ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

大阪の大地震

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6月18日の朝

月曜日は、妻は朝から東京へ出張、私は授業がない日でした。妻の出発がかなり早い時間だったため、車で駅へ送ることもなく、私は8時になるまで眠っていました。みしみしと壁が軋む音でハッと目覚めましたが、すぐに部屋がぐらんぐらん揺れ出しました。ああ、これが大地震か、と思い、すぐに自分がいる寝室がこの家では一番安全だと気付きました。リビングや書斎では本が落ちたり、棚が倒れたりするだろうな、いやだなと思いながら、揺れが止むのを待ちました。

数十秒もかからずに揺れは収まり、リビングに出ると、天井に届く高さの本棚(10cmくらいの鉄の棒で天井に固定しています)から、いくつか本が落ちているのがわかりました。私の本棚からは、10冊くらいの本が溢れ出していたのに、なぜか隣にある妻の本棚は無事でした。ネットですぐに確認したところ、西宮市は震度5弱とわかりました。

そして、リビングのいつも座る席に腰掛けると、台所の様子が目に入りました。ああ、ここがいちばん被害が大きそうだなとすぐに気づきました。リビングからは見えない位置にあるはずの冷蔵庫が、20cmくらい前にせり出しているのが目に入りました。

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冷蔵庫を直そうと、台所に近づくと梅酒の匂いがしました。食器棚の上にずっと置いていた梅酒の瓶がこなごなに割れていました。その近くには、エビスビールのグラスも落ちていましたが、こちらは全く無事でした。食器棚は無印のラックを使っていたので、もっと物が落ちてもおかしくないのですが、ほとんど食器類は動いていませんでした。扉のついた食器棚は、開けてみたところ、妻がいただいたワイングラスが一個だけ割れていました。

冷蔵庫はちょっと押すとすぐに元の位置に戻りました。ゴム手袋をして、古いタオルを使って、梅酒をふいてガラスの破片を集めました。ガラスはかなり細かく割れていて、小さな破片がゴム手袋を破って、指に少し傷がつきました。タオルで集めきれない破片は掃除機で吸いました。電気が通っていたのでとくに困ることはありませんでした。

私も妻も、こういう仕事をしているので自室には本が山のようにあります。私の部屋は、文庫本が少し倒れ落ちただけでしたが、妻の部屋は前後2段に本を置いているところが崩れて本が散乱し、半開きになっていた押入れの中身も外にあふれていました。

そもそも月曜日は自宅研修日なので、台所や妻の部屋の片付けをして、あとは録画したサッカーを見てのんびり過ごしました。

 

昼頃、たくさんの人が2号線を歩く

昼頃までリビングで過ごした後、昼食をどうするか考え始めました。家にあるものでもいいけど、スーパーで何か買ってもいいかなと思い、外に出ることにしました。

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私の部屋は10階建ての10階で、玄関を出ると国道2号線がよく見えます。平日の昼間だと、普段は車はそれほど多くないし、歩行者はほとんどいません。しかし、この日は車がずっと渋滞しているし、たくさんの人が歩いていることに気づきました。テレビのニュースは見ていたはずなのに、これを見て私は初めて、鉄道も高速道路も使えなくなっていることがわかりました。

マンションから下に降りようとして、エレベーターが止まっていることがわかりました。非常階段をすたすた降りて行くと、隣のマンションも同じように住人が階段を行き来しているのが見えました。

スーパーに買い物に行くと、お客さんの数も、商品の様子もいつもと何ら変わりませんでした。水道が出なくなったら困るからと、ペットボトルに入った炭酸水を2リットル買いました。保存食のたぐいは、カップ麺も乾麺も十分にあったのでとくに買いませんでした。

自宅に戻って焼うどんを作ろうとして、ガスが止まっていることに気づきました。地震の直後に、市内のガスは自動的に止められていたそうですが、メーターボックスを開けて、復旧ボタンを押すと、問題なく使えました。この家に4年住んでいましたが、マンションのメーターボックスを自分で開けるのは初めてでした。

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仕事にならないから自転車を分解する

日が暮れるまで、ネットで被災地の様子を見ながら漫然と過ごしました。やらなければならない仕事はたまっていましたが、落ち着いて机に向かえる気分ではありませんでした。なんか手を動かすような具体的な作業をしたほうがいいなと気づいて、ロードバイクの修理を始めました。春休み以後、再び乗ろうと思っていたロードバイクですが、なかなか時間が取れず、ホイールを外して輪行袋にしまったままになっていました。久しぶりにホイールと車体を取り出して、カセットスプロケットを外してサビ取りをし、クランクとBBを、ヤフオクで買ったパーツと交換するために、工具で外したりしていました。

 

夕方、妻が帰ってくる

東京に行った妻は、静岡で足止めされたものの、予定より2時間遅れで到着。無事に用事を済ませたので、夕方には、帰りの新幹線に乗ると連絡がありました。

夜7時過ぎに妻は新大阪に到着しました。しかし、いつものるJR神戸線は止まったままです。なんとか地下鉄で梅田まで出て、そこから阪急神戸線で帰ってきました。阪急の駅は自宅から若干遠いので、普段なら迎えに行くのですが、幹線道路の混雑が続いていることが予想されるので、申し訳ないけど歩いて帰ってきてもらいました。帰宅した妻が言うには、別に山手幹線も2号線もたいして混雑していなかったようです。

この時点でも、まだエレベーターだけは復旧していませんでした。

 

6月19日、何事もなかったような東大阪

翌日は午後から授業でしたが、研究室がめちゃくちゃに倒壊しているかもしれないと不安だったので、朝9時ごろに自宅を出て、大学に向かいました。阪大や立命館追手門学院など、近隣の大学はまだ休講なのに、なぜうちは平常授業なのかとなかば腹立たしい思いで職場に着きましたが、なるほど、キャンパス内はいたって平常でした。

4階の研究室を開けると、金曜日退室するときに見た通りの部屋のままでした。壁ぎわの本棚はネジで固定されていますが、ドアの前に置いている、目隠しがわりの本棚は固定されていません。しかし、本は一冊も落ちていませんでした。本棚の上の方においていた、置き時計も全く同じ位置にありました。

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今日職員食堂で同じ学部の先生方と話しましたが、8階の研究室にいた先生のところは、本が落ちたりしたそうでした。その後学内のいくつかの校舎を通りましたが、壁が落ちたりヒビが入ったりしている箇所はありませんでした。震源地からは割と近いはずなのに、河内でも中部・南部はあまり揺れなかったのでしょう。(河内北部は震度6だった枚方市などです)

 

授業では、ドイツメディアの報道を紹介

4時限目の授業を始める際に、せっかくだからドイツメディアの報道を紹介することにしました。(先日紹介したアクティブラーニング教室なので、iPadをホワイトボードに写して見せました)すでに18日から、ARDやFAZ、SDZなど大手テレビ、新聞のサイトには、大阪の大地震を報じる記事や動画が公開されていました。

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フランクフルターアルゲマイネツァイトゥングの18日8時44分の記事です。

「日本で地震、少なくとも3人の死者」という見出しで、大阪での地震被害について報じています。リンクされているニュース動画を見せながら、交通が遮断され数万人に影響が出ていることや死者が出たこと、ライフラインが寸断されたこと、そして原発には影響がないことなどが報じられていると紹介しました。

いくつかのメディアの報道を見て、やはり原発の安全というのをかならず地震とセットで報じるのだと気づきました。私たちの感覚だと、大阪で地震があったところで福井の原発は関係ないだろうと、何となくわかるのですが、東北の震災のインパクトが強かったため、日本の地震原発が危ないという発想になるのかもしれません。

 

気づいたことをまとめます

  • 20年前の阪神・淡路大震災や、東日本大震災と比較して、ごく狭い範囲だけに、非常に強い揺れがあったようです。高槻市茨木市枚方市あたりはかなり強く揺れましたが、地域によっては全く平気だったという話も聞きました。
  • ごく限られた場所だけの揺れなので、震源地の隣町でもまったく平常通りの生活ができています。震源からの距離は自宅より大学の方がずっと近いのに、研究室はまったく何も倒れていませんでした。
  • 鉄道、道路が寸断されているわけではないこと。地震によって鉄道や主要道路が壊れて通れなくなったわけではないので、移動や物流への影響はごく限定的なものに止まっています。お店は普通に営業しているし、学生たちもコンビニや学食で食事ができています。先の震災の教訓として、はやめに食料・水を買い占めるよう、出張中の妻に呼びかけていた人がいましたが、研究者として見識を疑います。
  • 鉄道は点検のため、しばらく運休し、18日の早朝にすでに出かけていた人が帰宅困難になりました。そのため、東日本大震災の時と同様、帰宅困難者の問題が生じました。しかし翌日にはほとんどすべて復旧しているので、自宅周辺から電車に乗れるのであれば、普段の生活が送れます。
  • 余震は、大阪市内や北摂では割と頻繁に体に感じる大きさのものが起こっているようです。しかし西宮で私が気づいたのは、19日夜中の1回だけでした。
  • テレビの情報だけだと当然偏ります。テレビが取り上げるのは、やはり一番被害が深刻な場所だけです。そうでないと映像としてのインパクトがないからかもしれません。私が見た範囲では、ごくわずかな深刻な被災地以外は、とくに変化なく、日常生活が送れています。ライフラインは通っているので、物資買いだめの必要もありません。
  • 買いだめをしたり、浮かれた生活を自粛したりしなければならない、被災者しぐさのようなもの、があるように感じています。しかし、実際のところ私たちはいつも通り通勤通学をすることができているし、スーパーには商品がたくさんあります。もちろん自宅での暮らしに不安や不自由がある人も多くいることはわかりますが、それはごく限られた地域のことでしかありません。交通は遮断されていないので、自宅でガスが出なくても、隣町に食事に出かけたり、買い物をしたりすることで、普通の生活が送れるのです。
  •  この、被害者らしいふるまいをしないといけないという雰囲気はどこからきているのでしょうか。おそらくはテレビやSNSにより、過剰に被災地の情報が流れ込んでいることが原因でしょう。メディアからの情報にさらされるうち、何ら普通の自分の生活よりも、不自由で不安な被災地の生活ぶりのほうが、本物らしい態度のように思えてくるのではないかと考えています。この辺りが非常にもやもやしているので、今後じっくりまとめていきたいと思います。