ゲッティンゲン大学図書館へ
8月12日からドイツに滞在しています。今回の目的地は、ゲッティンゲン、そしてベルリンです。ここ数年、毎年夏にはミュンヘンの州立図書館を訪れていました。しかし今回は、ゲッティンゲン大学に関心のある手書きの資料があり、また旅程が短いので、ミュンヘンよりも本が出てくるのが早い、ベルリンの州立図書館を利用してみることにしました。
ゲッティンゲンってどこ?どうやって行くの?
たまたま資料を検索していたらゲッティンゲン大学図書館にあるとわかったので今回訪問してみたのですが、それ以前に私はこの街に来たことがないし、どうやって行くのかも知りませんでした。観光地としてはそんなに有名な町ではなく、大学の町で、誰か知り合いが留学してたという話はよく聞くのですが、自分でどんな街か調べたことはまったくありませんでした。
行くことに決めて、まず悩んだのは、日本からどの空港に着けばいいのかということでした。関空からの直行便はこの春からミュンヘン行きになりました。しかしミュンヘンではぜんぜん遠いし、かといってベルリンからは電車でも距離があります。フランクフルトからなら二時間以内に行けるみたいなので、それならとフランクフルト着の飛行機を予約しました。
フランクフルト空港から列車に乗り換えゲッティンゲンを目指します。フランクフルト中央駅まで出るのではなく、フランクフルト空港長距離列車駅から特急に乗ることにしました。
空港駅で一時間ほど待っている間に夕食にカレーを食べ、ビールを飲みました。
ICEに乗って、夜9時前にようやくゲッティンゲン中央駅に到着しました。途中で気づいていたのですが、フランクフルトで飛行機を降りたのは明らかに失敗でした。たぶんハノーファーまで飛行機で行けば、あとは列車で40分くらいなので、一番早かったのではと思いました。
ゲッティンゲン大学図書館に行ってみる
着いて翌日に大学の図書館に行きました。ゲッティンゲンは去年訪れたネルトリンゲンやインゴルシュタット のように城壁に囲まれた旧市街が残っています。現在、大学のメインキャンパスは市壁の外側にあるのですが、今回利用した古い図書館やメンザなどは旧市街にありました。
手稿や古地図に特化した専門図書館
ゲッティンゲン大学にはオカルティストで編集者として活躍した(もともとは植民地政策評論家)ヴィルヘルム・ヒュッベ=シュライデンの手紙が多数保存されています。ヒュッベ=シュライデンは、ミュンヘンのオカルト雑誌『スフィンクス』の編者・投稿者で、各地のオカルト研究者たちとのコンタクトがあったそうです。私はそのコレクションの中から、カール・デュ・プレルやラファエル・フォン・ケーベル、ルドルフ・シュタイナーらとの手紙のやり取りを見せてもらいました。
ケーベルの書簡です。ギリシア語の引用があります。
デュ・プレルのカードです。10cmくらいの紙に細くて小さい字でぎっしり書かれています。読めません。
今回は、3年前にマールバッハのDLAを訪れた際の挫折を教訓に、ある程度手書き文字の勉強をしてきました。
このページの解説pdfをiPadに入れて、現地でも参照できるようにしていました。
しかし現物をみると、やはり違います。ぜんぜん読めません。しばらく睨み合って、ようやくいくつかの単語が判読できる程度です。たとえばさきほどのケーベルの書簡、ギリシア語の次の行ですが、「Ich glaube mich, daß....」と書いてあるのがわかります。(その先はまた考えてみます)
追記:後日知人からの指摘で、Ich glaube nichtだとわかりました。
とくにデュ・プレルの書簡は、2〜3倍に拡大しないと何が書いてあるかまったくわかりません。いっぽうルドルフ・シュタイナーの書簡はびっくりするほど読みやすく、筆記体の見本を組み合わせたように、整っていて容易に判読可能でした。
図書館では、必要な部分の複写を依頼し、スキャンデータを送ってもらうことにしました。
古い町並みを歩いてみる
ゲッティンゲンで泊まったホテルは図書館から歩いて5分ほど、旧市街の中心にありました。2日間滞在する間に、旧市街の町並みを歩いてみました。
市庁舎前には、グリム童話『ガチョウ番の少女リーゼル』の泉がありました。
かわいいがちょうたちが水を吐いています。
市庁舎の中は重厚なつくりのホールになっていました。夕方にコンサートが開かれるため、会場が設けられていました。
大学植物園がすごい
街の北にはゲッティンゲン大学の校舎が広がっています。市壁とキャンパスの間に植物園がありました。ちょっと入ってみましたが、それほど広くないのにさまざまな種類の植物が観察でき、ゆっくり歩けば一時間以上楽しめるのではないかと思いました。
起伏が多く、迷路のように曲がりくねった道を歩きました。
途中に何箇所かトンネルがあって、壁の下を通れるようになっています。
特に面白かったのが、温室です。いくつかテーマごとの温室が作られていて、入ってみると日本のような蒸し暑さに驚きます。
温室の中にも通路や階段、洞窟などが作られ、探検気分を味わえました。
市壁Stadtwallのまわりを歩く
2日目の朝に、旧市街の外側を囲む市壁(と書いていますが、壁Mauerではなく、実際はすこし低い土塁Wallです)に沿って歩いてみました。
市壁の上は通路になっていて、あたりは緑地帯です。そのため散歩やジョギングをする人をたくさんみました。
市壁にはいくつか切れ目があり、そこに市内へ入る大きな道路が通っています。南側の道路沿いに、新市役所前のヒロシマプラッツがありました。
広場の片隅に、「福島2011を忘れない」と書かれたプレートを見つけました。
広場から少し西に進むと、市壁に沿って小さな古い小屋があります。これがかつてビスマルクが住んでいたという家です。
夏休みで休館中でしたが、普段は中を見学できるようです。
ビスマルク小屋のすぐ近くに、市壁の中で最も古いボダイジュの木がありました。
市内を流れる小さな川には、水車小屋がありました。これも非常に古いものでしょう。
今回、ほとんど予備知識がないままゲッティンゲンに来ましたが、非常に過ごしやすい街でした。もともと学生街なので、ケバブ屋やアジア料理など安い食事の店が多いのも気に入りました。語学留学などで滞在したらきっと勉強に集中できるだろうと思いました。