ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

秋の独文学会をふりかえる

日本独文学会秋季研究発表会に実行委員として参加しました

10月14、15日に京都府立大学で日本独文学会秋季研究発表会が開催されました。私は実行委員(会計担当)として参加していました。多くの仲間に助けられて無事職務をまっとうすることができましたが、せっかくなのでどんなことを考えながら仕事をしていたのか、何がたいへんだったのかを思い出しながらまとめておこうと思います。

けっこう分量が多くなったので、以下目次です。

 

日本独文学会では、春は東京、秋は地方の大学で全国大会が開かれ、地方の場合は北海道、東北、関東、北陸、東海、京都、阪神、中国・四国、西日本の9つの支部が順番に開催してきました。

前回京都で全国学会が開かれたのは2014年で、その前は2005年でした。2005年の同志社での学会では、私は博士課程2年目で、2回目の全国学会での発表をしていました。2014年のときも今回と同じ京都府立大学での開催で、私はブース発表でドイツ語教授法について話しました。

以前『ラテルネ』綜輯号の話で書いたと思いますが、現在地方大学のドイツ語教員が激減しており、これまでは9年ごとに開催されていたけど、すでに全国学会を引き受けられない地方支部も出始めています。京都支部はまだ若手からベテランまでたくさん会員がいるので、まだ今後も大丈夫でしょう。

さて、今回の全国学会で、私は会計係に任命されました。なぜ会計なのかといえば、今年度私が京都支部の会計委員になっていたからです。学会の会計委員は、引き継ぎ時の手続きがとにかくめんどうなのですが、ふだんはときどきお金を数えるだけで別に大変な仕事というわけではありません。会員数も京都支部だけなら130人程度なので、会費の管理も苦になりません。

それで全国学会の会計委員を任せられることになり、まあ他の先生がサポートしてくれるだろうし、私は実際に口座からお金を出し入れするだけで大丈夫だろうと、気楽に構えていました。

 

春休み中に最初の実行委員会が開かれた

実行委員のメンバーは全体で20人余りで、支部長の京都府立大学青地先生をはじめ、何度も全国学会を担当されたベテランの先生方から、1回目あるいは2回目の全国学会となる私たち40代の教員、そしてこれからの中心になっていく若手の先生方など、幅広い年齢層のメンバーが集められました。

初回の実行委員会が開かれたのは3月で、ズームでのオンライン会議でした。

このときは青地先生、庶務の筒井先生(京都外大)あたりが中心になり、学会会場、懇親会場の準備、実行委員の役割分担などがどんどん決められていきました。オンライン会議なので私はぼんやりブルーちゃんの写真を眺めたりしていました。

やる気なさ過ぎで他の先生方に申し訳ないと今は思います。

円マークは徐々に慣れてきれいに書けるようになりました。

夏休み前はまだ何もしていなかった

2回目の会合が開かれたのが6月10日で、このときは京都府立大学に出かけ、2つの会議に参加した後、さらに別の学会の編集委員会がズームで行われるので、京都駅の地下街でベンチに座って参加しました。

北大路駅から歩いて鴨川を見ながら京都府大の敷地に入ります。

自然がいっぱい

大きな木が茂っています。

会場の稲盛会館です。北大路駅からだとけっこう時間がかかります。

しかしまだ仕事がたいへんというわけではなく、私はのんきにうどん屋さんでお昼を食べて集合時間に遅刻したりしていました。

夏休み明け、一気に仕事が始まった

その後夏休み中にもいくつかメールでのやり取りがあったのち、急に学会に向けて私も仕事をし始めたのが、9月に入ってからでした。

学会当日の一ヶ月前ごろに、参加費・懇親会費の事前振込が始まりました。事前振込は前回の明治大学での春の学会ではじめて導入され、今回は参加費と懇親会費を別の口座(参加費は独文学会事務局、懇親会費は京都支部)に振り込む形になりました。

会費を振り込んだ人は、Googleフォームで振込の日時を送信することになっていたので、私はゆうちょの口座とGoogleフォームを見ながら、誰が振り込んだのかを確認し、Excelに転記していました。

ちょっと慌ただしくなってきたかなと思う反面、まだそれほど大変ではありませんでした。

 

現金の準備がいちばん面倒だった

10月に入り、当日までに必要な現金を用意することになりました。

現金で払うのは、20人くらい集められたバイト学生のお給料とスタッフのお弁当代でした。さらに事前振込ではなく、当日現金で支払う人のためにお釣りも用意する必要がありました。

前回会計を担当された大阪府大の谷口先生と相談しながら、お札や小銭をどのくらい用意すればいいか考えながら、ゆうちょで現金を引き出しました。学会や研究会などの口座はふつうの銀行口座と違って通帳やカードがないので、さまざまな手続きがめんどうです。現金を引き出す時も、あれこれ書類を記入し、数十分待ってやっと手続きができました。

1000円札の束や500円玉、100円玉の棒を手渡され、重さや量に驚き、学会当日に現金をどう扱うかちゃんと考える必要があると気づきました。そこでAmazonで手提げ金庫を購入しました。

金庫に小銭を入れて、学会の一週間前にバイト代を分ける作業をしました。

バイト学生は30人弱で、それぞれ勤務時間が違います。勤務時間が長い学生には残業手当もつけたので、1円単位の小銭も使いました。筒井先生から送られてきたエクセルを見ながら、お金を振り分ける作業は本当に大変でした。

結局バイト代を封筒に詰めているうちに、当日使う現金が足りないことに気づき、もう一度数十万円分現金を引き出したりしました。

振込記録の照合もたいへん

現金の準備だけでなく、参加費・懇親会費の事前振込をGoogleフォームと対照し、参加者リストを作成する作業もとても手間がかかりました。

 

先に書いたように、振込を二つの口座に分けたため、誤振り込みが相次ぎました。独文学会事務局にも参加費の払込者リストを送ってもらい、当日用のチェックリストを作ったりもしました。

私の中心的な業務は懇親会の参加費を集めることだったのですが、申し込みがなかなか増えずやきもきと過ごしました。

 

当日はてんやわんや

早朝に自宅を出て、9時の集合に間に合うように京都府大に着きました。

出かける直前にブルーちゃんのニャー顔を撮りましたが、その後2日間は忙しくて何の写真も撮れませんでした。

午前中に会場を設営し、お昼ごろから受付業務をスタートしました。

研究発表会が始まる時間になると、一気に受付に来場者があふれるようになりました。バイトの学生たちに領収書の書き方、渡し方などを説明しながら、当日参加費・懇親会費の現金を管理し、懇親会費の領収書を書いたりしました。

多くの友人・知人が来てくれましたが、ほとんどあいさつくらいしかできませんでした。しかしずっと同じように忙しいわけではなく、手が空く時間帯もありました。バイトの学生たちには見たい発表があれば見てきたらいいよと言っていましたが、私は金庫の管理もあるし、結局受付から動くことはできませんでした。

 

懇親会ではお金を気にしながら飲んだ

参加者がなかなか集まらなくて心配だった懇親会ですが、無事予定の人数が埋まり、とても盛り上がりました。人数の割にお店が狭かったため、少し混み過ぎと感じた人もいたかもしれません。いずれにせよ盛況に終わりました。

 

せっかく地元で開催されるので、分野は違うけど妻を呼んで、研究仲間や出版社の方々に紹介したりしました。

いつもなら手放しでいっぱい飲んで、いろいろな人と話したりできる懇親会ですが、今回は金庫やバイト学生に渡す給料袋も持ち歩いていたので、とにかく飲み過ぎないように注意して過ごしました。

懇親会が終わり、二次会に参加してもやはりあまり飲みすぎるわけにはいかないと自制しながら日付が変わる前にホテルにチェックインしすぐに熟睡しました。

 

私たちは学会屋さんじゃないのに

二日目は一日目よりも気楽でしたが、ちょっと嫌なこともありました。

年配の先生から学会のプログラムが印刷されていないのはおかしい、会費を払っているのだから予稿集は印刷して配布されるべきだ、いったいなにに金を払っていると思っているのか、とかなりキツイ口調でおしかりを受けました。

受付には私よりも偉い先生が常駐していたのに、たまたま誰もいない時間帯だったので私が主に怒られていましたが、受付に座っている学生が機転を効かせてコピーしていたプログラムをその先生に渡して、怒りを収めてもらえました。

本来なら自分がちゃんと対応すべきときだったのに、学生に気を使わせてしまったと反省する一方、なんで私がこんな問題で怒られなければならないのかと腹立たしく思いました。

プログラムを印刷しないというのはもう数年前から始まっていたことだし、受付担当の私は予稿集のことには一切関与していません。私たち実行委員は学会屋さんではなく、来場者のみなさんと同じ研究者仲間なのに、こういう扱いを受けるのは本当に残念だと思いました。

 

久しぶりの達成感

発表会が終わり、後片付けを済ませ、学生バイトに給料を手渡しするとやっと二日に渡る学会が終わりました。失敗はいくつかあったものの、全体的にうまく終えられたし、信頼できる実行委員の仲間と一緒に仕事ができて、心地よい達成感を得られました。

大学院を出てから一貫して大学教員しかやってこなかった私は、考えてみたらこんなふうに他の人と一緒に仕事をすることはこれまでほとんどありませんでした。もしかしたら高校生の頃生徒会役員として学園祭をやったとき以来の感覚かもしれないと思いながら京都から大阪へ戻りました。

大阪への新快速は混んでいて、金庫をリュックに入れたまま立ち続けた私は、へとへとに疲れてしまい、大阪駅から自宅までのバスでは、わずか15分くらいの時間で、4、5本の短い夢を立て続けに見ていました。

 

会計係の学会はまだまだ続いていた

学会当日が終わり、これで会計係の仕事も終わり、とはなりませんでした。考えてみるとここから先もまだ仕事があれこれ残っていました。

当日から一週間後には、懇親会場のレストランに費用を払い込みました。ゆうちょダイレクトでは大きな金額を振り込めないので、郵便局に出向いてまた書類を書いたり、しばらく待ったりして手続きをしました。

さらに独文学会事務局に当日支払われた参加費を送金するため、参加者リストと受け取ったお金を正確に算出する作業をしました。これは参加費担当の谷口先生がきっちり確認してくださったので、楽に作業ができました。

そして学会事務局から収支報告書のサンプルを送っていただき、研究発表会、懇親会それぞれの収支報告をエクセルで作って実行委員のみなさんに確認してもらい、やっと11月なかばに学会事務局に最終的な書類を提出することができました。

じつに学会当日から一ヶ月が経過して、やっと自分が担当する仕事がほぼすべて終わりました。(まだ学会事務局へのお金の払込が残っていますが、来年1月に収支報告が理事会で通ってから送金することになります)。

他の実行委員メンバーや学会に来た友人知人から、会計係ばかり仕事量が多くてたいへんだと労いの言葉をかけてもらえましたが、まあ日頃そんなに忙しくもないし、たまにはちゃんと仕事したという充実感が得られてちょうどよかったかなと思っています。

ふだんから私はあまりみんなの先頭に立って仕事をとりまとめたり、まじめな仕事ぶりで尊敬を集めたりするほうではないのですが、今回はやっと京都支部に貢献できたようでうれしく思っています。

長くなりましたが、今後おなじように学会の会計係をすることになった人や、次に全国学会が回ってきた時、たぶん同じように会計係をすることになろうであろう将来の自分のために、記録を残しておきます。