ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

旧カバーの講談社現代新書をまとめ買いしたら自宅が古本屋になった

本をまとめ買いする快楽

読書力は目の力や集中力とともに衰えていきます。こんなに本を読むのってたいへんだったっけ?と毎回思いながら本を読んで授業をしたり論文を書いたり翻訳をしたりするのが私の仕事です。

二年前ごろから、以前欲しかった本を積極的に買い集めるようになりました。もともと文学研究者を志したときから本はつぎつぎ買っていたのですが、最近ではシリーズものや全集はしっかり揃いで持っておくほうがいいと思うようになったのでした。それは自分の研究分野に近い領域であれば、当座必要な巻以外も手元にあればそのうち必ず役立つことがあると気づいたからです。

そうして二年前には『集英社ギャラリー世界の文学』全20巻を購入したり、ミュンヘン版ゲーテ全集やフィッシャー版フロイト全集を買い揃えたりしました。どの本もじつはすごく役に立っているというほどではなく、いまのところ本棚を埋め尽くしているだけのように見えますが、そのうちきっと手に取ることがあるでしょう。それまでは背表紙を見て楽しんでいればいいのです。

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講談社現代新書って昔はきれいだった

文学全集だけでなく、新書も私はよく買っています。岩波、筑摩、中公などおもなレーベルの新刊は必ず毎月数冊は購入し、そのうち何冊かは読んでいます。薄い新書でも毎月そうやって買い集めていくとかなりの量になります。私の本棚の2割くらいが、私が買い集めた研究分野とあまり関係のない新書です。

ふと昔の本を見直していると、中公新書や岩波新書はいまとそれほど変わらないのですが、講談社現代新書は2000年代初頭までとずいぶん雰囲気が変わったものだと気づきました。昔の黄色いカバーで、表紙には本の内容にちなんだイラストが描かれており、章ごとのとびらにも図版が入っていた美しい現代新書は、大学に入った頃わけもわからずあれこれ手にとって夢中で読んだ日々を思い起こさせます。

最近読み返して付箋を貼っていた、『スウェーデンボルグの思想』。

表紙を開くとカバーのそでに本の概要が記されています。

80年代から90年代頃の本では、章のはじめのページに図版が入っています。

今の現代新書ももちろん内容は素晴らしい本がたくさん出ています。最近では千葉雅也さんの『現代思想入門』や吉田量彦さんの『スピノザ』などを読んで大いに刺激を受けました。内容的には今だって十分魅力的な新書ですが、やはり私は黄色かったころの現代新書がもっていた、手にとったときの高揚感が忘れられません。

 

ヤフオクでまとめ買いしてみた

昔のドイツ語教材などを買うのにときどきヤフオクを使っていましたが、それ以外にも古本関係ではいろいろ掘り出し物が見つかります。古書店さんなどが新書を何十冊もまとめて売っていることもあります。

今回私は、講談社現代新書の古い本を中心とした100冊以上のセットを購入しました。出品者さんの写真から数冊新しい白いカバーのものが含まれていたり、同じ本があったり、私自身がすでに持っている本も含まれていることはわかっていました。数冊重複してしまっても、他人が選んだ本のセットを買うというのも考えてみたらおもしろいのではないかと思って、今回落札してみることにしました。

 

やっぱりすごい量だ

落札後すぐに大きな段ボール箱が届きました。100冊ってこんなに多かったっけ?と思いながら自室で開封してみるとやはりかなりのボリュームです。

パパ、もうこれ以上本を置く場所なんてないニャ!と猫もあきれています。

業者さんはしっかりまとめた上、新聞紙を緩衝材として挟んで送ってくれましたが、開封した際にどんな本が入っているかと中身をかきまわしたため、乱雑になっています。

『パチンコと日本人』、『アトランティス大陸の謎』、『ジャズの名演・名盤』表紙を見ただけで面白そうな本だとわくわくしてきます。

この杉本俊多:『ベルリン 都市は進化する』は、たぶん大学生の頃ベルリンに行く前か行った直後の1997年ごろに読んだ覚えがあります。中世に都市が誕生したのち、いかにしてプロイセンの首都、ドイツ帝国の首都へと発展していき、西ドイツの大都市へと変貌したかが描かれています。この本が書かれたのはまだ再統一直後の1992年ということもあり、旧東ベルリンについてはほとんど言及されていませんが、これから「来る」街ベルリンを紹介した貴重な本と言えるでしょう。自分の本棚には見つからないけど、たぶん研究室に置いてあるでしょう。

 

自分では買わなそうな本が読める

自分ではたぶん買わなそうだけど面白そうだと思ったのがこちらの本です。

渡辺吉鎔、鈴木孝夫:『朝鮮語のすすめ』です。日本語との比較が中心であるため、ハングルのしくみや発音は本の中盤以降に出てくるという構成になっています。

鈴木孝夫さんが書かれた第一章には朝鮮語をめぐる日本の状況が語られています。

昭和53年度の時点で、どんな形にせよ、朝鮮語を学科目として設置していると認められる大学は、全国で二十八校とされている。その内で、朝鮮語学科のような独立した学科を設けてあるのは天理大学、大阪外国語大学、東京外国語大学、そして富山大学のわずか四校にすぎない。その他は週に一コマか二コマ程度の、単なる教養語学科目として設置してあるのが大半で、たとえ履修しても、必修科目扱いになるところはごく限られていたことが分る。

それから40年余がすぎた現在では、韓国・朝鮮語は多くの大学の人気科目となっています。この本によれば、東京ですら朝鮮語を学べるところはないと書いてあるように、本当にこの頃は韓国や朝鮮語への関心が一般にほとんどなかったのでしょう。

本を一通り取り出して眺めてみました。けっこう重複している本が多い(10冊くらい)し、自分で持っている本もあったのですが、それでも日本史、日本古典文学、宗教、音楽など自分であまり読んだことがない分野の本が多かったので、買ってよかったと思いました。

こうやって他人のセレクトで本を買うというのは日ごろやらないことですが、届いた本を見ると新たな世界がひらけた気がします。また本を置く場所がなくなってしまったので、DIYで本棚づくりに励みたいと思います。