ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

東京に来て驚いたこと

春は新生活の季節


4月から大学に入って一人暮らしを始める人、転勤等で新たな場所に移ってきた人など、4月は新生活の季節です。大学教員の世界では、国立大学などの場合9月や10月から着任する人もいますが、まあ、一般的に引越しシーズンといえば年度末ですね。

もう25年以上前になりますが、私も1年間の浪人生活を終えて東京の大学に通い始めたときのことをよく覚えています。大宮(さいたま市)での浪人生活についてはこちらに書きました。

schlossbaerental.hatenablog.com

4月に新入生たちの表情を見ていると、自分が96年の春に大学に入って頃、どんなことを感じていたのかをいろいろ思い出してくるのです。

今回はあのころ19歳の自分が東京で驚いたことについて回想してみました。

 

大学が決まるのが遅かった

予備校通いは終わったものの、私は3月末まで進学先が決まっていませんでした。某一流私学の文学部に補欠合格していましたが、辞退率を見ながら順次入学許可が出る仕組みのため、最後の最後まで分からなかったのでした。

調べてみたら今でも同じような方式を続けていることがわかりました。

3月末に不合格が確定し、明大に入学することが決まったので、一人暮らしの準備を進めつつ栃木の実家からしばらく通うことにしました。

 

過酷な通学であっというまに疲弊する

栃木市の実家から、父の勧めにならって東武日光線で北千住まで、北千住から千代田線で新御茶ノ水まで、神保町から都営新宿線で笹塚、そして京王線で明大前までという経路で通学することにしました。

予備校の講習や受験で何度も都内に行っていたので分かっていましたが、父の見つけた通学経路は最も安いルートであって、最も早いルートではなかったのでした。(運賃はかかりますが東武日光線で栗橋からJRに乗り換えて都内へというのが早いルートです)。

乗り換えが多いため、定期券は2枚発行され、地下鉄そして東武線のうんざりするような混雑に耐えながら、東京での大学生活が始まったのでした。

国立大学や横浜にある一流私学に合格していれば、ラッシュに揉まれて2時間半もかけて通学することなどなかったのに、と悔しさを噛み締めました。

両親は、同じ栃木から都内まで通うサラリーマンはふつうにいるのだし、通学できないなんて甘えは許さないという姿勢でしたが、栃木から明大前までの通学は予想以上に不便でした。1時限目に出るためには、6時台の電車に乗らなければならないし、夜も8時台に明大前を出なければ終電に間に合いません

予備校時代からさらに倍になってしまった通学時間と混雑とですっかり疲弊し、帰り道は都内から埼玉県中部あたりの区間がきつすぎて、毎日途中休憩を入れて3時間近くかけないと帰れなくなっていました

これではいったい何のために浪人までしたのかと辛くなりました。やはりもう一度浪人して京大か東北大のようなぜったいに栃木から通えない国立大を受験した方がいいと思い始めるうちに、一人暮らしのアパートが決まり、東京に引っ越すことになりました。

通勤電車恐怖症になってしまったため、とにかく大学から近い物件を選び、下高井戸の風呂なしアパートでの生活が始まったのです。

 

通える範囲の出身だから田舎者ではないと思っていた

大学で知り合う仲間は、半数くらいが私と同じような関東近郊出身者で、あとの半分が福岡、愛知、新潟などけっこう遠くから東京に出てきた地方出身者たちでした。

私は予備校時代にも講習などで池袋や駿河台に通っていたし、大学入学後も挫折したものの電車通学していたくらい東京に馴染んでいたつもりでした。通える範囲の出身だから、自分は夢を抱いてやってきた田舎者ではないのだと自認していたのでした。

たしかに渋谷や新宿など東京の東京らしい街に出かけても、それほど動揺することはありませんでした。しかしやはり暮らすようになると、これまで栃木から通っていた頃には気づかなかったさまざまな違いに直面したのでした。

 

みんなが夜まで街にいる

大学生といえば飲み会やバイトなどで遅くまで街にいるものです。しかし私はかなり後になるまで夜の9時以降に繁華街にいることが苦手でした。もう帰れなくなってしまうのではないかと不安で仕方なくなるからでした。もちろん新宿でも渋谷からでも終電で帰れる場所だとはわかっていました。それでも栃木への終電がなくなる9時から10時を過ぎると、不安になったものでした

東京に慣れてきた2年目、3年目になってもあまり夜遅くまで遊び歩かなかったのは、栃木までの終電がブレーキになっていたのかもしれませんが、現実的には毎日銭湯通いだったので、銭湯の閉店時間までにぜったいに帰らなければと思っていたからでした。

 

ラジオがとてもよく入る

中高生のころから夜のラジオ番組を聴くのが趣味でした。しかし栃木の実家ではなかなかAM放送がきれいに入りませんでした。東京にアンテナを向け、慎重にチューニングして深夜放送を聴いていました。(チューニングがとても難しかったので、聴いているラジオ局を変更することはほぼ不可能でした)。

東京のアパートでもさっそくラジオを聴いてみましたが、どの局でもかんたんにチューニングが合うし、雨が降っている日でもきれいな音で聴くことができることに感動しました。栃木では、雨が降った場合はノイズがひっきりなしに入ってしまうので、アンテナを手で掴んでいなければなりませんでした。

栃木では1つか2つくらいしか入らなかったFM放送も、いくつも聴けるようになりました。それで2年生ごろからは毎日のラジオ語学講座を聴くのが日課になりました。6時台の英会話入門から、ドイツ語、中国語、フランス語、スペイン語と一通り流していましたが、テキストを買って読んだりはしなかったので、ほとんど何も覚えていません。

 

栃木の生活になかったもの:宅配ピザとかミスドとかレンタルビデオなど

地理的にはそれほど田舎の出身ではなかった私ですが、やはり都市の生活スタイルや食べ物は大学生になって初めて知ったことばかりでした。

たとえば、どの家にも当たり前のようにチラシが入っていた宅配ピザも、東京に来て初めて食べました。当時の大平町にはピザ屋はありませんでした。隣町の栃木市にはあったかもしれませんが、5km近く離れているので宅配の範囲外だったでしょう。

ヨーロッパへの長期旅行で部屋を空けるときなど、兄が週末に私の部屋に遊びに来て、泊まって帰ることがありました。帰国後に自室を見ると、ピザ屋のチラシと会員カードがありました。栃木で会社に通う兄もやはり東京に来たらピザを食べていたのでした。

それから、大学生の頃ではなく高校生3年生の頃ですが、はじめてミスドを食べたこともよく覚えています。京大や阪大を受験しようと考えていた私は豊中市の叔父宅を訪ね、大学見学をしました。刀根山の南側にあった家から歩いて阪大に行き、日曜日の静かなキャンパスを叔父と散歩したのを覚えています。そのとき、叔母がミスドを買ってきてくれました。好きなのを食べて、と言われたもののどれが何味なのかわからず、静かに困惑しました。もちろんドーナツという食べ物は知っていたし、テレビでミスドのCMを見たこともありました。しかしそれは子供の頃にいつも見ていた磯村建設のCMと同じで単なる知識でしかなく、現物と結びついていなかったのでした

大学生になると東京の大学生はドーナツ屋でコーヒーを飲みながら読書をするのだとわかり、しばしばダンキンドーナツなどに通いました。

もうひとつ、一人暮らしで初めて自分で行ってみたのがツタヤでした。ツタヤも小山にお店があり、父について何度か行ったことはあったものの、自分で会員証を作ってレンタルしたのは東京に来てからが初めてでした。隣町とはいえ、10km近く離れている小山のツタヤではさすがに自分で借りに行くことは無理でした。

友人から譲ってもらったビデオデッキでクストリッツァの『アンダーグラウンド』を見ようとしたものの長すぎて半分以上眠ってしまったことを覚えています。その後劇場で見て感動し、今に至るまで繰り返し見ています。

 

新しい生活でいろんなことを経験してほしい

おそらく今週私のドイツ語の授業に出た一年生たちも、ちょうど今新しい生活が始まり、毎日さまざまな新鮮な驚きを感じていることと思います。

これまで実家で家族と過ごしていたときには考えもしなかったような、いろいろなものごとを自分で選んだり、準備したりしながら経験していくのでしょう。そういう学生たちの傍にいることが、なんだかうれしく思える季節です。

失敗をおそれず、自分でやってみたいことにどんどん挑戦して、新たな経験をしてもらいたいと心から思っています。

 

新しい場所に慣れるのはけっこう時間がかかる

はじめて自分の選択で引っ越しをした、あの東京への転居から30年近くが過ぎましたが、おとなになって思うのは、新しい場所になれるのにはけっこう時間がかかるということです

私は4年間東京で過ごし、その後京都で14年、西宮で4年、大阪に来て7年目です。そして今の職場に勤め始めて今年で11年目となります。こうしていろいろな場所に住んだり通勤したりしていると、だんだんと慣れていって愛着が湧いてくるけど、最初の数年はなかなか楽しく過ごせなかったり、自分の居場所ではないと感じたりすることも多かったなあと思い出します

以前このブログでも、新しい土地に慣れて落ち着いて過ごせるようになるにはだいたい4年くらいはかかるんじゃないかということを書いていました。

schlossbaerental.hatenablog.com

だから大学生になって東京やどこか別の都市に移住した人が、ずっと違和感があって4年間新しい街に慣れることができなかったと感じたとしても、それはしょうがないのではないかなと思います。

慣れない場所での新生活を始める人たちが、日々の驚きを楽しみながら、あせらずに新しい生活に馴染んでいけることを心から願っています。