ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

自作教科書を使ったこの一年

自分の授業で使うための教科書を自分で書いてみた

schlossbaerental.hatenablog.com

 

昨年夏頃に必死で書いて、秋ごろにできあがった教科書を、この一年自分の大学(経営学部、法学部、薬学部)で使ってみました。やはり自分で書いた本は使いやすいと思う反面、多くの誤字や単純なミス、こうすればよかったのにという箇所や今後の課題がいろいろ見つかりました。この一年で気づいたことをまとめておきます。

 

ちゃんと確認したはずだったのに

昨年の記事でも書きましたが、教科書の原稿は、春から夏頃に書きました。いやもっと正確にいうと、最初の3章分くらいしか原稿が書けないまま夏休みがきてしまったので、ほとんどのページを編集者さんに急かされながら、8月初めの2週間くらいで書き上げたのでした。

執筆時に一番苦労したのは、それぞれの課Lektionを同じ構成、ほぼ同じ分量、同じような活動(文法、簡単な練習、会話文、会話練習、作文)を含む形にまとめることでした。会話文を作る際にも、単調な内容にならないようにと知恵を絞りました。(とはいえ、後から見ると、買い物やお出かけの話が多いなとは思いました)

滞在中のドイツにもゲラのPDFが届いたので、必死で校正をしたりして、なんとか9月に教科書の原稿を完成させることができました。

9月末は父の葬儀で忙しかったのですが、その直後に東京で校正作業をしました。ネイティブ先生にも音声吹き込み時にたくさん修正をしていただいたし、出版社の会議室では、編集者さんと二人で全てのページをチェックしました。

さらに付属問題集のほうは、期末テストや入試などで忙しい時期に必死で原稿を書いて校正をしました。これも本文と同じくらいページが多くなってしまいものすごく大変な作業でした。

 

勤務校でも採用数は少なかった

当初出版社さんとしては、本学全学部で使ってもらえる統一教科書を作ることをめざしていました。フランス語や韓国語の場合は、本学の先生方が共著でオリジナル教科書を作って、毎年一年生クラスは統一教科書で授業をされているからです。

しかし、私たちドイツ語教員は、基本的に毎年意見がまとまらないので、いくつかの学部でまとめて、全体で4種類くらいの教科書を選んできました。

そのため、今回私が統一教科書を出したものの、採用することになったのは、私の担当する経営学部、それから法学部と薬学部の3学部にとどまりました。他にそれぞれの先生が3種類の教科書を各学部の初級クラスに指定しました。

まあ私としては、毎年意見が分かれるので、おそらく統一教科書にするという方向には向かわないだろうと分かっていましたが、出版社さんの当てが外れてしまうことに、少し申し訳ない気持ちになりました。*1

 

すぐにミスが見つかる

このように、何重にもチェックをして刊行したはずの教科書ですが、残念ながら見本ができるとすぐに、ミスを指摘されました。

 

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フリードリヒ二世ではなく、ルートヴィヒ二世です。なんでこんなミスをしたのかさっぱりわかりません。

その後も、3月末の非常勤講師説明会の前にも、最初の課の問題にミス(つぎの課で扱う内容を使わないと解けない問題があった)があることも分かりました。あれ、ちょっとまずいんじゃないの?と不安な気持ちで4月の授業開始となりました。不安は的中し、その後何度もミスを発見したり、指摘されたりすることになりました。

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講師控え室に行くのが怖い

前期の最初は、非常勤の先生方の様子を伺う(クラスの状況、教室の不備などのトラブルがないか確認するため)必要があり、毎日のように講師控え室に立ち寄っていました。ここで怖かったのが、同じ経営学部を教える非常勤の先生と会うことでした。なぜなら、この先生に会うと、ほとんど毎回のように教科書のミスや不備を指摘されてしまうからでした。もちろん先生は善意で言ってくださっているし、私が間抜けにも見つけられなかったミスがあるのが悪いのですが、会うたび「うわ、またか!」とショックを受けるので、そのうち控え室にいくこと自体が怖くなってしまいました。

後期に入って以降は、あまり控え室に行く用事がありませんが、相変わらずミスはいくつも見つかりました。

 

どんなミスがあったのか

最初に挙げた、フリードリヒ2世→ルートヴィヒ2世や練習問題のミス以外にも、目的語の格のミス、名詞の性のミスもありました。Auto(自動車)がある箇所ではe Autoと表記しているため、授業中に訂正したにもかかわらず、その後もAutoを女性名詞だと思い込む学生もいて困りました。

また、間違いではないけど、人物を人称代名詞3格で言い直す練習(Michaelをihm, Mariaをihrなどに変える)なのに、表にあげた例が、(meine Mutter, seine Schwester, Midori, Sophia)など全て女性なので練習としておかしいという箇所もありました。

まだ来年も使うとなると、何としてもミスは修正しておきたいので、手直ししたい箇所には赤ペンで書き込むようにしています。

 

ミスさえなければ、使いやすい本なのか?

少なくとも私が教えている学生たちにとっては、レベルや分量などはちょうどいいと思います。教科書にはごく最小限の単語や文法説明しか載せていませんが、それも適宜教員の方で練習を補ったり、説明を増やしたりできるようにと考えてのことです。

たとえば私のクラスでは、各課ごとにある程度文法事項を説明したら、30分程度時間をとって、作文のグループワークを行っています。このようなワークを入れることで、自分で習った知識をどうやって使うかを考える力がつくと期待しています。

どうしても統一教科書を指定すると、教員ごとの教え方の方向性を一方的に指示してしまうことになりかねません。私としては、教科書のせいで、それぞれの先生方が、授業でやりたいことができないという事態はあってはならないと思っています。教科書を出発点に、さまざまな教授法を選択できるような本がベストだというのがこの教科書をつくるさいの信念としてありました。

たいして難しい本ではないし、もっとすぐれた教科書はあるとは思いますが、本学の授業回数や学生たちの学習態度を見ていると、この本くらいがちょうどいいと私は思っています。

しかし、すべてうまく書けた、授業でもうまく使えているというわけではありません。教科書では、各課の2ページ目に会話文を入れ、その後、会話文中の単語を入れ替えて、ペアワークをするという流れを作っています。しかし、このペアワークはけっこうやりづらい(初出の単語を使って会話をするのは難しい)ので、会話文を使った練習はもうすこし別の方法に改める必要があります。

また、語彙についても、難しくなりすぎないように語彙数を絞っていますが、各章の最後の練習問題で、新出単語が出てきてしまうなど、バランスが悪い箇所がいくつかありました。章ごとの新出単語の数などもうまく配分する必要があります。これは一人で書いていると非常に難しい点です。

 

この本ともう一年やってみよう

教科書を決定するのはもう少しあとですが、私としては少なくとも自分の学部ではこの教科書でもう一年授業をしたいと思っています。

おそらく次の一年を過ごす間に、ちょっとした手直しではなく、もっと大幅な改良点やその方法が明確になってくるだろうと思います。

それから次の目標として、私の教科書で一年目の学習を終えた学生たちにちょうどいい、二年目用の教科書も作りたいと考えています。読解や作文をもう少し高度な内容へ広げ、検定試験(4級から3級あたり)にも対応できるような教科書を来年のうちに作りたいと、いま構想を練っています。 

 

*1:自作教科書がすごく儲かるという話は都市伝説のようによく語られます。しかし私のドイツ語のクラスは多くても20名以内なので、まったく儲からないことは最初から予想できていました。学生たちには先生めっちゃ儲けてるんやろ?と言われたりしますが、この教科書で得られた収入は、学生のみんなが一ヶ月がんばってバイトして稼げる程度にすぎません。本当に収入には期待などしていませんが、労力を考えるとまあ割りに合わないものです。