ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

滑り止めの大学に入ってしまったらどうするか

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毎年いる、俺はこんなレベルじゃないという学生

 私の勤務先は、毎年全国有数の受験者数を集めています。もちろん全国1位なのは延べ人数で、実数はそんなに多くないとはよく言われています。それでも、この大学をとりあえず受けておこうと思う受験生はたくさんいるのだろうと想像できます。

語学の授業ではあまり学生の個人的な事情に立ち入る機会はありませんが、基礎ゼミでは毎年、本当は別の大学に行きたかったのに仕方なく入学した、別の大学の編入学試験を目指したい、といった学生がいます。

私自身も大学受験には失敗している*1ので、彼らの気持ちはよくわかります。しかし毎年私が言うのは、もう一度受験をするのは時間とお金の無駄でしかないから、ここで大学の勉強に集中しなさい、ということです。

以下、学生たちにいつも話している私の考えをまとめておきます。

 

大学入試はけっこう難しい。そして知名度(難易度)と教育の充実度はあまり関係がない

まず学生たちに理解してもらいたいのは、それなりの有名大学に入るのはけっこう難しいということです。私もそうでしたが、そこそこレベルの高い高校で、それなりに学んでいた生徒ほど、大学入試の厳しさを理解しないまま受験を迎えてしまいます。そして、大抵の生徒は希望の大学に入れなかったり、受験校すべてに落ちたりします。

多くの受験生は、あれこれ落ちた結果、私の勤務先のような中堅レベルの私学に入学することになります。入学後、大学の講義を受けた学生たちは、期待したのと違う、あるいは他の大学に行っていればよかったのに、あるいはおれはまだ本気出してないだけ、などと思い、再受験しようかと考え始めるのです。

はじめに認めないといけないのは、自分が受験に失敗したということです。受験勉強は大学での学習の準備であり、受験生個人の適正や能力を測るものではありません。ですから、失敗したとしてもそれをいつまでも引きずる必要はありません。たしかに受験勉強は結果がスコアとしてあらわれるし、いい大学に合格することが自分の自尊心を高めることにもなるし、実際に就職活動などで差がつくことはあります。

しかし大学教員なら、みなわかっていることですが、大学の難易度と、そこに勤める教員の質や、授業自体の難しさやおもしろさはとくに関係はありません。もちろん理工学部の数学の授業と、文学部の教養科目としての数学の授業はことなりますが、大学教員の多くは、教える学生のレベルに合わせて、授業の内容を易しくしたり、難しくしたりすることはとくにありません。それはどのレベルの大学だとしても、学生には等しく、質の高い教育を受ける権利があるからです。

入った大学が悪いから、授業がつまらない、勉強に意欲が持てない、ということにはならないのです。

 

授業がつまらないのは、吸収する自分ができていないから

もちろん明らかに希望学部学科が合わないということはあります。*2しかし、そうでない場合(D支社の商学部に行きたかったのに、うちの経営に入ってきたなど)は、授業がつまらない、興味が持てないというのは、自分自身が大学の勉強についていけていないことが原因です。

これも教員からすれば当たり前のことですが、大学の授業というのは、自分で勉強するための指針やヒントを得るための場であって、90分間座っていれば何らかの知識や理解が自動的に得られるということはありません。

また、高校までの学習が小・中学校の各教科とストレートに連結しているのに対し、大学の学問は、多くの場合もっと応用的なテーマを扱っています。法学や経営学などは政治経済などと関連していますが、ほとんどの受験生はそれほど勉強していないでしょう。わりと高校の教科と近そうな文学部でさえ、文学作品や歴史事象に向かうアプローチは高校までとは大きく異なります。

この点を理解した上で、どうしたら大学の授業を吸収できるかを考えていく必要があるでしょう。

 

大学で勉強するとは?

つまり、希望でない大学に入っても、充実した学生生活をすごすためには、何より勉強が必要なのです。このことを学生に説明し、何を勉強したらいいかを考えてみようと言うと、たいていはTOEICや簿記検定、SPI、そしてアルバイトを通じた社会勉強という答えが返ってきます。しかし、こういう勉強を私たち教員は学生にさせたいと思っているわけではありません。

たとえば、TOEICの勉強をすれば英語の知識は増えるし、英語の本を読みやすくはなるでしょう。しかしそれでアメリカ文学の授業の理解が深まったり、あらたな見識が得られるようになるかと言うと、ぜんぜんそんなことはないでしょう。学生の多くがイメージする勉強、というのは結局のところ学問を理解するための道具を磨くことでしかないのではないかと思います。しかし、教員が大学で研究し、学生に教えていることは道具となる知識だけではありません。

文学でも経営学でも同じでしょうが、大学で教えているのは、知識と考え方を使って、さまざま世界の事象を自分で考え、理解する力をつけるということです。英語やドイツ語はそのための道具であって、それが目的ではないのです。(簿記とかSPIのことは私はよくわかりません)

 

ではあらためて、何をしたらいいのか?

この点がやはり難しいと思うのですが、まずは自分がなぜここにいるのか、なぜこの学部・学科に籍を置くことになったのかというところから掘り下げていくのがいいでしょう。*3

たとえば経営学部経営学科にいるのであれば、そもそも何に関心を持って受験しようと思ったのかというところに遡ってみましょう。それはたとえばスティーブ・ジョブズみたいな企業家へのあこがれだったり、漠然と会社員になりたいなあという願望だったりするのかもしれません。それでも、何かしらの関心を抱くきっかけが思い出せれば、そこから勉強をスタートすることができます。

企業家に関心があったというのであれば、世界のさまざまな企業家の自伝や、あるいは経営学者の書いた歴史書を読むというのもいいでしょう。あるいは会社員になりたいというのであれば、どんな会社でどんな仕事をしたいのか、そもそもどんな会社が世の中にあるのかというところから調べていくことができるでしょう。

そのように、自分の関心を掘り下げるところから大学の勉強はスタートしていきます。そして入門書や概説書、新書などを自分で探して読む中で、自分なりに深く学んでみたい事象や問題を見つけることができるのではないでしょうか。

さらに大学の授業で得た知識を、自分の関心を持っている問題にどのように関係付けられるかということを考えていけば、日頃の授業にも能動的に参加できるようになるでしょう。

基礎ゼミでは、そのような勉強の一環として、経済学・経営学分野の新書を読み、発表するという学習をしていました。

schlossbaerental.hatenablog.com

私自身はこれまであまり関心を持ってこなかった分野について知ることができて楽しかったのですが、学生たちがどれほどの意義を感じていたか、あまり手応えが得られなかったように思います。

 

就活のネタは安易な成功体験だけじゃないはず

このようなことを言うと、決まって「それじゃ就活でアピールできない」と言われてしまいます。もちろん就職活動の際には、希望する企業に選ばれるような、「仕事できそう感」をアピールする必要があります。そのために多くの学生たちは自己分析をし、アルバイトやサークル活動での成功体験を訴えようとするのでしょう。

そのような努力に価値があることは否定しません。しかし、アルバイトやサークル活動は、ちょっとした努力ですぐに結果が得られ、安易な自己肯定感を得るだけになりがちです。おっさんになってみるとわかりますが、アルバイトの経験くらいで、人間的に成長できたとは到底いえないのではないでしょうか。

コミュ力や「仕事できそう感」を装う努力はもちろん必要でしょうが、大学で学び、得られるものはそれだけではないのです。自ら学び、考える能力というのは、景気が変わっても一生役に立つ力となります。それを自分の選んだ分野で、大学の4年間をかけてしっかり身につけてほしいと、教員たちは願っています。

 

 

まとめ

今回は滑り止めの大学、不本意だけど仕方なく入った大学で、それからどうやって過ごしていくかを考えてみました。最初にも書いた通り、私も受験には失敗しています。しかし、入った大学では、実社会には役立たないだろうと思いながらも、文学の勉強に熱中していました。

私のいた大学は文学部でも、進学者はほとんどおらず、みな会社員や公務員になっていました(当時は教員になるのは非常に難しかったので、教職志望はほとんどいなかったと思います)。同級生をみていると、やはり大学の学問に熱心に取り組んできた人は、それなりにいいところに就職できています。文学部出身であれ、身につけてきた能力は社会で評価されるのです。

 

大学生の学び・入門―大学での勉強は役に立つ! (有斐閣アルマ)

大学生の学び・入門―大学での勉強は役に立つ! (有斐閣アルマ)

 

 アクティブラーニングの教祖として有名な先生の本ですが、私は毎年基礎ゼミでとりあげて、大学における学びとは何かを説明しています。

大学でよく学んだ人ほど就職してからも成長できると溝上さんは述べています。

大学入試に失敗してしまい、自信をなくし、不安ばかりを抱えている学生さんは多くいるでしょう。大学入試は、その後の人生を振り分ける選抜ではありません。まだまだ人生は決まっていません。自分の選んだ大学で成長して、その先の人生をいきていく力をつけていって欲しいと私は願っています。

*1:現役時に東北大と立教大、浪人時には早慶ほかいろいろ落ちました

*2:私自身現役時はよく考えずに某人気私学の日本文学科を受けて合格してしまったけど、結局行きたくなくて予備校を選びました。あのとき進学していたらこういう職種を選ぶことはなかったでしょう。塾の国語の先生になっていたかもしれません。また、私は旧帝大にこだわって現役・浪人時とも受験に失敗しましたが、もっと別の国立大学に行っていればよかった、とはなんども思いました。いまだに東京外語大に一年から入り直してドイツ語をもう一度ちゃんと勉強すべきではないかと思ったりします。

*3:この、自分を掘り下げるという方法は、卒業論文のときにも使えるし、エントリーシート執筆や面接のときにも応用できます。私自身も卒論テーマを考えたり、院試の面接の前などに、自分の関心を遡って、考えをまとめました。