ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

ゲーテ研究、はじめました

ゲーテについての論文を書きました

先日発行された『希土』48号(希土同人社)に、「演劇で病を治すことはできるか——ゲーテの『リラ』について」という論文が掲載されました。


こちらからPDFをダウンロードできます。

researchmap.jp

ドイツ近代文学講義から出てきたテーマ

関西学院大学のドイツ近代文学の授業で取り上げてきたゲーテの歌唱劇「リラ」を論じています。この授業については、去年も秋ごろに内容をまとめていますが、だいたい3年くらい同じテーマで少しずつ内容を変えて続けています。

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2020年に関西学院大学でドイツ近代文学における狂気のテーマについて講義をすることに決めました。そのとき私が念頭に置いていたのは、これまで関心を抱いてきた精神病者シュレーバーと世紀転換期ヨーロッパの心性というテーマを別の角度から考え直したいということでした。

そこで、これまで専門としていた19世紀末よりももっと古い時代(1770年代くらいから)から19世紀なかばごろにかけて、狂気がどのように考えられ、文学作品に描かれてきたのかを知ることで、シュレーバーや世紀転換期ヨーロッパとの差異や連続性が見えてくるのではないかと考えていたのでした。

ゲーテの作品で狂気が描かれるものといえば、『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』や『タウリス島のイフィゲーニエ』が有名です。また、強すぎる絶望や悲嘆から正気を失ってしまう人物としては、『若きヴェルターの悩み』や『親和力』のオティーリエなどをあげることもできます。

 

ゲーテの未邦訳の作品『リラ』

今回取り上げた『リラ』は1777年に最初に書かれ、上演された(1788年の第三稿が決定版とされています)歌唱劇です。ゲーテといえばドイツ文学でもっとも有名な作家ですが、全作品が日本語訳されているわけではありません。

『リラ』はいまだ日本語訳がなく、広く読まれているであろう潮出版社版『ゲーテ全集』にも収録されていません。(そもそも潮版全集の底本であるハンブルク版ゲーテ全集にも入っていないからです)。戦前に出された改造社版『ゲーテ全集』は潮版より多くの作品が入っており、初期の劇作品も読めますが、『リラ』はなぜか訳されていませんでした。

なぜ訳されなかったのかはいろいろ理由がありそうですが、ドイツ語でも30ページと非常に短い作品なので、わりと簡単に読めます。

あらすじは以下の通りです。

主人公リラは、夫のシュテルンタール男爵が留守にしている間、彼の身を案じていたが、何者かによる夫が死んだという誤報を信じてしまい絶望し、妄想の世界に入り込んでしまう。家族や親戚の者たちは彼女の身を案じるが、彼女は自分の妹すら本物の人間とは信じられず、家族は人喰い鬼に囚われていると考える。医師ヴェラツィオは、彼女の病を治すために家族がみな、彼女の妄想の世界に合わせて劇を行うことを提案する。ここから劇中劇が始まり、劇の中でリラはヴェラツィオ演じる賢者マーグスや義妹の演じる妖精たちに導かれて、人喰い鬼に捕えられた夫や家族を解放し、皆がふたたび再会を祝って歌い踊るという場面で終わる。

今回の私の論文では、医師ヴェラツィオがおこなった治療とはどういうものなのか、演劇における意味、そしてゲーテをめぐる実際の人間関係においてこの治療をどう考えることができるか、という点について論じました。

いちばん有名な作家の研究を新たに始めることの難しさ

ゲーテの「リラ」を読んだのが2年前ですが、論文として完成するまでに2年もかかってしまいました。現代文学の作品を論じるときなどは、作品を読み終わったら即学会発表、そして半年後に論文完成というスケジュールも珍しくないので、今回は非常に時間がかかってしまったと感じています。

なぜ2年もかかったのかといえば、やはりドイツ文学でもっとも著名な作家の作品を扱っていることが理由といえます。

古典的な作家・作品を論じようとなると、数多くの先行研究に目を通す必要があります。論文を書く前の手続きとして考えられるのは以下のとおりです。

1)代表作、日本語で読める作品は当然全て読む。

2)日本語で読める研究書・伝記なども関連するものは当然読む。

3)代表的なドイツ語論文、研究書などを読み、研究の動向を探る。

4)当該作品(分野)を論じた最新のドイツ語文献を読み、芋蔓式に必読文献を集める。

私は2年前に、この作品で論文を書こうかなと思い始めたときは、ゲーテの作品は正直なところあまり読んでいませんでした。学生時代に『ヴェルター』、『ファウスト』、『親和力』などは日本語・ドイツ語で読んだものの、『ヴィルヘルム・マイスター(修行時代・遍歴時代)』などはやたら長いので途中で挫折していました。

それで2年前にミュンヘン版ゲーテ全集を買い、日本語訳もあわせて代表的な作品に目を通し、研究史を概観し、いろいろな文献を読みました。

最初の論文を2年前に書き上げたものの、2回も不掲載と判断されてしまい、ようやくこの夏にこの論文が完成したという流れです。

一本の論文に2年もかけるなんてあまりに生産性が低いと言わざるを得ませんが、未知の分野に踏み込むということはそれだけ時間がかかるのだろうと思います。

 

参考文献がたくさんあるのってやはり便利だ

今回の論文を書くのにつかった文献のうち、面白かったものを挙げておきます。

ホルスト・ガイヤー(満田久敏校閲、泰井俊三訳)『狂気の文学』創元社、1973年。

原書は1955年刊行なのでけっこう古い研究ですが、ゲーテ、クライスト、ビューヒナーなどの作品に登場する狂気をおびた人物について、わかりやすく紹介されています。

 

コンラーディ(三木正之ほか訳)『ゲーテ 生活と作品』南窓社 2012年。

上下巻の分厚い伝記です。他の伝記的研究であまり言及されていない、ヴァイマール移住後の1770年代後半あたりのゲーテの活動がくわしく書かれており参考になりました。

 

 

ジークリット・ダム(西山力也訳)『奪われた才能コルネリア・ゲーテ』郁文堂 1999年。

 

『リラ』が書かれた当時、ゲーテの妹コルネーリアは結婚して最初の出産後に鬱状態となり、さらに第二子を産んだ直後に亡くなっています。『リラ』における治療や救済はやはり妹コルネーリアにむけたものだったのではないかとしばしば解釈されます。

 

オットー・ランク(前野光弘訳)『文学作品と伝説における近親相姦モチーフ』中央大学出版部 2006年。

 

ゲーテだけでなく、シラーやロマン派の作家たちなどにおけるオイディプス・コンプレクスや近親相姦の問題について論じた大著です。ゲーテにおける妹への愛着は、『リラ』だけでなく、『兄妹(Geschwister)』、『タウリス島のイフィゲーニエ』、『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』などの作品で形を変えて描かれています。この本は、ゲーテだけでなくいろいろな作家について、これまでに気づかなかった読みの視点が得られたように思えました。

 

Eissler, K. R. Goethe. Eine psychoanalytische Studie 1775-1786. DTV München  1987.

20代から30代終わりごろまでのゲーテについて、精神分析的に解釈している重要な研究です。この本も大いに参考になりました。

 

Goethe, Huber, P. Borchmeyer, D. (Hrsg.): Johann Wolfgang Goethe Dramen 1776-1790. Sämtliche Werke, Briefe, Tagebücher und Gespräche Bd. 5. Deutscher Klassiker Verlag, Frankfurt am Main 1988. 

フランクフルト版ゲーテ全集です。私はおもに2年前にまとめ買いしたミュンヘン版全集を使っていましたが、フランクフルト版(こっちのほうが高い)も参照しました。フランクフルト版はテクストの初稿、第二稿も収録されており異同を確認できます。また、解説や文献案内も充実しており、最初はここに挙げられている論文を集めるところから始めました。

 

次は何をするか?

せっかく始めたゲーテ研究なので、今後しばらくは続けてみる予定です。

さしあたっては、授業でも紹介した『タウリス島のイフィゲーニエ』や『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』に描かれた狂気について考えてみようと思います。

また、ゲーテの作品でちょっと気になっているのが父子関係です。ゲーテ自身の父そして息子との関係も興味深いし、いくつかの作品でも年をとった父親が息子と同じ相手に恋をする話が描かれるなど、兄妹関係と同様にゲーテの気持ち悪さ(あるいは危うさ?)が見えるのが、父子のモチーフではないかと考えています。

いずれにせよ、非常に大きな研究分野なので、いくらでもこれからできることはあるかなと思います。