夏休み気分で写真を撮ろう
毎年のことですが、なかなか夏休みが始まりません。とくに今年はコロナの影響で、授業の日程は後ろへ延びてしまい、勤務校は来週まで授業、その後補講(動画を配信します)と学期末課題の採点をして、ようやく前期が終わります。
非常勤先の関西学院大学は、7月初めには授業期間が終わり、今日が成績登録の締め切りです。関学の先生方は8月から夏休みなのかと羨ましく思いますが、仕方がありません。夏休みが始まらないのであれば、勝手に夏休み気分で生活するまでです。
私はもう7月後半以降は、夏休み気分で、毎日散歩やジョギングをしたり、写真を撮ったりしながら、オンライン授業を続けてきました。
夏はフルサイズ一眼の季節
授業動画はもっぱらフジフイルムX-T4で撮影していました。使いやすいし、綺麗に撮れるので便利と妻にも好評です。
しかし、もう一台あんまり使っていないカメラがあったことを思い出しました。昨年7月に買って、花火大会や奈良の鹿を撮影した、ニコンのD750です。
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圧倒的な写りの良さに感動したものの、実は昨年秋以降はほとんど死蔵していました。X-T4を京都のお寺で使ってみたりするうち、べつに海外旅行や花火大会だけじゃなく、日常の風景や植物などを撮るのも楽しいかもなと思い、D750でふだん散歩する場所を撮ってみることにしました。
なぜあまり使っていなかったのか
D750を死蔵することになったいちばんの理由は、重さと大きさでした。本体の840g(バッテリー込み、しかしこのカテゴリではかなり軽い方)という重さはずっしりときます。また、マイクロフォーサーズと違って、かばんから出してササッと撮ることができない大きさや、顔をカメラにくっつけ、ファインダーをのぞいて撮るというスタイルにもなかなか慣れることができなかったのでした。
通勤や旅行のように、何か別のことをするついでにカメラを持ち出して撮ろうとするから、大きなフルサイズ一眼を使うのが億劫になるのだろうと思いました。それならば、何も目的のない散歩で、カメラだけ持っていけば負担になりにくいと考え、カメラバッグをもって、お昼や夕方に近所を歩いてみました。
やはりむちゃくちゃきれいに撮れる
近所の古い家。おそらくかつては喫茶店か床屋さんだったのではないかと思います。建物の外側は育ちすぎたさまざまな植物で覆われています。
街を歩いていて目につくのは、緑です。こういうちょっとした緑に夏を感じます。
植え込みに生えている、なんだか分からない植物と花。
この古いお家は、たくさん植木鉢を並べていました。どの植物もしっかり手入れが行き届いているようでした。
どこにでもある植え込みの植物も単焦点レンズで撮るとなにやら良い写真に
レンズは3本
ソニーのα7を使っていたときからわかっていましたが、フルサイズだとレンズの大きさが気になります。また、値段も新しいものはだいたい高いです。
去年買ったのは、ニコンの24-85mmと50mm単焦点です。風景写真が好きな私は、どうしても広角を使いがちなのですが、慣れてみると50mm単焦点の写りの良さが気に入ってきました。
小さなビルの全体を撮ろうとすると、通りの反対側からでも収まりません。
梅田スカイビルとなりの希望の壁です。遠くから壁の一部を切り取ってみましたが、それぞれの植物がくっきり撮れています。
梅田へと向かう通路。みんなが同じように後ろ向きで歩いている様子を撮りました。
雨が上がって明るくなったグランフロント前。50mmでもこんなふうに風景が撮れるのですね。
50mmという画角は近づいて植物を撮ったりするのに最適ですが、慣れてくると、この画角を生かして風景を切り取るのがおもしろくなりました。
D750を使い慣れてきたので、24-85に替えて、シグマの24-105mmF4を買ってみました。
このレンズはα7でも使いたいと思っていたものです(ドイツに持っていくのに800g超は重すぎると判断しあきらめたのでした)。近所を散歩するくらいですから、本体と合わせて2kg近くになってもまあたいしたことはありません。
シグマ24-105mmで自宅から野田阪神あたりの風景を撮りました。
入り組んだ住宅街に突如現れる、空き地。
道路いっぱいに広がる植木鉢。住んでいる人しか通らない狭い路地なので、これでいいのでしょう。
空き地の片隅に、子猫がいました。警戒心が強いようで、105mmではあまり近づけないので、遠くから撮ってトリミングしました。
野田の新橋筋商店街にある、とても古そうな飲み屋さん。ここは何度も通るたびに写真を撮っています。
さらにその奥には、地獄谷という狭い路地の飲み屋街があります。
地獄谷にはけっして古いお店ばかりではなく、新たにリフォームされたお店もありました。
さらに35mmの単焦点も買ってみましたが、こちらはスマホのカメラと同じような感じで、ごく自然に写真を撮ることができます。
単純な構図ばかりで、面白味がない写真のように見えても、やはり写りはフルサイズならではです。
器官投射説とカメラが明らかにするもの
ドイツの哲学者エルンスト・カップ(Ernst Kapp1808-1896)は『技術の哲学の基礎』において、器官投射説(Organprojektion)を唱えています。
これは、カメラが人間の眼球の構造を模しているように、あるいは電信技術が人間の神経系に例えられるように、人間によって作られるさまざまな道具や機械は、すべて人間の器官に由来し、技術の開発は人間自身を外部に作り上げることになるという説です。私たちはカメラの発明によって、逆説的に自分たちの視覚の特性を知ったわけです。
写真を撮っていると、私はむしろ目の構造というより、自分自身が自然や環境をどうみているのか、その癖のようなものに気づかされます。正面から撮るよりも、斜めから撮ってしまうこととか、人を近くから撮らずに距離をおいて撮ってしまうことや、物事を近くからではなく、遠くから俯瞰して眺めたがるなど、写真の撮り方にとどまらない、自分と事物やまわりの環境との関係が、撮った写真から見えてくるように思います。
ようやく梅雨明け、夏らしい景色を撮ってみよう
大阪では、今日31日で梅雨が明けました。たしかに空の色が変わり、日差しが一層強くなったように感じました。D750だけでなく、X-T4も使いこなして、夏の風景(今年は花火大会はありませんが)撮ってみようと思っています。