ドイツ語ネーミング辞典を読む
最近、『創作者のためのドイツ語ネーミング辞典』という本が刊行されました。
創作者のためのドイツ語ネーミング辞典 ドイツの伝説から人名、文化まで
- 作者: 伸井太一
- 出版社/メーカー: ホビージャパン
- 発売日: 2019/05/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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著者はすでに多くのドイツ現代史関係の本を出している伸井太一先生です。
アニメ、ゲーム、マンガなどに使えそう(出てきそう)な「ドイツ語だったらこういう」という表現を4000語も紹介しています。モンスターの名前、魔法・魔術、神や妖精、戦争や武器、道具など、創作者が必要とするようなさまざまな語を網羅しています。ドイツ語文法についての簡単な説明もついています。
また、ドイツ人の名前についての章では、Vorname(下の名前)の意味だけでなく、非常に特徴的でおもしろいドイツ人の苗字Familiennameについてもたくさん紹介されていいます。この辺は私もDudenの名前辞典を買うくらい非常に興味を持っている分野ですが、日本語でのわかりやすい紹介はあまりないので、ぜひ学生にも教えたいと思いました。
- 作者: Rosa Kohlheim,Volker Kohlheim
- 出版社/メーカー: Bibliograph. Instit. Gmbh
- 発売日: 2008/07
- メディア: Perfect
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Dudenから出ている、名前辞典と苗字辞典です。非常に詳しくて面白い辞典です。
『ドイツ語ネーミング辞典』のような本を通じて、多くの人がドイツ語やドイツ文化に興味を持つことになるとすれば、それは非常にありがたいことです。しかし一方で、なんとなくこういうドイツ語の売り出し方に対する違和感もあります。
みんなが好きなのはドイツ語じゃなくてカタカナじゃないのかい?
私の違和感というのは、カタカナで書かれたドイツ語がかっこいいものとして受け入れられ、ゲームやマンガに出てくるという点です。
これは多くの同業者の皆さんが感じていることだろうと思いますが、ドイツ語の単語や発音自体がかっこいいとかおしゃれだとは、私たちはあまり思っていません。正直言って、なんでわざわざ主人公の名前や物語の世界観にドイツ語を使う必然性があるのかわかりません。
学生たちの様子を見ていると、どうも彼らが好きなのは、ドイツ語やドイツ文化じたいではなく、カタカナに直されたドイツ語とそこから喚起される、ゲームやアニメやファンタジーやミリタリーっぽさなのではないかと思えてきました。
Kugelschreiberクーゲルシュライバーとか、Fernseherフェルンゼーアーなどは、たしかにペンとかテレビといった、日常語とは少し違う、エキゾチックな響きがあります。しかしドイツ語の単語の読み方を知って、単に「硬い感じ」とか「カクカクしてる」とか「濁音が多い」といった印象だけを得て、ドイツ語やドイツ文化のイメージを形成してしまうのであれば、それはとても残念です。だって、硬くてカクカクしてるってそれはドイツ語じゃなくカタカナのイメージだからですよ。
カタカナ語とかっこよさ
カタカナとは何なのでしょうか。今回ドイツ語をカタカナに直すことへの違和感や問題点について考えてみようと思い立って、いくつか文献にあたってみました。
(ぷりぷり県2巻には、カタカナで話さなければならないカタカナ祭りというぷりぷり県の奇祭が登場します。今回の記事を書きながらちょっと思い出して読み直してみましたが、あまり関係がありませんでした)
『日本語にとってカタカナとは何か』では、サンスクリット語の発音を日本語で正確に表記しようとする工夫の中でカタカナが使われるようになったと述べられています。カタカナは、ひらがなとは異なり、おもに男性によって使われ、和歌を記すのに用いられなかったそうです。そして近代以降は、オランダ語やフランス語、ドイツ語などのまだ日本語で言い表しようがなく、しかしアルファベット表記だけではもともとの読み方がわからないものについてカタカナ書きの外来語が普及していったのでした。
〈カタカナ〉とは、すなわち、「生」の外国語の発音を可能な限り日本語として写し、外国の文化を我が国に移植するための小さな「種」のようなものなのではないだろうか。その「種」が育つかどうかは、その外来語が〈ひらがな〉で描かれるまで日本語として残るかどうかということになろう。(191ページ)
日本語の中に溜まっていく外来語は、世界の潮流の最先端で使われる言葉を、地層のように積み上げてきたということである。サンスクリット語、ペルシャ語、ポルトガル語、スペイン語、また漢語と言ってもご恩から漢音、唐宋音と、中国の文化の発達を層として見ることができる。(中略)
〈カタカナ〉とは言うならば、言語の正倉院だったのである。(206ページ)
たしかにドイツ語由来の外来語も、カルテやシュラフ、リュックなど日本語にすっかり定着した語もあります。私自身今後もっと多くのドイツ語由来の語が日本語に定着したらいいと思うところはあります。しかし、カタカナで表記することには、言語のルーツを消してしまうという弊害もあります。
カタカナが見えなくしてしまうもの
ドイツ語に限らず、日本語はこれまでも外来語を取り込んで、カタカナ書きしてきましたし、カタカナで書かれた外国語を物珍しさから多用したがるというのも日本語の伝統です。その点についてはもうどうこういう必要はありません。
カタカナで書かれるドイツ語がかっこいいという意見を見ると、どうしてもそうでもないだろと反論したくなります。そこでいくつか、カタカナで書いた方がわかりにくくなるドイツ語を挙げてみます。
地名
シュトゥットガルト 小さい文字が多くて読みづらく、Stuttgartとアルファベットで書いた方が読みやすいです。
エースタライヒ Österreich öの発音はカタカナ書き不可能です。(ウに聞こえるという人もいるし、私もどちらかといえばそう発音しています)。
ノイシュヴァンシュタイン城 Schloß Neuschwanstein これもカタカナだと、長くて読みにくいです。
一般名詞
ヴェットベヴェルプ Wettbewerb(コンテスト、競争)とても読みにくい。
ベトリープスヴィルツシャフツレーレ Betriebswirtschaftslehre(経営学)カタカナ書きだとまず覚えられません。経営学部の授業では、この単語をたたき込みます。
人名
ニーチェ Nietzsche 子音字の多さこそがドイツ語です。
このようにいくつか実例を挙げていくと、カタカナ書きのいちばんの問題は、発音を正確に写せないこと以上に、すべてフラット化されてしまい、語のもともとの意味や発音の区切りが全く見えなくなってしまうことだと気づきます。
学生たちは、いつもドイツ語の一単語の長さに驚きますが、これは日本語の複合語と同じことです。もともとどんな語が組み合わさっているのかがわかれば、難しくはありません。
Kugelschreiber=Kugel球+schreiber(schreiben書く)もの
Fernseher=fern遠くseher(sehen見る)もの
Betriebswirtschaftslehre=Betrieb企業Wirtschaft運営Lehre学説
Sozialversicherungsbeitrag=Sozial社会Versicherung保険Beitrag料金
うまいこと単語の切れ目を見つけて調べれば、初見の長い単語でもすぐに意味を調べることができます。
表記ミスもカタカナが原因
カタカナは、言語の音を日本語に合う形に書き記す文字なので、語のなりたちは完全に見えなくなってしまいます。そしてもう一つの問題として、カタカナで書かれた言葉は間違いやすいという点があります。
ドイツ語に限らず、私たち外国語教師が日々の生活でしばしば見つける表記のミスというのは、多くの場合、カタカナ化したために日本語としての転記ミスが起きやすいことが原因となっています。
日常的によくみる例を挙げると、
ゲッペルス❌ ゲッベルス(Goebbels)
バケット❌ バゲット(Baguette)
アボガド❌ アボカド(Avocado)*1
こういった事例はカタカナだけをみていると、(とくに゛や゜がついている単語は)どっちだったかわからなくなりがちですが、元の綴りを見れば、たとえほとんど知識がない言語であれ、たとえば明らかにバケットは間違いだなとわかるわけです。
幻想と語学学習
もちろんドイツ語に幻想を抱くことはかまわないし、それが強力なモチベーションになるというのもわかります。ドイツ語になんらかのイメージや期待を抱いて履修する学生は少なくありません。私の学部だとサッカーが好きな男子や、音楽を習っていた女子などがいるし、別の学部にはミリオタやゲーム好きがたくさんやってくるそうです。
しかし私たちが教えているのは、彼らが期待するドイツやドイツ語ではありません。多すぎる格、英語や日本語とは違う文法など、憧れのドイツに行き着く前に、語学の勉強がつらすぎて幻滅する学生は多数います。
幻想あるいはなんらかのイメージを抱いて(期待して)ドイツ語の授業に来ることは悪くはありません。困るのは、自分の学びたいことあるいは自分のなかでこうであってほしいというドイツ語世界しか見ようとしない姿勢です。たとえば他の学部の先生ですが、ミリオタ男子たちがアクティブラーニングに参加しないといつも嘆いています。別にミリオタが悪いわけではありませんが、せっかくドイツ語を履修する気になったのだから、戦争ゲームや戦争映画以外にも興味を広げてほしいものです。
カタカナ化が必要な時もある
これまで、ドイツ語や外国語のカタカナ表記に批判的な意見を述べてきましたが、よく考えると例外的に、カタカナで覚えて欲しいこともあります。
euやäuはドイツ語ではオイと読みます。これは何回教えてもなかなか覚えられない学生が多くて困ります。fährstやhörenをカタカナでどう発音したらいいのかとやたら聞きたがる学生がいます。ウムラウトは自分の聞こえるように書けばいい、エまたはウどちらにも聞こえるのなら、上下に併記すればいいと言っていますが、eu/äuの読み方については、とにかく間違えたらすべてカタカナを書いてさっさと覚えて欲しいと思います。
読み方も大事だけど、表記も大切
1年生のクラスでは、パワーポイントを使ったプレゼンテーションの課題を出しました。事前に少し説明したにも関わらず、やはりドイツ語の入力ミスが目立ちました。エスツェット(ß)をベータ(β)で置き換えたり、öをo¨やo:と表記したりする学生がいました。OSやデバイスごとに入力法が違いますが、うまく入力できないなら、ß=ss, ö=oeと表記すればいいのです。どちらにせよドイツ語ではない文字にならないように気をつけたいものです。*2
コンピュータでのドイツ語入力については、以下の記事をご参照ください。