ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

独文学会でのこれまでの発表を振り返る

あの頃は何をしていたのだろう?

思えば昨年も、この時期に過去の自分の研究活動を振り返っていました。

 

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去年書いた記事では、最近学会で会う若手研究者がみんな偉くみえるので、自分が30歳ごろ何をしていたのか、という振り返りをしました。

最近なんとなく思い出していたのは、これまでの日本独文学会で、いつどんな発表をしていたのか、それぞれの発表の時に、どんなことを考えていたのか、ということです。

 

初めての学会発表

私がはじめて学外で研究発表をしたのは、2004年秋の博士課程1年目の頃です。このときは、京都外国語大学での日本独文学会京都支部でした。修士論文で取り上げた、シュレーバー回想録において、どうして光線が神の言葉を伝える媒体であるという妄想が生まれて来たのかというテーマについて話しました。

初めての学会発表ということで、普段学会に寄り付かない指導教員が見にきてくれました。発表後の質疑応答はあまり盛り上がりませんでしたし、懇親会も年配の先生ばかりで話し相手がいなくて、教科書会社の方とばかり話していたのを覚えています。*1

 

2005年春以降の全国学会での発表を年表でふりかえる

以下、それぞれの発表での思い出なども含めて並べていきます。 

2005年(D2)春季研究発表会、早稲田大学、口頭発表(←原則的に単独です)。京大の友人たちがしきりに発表していたので、遅れてはならないと全国学会に出ることにしました。このときは、シュレーバー回想録における宇宙=死後の世界という発想が、心霊主義と進化論が入り混じったカール・デュ・プレルの哲学に由来しているという話をしました。指導教員が来てくれたほか、その後共同研究をする方々ともここで知り合いました。

 

2005年(D2)秋季研究発表会、同志社大学、口頭発表。この回では、さらにデュ・プレルを中心に、その哲学的心霊主義がどのようにシュレーバーへと影響していたかをまとめようとしましたが、デュ・プレルの本をぜんぜん読みきれていなくて、失敗しました。同じく発表を失敗した後輩と、今出川通の天下一品でラーメンを食べて帰りました。

 

2006年(D3)春季研究発表会、学習院大学、ポスター発表。京大人間・環境学研究科で毎年行われる、「人環フォーラム」で19世紀末ドイツにおける身体観について発表し、それを発展させて、体操から舞踊へとつづくドイツの身体文化におけるリズム概念についてポスターで発表しました。

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前日の晩に必死でポスターを作っていました。当時は髪を伸ばしていました。

このテーマは、シュレーバー研究から少し離れるので博論には含めていないのですが、その後現在に至るまで、授業のネタにも取り上げている、お気に入りの話題です。ポスター発表にも関わらず大きい教室一つを貸してもらえたので、たくさんの人を相手に話すことができました。本や論文でしかしらなかった憧れの先生方と知り合えたことも大きな収穫でした。この回にも、Mハタ先生は来てくださっていました。本当にありがたいことでした。

発表の後は、懇親会で飲みすぎ、栃木の実家に泊まる予定だったのに、電車を乗り過ごしてJR宇都宮駅までいってしまいました。車で迎えに来てくれた家族には迷惑をかけてしまいました。*2

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JR宇都宮駅東口の餃子像まえに1時ごろに着きました。この餃子像はその後崩壊し、修復された後に別の場所に置かれているようです。

2007年(D4)秋季研究発表会、大阪市立大学、ポスター発表(団体)。前年に行った発表のさいに知り合った先生方と3人共同で、19世紀後半のドイツにおける庭づくりと身体文化の関係について共同発表をしました。朝10時開始だったので、9時頃集合だったのですが、京都からだと大阪市立大学が思いの外遠くて、6時台の電車で出町柳からいきました。私の発表は消化不良でしたが、3人で集まって準備をする過程が非常に楽しくて勉強になりました。

いまでこそ、ポスター発表といえば、A0などの大きな紙に、PCで作ったデータを印刷するのが一般的です。しかし当時の私は、生協で売ってる模造紙に、レーザープリンタで印刷した写真とキャプションを、糊で貼り付けてポスターを作っていました。プリンタで印刷した最近のポスターは、たしかに美しいのですが、反面遠くから見るには字も写真も小さすぎます。見やすさを考えると、私がやっていたような手作りポスターの方がいいのではないかと思います。

 

2009年(精華大学助手)秋季研究発表会、名古屋市立大学、シンポジウム(4人)。大阪市大のポスター発表の後、他の先生方と話し合って、世紀転換期ドイツにおける神秘主義的思考についてのシンポジウムを行うことになりました。私はシュレーバーに影響を与えたデュ・プレルについて話しました。この年から京都精華大で3年任期の助手になり、忙しくてなかなか準備が進められませんでした。シンポジウム当日はわりと盛況でしたが、その後は論文にまとめるのに時間がかかりました。このときは、発表が1日目ということで、懇親会、二次会、三次会とかなり飲んでしまい、ホテルにどうやって帰って来たかほとんど記憶がありません。

 

2012年(専業非常勤1年目)秋季研究発表会、中央大学、シンポジウム(5人)。ドイツ現代文学ゼミナールで、数年にわたり学会シンポジウムを行うことになり、私もドイツの現代小説についての回で発表することになりました。2010年頃にはメンバーと担当する作家・作品は決まっていました。私は旧東ドイツに関心があるということで、2008年に出たウーヴェ・テルカンプの大長編『塔』を読むことになりました。その後数回準備会がありましたが、実は私が『塔』を最後まで読み終えたのは、シンポジウム発表の申し込みが済み、予稿集の原稿も書き上げた後の、12年の夏休みのことでした。今もそうですが、当時の私にはそれだけ長編小説を読むのはたいへんでした。その後2013年春に、小説の舞台となったドレスデンに行き、帰国後に論文を書き上げました。

学会発表は土曜日の午前中からだったため、前日に京大で5時限目の授業を終えた後に京都を出て、夜中近くに橋本のホテルに泊まりました。当日は専業非常勤だったので、授業は1日も休めませんでした(京大は回数分給料がもらえるため、休講にするとそのぶん給料が減ります)。

テルカンプの『塔』は非常に面白い作品なので、もう少し読み込んで別の視点から論じたいのですが、なかなか手がつけられません。

 

2013年(専業非常勤2年目)春季研究発表会、東京外国語大学、ブース発表(5人)。以前からつきあいのある東北の先生方と組んで、アプリケーションと連動したドイツ語学習教材づくりを進めてきました。私自身は参加しているといっても、ほんとに末席に座ってただけのようなものですが、学会では共同でまとめたスライドを使って発表し、ソフトウェアのデモなどを行いました。この回が初めてのブース発表でしたが、語学教育などの場合には、発表者と来聴者が話し合いやすい形式だと思いました。

 

2014年(講師1年目)秋季研究発表会、京都府立大学、ブース発表(単独)。2013年には、上記のアプリを使ったドイツ語教授法の一環として、iPhoneiPadのアプリやカメラを生かしたアクティブ・ラーニング的なドイツ語教授法を各大学で実践していました。3つの大学でグループワークを行なった結果と学生の作品などを見せました。

この発表のあと、私はむしろあまりICTやアプリを使わない方向へ舵を切ります。もっと原始的な方法でも、アクティブな授業はできるのでは、と模索しながら、教授法の研究も続けています。

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2016年(講師3年目)秋季研究発表会、関西大学、シンポジウム(5人)。2015年頃、気の合う仲間同士で発表がしたいと友人に持ちかけられ、16年春ごろにメンバーを確定、初夏にようやくテーマを決めるというタイトなスケジュールでしたが、非常におもしろいシンポジウムができました。発表の成果については、つい先ごろ論文集としてまとめることができました。(叢書Nr. 128です↓)

www.jgg.jp

この研究チームでは、短い期間ながら、何度も会合を重ねて意見交換をして来ました。毎回会うたびにほっとした気持ちになって、またこれからも頑張ろうと思えたのは、すばらしい仲間がいっしょだったからでした。このチームでは、今後も共同研究を続けていこうと考えています。目標としては、もう一度シンポジウムをやって、その後本を出せたらと思っています。

 

2017年(講師4年目)秋季研究発表会、広島大学、ブース発表(単独)。14年から実施してきた国際化と異文化理解について発表しました。先日の記事にまとめた通りです。

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忙しくて観光などはまったくできませんでしたが、このとき私ははじめて広島県に泊まりました。通過するだけなら何度も来ていたのですが、広島を目的地とした旅は意外にも初めてでした。

 

年表にまとめて見えてくるもの

年表形式で書き出して見ると、博士課程2年以降はほぼ毎年のように発表していたことがわかります。2009年以後少し間が空きましたが、このころは博士論文の完成をめざして、学会発表や別のテーマでの論文投稿などを控えていたのでしょう。

大学院時代に指導教員からは、あまり学会にばかりこだわるのはよくないとときどき言われていました。おそらく先生としては、学会の小さな世界での名声を求めることより、学問としての完成度を高めてもらいたいという思いがあったのでしょう。それでも当時は、自分たちは京都みたいな田舎にいるし、学際系研究科で就職も不利なんだから、他の大学の人よりがんばらなければ、と必死でした。

院生の頃の発表テーマをふりかえると、一見博士論文へとまっすぐに進まず、わき見ばかりしているように思えます。それでも当時興味を持って調べたこと、発表に向けて集めた資料などは、現在の自分にとって非常に役に立っています。

最近の自分を振り返ると、院生・OD時代よりも予算が潤沢になったので、あれこれ本を買い集めたり、現地に資料収集に行ったりできるようになっています。しかし一方で、なかなか腰を落ち着けて研究に取り組めていません。10年以上前からの研究発表を思い出し、自分が一体何に関心をもっていたのかを振り返りながら、これから何をすべきかを考えていきたいと思います。

*1:これは、今の若手にはわからないことでしょうが、当時の京都支部は、懇親会に院生やODが参加することなどありませんでした。私が博士課程を出た頃から、だんだん若返りが進んだように思います。

*2:写真は当時書いていたミクシィの日記に残っていました