ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

内定から着任までの半年をどう過ごしたか

そろそろ各大学でも来年度の採用が決定し、内定を得られた先生方は、現在の勤務先で残務処理をしたり、新生活の準備に心を踊らせていることでしょう。私も内定をもらってから、ちょうど10年が過ぎたので、あの頃どんなことを考えていたのかを思い出してみました。

 

気づいたらもう10年目

facebookの思い出表示などで、10年前に今の勤務先の面接を受け、内定をもらっていたことを思い出しました。

何年も同じところにいて、同じような仕事をし続けていると、自分が着任何年目なのかさっぱりわからなくなってしまうのですが、指折り数えてみたら今年で10年目ということがわかりました。

10年前の秋に内定の通知を受けてから着任するまでの半年間、どのように過ごしていたのかを思い出しながら、こうすべきだったという気づきについても思い出して書いてみます。

 

9月末面接、即日内々定

それまで勤めていた年限付き助手の仕事を終え、専業非常勤講師になって二年目の2013年、私は目についたドイツ語教員の公募につぎつぎ応募していました。大学院を満期退学するころから公募情報を眺めていましたが、本格的に応募し始めたのはたしか助手になって二年目ごろからでした。論文や発表はそれなりにあっても、博士号も留学歴も学振PDもなかったので、どうせ選ばれるわけがないと最初はあまりまじめに取り組んでいませんでした。12年秋にやっと博士号をとって、ようやく本格的に公募に出し始めて一年くらいがすぎたころでした。

当時私は近大、滋賀県立大、京大、龍谷大と4つの大学で12コマの非常勤を担当していました。7月にちょうど近大で公募が出て、私も非常勤に推薦してくれた先生から勧められたので応募することにしました。

8月に二次選考の案内が届き、9月のシルバーウィークごろに面接を受けに出かけました。そのときは、最初の面接だし、だめでも次につなげればいいかとわりと気軽に構えて出かけました。しかし面接では言いたいことがうまく言えず、これは無理だろうなと感じていました。京都のアパートに戻ると、携帯に先方の先生から電話があり、すぐ内々定と伝えられました。

2013年夏、近大の11号館中庭で見た猫。私はすでに非常勤として出講していたので、専任の先生方とは顔見知りだし面接に呼ばれてもあまり緊張はしませんでした。

バラしちゃいけないのにすぐにバレる

こうして専任教員になれることが決まったのですが、この吉報を身内以外の誰にも伝えず4月の着任を静かに待つことが一般的です。

しかし私の場合は、内々定の知らせを得てすぐに周りの人たちに知られてしまいました。

面接に呼ばれたとき、何人か最近専任教員になった友人や先輩、そして学振の受け入れ教員を頼んでいた先生などに、面接の心得をメールで聞いていました。もちろんどこの大学から呼ばれたかは伏せて相談しました。

どの方もかなり具体的に自分の経験した面接の様子や、用意しておくべきこと(シラバスの説明とか、模擬授業用の授業のネタとか、ドイツ語での研究内容の説明など)を教えてもらえて非常にありがたかったです。

私がうかつだったのは、面接が終わってすぐに、決まりましたと御礼のメールを送っていたことでした。そのため私がいなかった学会懇親会の席で、すぐに私の内々定がバレてしまいました。なぜか私はこのときまで、採用が決まっても隠しておかなければならない、という業界のルールをまったく知らなかったのでした

ここから言えることは、面接の相談をしてもいいが、律儀にすぐに結果を伝える必要はないということです。数ヶ月たってから連絡してもいいし、あるいは新年度を迎えて着任後にお礼をすれば十分でしょう。

 

バレて取り消しになるくらいならしょうがない

なぜ採用内定がバレるとまずいのでしょうか。これは多くの人が指摘していることですが、内定者を知った誰かが逆恨みして怪文書を回して内定取り消しになる可能性があるからだそうです。

もちろんせっかく得た内定なのだから、取り消しにされるなんてとんでもないことだし、そのためにはできる限り慎重に振る舞う必要があるでしょう。

しかし逆に言えば、ちょっとした怪文書くらいで内定取り消しにされてしまうような職場なら、やめておいた方がいいでしょう。その後もつまらないトラブルでクビになることもありそうだからです。

うかつに漏らしたことを内定先の先生からも咎められましたが、まだ一円ももらってないのだし、別に内定取り消しになったって痛くも痒くもないわい、と開き直って着任までの時間を過ごすことにしました。

その後一ヶ月くらい過ぎて、学部の事務職員さんから正式に内定したことが伝えられました。そこまでくれば、まあ人に知られても大丈夫です。ただ周囲からは宝くじを当てた人のように扱われるので、やはりあまり大々的に知らせないほうがいいのは確かです

 

別の大学からも面接に呼ばれる

内定を得る直前に、だめなら次はここだ、と思って応募していた別の国立大学から、10月下旬に面接の通知が来ました。この年私はたぶん10回くらい応募しており、近大のあとにもいくつか応募したい公募がありました。近大は経営学部の語学教員ポストでしたが、国立大学の方は人文学部の専門教員のポストでした。

地方とはいえ伝統ある国立大学だし、私としてはこちらのほうが研究環境はよさそうだし、研究者のキャリアを考えても明らかにプラスになると思っていました。

面接には呼ばれたものの、しかし近大のほうはもう正式決定済みです。でもどうしても行きたいし、と一週間くらい悩んで過ごしました。妻からは百貨店がない田舎に住むのは嫌だと言われましたが、私は単身赴任だって全然構わないと思っていました。悩み抜いて京大の指導教員に事情を話したところ、「もう内定出てるんだからそれが君の運命なんや、諦めや」と諭されました。

他の大学であれば、内定辞退してもよかったのですが、私の場合すでに近大に非常勤講師として毎週2コマ教えに行っていました。内定辞退した場合、せっかく採用してやったのに勝手に辞退して迷惑をかけたヤツと冷たい視線を浴びながらあと半年勤務しなければいけません。それはちょっと耐え難いのではないかと思い、面接の一週間前に、辞退することを国立大学に連絡しました。

一定水準を超えると続けて面接に呼ばれるようになると、以前友人から言われていましたが、本当にそうだったと納得しました。

もったいなかったなと当時は思いましたが、国立大学はその後どんどん状況が厳しくなっていったので、結果的には自分の選択が正しかったのだろうと思っています。このへんは本当に運としか言いようがありません。

研究室のソファを探す

内々定を得て、一安心したものの、なかなか専任教員になるのだという実感やよろこびは湧いてきませんでした。

最初に思ったのは、これで自宅ではなく個人研究室に本を置いて仕事ができるようになるのだということでした。

私の研究室が入ることになる11号館。個人研究室は楽しみだけど、建物の古さは気になっていました。

11号館向かいには16号館があり、整った庭園がきれいでした。内定後は新生活を想像しながら、キャンパスを歩き回ってから非常勤の授業に向かっていました。

私も京大時代の指導教員のように、大きな机、壁一面の本棚、そしてソファを備えた研究室を使えるようになるのだと、そう思うとこれからのことがうれしくてわくわくしてきました。

個人研究室にはどのようなソファを置くのが適切なのだろうか、そう思って見つけたのがこの論文でした。

結局ソファをどうするかはよくわからず、今も私の研究室にソファはありません。おそらく研究室のソファは代々受け継がれているものや、退職する先生の部屋からもらってきたものを置いているのだろうと思います。(妻の研究室にも古びた大きなソファがあります)。

 

専任教員っていくらもらえるのかわからない

私が内定を得ても、新生活の実感がまったく湧かなかったいちばんの理由は、給料が分からなかったためです。

すでに非常勤として近大に1年半通っていましたが、はっきり言って非常勤の勤務環境はよくありませんでした。給料は安いし、交通の便も良くない、コピー機の使用に厳しい(授業資料の印刷は一週間前に申請する必要があり、当日教材のコピーを取ることは事務職員さんから嫌がられました。仕方がないので私は同じ日に出講している別の大学で、近大の授業で使うプリントも印刷していました)など、あまり良い印象がなく、もっと近所の大学で仕事が得られれば、すぐに辞めてやろうと思っていたのでした。

もちろん専任教員だから非常勤講師よりはずっと待遇はいいだろうし、私立大学だから国立よりも給料がもらえるのだろうとは分かっていました。しかしどのくらいなのか?そもそも大学の専任教員というのはいくらくらいもらうものなのか、それもまったく予想ができていませんでした。

30歳まで家賃2万7千円のアパートに住み、助手時代までは3万8千円、結婚してようやく7万5千円の家賃を払えるようになった当時の私にとって、目指すべき年収の頂点は、学振PDの約500万円でした。そのさらに上などあるはずがないとすら思っていました。

ネットで検索すれば古いデータですが、主要私大の平均年収は調べられます。それを見れば確かにだいぶいい金額だとわかりますが、本当に自分がそれだけもらえるとはなかなか信じられませんでした。

結局4月末に初任給がもらえるまで、本当に自分がいくらもらえて、どのくらいの生活ができるのかは分かっていませんでした。

 

どこで、いくらくらいの物件を選ぶか

給料が分からなくていちばん困ったのは、引っ越ししてどこでいくらの物件に住めるかわからないということでした。

京都のアパートからそのまま通うこともできなくはないのですが、片道2時間くらいかかります。

東大阪の大学周辺は家賃が安いのですが、妻の仕事のことを考えると近鉄沿線は不便そうです。

学会の名簿でほかの先生方の住所を調べると、奈良市や生駒市、西宮市など大阪の外に住む人が多いとわかりました。

たしかに奈良であれば京都と同じくらい自然が豊かだし、家賃も安そうです。しかし非常勤に行くついでに電車の乗り継ぎなどを確認して、結局阪神線と近鉄線を乗り継いで西宮から通うことにしました。

家賃についても、京都のアパートよりは高くなるものの、専業非常勤時代の収入でも払える範囲の物件を選びました。

 

クルマも買えるかもしれない

家探しと並行して、クルマのカタログを取り寄せたりもしていました。

京都ではロードバイクでどこでも出かけていましたが、専任教員になるならクルマだって買えるかもしれないと思いました。当時は学振DCくらいの収入しかなかったので、クルマを所有するなど夢のまた夢でした

しかし車と言っても通勤にまで使うつもりはなかったので、すぐに買わなければならないとは思わず、結局西宮に引っ越してからちょうど買い替えのタイミングだったので、実家の母から10万キロ乗った中古車を譲り受けました。

 

非常勤をぜんぶ辞める→辞めなくてもよかったのでは

9月に内々定をもらってから、すぐ12コマの非常勤をどうするかを考え始めました。

近大の2コマはすぐに後輩を推薦することができました。

滋賀県立大学については、別の後輩からぜひとも引き継ぎたいと申し出があったので、お願いすることにしました。

京大、龍谷大は後継者を指名できなかったので、先方の教務の先生に任せました。

非常勤講師のコマは、先輩から後輩に受け継がれるものというわけではなく、けっこうその場で体が空いている人に片っ端からお願いするというケースが多いのではないかと思います。

専任教員になるにあたって、非常勤のすべてのコマをいったん辞めましたが、考えてみたら辞めなくても良かったと思います。京大や関西学院のような図書館が充実した非常勤先は、人文系研究者にとってはある意味で財産です。たとえ収入は専任になって倍増しても、充実した図書館を手放してしまっては、研究ができなくなります。

私は近大に勤めはじめ、図書館の使いづらさと文献の少なさに愕然としましたが、その後神戸大や関西学院大など非常勤に出講するようになり、必要な図書をすぐに使える環境を取り戻せました。

私立大学や単科大学に着任する人は、できるかぎり現在の非常勤先や自分の出身校の図書館が使える環境を保持するのがいいでしょう

 

辞めると決まってもあと半年非常勤が残っていた

内定が確定し、非常勤を今後どうするかもすぐ決まったものの、後期の授業やテストは自分でやらなければなりません。来年度からはもうこんなにたくさん授業をしなくてもいいのだと晴れ晴れした気持ちになりましたが、残り半年は消化試合のようなものだなとも思いました。

消化試合と言ってもいい加減に教えていたのではなく、実はけっこうその後につながるいろいろな試みをこの期間に実践していました。

アクティブラーニング型の授業をワークショップで学び、各大学のクラスで、ドイツ語による動画作成のグループワークを行っていました。

このとき京大、龍谷大、滋賀県大の3クラスで実施した授業について、翌年の独文学会で報告しました。考えてみるとこれほど違う大学でそれぞれのクラスに合わせた教授法を実践することができるというのは、専業非常勤ならではの特権でした。

専業非常勤最後の年にふさわしく、非常に充実した授業ができました。なにより頑張って参加していた学生たちに感謝しています。

 

着任までのそわそわした時間をどう過ごすか

私の場合は内々定を得てすぐに、けっこういろいろな人にバレてしまったので、人に隠してひそかに新年度からの生活を想像してほくそ笑むという状況はあまり体験することはありませんでした。

だから逆に、友人や知人が、どのように内定後の日々を過ごしていたのか、あるいはこれから過ごすのかということは気になります。

例えばわれわれの間でちょっと前に話題になったこの公募。今年の9月に締め切りで、着任はなんと2025年(!)の4月です。内定が出てから一年以上もいったい何をして過ごすのでしょう?(もしこの公募に採用された人がいたら、はてな匿名ダイアリーかnoteで手記を書いてほしいです)

最近では、妻が去年の冬に阪大の面接に呼ばれ、年明けの会議をへて内定が決まり、3月に退職し、移動するということがありました。このようなケースはあまりに展開が早すぎ、そわそわした期間を楽しむどころではなかったと思います。自分が担当していたコマを別の教員にお願いすることもできなかったので、妻は現在も前任校の授業を何コマも続けています。

逆に妻の場合は、内定から着任まで二ヶ月くらいしかなかったので、同僚からの嫌がらせ等はなかったようです。もしこれが一年くらいあったりすると、面倒なことも起こりうるのかと思います。例えば、学部や部局の会議で来年度のことを話し合っていても、自分はもうそこにいないわけだし、同僚に対する申し訳なさでなんとも居心地の悪い気持ちを感じ続けることになりそうです。そう考えると、わくわくした日々は楽しいものですが、まあその期間はできる限り短いに越したことはありませんね。

内定が決まったみなさん、本当におめでとうございます。次の春に新しい職場で充実した日々を迎えられることを心から願っております。