夢の職住一体が実現!
教室変更(他の非常勤の先生からの要望で21号館の教室をゆずりました)のため、後期の半ばから同じ18号館4階にある国際学部の教室で授業を行なっています。
18号館周辺の概略図
18号館の中棟は、私の研究室からは歩いてわずか1分です。ついに念願の職住一体が実現しました。通常の経営学部の授業の際には、遅くとも授業開始5分前に研究室を出ていないと授業開始には間に合いません。すぐ隣の建物とはいえ、4階から降りて21号館6階まで行くとなると、学生の移動時間とも重なって、エレベーターもエスカレーターも大混雑してしまうからです。当然、2時間授業が続く場合には、休み時間に研究室に戻ることはほぼ不可能です。(可能ではあるけど、忘れ物を取ってくる程度のことしかできません)。
11号館があった頃に比べれば、はるかに教室が近くなっているのですが、やはり不便だと感じます。そんな私にとっての夢は、研究室と同じ建物内での移動だけで教室まで行ける環境です。多くの大学では当たり前のことかもしれませんが、私にとってはようやく叶った悲願でした。
あまりに近いので、コーヒーを淹れて、そのまま教室に持ってくることもできるほどです。大学教員にとっては、夢ともいえる職住一体環境がようやく実現したと喜んでいました。
18号館中棟の外観。
アクティブラーニングに適した、全面ホワイトボードの壁や移動式のボード(グループワークで使えます)、受講者数に応じて座り方を自由に変えられる折り畳みのチェア、そしてガラス張りでオシャレな教室と、理想的な環境で授業ができて幸せです。
可動式のチェアとホワイトボードは、グループワークなどにも最適です。
しかし学生は気に入っていない!
すばらしい教室で授業ができてよろこんでいる私に、学生が言いました。「先生、この授業ってもう元の場所に戻らないんですか?」と。
ええ?このシャレオツ教室のいったいどこが不満なの?と驚いて聞いてみると、とにかくイスが座りにくくて嫌だというのです。私は教員用のチェアに座っているので気づきませんでしたが、学生たちが座っている、ひじ掛けにテーブルがついた折り畳みチェアは、まさに先進的な国際学部らしさを体現しているアイテムだと思うのですが、これがたまらなく嫌だと彼らはいうのでした。
何がいけないのか?
テーブル付きチェアが気に食わないと学生たちがいうので、授業の間、彼らがどう座っているのかよく見てみました。
たしかにこのチェアでは、テーブル面がノート・教科書・スマホ・辞書などを置くには狭すぎます。(だいたいA3サイズくらい)そのため、しょっちゅう教室内に、何か物を落とす音が聞こえます。おそらく1コマの授業のなかで、ほぼ全員の学生が、自分のなんらかの持ち物を落としているでしょう。物を置く場所は狭いし、そもそも左利きの学生にとっては、手を置く場所すらないように見えます。左利きの学生は教え子に見当たらなかったのですが、おそらく体を右に傾けなければならないので書きにくいでしょう。
そこで私は最初の回に、椅子はたくさんあまっているので、場所が狭いというのであれば、好きに使って構わないといいました。
しかし彼らにとって、もっと不都合なのは、窮屈な姿勢になることでした。学生が言うには、このチェアとテーブルだと、猫背でノートを取ったりしなければならず、非常に疲れるというのです。
なぜこのようなチェアが使われているのか?
こういうチェアは、もともと日本の大学で使われてきたわけではなく、おそらく欧米から最近入ってきたものだろうと思います。 ハーヴァード大学に留学経験のある妻も、アメリカの教室にあったと言っていました。
それ以前に、このチェアは何と言えばいいのでしょう。正式な名称がよくわからないので、ちょっと調べてみました。
英米では、writing armchairまたはtablett chairともいいます。ドイツ語ではSchreibtablettstuhlまたはStuhl mit Klapptischなどと呼ばれています。あとはGoogleで検索をすると、school armchair といった名称も使われているようです。
タブレット付きチェア(日本語での正式名称がわからないので、仮にこの名称を使います)はこのように、欧米で学校や大学を中心に普及しています。
このチェアの一つのデメリットとして、テーブル面が小さすぎるということがあります。しかし、画像検索をしていると、様々な種類があり、国際学部で使っているA3サイズのテーブルよりも大きなテーブルを備えている物も多く見つかりました。
writing armchairあるいはtablett chairの検索結果から
私が教室で見た、折りたたみチェアにタブレットがついているタイプだけでなく、検索するとさまざまな形のものがだいぶ昔から使われていたことがわかりました。
学校で椅子に座ること=学校的な身体を形成すること
もう一つ気になったのが、学生たちが言っていた、窮屈な姿勢という問題でした。学校で椅子に座ることと近代的身体の形成みたいな話って、だれか書いてなかったっけと思い出し、自宅で参考になりそうな資料を見つけました。
この本は、京大人文研「身体の近代」共同研究班(じつは私の講師デビューも、この研究班のリレー講義でした。ゲストとして1コマをつかって、体操と身振りをめぐる言説を紹介しました。)の講義録で、谷川譲先生が第7章 「教室で座るということ—学校と身体—」において、日本の近代教育と教室における座り方についてまとめています。
寺子屋において子供たちは、文机に座って、教師の指導を受けていました。それが明治時代になり、アメリカから一斉授業方式が導入されることで、今日私たちが思い浮かべるような、教師と生徒たちが正対する授業風景へと変わっていきました。
大正時代には、椅子と机に座って授業を受けることに起因する脊柱のゆがみなどが「学校病」として注目され、当時はまだ規格化されておらず、形がバラバラだった椅子の形態が統一されていく原因となっていったのでした。
この論争(机は平面がいいか、斜面がいいかの論争)は、児童の身体に合わせた物づくりの必要を喚起し、明治30年代後半〜大正初めにおける教室用机・椅子の規格化へとつながってゆく。しかしそれは、規格品を与えることで、規格にフィットする身体的資質を児童に要求することになる。(116ページ)
このように児童の身体の健全な育成をめざす、「机・椅子の規格化」が、子供たちを学校的な座り方に馴染む身体へと作り替えることになったというのです。
こういった座り方、立ち方についての研究って、欧米ではどうなのだろうかと、しばらく考えていましたが、じつは博士論文でそのへんの問題に関係のある人物を扱っていたことを数年ぶりに思い出しました。
D. G. M. シュレーバーの『カリペディー、あるいは美しさのための教育』
私が博士論文で論じた、ダニエル・パウル・シュレーバーの父親、ダニエル・ゴットロープ・モーリツ・シュレーバーは、整形外科医および体操家として、まさに近代化していく時代に、子供たちの健全な身体育成に取り組んでいました。
(こちらは精神病者として有名になった息子、ダニエル・パウル・シュレーバーについての研究書です。 )
父シュレーバーは、現在の私たちもよく知っている、ラジオ体操の原型となった、『医療的室内体操』の考案者です。シュレーバーは、『カリペディー』の中で、幼児期から青年期までの子供たちの健康のために、食事や入浴、体操、そして自ら考案した身体矯正器具の使用を提案しています。
また、このテーマについては、さらに去年買ってそのまま本棚にしまっていた、著名な文化史学者サンダー・L・ギルマンの新作『Stand up Straight! A History of Posture.』でも言及されています。

Stand Up Straight!: A History of Posture (English Edition)
- 作者:Sander L. Gilman
- 出版社/メーカー: Reaktion Books
- 発売日: 2018/02/12
- メディア: Kindle版
ギルマンは、哲学、医学、人種論、軍事、教育、労働などさまざまな分野において、どのように人間の姿勢(posture)が語られてきたのかを検証しています。分厚い本なので、ぱらぱら眺めてみただけですが、やはり学校における机と椅子についても言及されています。
さきほど紹介した、机と椅子が固定された学校用デスクが、このイラストにも描かれています。子供が自由に動かせない机と椅子は、まさに規格化された座り方を教え込む装置だったのでしょう。
自由さや開放感と一体になっている座りにくさ
学生たちの、座りにくいという感想から始まったこの考察ですが、だんだん自分がもともと関心を持っていた分野に近づいてきておもしろくなってきました。
私が教室の椅子に関心を持った理由をもう一度整理しておきます。
ひたすら話を聞き、ノートを取るだけの「日本式」座学ではなく、自由な場所に座って、議論やグループワークができる「国際的」なチェアをそなえたゼミ室という、対照的なふたつの教室像をイメージし、前者より後者のほうが圧倒的に優れていると私はかってに思い込んでいました。
しかし、アクティブラーニングに最適で、従来の大学講義室のイメージとはことなる、なにやら自由な雰囲気が漂っている、タブレット付きチェアには、じつは座りにくく、学生に不評であるという面もありました。この座りにくさの意味はどういうところから来ているのでしょうか。
現時点では、ごく簡単な予想を述べることしかできませんが、この机と椅子は、机と椅子が一体化していて動かしやすいという合理的な目的だけでなく、児童や生徒を、同じ座り方へと矯正する装置として意味があったと考えられます。また、本学の場合は、狭い教室を有効活用するために、机と椅子が一体化しているという事情もあります。
ほかにも理由はあるでしょうが、一見したところ自由さや気楽さを体現しているように見える、国際学部の椅子ですが、実は上記のように、近代的な規格化された身体形成の名残りを見出すことができるというのは、大変興味深いことです。
そして、やはり語学の授業をするのであれば、私自身がドイツの語学学校で授業を受けたときのように、可動式でグループを作りやすいテーブル(台形のテーブル)を備えた教室がいいだろうと思いました。