ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

教員を激怒させるレポートとは何か?

ブルーちゃん憤怒のかみつき(イメージです)

学期末からもう一ヶ月

大学の授業期間が終わってそろそろ一ヶ月が過ぎ、ちょうど落ち着いて研究に取り組める時期になりました。テスト期間の直後に、学期末レポートを読んで気づいたことを書き始めたのですが、ちょっと冷静になってからにしようと思っていたらもう2月も終盤となっておりました。

 

ひどいレポートが増えた

コロナ禍以後、期末試験ではなくレポートで成績評価をする機会が増えました。LMSが普及したため、オンラインで課題を提出しやすくなったためです。私は紙の答案を管理するのが苦手なので、オンライン化は大歓迎です。とくにクラウドにすべて保存できるグーグルクラスルームは非常に便利で気に入っています。

しかしレポートで評価する科目が増えるなかで、明らかにひどいレポートも増えてきました。以前からコピペレポートなどは散見されていましたが、参考文献の扱い等については、1年生でも初年次ゼミで指導をされているため、あまりにもあからさまなものは確かに減りました。今年度私が気になったのは、もっともっと低いレベルで、まったくなっていないレポートがあまりにも多かったということです。

今回は、教員を激怒させるレポートとは何かという観点からレポートの書き方について最低限押さえておきたいことをまとめます。

 

教員を激怒させるレポートとは?

1)課題を無視したレポートは0点です

私が今回明らかにまずいと思ったのは、課題を無視した(あるいは誤解した)レポートがあまりにも多かったということでした。

ウィキペディアや参考文献のコピペ(あるいは最近ではAIによる文章作成)ももちろん論外なのですが、課題の趣旨に沿ったレポートになっているのであれば、むしろマシな方かと思います。

まったく課題の趣旨に合っていない、課題を理解できていないレポートは、教員を激怒させ、さらにはこの半期の授業はなんだったのかという無力感を覚えさせるものとなります

私はしばしば授業で取り上げた文学作品やテクストなどを指定し、その内容を自分の言葉で要約し、考えたことや気になったことについてまとめるという課題を出しています。

例えば後期に実施した関西学院大学のドイツ文学特殊講義では、「フロイトの『夢解釈』を読み、一つの章または節から、具体的な夢の事例を取り上げ、内容をまとめた上で考えたことを述べなさい」という課題を出しています。

いずれの場合も授業に毎週出ていれば、何を読んで論じればいいか、なんとなくイメージはできる課題だと思います。(もちろんレポート課題については、何度もアナウンスをしています)。

多くの学生は、授業で取り上げたゲーテの『若きヴェルター』やクライストの『チリの地震』、あるいはフロイト『夢解釈』第2章の「イルマの注射の夢」などについて書きます。しかし、中にはゲーテの作品ではなく、「誰々が読んだゲーテの作品についての本」の感想や、「現代の精神科医が書いたヒステリーについての文章」についての考察といった、課題の趣旨を理解できていないレポートも少なからずありました。

私は「授業で取り上げた作家の作品」あるいは「フロイトの『夢解釈』」と読むべきテクストを明記しているのに、指定されたテクストを読まないというのはまったくダメです。レポートの形式や論じ方という以前に、課題に合っていなければレポートに点数をつけることはできません。

 

2)本が読みきれないなら、できるかぎりのことをしよう

もちろん、なんらかの事情により(図書館で必要な本が見つからなかった、長期延滞で貸し出しができなかった等)、必要な文献が見つからなかったり、提出期限までに読めなかったりすることもあるでしょう。

私は毎回レポート課題を出題する際に教室ではっきり言っていますが、「本は全て読めないなら、読めたところまででレポートを書いてかまわない」と考えています。もちろん作品全体に目を配ることができればそれに越したことはありませんが、特定の章、特定の箇所しか読んでいなくても、文学作品を味わうことはできるし、ごくわずかな範囲であっても、そこからさまざまなことを考えて充実したレポートを書くことは可能です

私が学部時代に受講していた授業は、夏休みのレポート課題が、三つの長編小説を読んで比較せよというものでした。三つの作品はどれも図書館や古書でしか手に入らず(もちろん文献集めの段階も含めての課題だったのでしょう)、私は二つの作品しか読めなかったことを明記した上でレポートを提出しました。

ゲーテの『ファウスト』が長くて難しそうだから、誰かが書いた『ファウスト入門』を手に取ることはもちろんかまわないのですが、『ファウスト』をまったく読まずに、『ファウスト入門』についての感想をレポートにしてしまうことは認められません

私がレポート課題で求めているのは、ごくわずかでも作品そのものを自分で読み、考えることを自分で体験することです。

 

では、レポートをどうやって書けばいいのか?

レポート・論文の書き方いろいろ

レポートや論文の書き方については、さまざまな本が出ているし、学生の皆さんは初年次ゼミ等で教員から配られたり参考図書として購入した本もあるかと思います。

最近私が入手したこの本は、既存のレポート、論文の書き方を踏まえた上で、テーマに関わらず論文を書くとはどういうことか、どのように論じればいいのかをわかりやすく伝えています。

 

ほかにもこれらの本は以前から高く評価されています。

 

 

私が卒業論文を書くときに読んだのはこの本ですが、かなり高度でほとんど参考になりませんでした。↓

 

 

しかし、ここで挙げた論文の書き方の解説書を手に取って、自分で論文を書ける人というのは、おそらくどの授業のレポートでも合格点を取れる優等生ではないかと思います。私がむしろ問題にしたいのは、この種の本を一度も手に取ることなくレポートを書き始めてしまう学生たちです。彼らに対して最小限これだけは、というレポート執筆の要点をどう伝えればいいのか考えていました。

 

教員を怒らせないレポートをどうやって書くか

私が今回伝えたいのは、もっともっと低い水準の、最低限これくらいはできていれば、100点中60点は取れるというポイントです。

1)授業のリアクションペーパーを集約したものがレポートになる

おそらく多くの講義で、リアクションペーパーやコメントカードが配布され、受講者の皆さんはそれを毎回教員に提出していることと思います。

この紙片に書くべきことは、講義をどのように聞いたか、という記録でもあります。講義の中で面白かった点、気になった点、教員の説明が理解できなかった点などを書きましょう。もちろんまったく関心が持てなくて爆睡してしまったのであれば、そう書いてもかまいませんが、なかば眠りながらでも何か一言でも授業の中で聞き取れたことを書いておくのでもいいでしょう。

私の授業ではリアクションペーパーを返却はしないので、提出する前に写真を撮って自分のスマホに残しておくように呼びかけています

授業時に書いたノートなどとともに、自分で書いた感想や考察、そして教員への質問は、のちのレポートの下書きとして活用できます

 

2)作品を読み、自分の言葉でまとめる

おそらく人文系ならどの分野でも、中心になる文献(小説、詩、哲学書など)はある程度レポート課題の段階で指示されているかと思います。

何より必要なのは、先にも書いたように指定された(あるいは自分で選んだ)文献を自力で読むことです。

ゲーテの『ファウスト』のように難解な本であれば、文学辞典やWikipediaで調べて、おおまかなあらすじを頭に入れてから読むことも、ズルではありません。

しかしレポートを書く目的は、(少なくとも文学の授業であれば)誰もが認める唯一の正解を提示することではありません。自分で読んで、自分なりの論点を見つけて、根拠とともにまとめることが必要です。

そのためにやるべきことは、文献を読んで内容を理解すること、そして自分自身にとっての「引っ掛かり」を見つけることです。

たとえば『ファウスト』であれば、第一部の前半を読んだだけでも、「なぜファウストは若返りたいと思ったのか?」、「メフィストフェレスとはそもそも何者なのか?」、「なぜゲーテはファウスト伝説を改作しようと考えたのか?」等々いくらでも論じられそうなテーマが見つかります。

あるいは、自分自身が読むのが困難だと思った箇所、難しくて挫折してしまった箇所なども、逆に「引っ掛かり」として掘り下げて論じることができるポイントになりえるのです

作品を読んだら、まずは内容を自分の言葉でまとめてみましょう。ウィキペディアで調べたあらすじをちょっと書き換えて読んだふりをする学生は多くいますが、じつは作品の要約にすら、読む人の視点が反映されます作品の内容を正しく理解できているか自身がないという人もいるでしょうが、その問題は一旦棚上げして、自分で読んで理解したことを書き出すことが大切です。(私たち研究者だって、「正しく」理解できているかどうかなんて本当はわからないのです)。

 

3)自分の考えを整えるために参考文献を読む

作品を読み、内容をまとめ、自分なりにレポートのテーマが見つかったら、どのように論じるのかじっくり考えましょう。

大学では日常的に使われる「論じる」という言葉ですが、言い換えれば、「自分で立てた問いに何らかの答えを出す」ということです。

つまり先程の例で言えば、

問い:ファウストはなぜ若返りたいと思ったのか?

答え:このような理由がファウストの若返り願望の背景にあることが明らかになった等

このように、レポートの最初に自分で問題を設定し、作品や参考文献から根拠を見つけて、答えを提示するというのがレポートの基本的な流れです。

自分が主張したいことを補強するために、ここで必要になるのが参考文献です。

そして参考文献の使用についても、大学教員が激怒するポイントがあります

明らかにレポートのテーマと合っていない参考文献を使うこと、そしてネットで検索して一番上に出てきた論文だけを参照すること、これはやはり避けましょう。

もう一つ、こんなことは言うまでもないと思っていたのですが、参考文献が私が配布した授業の資料のみ、という学生も少なからずいました。学期末レポートが評価しているのは、受講者が授業時間以外でどれだけ自分で資料を読み、考えたかです。授業に出て、そこで解説された資料の内容をまとめただけでは、だれにとっても勉強になりません。

ネットで検索するだけでなく、図書館で探すだけでもさまざまな解説書、辞典などが見つかります。安易に手に入りやすい論文を参照した(ことにして)客観性のある主張をしている風を装うと、無駄に教員の憤怒を引き起こすことにしかなりません。

 

手を抜いてもいいけど、最低限のルールは守ってほしい

多くの学生の皆さんは、さまざまな課題に追われているし、学期末には語学のテストや専門科目の論述試験、さらにはプレゼンテーションなどもやらなければなりません。そんな中で、あまり重要ではない科目に時間も集中力も十分に費やすことなど到底不可能です。

それはもちろんわかっているので、私は上記のように、必要最小限のことを踏まえているレポートであれば、十分評価に値すると思っております。

長くなったのでもう一度ポイントを整理しましょう。

1)レポート課題をよく読み、何をしなければならないのかを理解する。

この段階で不明な点があれば、すぐに教員に質問しましょう。

2)課題図書や資料は自力で読めるところまで読む。

すべて読みきる必要はありません。読めるところまでをじっくり読みましょう。

3)自分の言葉で書き、自分の頭で考える。

文学のレポートで教員が求めていることは、「正しいこと」を書くことではありません。自力で読み、考えたことが書けているかどうか、この点をわれわれは見ているのです。

4)時間をかけて読み、考えたことは自分のものになる

レポートや論文を書く過程で、じっくり考えたことは他人が書いた本に書かれた内容であっても自分の思考になります。自分の思考がより豊かになることこそが、大学の学びで得られる最も重要なものです。

 

もうあと一ヶ月ほどで新年度が始まります。

今学期あまり良くないレポートが多かったのは、私がレポートの書き方を伝えきれていなかったことが原因でしょう。反省をふまえて、来学期の準備を進めていきます。

 

もう一つ、しばしば教員を激怒させるのが、こちらの件です。↓

schlossbaerental.hatenablog.com

今学期はテストが終わったあとに、できが悪かったので追加課題で合格させてほしいという要望が何件か寄せられました。以前は学生の怠慢が原因だと思っていましたが、私の試験問題の作り方が悪かったのだと反省しています。