ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

その後の育毛

年始はいそがしい

昨年もそうでしたが、年明けから二月ごろまではなんだかんだと忙しく、あまりブログを書く時間がとれませんでした。自転車に乗ったり、動画を撮影したりとそれなりに遊んでいるはずなのですが、遊びの時間と同様に仕事に使う時間も多く、なかなか落ち着いて過ごすことができていません。このままだと何も書かないまま三月になってしまいそうなので、軽めの話題を一つ、覚え書き的に残しておこうと思います。

 

反響が大きかった発毛のはなし

じつは私自身はそれほど重要なことだとは思っていなかったのですが、昨年ブログに書いた記事でいちばん反響が大きかったのは、ミノキシジルタブレットで髪の毛が生えた話でした。

schlossbaerental.hatenablog.com

多くの人からどんな薬を飲んでいるのか、副作用は大丈夫なのかとの質問をいただきました。私もいまのところは何も問題はありませんが、だれか他の人に安易に重大な影響が出るかもしれない薬を勧めるわけにはいかないので、いちおうきかれたら答えるが、積極的に薬効をアピールすることは遠慮してきました。

また、以前目の手術をしたときにも思ったことですが、周囲の人というのは、とかく他人が劇的に変化するようなできごとを嫌うものです。急に痩せたり、整形手術をしてきれいになった人が、前のほうが良かったとか、リバウンドが心配じゃない?などと、自分が良くなったことへの賛辞ではなく、むしろマイナスな意見ばかり言われうるということがあるように思います。私も禿げてた方がよかった、とまでは言われませんが、妻をはじめ多くの人から副作用を心配されたり、前のままでも良かったのにと言われています。人は他人が変化することを好まないものとわかっていれば、まあ気にならないことです。

 

薬を始めて一年の変化

前回の記事を書いた秋の時点からさらに4ヶ月程経過し、ちょうどこの二月で薬を飲み始めて一年が経過しました。一年前の自分の動画を見て、だいぶ違うなあと思ったので、今回もGoProをつかって自撮り動画をとって、そこから写真を切り出してみました。

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机の前の本棚にGoProを置くと、ちょうど目線より少し高い位置になります。


髪は相変わらず安定的に生えています。かつて不毛地帯だった額の上のほうは、ある程度は生えていますが、みっしりと隙間なくというほどではありません。しかし生えている毛は黒くてしっかりしていて、癖もなく、切れやすいということもない、とても健康そうな髪の毛です。

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前頭部がだいぶ長くなりました。

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頭頂部から後ろのほうもしっかり生えていますが、まだそれほどのながさではありません。

以前は前髪がほとんどなく、とくに額の左右は大きな不毛地帯が広がっていました。このようにカメラでやや上からみても、あまり毛がすくない箇所は目立たなくなっています。

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最後に散髪をしたのはおそらく12月ごろなので、もう2ヶ月以上が過ぎています。もみ上げや耳の上などはすこし伸びすぎているのが気になりますが、私の場合は柔らかい髪質で、なで付ければどうにでもなるので、このまましばらくは伸ばしつづけるつもりです。

これからどうするか

前回も書いたように、目標はヘアードネーションです。そこまで私の毛がもたないかもしれませんが、禿げきる前の最後のわがままとして、髪の扱いに困るくらい伸ばしてみようと思っています。12月ごろから、授業時などにはヘアワックスをつけるようになりました。これもたぶん20代の頃以来です。以前使っていた安くて質の良くないワックスは私のような軟毛の場合、ただべっとりと重くなるばかりでしたが、最近のワックスはすごいですね。かなりかっちり、しっかりと髪形が作れるし、崩れません。このワックスがとくに気に入りましたが、毎回ほんのちょっと指につけるだけで充分なので、いったいいつ使い終わるのだろうと思います。

 

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このワックスをつかうたびに、インドの大きな数字のことを思い出してしまいます。

劫が長いことのたとえ話がいくつか知られているが、これらはあくまで比喩であって定義ではない。

大智度論』には「1辺4000(現代中国の換算比で2000km。漢訳時も大きくは違わない)のを100年に1度布でなで、岩がすり減って完全になくなっても劫に満たない」という話が載っている[8]。これを磐石劫と呼ぶ。このたとえは落語寿限無』にも「五劫のすり切れ」として登場する(五劫は、『無量寿経』において法蔵菩薩が阿弥陀如来になる前に行った思惟の長さ)。

同じく『大智度論』には「1辺4000里のケシ粒がぎっしり詰まっており、その中から100年に1粒ずつケシ粒を取り出していって、城の中のケシ粒が完全になくなっても劫に満たない」という[8]。これを芥子劫と呼ぶ。

劫 - Wikipedia