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ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

先生しごとを始めた頃のこと

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学期始め、前の年のノートを見直す

新年度がはじまり、私のドイツ語のクラスも4週目に入っています。

毎年この時期になると、昨年は何をしていたのかと振り返ります。というのも、それぞれのクラスで一週目や二週目にどんなことをしていたのか、よく覚えていないからです。昨年あるいは一昨年の自分の授業メモを見直して、ああこういう感じにやったらいいのか、と確認しているのです。

本来ならば、新しい年なのだから、全て新たに考え直せばいいのかもしれません。しかし、そう簡単に、授業内容をすべて刷新するということはできません。前年度の内容を引き継ぎながら、改めるべきところを改め、少しずつ新しくしていくというのが現実的でしょう。

 

ドイツ語の先生になる前

ドイツ語を教えるようになったのは、前にも書いたように、2010年度からでした。それ以前は、初年次教育科目を担当したり、看護専門学校倫理学を教えたりしていました。ドイツ語を初めて人に教えたのは、博士課程1年のころで、大阪の某家電メーカー本社で、駐在員になる人向けに、一ヶ月の短期集中講座をやりました。この仕事は非常に面白くて、勉強になりました。今でもよく思い出すので、今度詳しく書きます。

博士課程2年の頃から、大阪市南部の看護専門学校で教え始めました。看護学校の仕事は、2つの学校で、2012年度まで7年ほど続けました。最初の学校で教えるようになったのは、もう10年以上前、私がまだ20代だったころでした。

 

激しいモテ期、でも準備がすごく大変だった

20代で元気いっぱいだった当時の私。看護学校の生徒さんからも非常になつかれました。今とは比べ物にならないくらいモテました。すごく楽しかったけど、やはり当時はなにより授業準備がたいへんでした。毎回授業で何をしたらいいのか考え、ノートを書き、資料を読み、前日はほとんど寝ている暇などないくらいでした。

授業準備が大変だった理由のひとつとして、じつはこの頃教えていたのは、自分にとっては専門分野でもなんでもない科目ばかりだったことがあげられます。倫理学や心理学、情報科学や看護と法律など、まったく知識のない分野の教科書を読み、参考文献を集め、授業をするというのは、並大抵の苦労ではありませんでした。

 

授業ノートをどのようにつくっていたか

さて、ここからが本題です。当時はいったいどのように授業準備をしていたのでしょうか。私の場合は、一週間かけて、授業ノートを作っていました。ノートには、その授業で話すことを、一言一句もらさずすべてWordで書き出していました。つまり、学会発表とおなじように、読み上げ原稿を作っていたわけです。

「こんにちは、熊谷です。最近は、どんどん暖かくなっていますね。先月まで水道が凍りついていたことが嘘のようです。・・・」という授業開始時から、「という具合に、本日は・・・についてお話ししてきました。次回は・・・の話に進みましょう」と授業が終わるまでの発言を、思いつく限り全部書いていました。

このようにすると、話す内容が文字カウントによって数量化され、紙に印刷することで見える化されるので、途中で話す内容が思い浮かばなくなると云うことを避けられるし、話すスピードを調整することもできると考えていたのでした。

この方法、今から見るとほんとうに非効率的でバカバカしいのですが、こうでもしないと安心して授業などできなかったのでしょう。

当時担当していた授業は、おもに講義科目だったため、私が90分ずっと話し続けないといけないと思っていました。現在は語学の授業がほとんどだし、講義でも学生に課題を出したり、ディスカッションをさせたりしているので、私だけが話し続けるということはありません。教員一人で90分を埋めるというのは、初めの頃はほんとうに難しいと思っていました。なにしろ、学会発表だって、長い場合でも30〜40分、研究会でも60分くらいがせいぜいです。それ以上の時間をどうやってひとりで埋めればいいのか、小話をすればいいのか?と途方に暮れていたし、じっさいに当時は授業内容と関係のない、ちょっといい話とか最近の出来事など、時間を埋めるための話題というのを毎回入れるようにしていました。とにかく当時は、沈黙の時間や、用意したことを全て喋り終えてしまったらどうすればいいのか、といったことが怖くて仕方がありませんでした。

ドイツ語は2010年から教え始めましたが、これも初めの頃は、教科書の内容を整理し、紹介する例文と、その説明など、細かくノートに書き出していました。初級ドイツ語の授業でも、1コマで4、5ページのノートを作っていたと思います。それでも、毎回うまく説明できないことや、とっさに名詞の性を間違えることもしょっちゅうでした。

【追記】

同じようなことを一年近く前に書いていました。

昨年度から講義科目の刷新を試みました。そのさいに、かつての自分の講義スタイルや、それを変えようとしたきっかけについて書いていました。こちらも少し内容は異なるのでご参照ください。

schlossbaerental.hatenablog.com

 

助手時代に授業のやり方を学ぶ

ドイツ語を教え始めた頃、ちょうど京都精華大学で助手を務めていました。週四日は助手の仕事で岩倉へ、週一で京大のドイツ語、土曜日は看護学校という形で仕事をしていました。

助手というポジションは、一人で授業を担当できません。主な仕事は、担当教員と初年次演習(1年生用ゼミ科目)の授業を作ること、そして授業時間外に学生の学習サポートをすることでした。

いつも担当の先生と授業内容を話し合い、だれが何を話すか、学生にどんな活動をさせるか、といったことを決めました。このとき、パートナーの先生が、毎回活動内容と担当者、そして所要時間をどのくらい、と決めていました。この方法は、私にとって、非常に画期的でした。

それまでの私は、授業内容をいくつかの部分に分け、そこにどれだけの時間をかけるかといった考え方をまったく分かっていなかったのでした。授業というのは、単線的というか、小説を読むように進行していて、1時間半過ぎたところで、今日はおしまいにしましょう、と終える。いわば、大学院の購読ゼミのような方法しか知らなかったのです。だから、毎回どのくらい進めたらいいのか不安だったし、なるべく時間と話す内容を可視化したくて、細かいノートを作っていたのです。

活動内容と時間を明確にすることで、授業準備は飛躍的に簡単になりました。

たとえば、ドイツ語の授業の4月2、3週目だったら

1)発音の確認。教科書の発音のページを数回繰り返して読む。10分

2)教科書で人称代名詞と人称変化について説明。10分。

3)教科書で各自確認問題を解いた後、グループで会話練習。15分。

このように、1回の授業でどのようなことをするのかを考え、その中で、それぞれのパートにどれだけの時間をかけるのかを決めていきます。授業ノートはこの当時よりはるかにシンプルになりましたが、現在もだいたいこのような感じで、授業準備をしています。

非常勤講師として各大学で教えていた頃、このような授業準備の方法に気づくのに、非常に時間がかかったという話を同僚の先生にしたことがありました。しかし、その先生がいうには、教育学部や教職課程では、まず始めにこのような授業の進め方を習うとのことでした。私が何年もかけてやっとわかったことは、教育学の世界では、ほとんどスタート時に学ぶことだったようです。

授業ノートを作る意味と今後の授業

先ほども書いたように、現在も毎回授業ノートをつくり、授業準備をしています。おそらく特に何も見なくても、毎年ドイツ語の授業で話すことは大体いっしょなので、問題なく授業を進めることはできます。しかし後で見たときに思い出せるように、PC上にデータを残しておくことは重要です。

昨年、一昨年のノートを見ると、今年もこのままでもいいや、と思う部分もありますが、逆に、今だったらこういう教え方はしないかな、と思うこともあります。

何年も同じ授業をやっているような先生もいるかもしれませんが、やはり少しずつ内容は変わっていきます。毎年学生の雰囲気や学力が少しずつ違う(履修登録者数などは年によって劇的に変動します)ように、私たちの教え方も少しずつ変えざるをないのです。

ドイツ語でも講義科目でもそうですが、教える内容の中心が定まってきているので、学生への課題の出し方や、授業内での練習の仕方、説明の仕方など、さまざまな工夫をする余裕で出てくるようになっています。同じことを教えているように見えて、おそらく私の授業は少しずつ良くなってきていると思います。

将来的な目標といっていいのかわかりませんが、そのうちに、何のノートもメモも用意することなく、1、2時間話せるようになれればとも思います。私はふだんからあまり人に話したくて仕方がない、おしゃべりがしたくて言葉が溢れてくる、というタイプではないので、メモやノートなどで、あらかじめ話すべきことをまとめておきたいのですが、この業界で長く活躍されている先生方だと、自分の話ならいくらでもできるという方が多くいるように思います。それはもともと持っていた才能なのかもしれないし、研究と授業を続ける中で身につけていった能力なのかもしれません。

以前、知り合いの先生と偶然ラーメン屋で会うことがありましたが、この先生は、ラーメン一杯を食べる間に、授業1コマ分くらい、長いお話をされていました。正直うんざりしましたが、これくらいのしゃべりの能力がないと、この仕事をやっていけないのかな、とも思いました。まだまだ勉強が必要ですね。