ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

京都暮らしの思い出

 

夏の京都で、かつて住んでいた頃を思い出す

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八月始めに、観劇(地点によるイエリネク上演をみてきました)と研究会のため、何回か京都を訪れていました。京大周辺や、院生・助手時代に住んだ(2007~2011初めまで)銀閣寺道を久しぶりに見て、京都に住んでいた頃をあれこれ思い出しました。京都には14年春まで住んでいましたが、左京区を離れてすでに5年以上が過ぎ、京都で暮らしていた頃が、だいぶ以前のこと、懐かしく思い出す記憶になってきていることに気づきました。もう20年近く前、京都に住み始めた頃に感じていたことを、思い出してまとめます。

 

1)京都に住み始めた頃

学部入試の頃から憧れていた(しかしぜんぜん届かなくて一浪してもダメでした)京大に、大学院から入ることになり、当初は非常にうれしくて、意気揚々とした気持ちでした。(東京での生活については以前の記事を参照)

schlossbaerental.hatenablog.com

 

高校の同級生などをつうじて、少しは大学周辺の地理について知っていた私は、住環境がいいと評判の、北白川にアパートを借りました。部屋探しに行ったのは、2月のはじめごろでしたが、一泊二日でいそいで決めたこともあり、後になってみるとなんでわざわざあの部屋を選んだのかと思うような、奇妙な物件でした。

 

2)石原荘のこと

北白川の石原荘は、バス停北白川別当町から徒歩3分程度、少し坂を登ったところにありました。周辺には本屋さん(丸山書店)やカフェ(太陽カフェ)、銭湯(白川温泉・白川湯・高原温泉・銀閣寺湯・天神湯など徒歩圏内に5件)*1やコンビニなど生活に必要なものはそろっていました。スーパーも歩いて1、2分のところにありましたが、成城石井やイカリのような高級スーパー(マイケル)だったので、ビール以外ほとんど買い物をしたことがありませんでした(ビールやアルコール類については珍しいものがいろいろあったので重宝しました)。

石原荘はもともとキッチンなし4畳半の部屋だったところを、改装して二間続きにして、キッチンをつけた部屋でした。そのため、右側の部屋に玄関とキッチンがついていましたが、左側の部屋はドアはついているものの、ふさがっていて、ドアの裏には押入れがありました。(文章で説明すると要領を得ない感じになってしまうので、図にしてみました。)

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おそらくこの9畳という広さと押入れの大きさが気に入ってこの部屋に決めたのだと思います。あとは東京時代のアパート(4万円風呂なし)に比べたら圧倒的に安い、共益費込み3万2千円で共同シャワーと洗濯機つき、という点も気に入りました。

 

3)住み始めて気づいた、京都は田舎だ!

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(京大西側、東一条通りと鞠小路通の交差点を上がったところにある、有名な地蔵)

東京時代は、駅まで徒歩2分、大学もバイト先も駅から10分以内と便利だったので、ほぼ電車だけしか使いませんでした。下高井戸を引き払ってから四ヶ月住んだ豪徳寺はやや駅から遠くて13分くらいかかりましたが、それでも駅まで歩くのに苦はありませんでした。

しかし、住み始めてようやく気づいたのですが、京都市内を公共交通機関だけで移動するのはけっこう不便です。北白川別当町からは、京都駅方面と四条烏丸経由で松尾大社まで行くバスが出ていました。京都駅と、四条通りという二つの中心地に直接行けるので確かに便利なのですが、バスに乗ってみてすぐに気づきました。京都のバスはなかなかも目的地につかないのだということに。

北白川から京都駅まではおよそ7km程度、今の私なら、走って1時間以内で着きます。しかしバスに乗ると、途中で岡崎公園祇園清水道三十三間堂といった観光地を巡って行くので、早くて35分、昼間の時間帯なら50分くらいかかってしまいます。

 

追記:最新の情報から遅れる地方都市

京都に移って、一番大きな違和感を覚えたことを書きそびれていたので補っておきます。東京と違って、京都にはなかなか最新の情報が入ってきません。ネットで世界の出来事を同時に理解できる現在とは異なり、2000年代初頭には、やはり東京より情報量が少ない、最新の出来事が伝わってこないという状況がまだ残っていました。

四条通りの書店に行っても、欲しい本が見つからないし、東京で話題になった映画がなかなか京都まで来ない、来てもみなみ会館のみだったりします。卒論では、ドイツの現代演劇をテーマにしていましたが、当然演劇の上演を見る機会もほとんどありません。

東京にいた頃は、学部生の背伸びにすぎないのかもしれなかったのですが、あれこれ最新の情報、現代ドイツの動向や、流行りの研究テーマについていかなければならないと強く思っていました。だから、京都の大学に来て、ほとんどだれも現代文学に関心を持たないし、伝統的な作家作品研究ばかりやっている状況に、少なからず失望しました。

しかし、研究がなかなか思うように進まない時期を経て、逆に自分が、東京的なものに振り回されていただけだったのではないかと思うようになりました。新しい流れについていかないというのは逆に言えば、世の中の動きに左右されずに学問に集中できる環境でもあります。せっかく京都にいるのだから、古い文献を使った研究をしたほうがいい。というわけで、修士論文を書いた後は、毎日京大図書館の書庫に入って、カード目録で本を探したりして、パリパリになった古い文献を漁る研究スタイルを取ることになりました。

 

4)バイクや自転車に乗る

大学に通い始めてすぐに自転車を手に入れましたが、白川通りの坂道を上り下りするのがけっこう苦痛でした。市内や大学からは、10分以上坂を登り続けなければいけません。最初の夏休みに塾講師をしていましたが、ワイシャツにネクタイで毎日汗だくになって自転車をこぐうち、もうちょっと便利な交通手段はないものかと思うようになり、9月に自動二輪の免許をとりました。

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(ぐねぐねした吉田上阿達町の路地)

その後バイクを買い、2007年ごろまで乗っていました。当時の京都では、路上駐車のルールがゆるかったこともあり、バイクが非常に便利でした。しかし2005年ごろから駐禁取り締まりが厳しくなり、市内中心部でも駐車できる場所が非常に限られてきたので、バイクは手放しました。

 

5)観光の拠点に住んでバス移動なら便利

京都に住み始めて7年目に、最初の引越しをしました。下高井戸の美並荘につづいて、京都の石原荘も、建て替えのため、立ち退かなければならなくなったからです。東京での立ち退き時には、たくさん立ち退き料をもらって、ウッハウハになりましたが、京都では契約が切れるタイミングだったこともあり、敷金しか戻ってきませんでした。

石原荘から引っ越すときは、前回の失敗を繰り返さないよう、バス停を決めて物件探しをしました。京大周辺で便利なのは、出町柳駅周辺と高野の交差点付近です。しかし住環境は白川通り方面のほうがいいので、私はたくさんのバス路線が通っている、銀閣寺道交差点付近を選びました。銀閣寺は人気の観光地なので、ここから京都駅、市内中心部だけでなく、多くの観光地に行ける路線が出ています。大学までは歩いても15分以内、自転車なら5分とだいぶ近いところです。2007年に引っ越してから半年後にバイクを手放しましたが、銀閣寺道から乗れるたくさんのバスのおかげで、遠くに行くにもあまり不便を感じることがなく暮らせました。

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6)いつまでも左京区にいてはいけないのではないかと心配になる

京都は学生の街、若者が暮らしやすい街といわれています。たしかにそうです。朝から晩まで働き続ける、会社員的な生活が規範とされる東京に比べると、京都では、働こうが働くまいが、夜遅くまで遊び歩いていようが、みんな自由です。たしかに大学院に通い始めた頃は、この街ののんびりした雰囲気と自由さが新鮮でした。

しかし、30歳を超え、ようやく風呂付きアパートに住むようになった頃、もう少し先のことを考えないといけないなあと思い始めると、逆に無職と老人と学生ばかりの左京区にいつづけることが、なんだか居心地が悪くなってきました。

2011年春に、入籍するさい、私はもう京大の非常勤講師だったので、学生とは立場がちがうし、もう学生街に留まり続ける必要はないと判断して、右京区に移りました。週一回の京大での授業には、バスで40分くらいかけて通勤し、本務校の精華大学には、ロードバイクで片道12kmの坂道を往復しました。市内の移動だけなのに、かなり過酷な通勤をしていたと思います。それでも、若い夫婦や子供がたくさんいる世帯など、左京区ではあまり見なかった、普通の市民の生活に参加できている気がして、なんだか新鮮に感じました。

7)京都での生活とは何だったのか?

今の大学に勤め始めてから、ふたりとも大阪の大学で仕事をするようになったので、阪神間に移りました。大阪府内のほうが、たしかに近いし家賃も安いのですが、西宮や芦屋はいつも電車が空いているし、梅田までなら非常に近いので大変便利です。

左京区を離れて6年が過ぎ、なんかすっかり生活も仕事も、京都時代とはまったく違う環境に移ってしまったのだなあと、改めて感じました。ときどき仕事などで京都に行くと、あの生活は何だったのだろうと思います。

モラトリアムとか、サークル部室とか、いろいろな例えがありますが、なんかそういうのはピンとこないように思います。

左京区時代と、それ以外の場所で過ごした時期とを比較して、一番大きいのは、左京区では時間の流れを意識しないでよかったということです。石原荘に7年住んでいたけど、私の両隣の住人は同じでした。しかし、今のマンションでは、住み始めて4年なのに、ほうぼうで住人が入れ替わり、エレベーターに乗り合わせる子供さんはどんどんお兄ちゃんお姉ちゃんになっていきます。京大とその周辺だけで過ごしていられたあの10年余りの年月は、まさに、自分が歳をとるということも含めて、年月の流れをまったく考えずに、のんびり好きなことに没頭できた時期だったのだと思っています。

*1:東京では4年間銭湯通いだったので、京都ではシャワー共同や自室に風呂のついた部屋に住んでいましたが、一人暮らしの間はほぼずっと銭湯に通っていました。残念ながらここに挙げた銭湯はみなこの15年ほどで廃業してしまいました。