- 栃木県の台風被害
- 大平町は過去に水害に遭ったことがあるのか?
- 1911年7月の「栃木地方大台風」
- 1947年のカスリーン台風
- 1980年代の台風被害
- 1982年8月、台風10号
- 1982年9月、台風18号
- 1986年8月の台風10号
- おまけ 昔の事件が興味深い
栃木県の台風被害
10月12日から13日にかけて、日本を襲った台風19号は、東海から関東、東北にかけて広い範囲で甚大な被害を与えました。私の故郷である、栃木県栃木市大平町(旧下都賀郡大平町)も、周辺の市町と同様、河川の氾濫、家屋への浸水などの被害が出ています。私の家族が大平町に住んでもう40年ほど(両親は私が保育園に入るくらいの時期に転居してきました)になりますが、あれほどの水害を見たのは初めてでした。
大平町は過去に水害に遭ったことがあるのか?
ハザードマップや過去の災害の地図を見ると、たしかに永野川やその周辺地域ではいくども水害が起こっているし、大雨で道路が冠水することも子供時代に何度か見たことがあったと思い出しました。だから今回の台風は、これまで災害とは無縁だったのどかな町を襲った突然の出来事などではないのだと私は思っております。もちろんこれほど大規模な浸水はなかったとはいえ、実は歴史を振り返ると、けっこうな頻度で水害は起きているはずです。ごく最近も、2015年に近所の道路や田畑が冠水するほどの大雨の被害が出ました。
(2015年9月の豪雨では、宇都宮だけでなく栃木市も中心部が冠水しました)
今回の台風では、永野川を渡る両毛線にとりわけ被害が大きく、今もなお大平下栃木間は不通のままです。もちろん何日もかかるほどの被害はこれまでになかったかもしれませんが、台風や大雨、河川増水のために両毛線が不通になるというのは、あの地域に住んでいる人にとっては日常茶飯事だったとさえいえるでしょう。
ハザードマップや浸水実績マップを見ると、やはり今回浸水被害が出た、永野川流域の川連、下皆川地区、そして大平下駅や大平バイパス周辺は以前からなんども水害が起こっていたことがわかります。
今回の台風で越水が起こった、永野川の大平橋周辺ですが、あのへんは以前から何度も氾濫に見舞われています。地図を見ながら、私自身も子供の頃父に連れられて、台風後に橋脚が傷んで、通行禁止になっている橋を見たことを思い出しました。それがいったいいつ頃のどんな台風だったのかが、どうしても思い出せません。おそらく小学生かあるいはもっと小さい頃のことだったかもしれません。
そこで、新聞データベースで調べながら、過去にどのような水害がこの町および栃木周辺で起こってきたのかを調べてみました。
1911年7月の「栃木地方大台風」
100年以上前の新聞ですが、栃木の台風被害の記事が見つかりました。渡良瀬川、鬼怒川、巴波川、黒川、永野川と県南部の多くの河川が増水し、周辺家屋の浸水被害などがあったそうです。
1947年のカスリーン台風
上記の県の資料を確認すると、1947年9月のカスリーン台風が大きな被害をもたらしたことがわかります。当時の新聞でも、県南部を中心に渡良瀬川、利根川流域で甚大な被害と報じられています。
9月14日から15日にかけて関東地方に接近(上陸はせずにそのまま東海上に抜けていった)し、大雨を降らせた台風ですが、その数日後には東京の河川が次々氾濫し、葛飾区、江東区、江戸川区などで大規模な浸水が起きています。
1980年代の台風被害
私にとっておそらく覚えている年代であるのが、1980年代以降です。とりわけ1982年は台風や豪雨の当たり年だったようで、県庁の過去の災害の一覧では、82年および86年だけが独立したページとなっています。
1982年8月、台風10号
8月1日〜2日にかけて本州を縦断した台風10号は、とくに東海地方に大きな被害をもたらしました。3日の新聞では、東海道本線の橋脚流出の様子や神奈川、山梨での土砂崩れの写真が掲載されていました。
栃木県内でも河川の増水、橋脚の崩落などが起きていました。下は4日の栃木版。
さらに82年は、9月半ばにもう一度大規模な豪雨災害が起きています。
1982年9月、台風18号
(毎日新聞9月13日朝刊)この台風は、ちょうど今回の台風19号のように、関東から北へと進路をとり、関東でたくさんの浸水被害が出ました。この台風の記事ですが、一面は新宿区で胸まで浸かる水から救助されている男性が写っていて、非常に深刻な被害であることがわかるのですが、地域面の記事を見るとどうも変なのです。
(東京版)都内全域で家屋への浸水、車の故障、道路の冠水などの被害が出ているのに、「水攻めサンデー」?そんなんでいいのだろうかと心配になります。
こちらは同じく9月13日の読売新聞社会面。「東京ぐっしょり、うんざり、暴れ神田川」。これも掲載されている写真を見るだけでとんでもない状況だと分かるのですが、何やら他人事のような見出しです。
この台風は当然栃木県にも大量の雨を降らせ、いくつかの河川を氾濫させています。(9月14日、朝日新聞栃木版)
県南部でも巴波川が増水し、下流の藤岡町部屋地区では住民が避難する事態になりました。
宇都宮市の鬼怒川に架かる喜楽橋が落ちたニュースです。「940万円 二週間でパー」というサブタイトルにがっくりしてしまいます。いいのか「パー」って?
気になって他の新聞も調べてみました。
こっちは「940万の費用おじゃん」。こういう表現もいまは使いませんね。
1986年8月の台風10号
もうひとつ80年代の当たり年だったのが、86年です。この年にも台風による豪雨で、とくに栃木県東部から茨城県西部で河川の氾濫、家屋の浸水などの被害があったようです。
この年には私はすでに10歳で小学4年生だったので、この台風のニュースは家で見ていたかもしれません。このあとも、89年、91年、98年と平成以降にも台風の被害は続いていました。
大学のデータベースを使って調べられるのが全国紙および朝日新聞栃木版だけなので、いったいいつの台風で永野川の橋脚が壊れたのかはわからずじまいでしたが、少なくとも私が子供だった80年代に限定しても、これだけの台風が栃木を襲っていたのだと分かりました。86年の新聞記事にもあるように、栃木に住んでいると「ここは災害が少ない県だから」と思ってしまいがちですが、実際のところはそうでもないのだと、改めて気づきました。
今回の台風19号の被害については、近いうちに帰省して、実家近所の様子を確認したいと思います。現時点でできるのは、ふるさと納税による寄付くらいしかありませんが、栃木や他の被災地の暮らしが一日でも早くもとに戻ることを願っております。
おまけ 昔の事件が興味深い
今回、過去の台風の記事を探すため、たくさんの新聞の縮刷版を読んでいました。日頃は外国の本や雑誌を読んで研究をしているので、あまり古新聞にふれる機会がありませんでしたが、ちょっと昔の紙面というだけでもずいぶん今とは違っていて新鮮です。台風の記事のついでに見つけたいくつかの記事を紹介しておきます。
82年9月の台風時に起きた、非行少年達による放火事件
雨宿りのために民家に侵入し、濡れた服を乾かそうとふすまに火をつけ、逃走を図ろうと車を盗み、と雪だるま式に犯罪を重ねる少年たちでしたが、人を傷つけたりする前に捕まってむしろよかったと思います。
昭和2年、人造絹工場の材料を盗もうとした男、盗んでも無駄という専門家
県のデータによると、昭和2年4月の大雨で、永野川が氾濫したという記録があったので記事を探しましたが、見つからず、代わりにこんな記事が出てきました。工場に侵入した怪青年が、「きつねにだまされて」と自供しているのが面白いですね。
昭和8年、栃木中学(現栃木高校)最初で最後の夏の甲子園
母校で私が在学当時も伝説的に語り継がれていた、旧制中学時代の甲子園出場(そのときのボールというのが保管されているのを見たことがあります)というのが、じっさいのところどんな試合だったのかを、データベースで調べてみました。
初出場の栃木中学は、最初の試合の日は、雨で順延となり、宿舎で待機していました。
メガネっ子が数人いるのが、母校らしい気がします。
その後第1試合に勝利し、二回目の試合(出場校が少ないのでもう準々決勝)では、松山中学と対戦しています。
最終回に落球が原因でサヨナラ負けしてしまったとのこと。残念ですが、大きく取り上げられていて、おそらく町でも大ニュースになったのでしょう。