ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

単語を覚える必要なんてあるのだろうか?

後期の期末テストが終わって、もう1ヶ月ほど経ってしまいました。採点や成績評価は、(限界集落みたいな少人数クラスばかりなので)あっという間に終わりましたが、その後あれこれ業務が入って、考えをまとめるチャンスがなかったので、すこし時間がたってしまいましたが、テストを終えて、気になった点について書きます。

 

日頃の授業と期末テストの出題

今年も無事に後期の授業がおわって、学期末試験と成績評価の時期になりました。毎年この時期には、テストの出来具合をみながら、自分の教え方がこれでよかったのだろうかと反省します。

ここ最近の授業では、作文を重視し、日頃から、文法事項を簡単に説明したら、すぐ学生自身で何かを書いてもらう、グループワークで文章や会話文を作ってもらうなどのワークを取り入れています。

単語や文法が、たんに教科書や問題集の中にあるものではなく、実際に自分で何かを発信することにつながっているのだという、当たり前だけど非常に重要な点をつねに意識しながら勉強して欲しいと思っているからです。

そういった私の考えを、学生たちもよく理解しているようで、授業中の作文練習などは、みな積極的に取り組んでいます。また、期末テストと合わせて行う、個人でのプレゼンテーションも、自動翻訳で無理のある文章を作るのではなく、教科書でならった表現を組み合わせて面白い発表をしています。

しかし、作文問題中心の期末テストを終えてみると、私の教え方や学生に指導していた勉強の仕方がだいぶ間違っていたのではないかと気づかされました。

 

単語が書けない学生たち

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期末テストでは、ごくわずかな空所補充問題の他は、和文独訳と自由独作文が中心です。あまり枝葉末節を問うような出題はしたくないので、名詞の性や難しい単語はヒントとして問題文中に記載しています。

例1:エリアスは彼の妹(Schwester)とテレビで(im Fernsehen)サッカーの試合(s Fußballspiel)を見ます。

例2:ゾフィアはお昼に(zu Mittag)一本のバナナ(e Banane)を食べます。

例1の場合は、「妹」、「テレビで」、「サッカーの試合(中性名詞)」そして例2では、「お昼に」と「バナナ(女性名詞)」という語にヒントをつけています。

単なる並べ替え問題ではないので、これらのヒントを参考に、語順はどうなるか、動詞や冠詞類をどう変化させるか、といったポイントをよく考えて文章にしなければなりません。

また、ヒントが示されていない単語、上記の例であれば「見ます」(sehen, ansehen)

や「食べます」(essen)のような語は、基本的な動詞なので、ノーヒントで書かなければなりません。

そして答案をチェックすると、変化のミスなどはまあ想定の範囲なのですが、essenなども書けていない学生が少なからずいて、驚きました。学生たちは、ある程度語順や文法を理解して自力で文章を作れるようになってはいるのですが、単語を正確に覚えていなかったのでした。

 

ふだんの授業では単語を覚える機会がない?

ichやdu、またjaや neinのような基本的な語、habenやessen、BuchやZugといった毎週の授業でほぼ必ず出てくるような語については、もうみんな覚えてしまっているだろうと私は思っていました。しかし、ざっと見たところ2〜3割の学生は、単語をちゃんとかけていなかったり、あるいは苦しぎれに英語で置き換えたり(essenではなくeatのように)していたのでした。

これはちょっとまずいのではないかと思い、採点をしながら、なぜ学生たちは単語が覚えられないのか、少し考えてみました。

一つ思いつくのは、そもそも私の授業では、単語テスト的なものを行ってこなかったということです。単語は、テストという強制力をもって覚えさせるより、読みながら、書きながら自発的に覚えていって欲しいと思っていたからです。

 

単語を覚える必要ってそもそもあるのか?

確かに私の学生たちは、テストでは基本的な単語すら書けませんが、逆に言えば辞書を使えば、自力で簡単な作文はできます。

考えてみれば、私たちが普段使っている語学も、似たようなものではないでしょうか。何かを調べたいとき、うろ覚えの英語のスペルで検索しても、ブラウザはこちらの意図を汲んで、正しい語での検索結果を見せてくれます。

日頃使っている辞書アプリも、前方・後方検索があるし、こちらもよくあるスペルミスに対しては、正しいつづりを提案してくれます。

↓iOSの辞書アプリで検索してみます。

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このように、私がまちがって書いた検索語(disktielen)に対し、diskutieren という正しい語が提案されます。

あるいはまったく手がかりもわからない語ならば、和独辞典やGoogle翻訳で調べればいいでしょう。

つまり、ある程度の単語や文法の知識があれば、単語自体を正確に書けなくても、それが言語が理解できていない、運用できないというということにはならないのではないかと私には思えてきたのでした。

逆に言えば、私がテストに出したような、単語を覚えて文章を書けという問題は、テストのための語学でしかないのかもしれません。

受験英語のように機械的に単語を覚え、単語テストで定着を図る(覚えさせる!)という方法は、アクティブラーニングこそ至上という傾向の中で教員になった私にとっては、非常に前時代的で抵抗感がありました。しかし、この私自身も「テストのための語学」という発想から抜け出せていなかったのでした。

 

単語を覚えることも必要

さて、これからどうしたらいいでしょうか。やはり暗記は必要と割り切って、単語集と単語テストを授業に取り入れるか。あるいは単語なんて調べて書ければ十分ということで、テストのときは全ての語をヒントに上げて、文法事項の理解を問うことに徹するか。私としてはどちらもやや極端ではないかと思います。

しばらく考えていたのですが、やはり単語を全く覚えない、単語練習を全くやらないのでは、いつまで経っても語学はできるようにならないし、そもそも辞書で調べることすらスムーズにできるようになりません。

私たちは当たり前のように、知らない語を辞書やアプリで調べていますが、それだって実は、既知の知識からあたりをつけながら調べているのです。ドイツ語のつづりのパターンが見えてくるには、どうしてもある程度の語彙力がないといけません。調べたり、文章を作ったりするさいには、そのベースとなる知識を身に付けておく必要があるでしょう。私が作った教科書では、なるべく語彙を必要最小限のみに絞りましたが、教科書で取り上げた単語くらいは、自分の手で書けるように練習をしないといけません。

 

学習の方法は変わるけど、私たちの理解の仕方はあまり変わらないのでは

今回の単語が書けないという問題は、やはり私の教え方のせいでもあるけど、いまどきの学生たち(私たち大人もそうですが)の学習の仕方が変わったことが原因だと思われます。

紙の辞書よりも電子辞書やグーグルを多用することで、一つ一つの語の綴りや意味や性を正確に暗記する必要はなくなってしまいました。

しかし、わからなければ調べればいい、覚えなくていいというのでは、いつまでたっても言語を理解する基礎となる部分が作れません。手で書いたり、何度も読んだりといった前時代的にみえる方法であっても、それによって頭の中にインプットし、整理して、それが知識の定着につながっていくのだろうと私は考えています。

ということで、今回は単語が書けない学生の答案から、考えたことをまとめました。今学期は教科書、辞書を使った小テストは実施していましたが、来年度からは単語自体を覚える小テストもときどきはやってみようと思っています。