ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

ノート屋さんという商売がなぜ成り立つのか?

ノートを売り、買うということ

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妻がAノートというサイトを発見しました。

www.anote.jp

立命館大学生命倫理(前期)を、近畿大学ジェンダー学(後期)を教えている妻ですが、先日、立命館でのテスト前に、ツイッターか何かでAノートというサイトを見つけていました。

説明を読んでみると、講義ノートやテスト問題を集めて、売買する業者のようです。立命館の近くには、ノート屋の店舗がまだあるということを聞いたことがありましたが、ネットでも商売をしているのですね。

ノート屋さんというものがあることは、昔から知ってはいましたが、なんとなく、いまはもう成り立たない商売なのではないかと思っていました。

今日は、学期末ということもあるので、ノート屋さんと授業ノートについて考えをまとめたいと思います。

 

20年前東京の私学に、ノート屋はあったのか?

私が大学生だったのは、もう20年くらい前のことです。母校の明治大学周辺は、いまもそうですが、日本有数の大規模な学生街があります。食堂や雀荘、そして古本屋と学生生活に必要なものはなんでもありましたが、ノート屋もあったのでしょうか?

1、2年次の和泉校舎(明大前駅のほう)、3、4年次の駿河台校舎(リバティータワー)それぞれ周辺のお店を思い出していますが、ノート屋というのは見たことがなかった気がします。ネットで検索をかけても、明大生向けのノート屋というのはヒットしませんでした。

しかし、明治からほど近かった早稲田や東大には、ノート屋やそれに類するものがあるということは聞いたことがありました。京都に来てからは、京大周辺では見たことがありませんが、京都産業大の目の前に、学生向けのノート屋があったのを覚えています。

明治大になぜノート屋がなかったのかはよくわかりません。しかし、当時の自分としては、文学部だったので、開講科目数がとても多かったし、一つ一つの授業は少人数なので、商売になるほど儲からないのではないかと思っていました。

 

 

勤務先の場合

ノート屋という商売は昔のもの、あるいは京都限定のものなのでしょうか?

調べたところ、私の勤める近畿大学でも、実は私が出講し始める前には、ノート屋があったそうです。2009年ごろの卒論のメモがヒットしました。ノート屋でノートを買った学生の成績を調べ、ノートを買うことが本当に成績に反映されているのか、ノートを買うという行動にどのような意味があるのかを探りたい、という経営学部生の卒論メモでした。かなり面白いテーマだと思いましたが、調査としては難しいし、無事に卒業研究としてまとめられたのか気になりました。

 

ノート屋はもう成り立たないのか?

近畿大学だけでなく、ネットで検索すると、関西の主要大学では、もはやノート屋は消滅しつつあることがわかりました。立命館ではなぜまだつづいているのかわかりませんが、逆にノート屋が消えていった理由については、いくつか考えられることがあります。

学生が毎回出席する=まとめて勉強する必要ないから?

一つ考えられるのは、学生が授業に出なければならなくなったことでしょう。近畿大学のユニパのように、私立大学では、出席時にカードなどで登録することが当たり前となりつつあります。20年前は、必修科目以外はそれほど毎回の出席が必要ではなかったのですが、昨今ではほとんどの学生が全ての授業に(単位を取るつもりであれば)休まず出席するようになっています。

その結果、試験前にノートを集めて、欠席した回のぶんも一気に復習するということがなくなったのかもしれません。

配布資料が充実=ノートを取る必要がないから?

そして、もう一つ考えられるのは、私自身もやっていることですが、紙やウェブで授業資料を配布するため、手書きのノートがいらなくなったということです。

語学の授業では、板書はしますが、講義で板書をしたことは、10年前に堺看護専門学校で教え始めた頃くらいしか、記憶にありません。堺看護での講義は、おそらく時間を調整するために板書をしていたのだろうと思います。当時は、話す内容がなくなって、授業が早く終わるということがたまらなく怖かったのです。(この問題については以前もどこかで書きましたが、また近いうちにまとめたいと思います)

手書きではなく、パワポのコピーやレジュメが毎回配布されているので、出席した学生たちは、プリントに適宜メモを取ることはあっても、自分で手書きのノートをまとめる必要はないのでしょう。

当然のことながら、配布資料に授業内容がまとめて書いてあるので、怠惰な学生は、プリントだけをもらって退席してしまったり、何もせずに授業中眠っているだけということも多くなったでしょう。*1

単位が取りやすくなったから?

3つ目の理由として、これは推測でしかないのですが、ほぼ何も試験勉強をしてこなくても、だいたい単位が取れるようになったのかもしれません。

最近では、語学でも専門科目でも、ちゃんと授業に出席し、テストを受けたのに単位が取れないということはあまりないのではないかと思います。私も自分の科目では、よほどテストの点がひどいか、受講態度が悪い場合でないかぎり、不可は出さないようにしています。

いずれにせよ、講義をしている立場としては、講義ノートに値段がつけられ、安い高いが決められるというのは愉快なことではありません。

大学がクレームをつけて潰してしまえとまではいいませんが、試験問題を作る側としては、過去問を売りつけて、試験当日には全く違う問題をだしてやろうかと思ってしまうので、教員含めネットでサイトが公開されている状態というのは、商売をしにくいのではないでしょうか。

 

語学の授業とノート

私自身のことを振り返ると、ノートを写させてくれと頼まれたことが、学部時代にはときどきありました。文学部独文学専攻の場合、2、3年生になるとほとんどの授業はドイツ語テクストの購読になります。トーマス・マンニーチェの訳読をする授業は、一生懸命取り組んでいたので、私のノートには単語だけでなく、複雑な文の構造など(予備校で身につけた受験英語の手法が役立っていました)をたくさんメモしていました。

専門科目のテストは、授業で読んだ文章を使った文法問題や、独作文、和訳などだったので、ノートを使って、テクストの難しいところを復習することが必要でした。それで、友人たちは、互いのノートを見せ合って、分かりにくい文章を確認したり、単語の意味を調べたりしたものでした。

ついったーにも書きましたが、いくつかの大学で教えていると、やはり初級語学の授業でも、しっかり勉強するにはそれなりにノートにまとめる必要はあります。

 大学1年生だと、毎日の学習内容をノートにまとめて整理して理解するというプロセスを自力でできない学生もときどきいます。そのために、中間テストについての以前の記事で書いたように、手書きメモを持ち込んでいいテストを行ったりしています。

schlossbaerental.hatenablog.com

しかし、難関国立大学のように、入学時から自分の勉強スタイルが確立できている学生たちの場合には、板書をメモすることすら必要なかったり、授業時の配布資料もあっというまに打ち捨てられたりします。

左翼ビラだけでなく、私が配布したプリントの裏に作文の答えを書いて、そのまま授業終了時に置いていく学生もいっぱいいたので、京大ではプリントを配る授業はやめました。

 

やり方はいろいろ、試行錯誤して自分のスタイルを確立してほしい

今日は、某大学のノート屋さんの話題から、いろいろ講義ノートについて書いてきました。大切なことは、どのようにノートを手に入れようと、勉強するのは自分自身だし、それぞれ自分のやり方で試験を突破してほしいということです。ノート屋さんに頼るもよし、友達に相談したり、先生に聞くのもいいでしょう。(試験前に質問が増えることは私は大歓迎です)ノート作りも、紙や筆記具にこだわるのも含め、あれこれ工夫してみると楽しいのではないでしょうか。

*1:私の講義の場合、出席カードに課題の答えを書いて提出し、それが毎回ごとの点数となるようにしています。そのため、資料だけをもらって何もせず退席する学生はいません。