ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

紺のスーツを着ていた私と黒くなっていった時代

入学式のスーツが真っ黒だ

というのが昨今話題になっています。

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有料記事なので読んでいませんが、まあ、たぶん今の学生がみんな大学入学時から就職活動を見据えて黒スーツを着ている。悪目立ちすることを嫌う、保守的な若者気質が批判され、就活用のスーツを入学時に買わざるを得ない現在の大学生の貧しさなどが語られているのだろうと思います。

私は勤務校の入学式には出ていませんが、卒業式には出ました。入学式、就職活動と黒スーツで過ごした学生たちですが、卒業式はおしゃれなスーツを着ている男子学生がたくさんいました。せっかくの日に備えて、派手なスーツを買ったのかもしれないし、就職先に合わせたスーツを着てきたのかもしれませんが、入学式と全く同じという学生は少なかったと思います。(女子学生が袴なので、男子もおしゃれを、ということなのかもしれませんが、私たちの頃は男子学生は概ね普通にスーツを着ているだけでした)

 

私は入学式に何を着ていたか

いまの学生たちは概ね黒のスーツを着ているようですが、この黒スーツが定着したのがいつなのか、という議論が最近関心を集めています。ある先生は96年から2000年の間に定着したと仮説を立てていました。

たしかに当時の大学の入学式で撮られた写真などを見ると、全体的に、90年代後半から一気に黒っぽくなってきたことがわかります。しかし、黒スーツなどほんとうにみんな着ていたのでしょうか?

私は一浪して96年に明治大学に入学しました。不本意入学で、気持ちは晴れなかったけど、両親と日本武道館の入学式に出席し、写真を撮っていました。

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わずか20年ちょっと前なのに、父も母もすごく若くて驚きます。私が19歳だったので、父は48歳、母は47歳でした。今の私とたいして変わらない年ですね。

この時私は、写真のように濃紺のダブルのスーツを着ていました。入学式では高校や予備校の友人数名と会いましたが、集合写真を撮ったりはしない(浪人だったので、そういう浮かれた気分になれなかったのでしょう)ので、周りの学生がどんな服を着ていたかはわかりません。しかし私と同じように、みなだいたい紺か明るめのグレーが多かったと思います。

この時代に入学式を迎えた私たちは、黒っぽく見えるにせよ、真っ黒いスーツなど入学式で着るものではないと思っていました。

 田野先生が指摘するように、私たちの時代は、実際その場にいた私たちは、黒いスーツなど着ているつもりはないものの、前の時代から見れば、もうすでに黒色化が始まっていたのです。

 

兄の時代は紺やグレーですらなかった

自分より年長の世代は、紺かグレーではなく、もっと明るい色を着ていたのでしょうか。たしかに思い出してみると、私より2歳上の兄は、意外な色のスーツを着て入学式に行きました。

兄は私と違って、93年に現役で東北地方に新設された美術系大学に進みました。美大だからカッコつけたということはまったくなく、家族で買い物のついでに寄った紳士服量販店で買ったベージュのスーツで、兄は入学式に出ていました。スーツ選びの場にいた私は、ベージュという選択に、肉色?ラクダ色?なんだか微妙だなと思ったものの、本人が着心地がいいというので、決めたことを覚えています。

 

紺スーツと青シャツを着た兄の卒業式

兄の入学式の写真はないものの、卒業式後に実家に戻ってきたときに撮った写真があったはずだと思い、古い写真のフォルダを探しました。私が大学1年の春休み(97年)に、兄は大学を卒業し、実家に戻りました。その時に二人で撮った写真で、兄はベージュのスーツを着ていたはずだと思っていたのですが、見つかったのはこの写真でした。

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おや、と思ってよく見ると、兄が着ているのは、私が入学式に着た紺のスーツと、私が冬にバイト代で買ったポールスミスの青いシャツとチェックのネクタイでした。当時のことをほとんど覚えていないのですが、おそらく私が3月に帰省したときに、スーツとシャツやネクタイを兄に貸したのでしょう。まったく意図せず、そして兄自身なんの自覚もなかったはずですが、彼の卒業式は(前年に入学した弟のせいで)スーツ黒化の波に飲まれていたのでした。

 

私たちは意図して黒っぽくしていったわけではない

現代の若者たちは、入学式に買ったスーツをそのまま就職活動に使うそうですが、私たちの世代にはそういう考え方はなかったように思います。じっさい私の周りの友人たちの多くは、3年生の終わりごろに就職活動をはじめるとき、もう一度スーツを買っていました。彼らの多くが濃紺・グレーで無地のスーツを買っていました。私は就活を一切せず、新宿の会社でバイトをはじめたので、就活用とは少しちがう、チャコールグレーで柄の入ったスーツを買って、バイト用に着ていました。

2000年春、大学の卒業式には、冬用として新宿マルイで買ったスーツを着ていました。こちらは写真が残っています。

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元の写真をスキャンしたものを、Lightroomで補正してみました。細かい格子模様が入った濃いチャコールグレーのスーツです。ネクタイはティールグリーン(鴨の頭色)で、すごく気に入っていました。

当時の自分としては、スーツもネクタイもちゃんとかっこいいものを選んで、自分らしく着こなしていたつもりでした。しかし、現在の視点から見ると、すっかりスーツ黒化時代に取り込まれているのがわかります。

繰り返しになりますが、私も、この場所で同じように黒っぽいグレーのスーツを着ていたクラスメートたちも、別に何かの圧力を感じて、暗い色のスーツを着ていたわけではありません。いくつかの選択肢がある中から、選んで、これがいいかなと決めて、黒っぽいスーツを着ていたわけです。

そして、今の学生たちも別に、はじめから就活には絶対黒!黒じゃなきゃダメ、と強く思っているわけではないでしょう。黒が定着していった2000年代初頭の学生たちも、青や紺もいいけど、黒っぽい方がいいかなと、より黒に近い色を選んでいったのでしょう。

 

それにしても 記憶の中の色を思い出すことは難しい

正直なところ、いつから黒スーツが普及し、それがどのような社会の変化を反映しているのかという点について、私に言えることはないし、あまり関心もありません。それよりは、何を考えて当時は服を選んでいたのか、そして当時着ていた服の色を今の私がどうやって思い出せるのかということが、私にとっては気になりました。

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98年夏、プラハにて。ビールを飲んでいます。

虫のイラストが入った、このTシャツは当時気に入っていて、色もよく覚えています。

黄色いシャツ、青いセーターのように、名前をつけて保存しているからある程度色のイメージが記憶できているのかもしれません。また多くの場合、写真を見て記憶を上書きしている面もあるでしょう。古い写真の色は徐々に褪せてしまいますが、それに伴って私の記憶の中の色も、なんだか曖昧になってしまうこともあるでしょう。写真に残っていない服にいたっては、どんな色だったかなかなかイメージがしづらいように思います。

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85年、つくば万博にて。肩に白い線が入ったグレーのジャンパーは当時よく着ていました。

色をどう記憶するかという問題はけっこう難しいのですが、とても興味深いので、文献を読んだり、自分の写真を見直したりしてもう少し考えてみたいと思います。