- 大阪市のたくさんの区
- 身近な5つの区
- 身近ではないが、ときどき訪れる区
- たまに立ち寄る区、かつては通っていたけど最近行ってない区
- ほぼ未踏の区
- 24区が残ってるうちに、行ったことがない区を見て回りたい
- 余談
大阪市のたくさんの区
あまり知られていないことかもしれませんが、大阪には、東京23区、横浜の18区、パリの20区、ウィーンの23区よりも多い、24の区が存在します。*1
もちろんもともとの街の面積や区の人口規模が異なるので、単純に比較することはできません。(私が住む福島区は人口7万人しかいません)しかしながら、区として分けられているということは、歴史的、行政的に違いのある町として、ずっと成り立ってきたとも考えられます。大阪に24もの区が設けられているということは、それだけ多様な面をもつ町なのだと言えるのではないでしょうか。じっさいこの町に住み始めて2年半ほどたちますが、それまでに住んでいた京都や西宮よりも、やはりいろいろな街が集まってできているという印象を強く受けています。
残念ながら、来月の住民投票で、大阪市が消滅し、4区に再編されることになりそうなので、今回は、まだ24区が残っているうちに、個人的な大阪の区にまつわる思い出を書き残しておこうと思いました。
身近な5つの区
1) 福島区
自宅がある区。京都在住時は環状線の駅として知ってはいたけど、一度も降りたことはありませんでした。私は2年前に西宮市から移住してきたのですが、なぜ福島区を選んだのかと言えば、鉄道ですぐ神戸方面とつながっていたからです。神戸や西宮への未練が、福島区を選ばせたのでした。小さな区ですが、オフィス街、飲み屋街、古くからの住宅街そして淀川や堂島川といろいろな表情があり気に入っています。
タワマンや飲み屋など都会っぽさがイメージされる福島区ですが、阪神淀川駅周辺はほとんど人がおらず、秘境駅の趣があります。
淀川周辺の海老江地区には、非常に古い町屋が残っています。
2) 北区
梅田や天満が含まれる、まさに大阪の中心である北区ですが、私にとって身近なのは中之島地区です。地理的には西区や福島区に含まれる方が自然に見えるのに、中之島は北区です。中之島周辺から堂島あたりはいつも散歩や通勤で通っています。堂島のジュンク堂が歩いて行ける範囲にあるのはうれしいです。
天神橋筋商店街
中之島の高層ビル
梅田のすぐ隣、阪急中津駅はあまり電車が止まらないこともあり、ひっそりしています。中津じたいは古くて味のある良い街です。
3) 西区
中之島から土佐堀川を越えると西区です。靱公園、自転車のお店がある西本町、西長堀にある市立中央図書館や、九条の大阪ドームとイオンモールなど何かとよく行く区です。ちょっとしたカフェや居酒屋がおしゃれでおどろきます。かつての居留地や港があった場所で、聖公会川口教会など古い建物も残っています。
美しい川口教会
ちょっとしたバーやカフェがおしゃれ。
4) 此花区
淀川河口の海に面しているの此花区。西宮からの通勤時には、阪神電車で小さな駅をいくつも越えていくイメージでした。最近はジョギングやサイクリングで西九条、千鳥橋、伝法などを通っています。古くからの活気ある街が残っています。阪神なんば線の下を通っている、九条へ抜ける安治川トンネルはお気に入りの場所です。
川の底を人や自転車が通行する安治川トンネル
安治川河口には可動堰があります。
オーストリアの巨匠フンダートヴァッサー設計のゴミ焼却炉も此花区です。近くで見ると非常に美しい建物です。
5) 淀川区
福島区から淀川のすぐ対岸にあるのが淀川区です。近くて活気がある、そして交通の要衝という印象です。また、十三の飲み屋街が魅力的なので、コロナ以前は毎週のように訪れていたのですが、ここ最近はジョギングくらいしか行く用事がありません。
身近ではないが、ときどき訪れる区
6) 中央区
改めて中央区というと、実はあまり印象がないのですが、淀屋橋や心斎橋のあたりをイメージします。それから、実は中央区のかなりの割合を占めている、大阪城公園は通勤やマラソンの練習などでわりとよく行きます。
淀屋橋
船場センタービル
今年は自転車で何度も大阪城公園の桜を見ました。
7) 西淀川区
淀川大橋を渡って真っ直ぐ進むと歌島交差点そして西淀川区役所があります。2号線や43号線で尼崎へ向かうときに通るのがこのあたりです。旧淀川跡が現在は遊歩道になっていて、いつもたくさん人が散歩したり遊んだりしているのが見えます。
リニューアル工事が完了した2号線淀川大橋。対岸は西淀川区。
かつて川が流れていた場所は遊歩道になっています。
8) 天王寺区
天王寺というと、あまり用がないけど大きい駅という印象があります。環状線の内側の坂が多いところには、同僚が住んでいます。静かな住宅地というイメージです。また、大阪南部に住む義父との待ち合わせや食事で天王寺のお店にくることがよくあります。
夜の四天王寺
9) 都島区
京橋には京都時代によく行っていました。梅田と並んで、京都民にとって身近な大阪のイメージです。最近では通勤時に大阪城北詰から京橋あたりを通過しています。よく行くわりに、食事をしたりするわけではないので、とくに印象はありません。
京橋駅南東の出口
10) 鶴見区
花博が行われた鶴見緑地がある区です。花博も私の世代だとみんな行ったことがある場所なのでしょうが、関東では乗り物が壊れるなど悪いニュースばかり伝えられており、やはりつくば博には遠く及ばないなと思った記憶があります。普段の通勤では、区の南端にある放出駅あたりを、電車、自転車でよく通ります。放出駅の周辺には古い町並みが残っていて魅力的です。
放出駅北側、古い街道に面した阿遅速雄(あちはやを)神社の御神木。
11) 城東区
京橋、大阪城北詰あたりから東側の地域です。ここも通勤で通る場所です。環状線付近以外は、交通の便はよくなさそうに見えますが、静かな住宅街が広がっています。
帰宅途中の第二寝屋川。真っ暗ですが遠くに大阪ビジネスパークの灯りが見えます。
12) 東成区
環状線の森ノ宮や玉造から東側が東成区です。近鉄奈良線の北側も東成区なので、千日前通や長堀通などの大きな道や、裏側のせまい住宅街を通る道など、通勤の時によく通過する場所です。全体的に平地が多いし、鶴橋の商店街など、活気のある街がいくつもあるので住みやすそうな区です。
鶴橋駅は天王寺区、生野区、東成区の境界にあります。北東側は東成区。
自宅周辺にはないスーパーコノミヤ。生鮮スーパーたこ一というのもこの近所にあった。
千日前通り、長堀通りなどが交差する今里交差点
たまに立ち寄る区、かつては通っていたけど最近行ってない区
13) 港区
弁天町からさらに西の埋立地一帯が港区です。あまり行く機会はありません。弁天町あたりまで、地下鉄中央線に沿って走っていったりしています。
阪神高速、地下鉄中央線、国道43号と中央大通りとさまざまな道が交差する弁天町駅前
14) 西成区
最初に非常勤講師として働いていたのが、西成区の端っこにあった看護学校でした。どんな恐ろしいところかと思って行きましたが、ふつうの郊外の町でした。学生たちや先生方はいい人たちで、とても大切にしてもらった思い出があります。
また、マニアに知られる秘境駅、南海木津川駅も西成区です。
15) 大正区
ジョギングコースでときどき行きます。平地に広がる住宅地の中にいくつか点在する古い商店街が魅力です。鉄道がほとんどなく、かわりに区内にはいくつか渡し場があります。沖縄っぽさが売りなんだそうですが、区内は一般的な住宅街で、それほど近隣の区と違いはないように思いました。
16) 浪速区
なんばの西側や大黒町、新世界などがあるのが浪速区です。福島区から続いているあみだ池筋は、芦原橋駅前まで続いています。帰宅ランやジョギングでときどき行きます。
大黒町。少し前までは外国人観光客で賑わっていましたが。
17) 東淀川区
阪急電車で十三に着く前に通過するのが東淀川区です。わりと近所ですが、あまり行く機会はありません。以前は職場から十三にいくさいに、おおさか東線を使って、淡路で乗り換えていくことがよくありました。いま淡路駅は大工事の最中です。完成したら街の雰囲気も大きく変わるでしょう。
東淀川区の写真が見つからないなと探していたら、淀川沿いでとった写真がたくさん見つかりました。広々した景色が楽しめます。
18) 生野区
職場がある東大阪市に隣接する区なので、電車通勤をすれば、かならず通る場所です。しかし、駅から降りて歩き回ったり、自転車でどこかに寄り道をしたりすることはほとんどありません。以前帰宅ランをしていた時は、生野区を横断する勝山通をとおっていましたが、あの有名なロート製薬がありました。夜だったので鳩は飛んでいませんでした。また、今里新地周辺にはとても美味しい中華料理店がありました。
新今里のおいしい中華屋さん
あのロート製薬本社があります。鳩が飛び立つ庭はこの建物の裏側。
ほぼ未踏の区
19) 住之江区
非常勤時代に通っていた北加賀屋駅の南側も住之江区でした。なにわ陸運局があるのが住之江区です。ナンバープレートの交換のために昨年訪れました。陸運局や倉庫などが立ち並び、あとは昔からある集合住宅も多い区です。
昨年神戸からなにわナンバーに切り替える際に訪れた陸運局
20) 住吉区
大阪市立大学に行ったときくらいしか住吉区に足を踏み入れたことはありません。これまで学会や研究会で何度か来ていますが、毎度広さに驚きます。そして阪和線の不便さにもうんざりさせられます。
21) 阿倍野区
天王寺から南側へ広がっている阿倍野区ですが、おそらくほぼ未踏です。一度だけ、義父にお勧めの店があると誘われて行った、すごく狭い居酒屋が阿倍野区だったと思います。とても美味しいお店でしたが、当時住んでいた西宮に戻ってから、妻と2軒目に日本酒バーに立ち寄り、その後あるいて帰宅する際に、公衆トイレに入ろうとして走ったところiPhoneを落として画面をバキバキに割りました。後半は全く関係ない話ですが、これが私の阿倍野区にまつわるわずかな思い出です。
22) 東住吉区
どの辺にあるのか正直いってあまりイメージがわきません。というより、住之江区、住吉区、東住吉区あたりは名前が似ていて区別がつきません。私の地元の栃木は、しばしば茨城や群馬と混同されやすいのですが、名前が明らかに違うだけ北関東三県のほうがマシではないかと思います。南のほうにあるもやっとした「住」なんとか区というイメージですが、おそらく実際行ってみるとはっきりした特徴があるのでしょう。
23) 平野区
大阪でいちばん遠い区という印象ですが、たんに私の生活圏から離れているだけでしょう。じつは職場がある東大阪市西部からはわりと近いのですが、帰り道ではないので、一度も行ったことはありません。おそらく阪神高速で通過したことくらいしかないかもしれません。
24) 旭区
市内北部にある区ですが、ほとんど行った記憶がありません。10年以上前に、大学院の友人たちと千林商店街に行ったのが最初で最後かもしれません。京阪電車でもかならず通過する区ですが、特急列車が止まらないのでどんな駅があるかわからないし、そもそも毎回このあたりはほとんど眠っていて記憶がありません。
24区が残ってるうちに、行ったことがない区を見て回りたい
以上のように、関西に住み始めて20年、大阪市内に来て3年目の私が、個人的な各区の印象をまとめていました。こうして思い出してみると、やはり自分の生活に関係のある場所にしか行ってなかったんだなとあらためて感じます。24区はまだしばらく(4年くらい)は存続しますが、無くなってしまうときっともうかつて何があったのかは急速に忘れられてしまうでしょう。たくさんの区がある時代というのがかつてはあったのだということを忘れないためにも、早いうちにほぼ未踏の区を訪れてみたいと思います。
余談
あれはどの区だったのか?と写真を撮った記憶があるのに、場所がよくわからないというのはよくある経験だろうと思います。今回の記事を書くにあたって、iPadの写真アプリで、地図を表示して、写真と場所を確認しました。この機能、あまり役に立てる機会がなかったのですが、とても便利だと気づきました。
こんな具合にこれまで撮影した写真が撮影地にマッピングされます。
*1:ふと気になって調べましたが、名古屋は16区、ベルリンは2001年までは23区、現在は12区でした。