ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

クリスマスを追いかける旅(5)ルクセンブルクの絶景と言語

4日目はルクセンブルクへ

ベルンカステル=クースに泊まり、翌日(12月28日)の午前中に街を見て回って、お昼頃のバスで出発、トリアーを経て、14時半ごろルクセンブルクへ到着しました。

ルクセンブルクといえばドイツ語学研究ではとても人気のある地域です。私の友人にも何人かルクセンブルク語の研究者がいます。

ドイツ語と共通点がいっぱいありながら、フランス語からの影響も強いというルクセンブルク語とは、どんな言語なのでしょう。そして多言語社会というのがどのようになりたっているのでしょうか?わくわくしながら到着を待っていました。

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14時すぎにルクセンブルク中央駅に到着しました。降りてすぐ気づきましたが、駅名の表記がフランス語ですね。(ドイツ語だとLuxemburg)そして広告もフランス語です。CFL(Chemins de Fer Luxembourgeoisルクセンブルク鉄道)の時刻表をよく見ると、フランス語・ドイツ語が併記されています。しかし国鉄の名前はフランス語ですね。

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駅のホールにも広告が掲げられていますが、やはりフランス語です。

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水色の天井がきれいです。

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ここでお昼を食べました。お店の人も、基本的にフランス語を話していました。(もちろんこちらが英語/ドイツ語を話せば切り替えてくれたでしょうが)。

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事前に物価が高いと聞いていたので驚きませんでしたが、料理はボリュームがあってかなりおいしかったです。

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駅舎は古くて立派です。小さくて地方都市のようにも見えますが、駅前(私が立っていた側)は高いビルが立ち並んでいて、一国の首都らしい様子でした。(10年前に訪れたスイスのベルンも同じく小さな首都ですが、ルクセンブルクの方が開けているように見えました)。

中央駅から15分ほど歩いて、旧市街にあるホテルまで向かったのですが、途中の風景を撮っていませんでした。7、8階建てくらいの高い建物が立ち並んでいて、ドイツの町とは様子が違うように見えました。妻はフランスの街に似ていると言っていました。

アドルフ橋を渡って、旧市街に入ります。ルクセンブルクの旧市街は、ぐねぐね湾曲する谷川に沿って作られた城砦の中にあります。高低差のある谷がこの街の名物です。谷川といっても、川は細い小川でしかなく、谷の中には道路が通り、人家が並んでいます。

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これぞルクセンブルクという風景です。

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旧市街側の憲法広場から、アドルフ橋と銀行博物館がよく見えます。

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この日泊まったのは、広場を見下ろす伝統のありそうな大きなホテルでした。部屋は立派ですが、調度品や水回りはだいぶ年代物で、全体的に古い建物のにおいがしました。

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ホテル部屋(6階)からは戦争記念広場(第一次大戦、および朝鮮戦争の犠牲者を記念した塔があります)がよく見えます。
 

旧市街でクリスマスを楽しむ

広場のクリスマス市は撤去されつつあったし、中央駅でもクリスマスの飾りなどは見ませんでした。この街はもうクリスマスが終わっているのかなと思いながら、夕方の旧市街に出てみました。

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ホテルのすぐ隣にあるノートルダム教会。

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近くの通りもライトアップされています。

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広場に出ると、スケートリンクとお祭り広場がありました。

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木の枝に沿って電飾がつけてありました。

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外はマイナスに近い冷え込みでしたが、たくさんの人が集まって、ビールを飲んだりスケートをしたりしています。

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グリューヴァイン、ビール、赤・白ワインなどがありました。

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まずはジャガイモとチーズを煮た料理を食べました。体が温まりました。

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Bofferdingというのはこの国で作ってるビールです。

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さらに赤ワインも飲みました。

各テーブルには電熱器や焚き火などがあり、近くにいれば寒くはありませんでした。

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広場を離れてもう少し街を歩いてみました。

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このツリーはきれいでした。

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しかし、5分くらい歩いていると頭が痛くなるくらい寒くなってきたので、ホテルに戻りました。

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ホテルの玄関前にも控えめなツリーがありました。

 

朝のルクセンブルクで絶景を眺める

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朝の広場です。夜明け前のようですが、もう8時過ぎでした。

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もう少し明るくなるのを待って、旧市街を歩きに出かけました。

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朝の気温はマイナス3度くらいと、この旅行にきていちばんの冷え込みでした。

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芝生ががちがちに凍りついていました。人生で一度も霜柱を踏んだことがないという妻に、霜柱とは何かを教えようと試みましたが、硬すぎて踏むことができませんでした。

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谷間の風景は迫力があって、何枚も写真を撮っていました。

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ノートルダム大聖堂、左手にあるのは国立図書館です。ルクセンブルク研究者の友人たちもここに通ったのでしょう。

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大聖堂は外から見るよりも大きく、奥行きがありました。

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日曜日の朝ということで、礼拝に訪れる人が少しずつ集まってきていました。興味深いのは、同じ教会でも言語ごとに礼拝を入れ替え制で行っている点でした。

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前日に飲みにきていたお祭り広場は市役所の前でした。それにしてもちいさな市役所です。

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広場にはブルンネンがありました。

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これは果物店でしょうか。フランス語表記です。

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こちらはパン屋とカフェ、ドイツ語です。

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踊っている人たちの像ですが、霜が降りています。

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クリスマスプレゼントの樹。

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歩いている間に、川に出ました。

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向こう岸の上の方には高層ビルが立ち並んでいます。あれが新都心なのでしょうか。

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城門がありました。

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工事現場には英語、ドイツ語、フランス語、ルクセンブルク語の幕がかけてありました。

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谷に突き出た部分に城壁が造られ、いまはそこが展望台のようになっています。

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雄大な景色が楽しめます。

 

ホテルをチェックアウトし駅へと向かう途中にもう一度橋を渡りました。

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谷の中にたくさん家や建物がありますが、冬はほとんど日差しが入らないのではないかと思いました。世界ふれあい町歩きでは、岩がめり込んだ家が紹介されていましたが、実際に岩にぴったり建物がくっついているところもありました。

 

けっきょくどの言語が使われていたのか?

今回ルクセンブルクに来てみて確認したかったのは、ドイツ語、フランス語、ルクセンブルク語という三つの言語が市民の生活でどのように使われているのかということでした。多言語社会ルクセンブルクですが、表記・教育・日常会話などで各言語がどのように使い分けられているのかが気になっていました。言語政策や言語社会学を専門とする友人から話を聞いてはいたものの、実情を見ないとよくわからないなと思っていたからです。

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通りの名前はフランス語、ルクセンブルク語で表記されています。

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お店の看板はどちらかといえばフランス語が多かったのですが、このお店はルクセンブルク語もありました。

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駅前で見つけたこのスーパーは、ルクセンブルク語とフランス語。しかし小さな張り紙はフランス語ばかりです。すでに紹介した写真を含め、街で見かける看板や交通標識などの表記でいちばん多いのはフランス語でした。

街を行く人の会話に耳を傾けるとたしかにドイツ語のように聞こえるので、会話ではルクセンブルク語が使われているのだろうと推測できました(とはいえ、ドイツやベルギーから通勤する市民もたくさんいます)。

前もって仕入れた知識では、人々の話し言葉はルクセンブルク語で、学校教育でも早いうちからドイツ語を学び、のちにフランス語も学ぶということでした。それならば、ドイツ語のほうが言語としては身近なはずなので、もっとドイツ語が使われていてもいいのではないかと思うのですが、なぜ書き言葉としてはフランス語の方が優位なのでしょう。

今回は1日だけの滞在で、しかも寒すぎてあまり身動きが取れなかったのですが、今度ゆっくり来た時までに、もう少し勉強をしておきたいと思いました。