ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

最近買った本6月7日

第一クオーターの期末試験

早いものでもう6月です。

非常勤先の神戸大学は第一クオーターが終わったので、1回目の期末テストです。

前期後期と年2回に分けてテストと成績評価をしていたのに、昨年から4学期制になり、半期に2回テストと成績評価をしないといけなくなりました。めんどくさくてしかたがありません。

めんどくさいだけでなく、授業内容の上でもマイナスしかありません。テストの前後一週間はそのための準備やフィードバックにとられてしまうので、半期で教えられる内容は、これまでよりも2、3回分少なくなってしまいました。2015年度には、後期の前半をつかって、グループワークをしましたが、4学期制になってからは、1ヶ月以上使うような大きなワークがしづらくなってしまいました。

学生にとっても、ちょっと勉強したらすぐに試験なので、落ち着かないだろうと思います。多くの大学で導入が進んでいる4学期制ですが、神戸大学の場合は優秀な教員と学生がいるから成り立っているのだろうと思います。私の勤務先も含め、私学にまで広がって来たらと思うと恐ろしいので、このあたりでもうやめてほしいところです。

 

散髪・カレー・ジュンク堂

昨日は、1、2時限目に試験をして、お昼頃には仕事が終わったので、アクタ西宮に出かけて、床屋さんにいってきました。

西宮市の中心である西宮北口ですが、駅前には、家族連れやオサレ大学生などに人気のガーデンズ西宮と、地味なアクタ西宮という二つのショッピングモールがあります。

私が利用するのは、もっぱらアクタのほうです。1階の床屋さんが安いので、引っ越してから3年間通っています。さらに飲食店街にあるカレー屋さんでお昼を食べ、そして4階のジュンク堂で本を買うというのが、毎回セットになっています。

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らっきょうがおいしいカレー屋さんです。

中島義道『東大助手物語』ほかを購入

今回ジュンク堂で買った3冊に加え、帰宅したらアマゾンからも3冊届いていました。

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東大助手物語 (新潮文庫)

東大助手物語 (新潮文庫)

 

 学部生の頃に読んだ、『孤独について 生きるのが困難な人々へ』で書かれた著者の壮絶な半生の中から、とりわけ助手時代のパワハラについて振り返った本です。著者は1946年生まれなので、ちょうど私の親と同世代です。私たちの分野だと、このくらいの世代は、東大・京大などを出ていれば、博士課程に3年在籍しないうちに専任教員になるのが一般的でした。

現在の感覚で読むと、中島氏が30代後半で助手で、助教授として他大学への就職を狙っているというのは、全く普通の話ですが、当時著者が感じていた焦りは相当なものだったろうと想像できます。

私は幸いパワハラアカハラの被害に遭わずにここまでやってくることができました。しかし、著者が本書で語るようなハラスメントは残念ながら、今の大学においてもまったく変わらずに起こっています。私たちはなんとなく、昔のほうが、職場のハラスメントなどはひどかった、いまのほうが生きやすい時代になっていると思いがちですが、実は全くそんなことはないなと思うことがよくあります。

 

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)

 

私が学部時代に読んだのは、文春新書版でしたが、現在は文庫になっているようです。著者が東大文1に現役合格しながら、教養学部科学哲学に進み、本郷の哲学科修士課程に進学たのちに中退、また法学部に戻って卒業したのに、ふたたび哲学科修士課程に入り直す、という紆余曲折が語られています。その後著者はウィーン大学で哲学の博士号を取得し、37歳で東大駒場の助手となります。 

この本を読んだ当時は、こんな人生もあるのかと感心し、なんとなく勇気付けられたような気持ちになりました。しかし、その後自分も同じような人生を進むことになるとはきっと考えていなかったでしょう。もう30代後半なのに、身分が不安定だなんて大変だなあ、と他人事のように思った私ですが、大学院を出たのは33歳、学位を取ったのは36歳、就職したのは37歳の時と、著者と似たような人生を歩みつつあります。

 

現代スポーツ評論36 特集:大学スポーツの産業化

現代スポーツ評論36 特集:大学スポーツの産業化

 

科研グループで一緒だった、高知大の中村哲也さんが寄稿されているので買いました。そして、この春からハンドボール部部長となり、大学の運動部とはどうあるべきかと考え始めたので、特集の大学スポーツの産業化は、非常に興味深く読みました。

昨今話題の、日本版NCAAについての座談会や論考が収められています。大学スポーツを活性化するために、事業化していこうというのが、日本版NCAAなのですが、私自身はこの構想については懐疑的です。事業化のまえに、もっと議論し、整備しないといけない問題がいっぱいあるのではないかと思います。 

中村さんの論考で取り上げられている、スポーツ学生の学業の問題や、スポーツ施設を誰が使うべきか、という論点は非常に重要です。とりわけ学生スポーツは、大学に所属している選手がスポーツをするというものなので、本業である学業がおろそかになってはいけないし、ほとんどのスポーツ学生は、プロにも実業団にも入らないのだから、競技者でなくなってからの人生を考える場として大学がもっと活用されるべきだと私は思っています。しかし、スポーツ学生はもっぱら競技に集中すべき(そして多くの大学に体育やスポーツ専門の学部が作られ、そこに特待生が集められ、孤立してしまう)という逆の方向が主流となりつつあります。

まだぼんやりとしか分かっていませんが、日本版NCAAが目的とするのは、野球やラグビー、駅伝のような人気のあるスポーツ分野を事業化して、よりいっそう盛んにし、オリンピック他日本スポーツのエリート層を伸ばしていくということらしいです。しかしこのことが、日本スポーツ全体の活性化につながるかは疑問です。

スポーツの大衆化ということについては、昨今マラソンが人気となっているように、日本では、個人で、どこでもいつでもできるスポーツくらいしか流行っていません。場所や時間、仲間を必要とするようなスポーツは、学校を出てしまうと、ほとんどできなくなっているのでしょう。だれもがスポーツをすべきとは全く思いませんが、幾つになっても、個人競技以外にも、もっとスポーツをする機会が得られればいいのに、とはいつも思います。

 

 『資本論』はごくわずかしか読んでいないので、参考にしつつ読みます。

 

身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編 (新潮文庫)

身体巡礼: ドイツ・オーストリア・チェコ編 (新潮文庫)

 

 昨年夏にウィーンで見に行った、ナーレントゥルムやヨゼフィーヌムなどの医学博物館が紹介されていました。他にもこれから行く機会がありそうな場所が取り上げられているようです。

 

 この種の、昔の西洋人が日本をどう見ていたかという話は好きで、これまでもイザベラ・バードなどいろいろ読んできたので、買ってみました。

 

 院生時代の先輩がカンディンスキーを研究していましたが、秘教的で何を言っているのかよくわからなかったことを覚えています。その後心霊主義について調べるうち、カンディンスキーもやはり心霊主義と近いところにいたということがわかりました。彼がどのようなことを考えてあんな作品を描いていたのか気になるので読んでみます。