ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

非常勤講師:なるには、辞めるには、そして探すには?

教務委員は大忙し

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毎年のことですが、時間割をつくり、非常勤講師の欠員を埋めるべく新規採用をしたりするのが、だいたい10月から12月ごろの時期です。学内の第二外国語スピーチ大会などの行事、教科書の補助教材作り、そして毎週の授業など他の仕事と並行して進めていくので、けっこう忙しく働いています。

私自身の非常勤講師時代については、昨年の今頃、記事にまとめました。

schlossbaerental.hatenablog.com

今回は、それだけでなく、講師を辞めること、および最近いつも頭を悩ませている講師をどうやって探したらいいかについても書いておきます。

 

非常勤講師にどうやってなるか?

 1)まずは研究歴

 たいていの大学では、非常勤講師もまた研究者であるべき、という原則があるため、最低でも修士号は必要です。さらに、昨今では、博士課程を修了または単位取得退学していることが当然とされています。(私たちの分野ではこれが普通だと思いますが、もっと人手不足が深刻な分野だと、博士課程在学中でも講師を務めているという人は多いそうです)

2)そして教歴

できれば大学での教歴が必要ですが、なければTA、助手、民間の学校、専門学校などでの教育経験でも教歴に入れることはできます。今の職場は、(私の分野については)自前の大学院がなく、教員も自分の指導する院生がいないので、外部から講師を探さないといけません。人手不足は非常に深刻なので、他の大学より教歴として設定している基準はゆるいほうかもしれません。

とはいえTAや民間での教育経験もないとなると、ちょっと無理だろうと思います。では、最初の教歴をどうやってつければいいのか?私の場合は5年在籍した博士課程を出て、助手として1年間専門外のことを教えながら、やっと母校でドイツ語を教えるチャンスが回ってきたという感じで、かなり時間がかかりました。しかしどの大学で教えるにしても教歴がいるというのであれば、やはり院生がたくさんいる大学が、はじめに教歴なしでその大学出身者を雇うというのが順当ではないかと思います。

 

3)他大学の教員に売り込む

公募で非常勤講師を集めるところもあるようですが、私のところを含め、多くは専任教員との直接的な関係で仕事の依頼が来ます。

最初のうちは、指導教員などを通じて自分の出身大学の授業を任せてもらったり、指導教員の知り合いを頼って、仕事をもらったりするのが一般的です。

最近、学会などに顔を出すと、かつてお世話になった先生に、「私のところにいる○○くんをよろしく頼む」と頼まれることがあります。しかし、私としては、当人と面識がなかったり、ちゃんと話したことがない場合には、非常勤をお願いすることはありません。やはり大学の授業の質に責任を持つ立場である以上、自分で大丈夫そうだと確認できた人でないと、仕事をお願いすることはできないと私は思っています。

京大のように院生が多い大学院では、院生同士が切磋琢磨して、積極的に学会発表をしたり、自分をアピールしたりしています。院生が少ない大学の場合は、どうしても内にこもりがちになっているように見えます。本学から近い大阪の大学(阪大、市立大、関大など)は、昨今どこも院生や若手ODが少なく、いたとしてもなかなか外に出てこないので、仕事が頼めません。

ですから、仕事を探している、あるいは教歴が欲しい若手の方々には、積極的に学会、研究会に顔を出すことをお勧めします。どの大学でも私のように、若手・中堅の教員が今後の非常勤講師候補を探すために奔走しているので、それっぽい人を見かけたら話しかけてみるといいでしょう。

教歴がすでにある場合、あるいは学会などに知り合いが多い場合には、直接知り合いの大学教員にメールをするというのも有効です。じっさい私は、これまでに大学院時代の仲間や後輩から、お願いメールをもらって、そして仕事を依頼したことが何度かあったからです。

 

 

非常勤講師を辞める

非常勤を辞めるのは、自分が専任ポストを得たときか、または昨年の私のように、他の仕事との兼ね合いで続けることが難しくなった場合です。

たいていは、専任教員ポストに就くことが決まると同時に、勤務校の担当教員などに、来年度出講しない旨を伝えます。私の場合は正式な内定が出た時点(11月ごろ)で、当時出講していた3つの大学に連絡しました(本当はもう一つ別の大学に行っていましたが、要はそこが現在の勤務先です)。

非常勤を辞めるとき、多くの場合は辞めることを伝えるだけで、後継者を指名することはありません。しかし、私が本学に内定をもらったときは、他の専任教員があまり関西の若手に繋がりがないことから、私自身が後継者として京大人・環の後輩を指名しました。

辞めるときに、どんな人が自分の後継者になるのかは、だれもが気にすることでしょう。規模が小さく、教員が少ない大学以外の場合は、なかなか前任者がそのまま後継者を指名するということはなさそうです。あるいは、辞める当人の意見はあくまで参考として聞くが、基本的には専任教員の判断で決めるというところが多いでしょう。(昨年やめた神戸大もそうでした)。

そのため、周りに専任教員に決まった人がいるからといって、後継者にしてほしいと頼み込むのはあまり得策ではないでしょう。それよりはむしろ、欠員ができてしまう大学の教務担当者に、自分を使ってくれるようアピールをする方がいいのではないでしょうか。

 

非常勤講師を探す

次に、非常勤講師をどうやって探すかということを書きます。

知っている人にしかお願いしないという方針

私の勤め先の場合は、伝統的に直接的な知り合いにお願いすることになっています。他の部局では、公募を行うところもありますが、事務的な手間が非常にかかるし、私たちドイツ語の場合は、履歴書や業績表だけでは、本学の講師として最適な人が選べるわけではない、という信念があるためです。ドイツ語を教えるには、もちろんドイツ語の自体の知識や運用能力は必要ですが、実際はそれ以上に、学生を教えること自体が上手であったり、熱意をもって取り組めるかということが大切です。語学力や業績は立派だけど、学生からクレームが出たり、事務的な面でトラブルを起こすような人の話はときどき聞くので、この点は非常に慎重になっています。

学閥じゃないけど

ドイツ語関係の分野では、院生がどんどん減っていき、(一流大学の場合は)就職状況が良く、若手ODが少ないという事情のため、近年、新しい非常勤講師候補を探すことは難しくなっています。(それから停年退職される先生も、この年代には多くいます)

本学の場合、専任教員は伝統的に関西大学独文出身者が多かったので(現在も2名います)、非常勤の先生方も関大出身の人に多くきてもらっています。

しかし、先述したように、大阪の大学では独文学を学ぶ院生がほとんどいなくなってしまいました。*1関大も同様です。そのため、私が着任してからは、院生やODが多い京大大学院出身者に頼っている状況です。

それぞれの都合、コマ数の制限など調整が難しい

毎年欠員があるたびに、新規採用非常勤講師の候補者をピックアップして、都合を確認したりします。どの大学でもそうだろうと思いますが、時間割はほとんど決まっていて、担当者の都合で移動させることはほぼ不可能です。特に語学は学部や学科の必修科目なので、他の科目との兼ね合いで、クラスごとの時間帯はがっちりきまってしまいます。

また、各大学ごとに一人の非常勤講師が担当できる授業時間数の限度が決まっていますし、さらにはそれぞれの先生方の1週間のコマ数も多くても15コマ程度が限度でしょう。このような事情から、候補者が複数いても、実際に都合を聞いてみると、全員に断られてしまうなんてことはざらにあります。

数年前に、3月に急に専任ポストに決まって、4コマの非常勤をやめられる先生がいましたが、そのときは大学院の後輩、学会での知り合い等15人ほどに立て続けに電話をかけ、ほぼ全員に断られてしまいました。年度末ともなると、どの先生方も次年度の授業時間割は確定しているので、あらたに授業を引き受けることは難しいのです。

ここ数年教務委員を担当していく中で、とにかく非常勤講師候補者になりそうな人となるべく多く知り合っておく必要があるということがわかりました。どの人がどこに住んでいて、どの辺の学部(勤務先は、大阪の本部に加え、奈良の農学部、和歌山の生物理工学部があります)に行ってもらえるか、さらにはどの曜日が空いてるか、といったこともできたら個別に整理しておきたいとも思います。

今年の講師探し作業では、自分が知っている若手の皆さんが、もう早くも学振PDや専任教員になり始めていて、なかなか候補者が見つからなくて苦労しました。頭の中にある若手リストをちゃんとアップデートすることが必要だと痛感しました。

 

 

まとめ

非常勤講師の仕事を探す人たちへ

ぜひ担当の教員に直接コンタクトを取ってください。大学院や留学時に面識を得ている場合には、直接メールで仕事を探している旨を相談してしまってもかまわないと思います。私であれば、できる限り前向きに検討いたします。

また、学会等で直接声をかけていただけば、すぐ来年度からとはいかないまでも、待機リストに入れておいて、時間がたってから、お願いすることがあるかもしれません。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

*1:この凋落ぶりには驚かされました。私と同世代くらいまでは、関大、阪大、大阪市大などは教員・院生がたくさんいて、研究活動が活発だった印象がありました。たしかに現在も、大阪では阪神ドイツ文学会や各種研究会などが活動を続けていますが、中核を担っているのは50代、60代の教員ばかりです。いまや独文学を教える教員は半減し、院生はほとんど入ってこなくなりました。