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ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

講義科目をどうするか?(3)学生は敵ではない

3年目を迎えるにあたって、これまで2年間にやってきたことを大幅に見直してみようと思いました。そう考えた一つのきっかけは、前回の記事に載せた、8月の学内研究発表会です。この会では、第二外国語の他の先生方に自分の授業を紹介して、いろいろと意見交換をしたのですが、その時に多くの先生方に好意的な意見をいただくとともに、自分自身でもっと別のやり方、もっと面白い授業ができる余地があるはずだという発想の転換が生まれつつありました。

 

そもそも講義科目とは?これまでの教歴から振り返る

そこで再びスタート地点の問いに立ち返ります。そもそも講義科目ってどういう目的でどういうことをすればいいのだろうか。簡単にこれ、という答えを見出すことはできませんが、少なくとも私はドイツ語教員として仕事を始める前に幾つか別の科目を教えてきた経験がありました。その時のことなどを思い出してみました。

看護専門学校での講義

大学院博士過程2年目から、ドイツ語の仕事だけで食べていけるようになる2013年まで、7年もの間、2つの看護専門学校で非常勤講師をしていました。初めに指導教授から頼まれた仕事は、大阪市南部の看護専門学校での情報科学倫理学の講義でした。倫理学はまだわかりますが、情報科学というのは何をしたらいいのかちょっと心配でした。しかし話を聞くと、医療における情報の取り扱いについて基本的なことを教科書を使って説明し、あとはWordやExcelなど基本ソフトを使ったPCの実習をすればいいとのことでした。よくわからないけど一応コンピュータは好きだし、と引き受けることにしました。*1

 講義のために完全原稿を用意していた

今では信じられない話ですが、この仕事を始めた当時は、講義中全ての発言を含めた(こんにちは、今日の授業を始めます。。。というところから)授業ノートを作っていました。私にとっては、人前で話す=学会発表という感覚だったので、学会発表の時のように、決まった時間でどれだけのことをどのように話すかを考えると、一言一句書き出した完成原稿を作っておけばいいという発想になったのでした。そしてもう一つ、講義中に話すことがまったく思い浮かばなくなってしまったら、という心配もあったのでした。どんな科目も数年続けていけば、教科書に書いてあるようなことは空で言えるようになりますが、最初はやはり詳細なメモなどが必要ですね。

ということで、看護学校での講義の際には、前日に大学の共同研究室で教科書を読みながら、カタカタとPCで完成原稿を作っていました。だいたい一回の講義の目安として4000字くらいの原稿があればいいと思っていました。

 

こういう講義は面白くない

とにかく毎回ちゃんと講義をすること、4,000字の講義ノートを作ることにしか関心が向いていなかったため、学生が理解しているかどうかとか講義が面白いかどうかといったことは考える暇がありませんでした。

しかししばらく続けていくうちに、学生たちもなついてきます。(当時はまだ20代だったので、今では信じられないくらいフツーに学生にもててましたし、ちやほやされるのが自分の仕事、くらいに思っていました)そうなると、もっと面白い授業にするにはどうしたらいいのかをいろいろ模索するようになります。当時の私にできることはやはりまだそれほど多くなくて、一生懸命面白い雑談を入れたり、コンピュータの実習に楽しめる要素を多く含める(居酒屋のメニューを見ながら、飲み会の代金をエクセルでまとめるとか)といったことをするのが精一杯でした。

 

京都精華大で大学ナビを聴講して講義の仕方を学ぶ

看護学校で教え始めて5年ほど経った頃でしょうか、その頃はすでにもう一つ別の学校(堺市北区の堺看護専門学校)でも教え始めていました。その一方で、京都精華大学で初年次教育担当の助手として働き始めました。授業科目は初年次演習だけなのですが、もう一つ一年生の必修科目である「大学ナビ」の方も、毎週聴講するようにしていました。この授業は人文学部の全学生が履修するので始めは半分ずつ2教室(各150人程度)、のちに大講義室を使った講義となりました。助手の私は学生たちを静かにさせるなどの仕事を始めは割り当てられていましたが、のちにTAが二人つくことになり、不要になりました。しかし私は3年間ここで勤務している間、ずっと聴講し続けていました。

大学ナビの授業は、人文学部の各分野の教員(この大学の場合、人文学部にはいわゆる文学部的な分野の他に、現代芸術やサブカルチャー社会学環境学などの分野も含まれていました。現在は芸術、サブカル分野はポピュラーカルチャー学部として独立しています)が、専門分野について導入的な講義をします。一コマで2人の教員が約30分程度の話をして、学生たちは残った時間で授業内容等をまとめるという構成です。

 

何がダメな講義なのかがわかってきた

大学ナビに毎週出席して、多くの先生方の講義を聴くことは非常に興味深いことでした。それぞれの先生方が、どのように30分の講義を組み立てるのか、資料や説明はどうするか、そういった点をじっくり見て、どこを自分の講義に生かせるかということを毎週よく考えました。

学生たちは授業内容をノートにメモしています(ノートテイクの練習もこの講義の目的でした)が、私はそれぞれの教員のいいところ、ダメなところをノートにガリガリ書いていました。すごくいい授業をする教員もいますが、いいものほど、どこがどういいのかを言語化するのは困難でした。それよりは、何をしたらダメなのかということの方が、ずっと簡単にわかりました。回によっては全然学生に伝わっていない講義というのもあります。そういう時は、何がダメなのかをしっかりノートにメモして分析しました。

このような勉強を2年ほど続けていった結果、徐々に看護学校でも、これまでよりも落ち着いて講義ができるようになってきました。そして自分の講義だってもっと良くできる余地があるということを真剣に考えるようになりました。

 

講義の何が嫌なのか?

第1回目に書いたように、そもそもあまり大教室での講義科目に馴染みがなかった私ですが、自分が講義をする際に、何が嫌なのかということを考えてみました。一つは、学生に対して、教員が一方的に話さなければならないということでした。

そしてもう一つは、私の話を何も言わずにじっと聞いている(聞きながら眠っている)学生たちの存在でした。

ということは、この二つの問題を解決すれば、講義は私にとって嫌なものではなくなるわけです。1)一方的に話す形式をやめる、2)学生たちが聞くだけにならないようにする。この2点を軸に、看護学校での講義を変えていくことになります。

学生との関係が変わった

しかし具体的に、どのようにすれば講義(この当時は堺看護専門学校の看護と倫理)において、私が一人で話す形式から離れられるでしょうか。非常に大きなヒントになったのが、小林亜津子先生のこちらの本を読んだことでした。

 

看護が直面する11のモラル・ジレンマ

看護が直面する11のモラル・ジレンマ

 

 

それまでの授業において、私は前半で、学校指定の教科書を使って倫理についての概要を説明し、後半で関連する具体的な事例や問題(脳死臓器移植や遺伝子治療ターミナルケアなど)を紹介するという形式で進めていました。

小林先生の本では、私が取り上げたようなテーマについて、具体的な事例に沿って考える題材を提示し、さらにその解説をするという形式で、生命倫理の基本が学べました。具体的な問題としては、例えば、医療ミスで患者さんが亡くなってしまった。私はミスを知っているけど告発するべきか?というようなものがありました。

この本に出てくる設問を使って、グループディスカッションを行うことにしました。教室内にいくつかのグループ(だいたい40人程度のクラスなので、6人×6、7チーム)を分けて、グループ内で意見を出し合い、まとめた結果を報告させました。

さらに、授業終了後に、ディスカッションを経た自分の考えをまとめてコメントカードに記入させました。これはディスカッションで言い切れなかった自分の意見や、ディスカッションで得た気づきをどのように考えたかを見るためでした。私はコメントカードを読み、次の会の資料に、前回のコメントからいくつか興味深いものを紹介し、さらに考えを深める手がかりとして提示しました。*2

このように学生に課題を与え、グループディスカッションや発表を取り入れると、学生たちもただ座ってじっとしているわけにはいかず、授業に積極的に参加するようになりました。また、私も学生たちが考えている時間、ディスカッションしている時間などにグループの間を回って、意見を聞いたり、コメントをしたりとそれぞれの学生と対話をするようになりました。

このような形で授業の方法を変えていくことで気がついたのですが、学生たちというのは、教員にとって敵ではないのです。

語学の授業のようにできるはず!

過去の教歴を振り返って、看護学校での授業の改革について思い出してみました。あの時、あの学校だったからうまくいっただけだよなあ、という思いもありました。しかしこの時看護学校で取り入れた、学生たちに課題を与えて考える時間をとること、そして学生たちが作業している間、机間巡視をして逐一学生たちと対話する機会を設けること、それは私が今担当している講義科目でも取り入れることができると気がつきました。そして、学生に課題をやらせる、教員が机間巡視する、というのは結局のところ私が普段のドイツ語の授業で実践していることじゃないかとわかりました。

2010年から大学で教え始めたドイツ語*3ですが、講義科目と異なり、これまで特に嫌だなあ、やりたくないなあ、と感じることがほとんどありませんでした。ドイツ語の授業においては、教え始めた頃から、教師が一人で喋らない、学生たちと対話する、ということを無意識のうちに、経験的にできていたからでしょう。

講義科目だって、工夫次第で語学と同じようにできるんだ、ということに気づいた私は、いよいよ講義形式をどう変えるか、に着手します。今年の講義内容については、次回詳しくまとめます。(続く)

 

*1:この学校ではさらに、患者の心理(心理学)、看護と法律など全く専門と関係のない科目をいろいろ担当させてもらえました。

*2:コメントカード(A5やB6サイズの小さい紙)に意見を書かせて、それを次の回で紹介するというのは、京都精華大学の先生方が行っている方法でした

*3:大学以外の場所ではもっと早くから教えていました。某電機メーカーのドイツ駐在員になる人に個人レッスンをしたり、センター試験をドイツ語で受験したい高校生に教えたりしていました。