ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

新作論文紹介「南島ユートピアとオカルティズム」

新しい論文が出ました

ここ数年、科研費は毎回不採択だし、あんまり研究も進んでないし、このままぬるま湯のような職場で二流の研究者として朽ち果てていくのだと思いかけていました。

しかし、どういうわけか(たぶん在宅勤務が性格に合っていたからでしょうか)この半年くらいは、これまでになく、ちゃんと研究に励んでいます。考えてみたらこんなに一生懸命毎日資料を読んだり、原稿を書いたりしているのは、博論を提出する直前の時期以来かもしれません(約10年ぶり)。

のんびりした生活をしているうち、もはや締め切りがない原稿やブログくらいしか書けなくなってしまっているのではないかと不安でしたが、今年度はすでに3本の論文を書き上げています。そのうちの一つが、雑誌『希土』46号(希土同人社)に掲載された、「南島ユートピアとオカルティズム——ヘレンバッハの『メロンタ島』について」です。

以前から面白いと思いながらなかなか論文にできていなかった小説について、ようやく原稿をまとめられました。

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おもしろい小説を読んだので妻に教えたい

今回この論文を書きながら考えていたのは、せっかく面白い作品を読んだのだから、だれかに伝えたいということでした。もちろん、自分なりに研究の文脈というものはあります。それについては後述しますが、ぜんぜん世の中に知られていない作品を一人で読んで、非常に面白かったので、どう面白かったかだけでも、とりあえず妻に伝えよう、という思いから、原稿を書き上げることができました。

考えてみると私は、これまでも、それほど面白いと思わずに論文を書いていたように思うし、あるいは自分の読み方にまったく自信が持てず、ほんとうにそんなことが書いてあるのだろうかという恐怖を感じながら、論文を書いていました。他に日本語論文がまったくない作家なので、私の読み方や訳が間違っている可能性は大いにあるわけですが、それをおいても、伝えたいという気持ちから論文に取りくめたのは、今回の新しい経験だったように思います。

今回の原稿は、他の仕事が立て込んでいて、なかなか時間がとれず、締め切りぎりぎりに3日くらいで一気に書き上げたのですが、最初に読んでもらって、妻におもしろいと言ってもらえてほっとしました。

ヘレンバッハとは?

ハンガリーの貴族出身で、ウィーンで活動したラツァール・フォン・ヘレンバッハ男爵(1827-1887)は、政治家、作家、オカルト研究者として多方面に活躍した人物です。現在その名前はほとんど忘れられ、たまに、19世紀末オカルティズムの歴史の中で言及される程度です。そんなヘレンバッハがのこした唯一の小説が、今回取り上げた『メロンタ島』(Insel Mellonta 1883)です。この作品の存在については、けっこう前から知っていたのですが、実はつい去年あたりやっと通読できました。読み始めると楽しくて、一気に読み通せました。(たぶん入手しながら読まずにいたのは、フラクトゥーア(ひげ文字)の判読が面倒だったからです)



『メロンタ島』のあらすじ

主人公アレクサンダーは、ドイツ出身の教養ある30代男性。南の島に漂着し、なぜかフランス語を話す島民たちに助けられたアレクサンダーは、島民たちから手紙を託され、この小さな島で暮らす人々が、実はフランス革命の混乱を逃れてやってきたヨーロッパ人の子孫であることを知る。メロンタ島と名づけた島での、家族や個人の所有という観念にこだわらず、集団生活をする人々は、アレクサンダーを歓待し、彼がヨーロッパで身に付けた最新の知識を感謝して受容する。またアレクサンダーも島民たちの暮らしに、現代ヨーロッパにはない豊かさを見いだす。彼は島の女性と恋に落ち、ふたりの恋愛が成就するというまさにそのとき、島は激しい噴火と地震のため、二人は海中に投げ出される。アレクサンダーが眼をさますと、彼はインドの寺院にいた。導師は彼が夢を見ていたのだと教える。しかしアレクサンダーは自分が経験したメロンタ島での出来事や、そこで出あった人々がまぼろしだとは信じられない。導師につめよると、導師は、夢の世界と人間の世界は、肉体や人間の感覚によって隔てられているため、この世に生きている限り、メロンタ島にいた恋人に再会することはできないと告げる。アレクサンダーは、精神世界についてさらに知識を求め、より高次の魂となることを目指して、インドからチベットへと向かう。

というお話です。

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『メロンタ島』の表紙と扉絵

「夢落ち」とユートピアとオカルティズム

ユートピア的な島の話がけっこうおもしろかったので、火山が噴火して、これまでのことが夢だったとわかったときにはびっくりしました。ではいったいなぜ、ヘレンバッハはこんな「夢落ち」の話を書いたのでしょう。

同時代に書かれたユートピア小説(論文では、ヘルツカの『自由な土地』、ベラミーの『顧みれば』と比較した、同時代の評論を参照しました)と比べると、ヘレンバッハのユートピアは、あまりにも単純で、現代ヨーロッパへの批判をひっくりかえして、ユートピア社会における理想の実現へと安易に描いてしまっています。

ヘレンバッハは、政治家であった時期もありましたが、左派的な立場で、社会主義や労働運動についての論考も残しています。ヘレンバッハにとってのメロンタ島のユートピアは、将来的にそうなるであろう、ヨーロッパの未来像だったのでしょう。

一方で彼はオカルティストでもありました。霊魂の不滅を信じるオカルティズムが、どうして社会主義的ユートピアと結びつくのでしょうか。

これら二つを結びつけるのが、メロンタ島の消滅という壮大な夢落ちであると考えられます。すなわち、アレクサンダーにおいては、夢として消えてしまったが、メロンタ島も、そこで愛した人も、違う場所、違う時間であれば、きっとふたたび見いだせるはずであり、その点を探究するのが、オカルティズムの思想なのです。

つまり、この作品には、社会思想家とオカルティストという、だいぶ毛色が違うように見える思想を、同時に探究していた、ヘレンバッハという人物の特異性がはっきりと浮かび上がっているわけです。

というようなことをまとめて論文にしました。

 

ヘレンバッハについては、今回初めてちゃんと論文に書きましたが、まだまだ読めていない著作もあるので、今後さらに、探究を続けていきたいと思います。

 

『希土』について

今回の論文が掲載されたのは、『希土』という同人誌です。京都の独文学者を中心に25名程度の会員がいます。私は2014年ごろから会員になって、2017年に、『狐と島邨博士』についての論文を投稿しています。学会誌ではないので、レポジトリなどには登録されないし、大学図書館にも入っていないだろうと思います。今回の論文にご興味を持っていただいた方には、PDFまたは抜き刷りをお送りしますので、ご連絡ください。

追記:Researchmapの方にリンクを張っておきました。こちらのページからPDFをダウンロードできます。

researchmap.jp