ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

ドイツ現代文学ゼミナールの楽しみ

コロナ禍から完全復活した現文ゼミ

このブログでも何度か取り上げてきたドイツ現代文学ゼミナールですが、この春は東京八王子の大学セミナーハウスで、3月4日、5日に開催しました。

私は数年前から幹事の一人として運営に参加してきました。コロナ禍では数回にわたってオンラインのみの実施となりましたが、今回は私が持参した機材を使ってハイフレックス形式で実施できました。

これまでの数回は、コロナ前より発表者を少なくしてじっくり議論ができるようにと配慮していましたが、今回は一日目と二日目で合計4人が発表するという以前の形式に完全に復帰できました。

 

会場は八王子の大学セミナーハウス

以前は、毎年春(3月)は箱根、秋(9月)は信州、のちに琵琶湖で開催してきましたが、コロナの直前に箱根の会場としていた宿が閉館となってしまい、ここ数年会場を探しながらオンラインおよび都内の大学を対面会場として続けてきました。今回初めて大学セミナーハウスを利用しましたが、料金が安く、設備も整っていて利用しやすいと思いました。

学部時代東京に住んでいた私ですが、八王子はまったく土地勘がなく、JR八王子の駅で降りたのもおそらく10年前の東京外大での学会で、八王子駅周辺に泊まったとき以来でした。

八王子駅南口からバスに乗りました。

バスで20分ほど行った山の中に、大学セミナーハウスの建物がありました。

この施設は、山の斜面にいくつもの建物が点在していて、建物間は遊歩道や階段で結ばれていて、自然散策を楽しむことができるようになっています。しかし大量の荷物を持っていると移動がとても大変でした。

やや古く、凝った作りの建物群を見ながら、地元にあった少年自然の家を思い出しました。小中学生の頃宿泊研修で何度か泊まりましたが、毎回どの部屋にお化けが出る等の話題で盛り上がりました。

夕食。ホテルではなく研修施設なので、食堂は学食ふうですがとても美味しかったです。

泊まった部屋から窓を開けると一面木々ばかりの景色が広がっていました。

 

若い人の活躍から中堅世代も刺激を受ける

一日目は、午後に共通テクストJan Peter BremerのDer junge Doktorandについての討論があり、その後夜にリルケ『ドゥイノの悲歌』についての発表がありました。二日目はファスビンダー映画について、およびエスター・キンスキーの『ロンボ』についての発表とディスカッションが行われました。

ズームでの配信のためにSONYα6700をウェブカメラとして使用しました。

毎回発表者は希望者を募ったり、私たち幹事が声をかけたりしているのですが、今回はかなり若い人たちが手をあげてくれました。学部4年生から博士課程1年生までと、これまでになく若い学生の発表を多く聞いて、私も非常に刺激を受けることができました。

学会や学会誌の査読等で、若い研究者のしごとに触れる機会はときどきありますが、やはりまだ論文になる前の研究発表の方が、よりどういう意図や関心で研究をしているのかがよくわかり楽しいです。修士課程や博士課程に上がったばかりくらいの院生がどのように研究の方向性を作ろうとしているのか、どういう点で苦しんでいるのかといったことをより近くで感じることができました。

日頃学生の研究指導をする機会がない私のような教員にとっては、若い研究者の発表を聞ける機会はとても貴重です。

すごいなあと感嘆することも、20年前の自分と同じような挫折をしているなあと思うこともありました。

 

同世代の仲間や他大学の先生との貴重な出会い

現代文学ゼミのいいところは、それほど多くない参加者と一晩ともにすごし、いろいろな話ができる点です。私が最初に参加した2000年代前半の頃は、ちょうど大学院重点化と就職氷河期が重なり、どの大学にもたくさん院生がいました。この研究会も、参加者の半数以上が院生だったと思います。そこで知り合った他大学の院生とは、その後もずっと現在まで交流が続いています。

また、同世代の仲間だけでなく、他大学の教員から自分の研究に意見をもらえるのもたいへん貴重な機会でした。どこも同じようなものだと思いますが、大学院では指導教員からの個人指導になりがちです。こういう場で若い学生の話を聞くと、たいてい指導教員とうまく話せない、恐れ多くて気軽に質問できない、といった悩みを抱えています。私もよく分かりますが、指導教員がどんなに優秀でいい先生でも、教わる学生がそのまま優秀な研究者になれるわけではないし、逆に気後れしたり萎縮したりしてしまって苦しむことも多々あります。

現代文学ゼミのような場は、他大学の仲間だけでなく、他大学の先生を見つけるための場としてもたいへん有益です。

 

学会発表になる前の未完成な発表だっておもしろい

現代文学ゼミナールは「学会」ではないので、しばしばしっかりと論旨がまとまっていない研究発表もあります。私がこれまでにしてきた発表も、学会発表や投稿論文の下書きのような「生煮え」の発表ばかりでした。

しかし、そういったまだ未完成の研究の話をして、多くのコメントをもらう場が、この現代文学ゼミの一つの意義であると思います。

優秀な研究者の話を聞くのももちろん面白いし有益ですが、未完成で不足が多い研究であっても、どうやったらもっとおもしろい研究になるかを参加者が共同で考え、議論することができるので、やはり価値があるといえます。

 

おじさん教員たちのあり方も確実に変わってきた

私が参加し始めた頃に比べると、おっかない先生は明らかに減りました。それがいいことなのか悪いことなのかわかりませんが、少なくとも若手が萎縮して発表したり発言したりしづらくなるのは良くない点だったはずです。

私たちの少し上くらいの世代から、あまり頭ごなしに批判するような先生を見ることはなくなりました。学生指導の経験がある人も、ない人も、より対等な立場で親切なコメントをする人が現在では大半を占めていると言っていいでしょう。

そして怖い先生が少なくなったために、これまで以上に研究歴の浅い若い人たちが積極的に参加したり、発表や発言をしたりできるようになっているのであれば、それは本当に素晴らしいことだと思います。今回のように若い発表者ばかりであることは、やはり参加者全体にとってプラスの意味があったと私は思いました。

 

次は秋の琵琶湖

3月のゼミが終わると、すぐに次回の準備を始めることになります。次は、例年通り滋賀県の近江舞子で開催します。琵琶湖を望む美しいホテルで、また盛んな議論ができることを期待しています。なお、次回からは遠方から参加する学部生、大学院生にはなんらかの補助を行うことを考えております。詳細については後ほどお知らせいたします。

去年の琵琶湖。9月初旬はまだまだ夏の日差しでした。