんなこぞってクライスト研究をしたがる理由がよくわかりました。せっかくだしもっとちゃんと読もうと、ドイツ古典文庫版の全集をネット古書で買いました。(また日本語訳は、学生時代から欲しかった白水社の『クライスト名作集』が安値で見つかったので買っておきました。沖積社の全集もありますが、白水社版はコンパクトで読みやすいです)。
講義の方法
レジュメ+動画配信
講義は、zoomを通じてリアルタイムという方法もありましたが、私としては自分のペースでできる動画とレジュメによる配信を選びました。レジュメは学会発表のように、要点と引用だけというのではなく、文章化して、話すことはほぼすべて書くようにしました。だいたい毎回6000〜8000字くらいの講義ノートを用意しました。これは、箇条書きのレジュメだけでは動画撮影時にちゃんと話せないかもしれないという不安のためですが、また学生にとっては動画か講義ノートかどちらを使っても勉強できるという利点もあると考えてのことでした。
授業動画ですが、オープニングにドイツの風景や、取り上げる作品にちなんだ写真などを入れて雰囲気作りに努めました。各回45分から55分程度(私はそれ以上長く話せません)の講義に字幕をすべてつけるのはとても骨が折れるので、文字を入れるのは、本の紹介などに限りました。動画の編集は他の科目と同様にFinal Cut Proを使いましたが、動画ファイル自体の編集(カットしたりつなげたり)はほとんどしていないので、毎回15分くらいで作業は済んでしまいます。動画の編集は早くできても、そのあとの変換やYouTubeへのアップロードにかなりの時間がとられました(長くて2時間くらい)。
一人で話しながらオンデマンド動画を撮るのが苦痛で仕方ないという先生がよくいますが、私にとっては、学生の前で話すよりも100倍くらい楽だし、これで済むなら教室での講義なんてもうやらなくてもいいだろう、くらいに思っています。もちろん教室での授業も楽しいものですけど。
講義に同時双方向性はほんとうに必要なのだろうか?
また、毎回の課題として600字から1500字程度を目安に、取り上げた作家や作品についてのレポートを課しました。文学部の学生だけに、小説や戯曲を読むこと自体とても好きという学生が多くて、毎回力作レポートばかりで読みごたえがありました。授業準備や他の業務に追われて、なかなか一週間ですべてのレポートを読み採点するということはできませんでしたが、それでも私はこのレポート課題で、十分教員と学生のコミュニケーションはとれていたと手応えを感じていました。
学生にとっては、もしかしたら私は一方的に動画と講義ノートを提示するだけで、レポートなどに書いた質問や問題提起に何も答えていない怠惰な教師と写ったかもしれません。たしかにzoomや対面の講義と比べると、学生からの質問や反応にすぐに対応することはできません。しかし、講義をやっている自分自身ですら、作品を読みながら、数週間後に疑問にたいする答えが見えてくるといった体験をしてきました。講義をきいて即座に質問をしたり、意見をレポートに書いたり、議論をしたりということが本当に可能なのか、そして文学を学ぶ上で意味があるのか、私はよく分からなくなりました。日ごろから私はものを考えるのに時間がかかる方で、学会などの場で生産的な議論があまりできていないと思っていました。文学を学ぶ際には、一人でじっくりテクストに向き合い、思考する時間というのがどうしても必要です。教師や他の学生との議論も必要でしょうが、一人で時間をかけて考えるという経験をする場があってもいいのではないかと私は思います。