ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

教科書を作ってみた

単著の教科書が出ます

朝日出版社から、2019年度春に、大学初学者向けドイツ語教科書を刊行することになりました。ようやく見本ができました。 

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タイトルは『ミニマムドイツ語』です。表紙にはドイツ語タイトル(Sei fröhlich! Deutsch für Anfänger)が入っています。

こちらに紹介ページも作ってもらえました。

text.asahipress.com

何年もかけてじっくりとではなく、締め切りに追われて必死で書いた本なので、自分の教科書がいかに優れているか、なんてことは怖くて言えません。今回は、どういう経緯で教科書を書くことになったのか、そして半年余りの教科書づくりのなかで考えたことをまとめます。

 

軽い気持ちで引き受けて激しく後悔する

ある程度ドイツ語教員として経験を積んでいく中で、教科書や教材を作ってみたいと思うようになり、そのことはときどきブログにも書いてきました。

tetsuyakumagai.blogspot.com

前ブログに非常勤講師時代に使ってきた教科書の感想を書いていました。

schlossbaerental.hatenablog.com

schlossbaerental.hatenablog.com

これも前ブログからの転載記事です。今の職場に着任した当初、統一教科書が気に入らず、自分でプリントを作りながら授業をしていました。

schlossbaerental.hatenablog.com

また、2年前に使ったアクティブラーニング授業向けの教科書について書いた記事は、その後いろんな先生方からご意見をいただくきっかけになりました。

教科書を作ることになったきっかけは、私が担当している通信教育部の教材を見直したほうがいいと同僚の先生方に言われたことでした。通信教育部のオリジナル教材は、ちょうど10年くらいまえに当時の近大ドイツ語のメンバーで書いたものでした。難易度や情報量など、確かに充実しているのですが、あきらかに通信教育部の学生のレベルには合っていないし、使いにくいだろうと思えました。

この、教材見直しの話に朝日出版社さんが協力してくださるというので、それならば通信教育部だけでなく一般の大学でも使ってもらえるものを書いたらいいか、ということになったのでした。

どんな教科書にすればいいのか?

いざ教科書を書くことになったものの、どういう本にすればいいのか、考えをまとめるだけでずいぶん時間がかかりました。おそらく、最初に教科書を出す話を聞いてから、構成を考えるだけで半年くらいかかっただろうと思います。

 今回の教科書はタイトルが『ミニマムドイツ語』です。さまざまな教科書が各社から出ていますが、週1回しか授業がない中堅レベルの大学では、すこし難しすぎたり、量が多すぎたりするものばかりです。

また、アクティブラーニング型や付属DVDの映像を見ることが前提となっている教科書などは、教員の授業の方法をある程度指示します。以前の記事でも書いたように、学部ごとに共通教科書を決めている本学のようなところでは、なるべく、教員がどのように教えるのか(アクティブラーニング型か、座学中心型かなど)を強く指示するような教科書は選びにくいという事情がありました。

先に書いたように、通信教育部の教材にも使うのであれば、独習でもある程度勉強しやすい形式にしないといけません。

私が作った教科書は『ミニマム』 なので、最低限の内容だけにしぼっています。その上で、教授用資料の問題集をつかったり、あるいはグループワークやプレゼンテーションなど、それぞれの先生ごとに考えたワークを組み合わせて授業をしてもらえればと思っています。

やっかいなシラバス問題

(これはややデリケートな問題かもしれませんが、この教科書の内容を決める上で重要な要素でもあるので、書いておきます)

このような事情に加え、昨今はシラバスと実際の授業の乖離ということも頭の痛い問題となってきました。詳しく言えば、私たちが毎年採用する教科書の多くは、初級文法のすべて、接続法2式まで含まれています。シラバス作成者は、便宜上、教科書の最後のページまで終わるように、シラバスを書きます。

しかし、週1回しか授業がないので、当然最後まで終えることはできません。 無理にシラバス通りに進めれば、学生は消化しきれずテストが成立しなくなる恐れがあります。それならば、実際の進度でシラバスを作ればいいのかというと、それもちょっと難しいものがあります。たとえばドイツ語総合1、2という科目が各学部にありますが、そのシラバスはほとんど私が一人で書いています。実際に担当するのは各学部の専任教員と30名近い非常勤講師の皆さんです。担当教員によって、当然ながら進度はいくらかズレます。また、せっかく2000円以上もする教科書を買わせるのに、6割、7割程度しか進まないのはおかしい、というクレームがでる恐れもあります。ならば、シラバスはあくまで目安として、幅をもたせた書き方をせざるを得ないということに現在は落ち着いています。(実際の進度は、2年目で現在完了形や受動態くらいまでです)

シラバスや進度について、私のいる経営学部で学生から意見が出ることは一度もなかったのですが、別のある学部では、シラバス通りに授業が進まないのはおかしいとか、担当教員ごとに進度やテストの難易度が違うのは不公平だ、という意見が自治会から提出されました。ひどい言いがかかりだと思いましたが、非常勤の先生方に事情を説明し、ある程度進度や難易度を揃えて欲しいとお願いしました。この問題に直面したので、やはりこの大学に合わせたオリジナル教材は必要だと思うようになりました。

単著ということ

教科書を書いたという話をすると、単著だなんてすごい!と褒められますが、正直なところ、私が無力だったために一人で書かざるを得なかったということでしかありません。つまり、私がもっと早くから計画的に動いていれば、他の先生方にあれこれ仕事をお願いしたり、ネイティブの先生に文章を直してもらったり、チームで教材の方向性をよく話し合ったり、といったことができたでしょう。しかし、今年春頃までろくに何も考えずに過ごしていたため、もう誰か人に頼っていては、今年中に出せなくなってしまうかもしれなかったので、一人でできることに絞って本にしました。

8月に全10章の原稿を提出したものの、自分が作った会話文がほんとうに大丈夫なのか、最後まで不安がありました。結局9月に音声吹込みをする直前に、じっさいに吹き込み担当のネイティブ先生に文章や練習問題を添削していただけました。

音声を吹き込んでくださった、ディアーナ・バイアー・田口先生、エンリコ・赤松先生には、当日のスタジオでもさまざまなご意見をいただけました。単著ですが、お二人のコメントがなかったら、教科書は成り立たなかったでしょう。

 

会話文は習ったこと以上の内容を含めていいのか?

教科書を書く上でいちばんやっかいだったのは、習った文法事項のみを会話文にするということでした。つまり、分離動詞がまだ出てこないのに、Kommst du mit?のような分離動詞を使った文章を入れると、そこだけ教える際に教科書を先回りして説明しないといけなくなることを心配したのです。

しかし、考えてみれば、一番最初にでてくる、Ich komme aus Osaka.という文には、だいぶ後に出てくる前置詞ausが含まれています。*1aus, in, nachなどの前置詞は、前置詞の課よりも前に何度も出てくるし、他の多くの教科書でも早く出てくるのが当たり前くらいの扱いです。ネイティブ先生のコメントで原稿を直しながら、別に既習の文法、単語しか使わない、というルールに縛られすぎる必要はないと思いました。

 

教科書の設定をどうするか?

一人で教科書を書く上で、もう一つめんどうだったのは、教科書全体の設定をどうするかということでした。文法書ではなく、会話文やグループ練習もある教科書なので、会話文には、どんな人を登場させるのか、どこを舞台にするのか、ストーリーに一貫性はあるのか、といったことを考える必要がありました。

schlossbaerental.hatenablog.com

四月に書いたこの記事ですが、他の人が書いた教科書を見比べながら、どのように世界観やストーリーを作ればいいのか当時必死で考えていたのです。

教科書におけるストーリーというのは、よくあるケースでいえば、東京出身のドイツ語を学ぶ女子学生(なぜかたいてい主人公は女子です)が、ベルリンやミュンヘンに留学し、現地のやさしいドイツ人たちと交流し、パーティーに行ったり、遠足をしたりと現地生活を楽しみ、最後は「ぼくに時間とお金があったら、日本に行くのに」(接続法2式)とかなんとか言われつつ帰国する、といったものです。

なにせ大してドイツ語ができない私が一人で書いているので、人間関係や世界観をしっかり詰めたストーリーは無理だとあきらめました。また、登場人物が多いと、音声吹き込みの際に手間とコストがかかるので、男女4人(日本人2、ドイツ人2) をメインのキャラにして、基本男性と女性の一人ずつの対話という形式にしました。

会話文の舞台をどこか特定の都市にする(そしてその都市の名物や観光地を紹介する)ということも考えましたが、なにせ夏休みに噴水を撮るくらいしかドイツに行く機会がない私ですから、いちおう最近なんども行ってるミュンヘンを彼らの住んでいる町と設定しました。

主人公にしたのは、大阪出身の女子学生ミドリです。名前をどうするかちょっと迷いましたが、妻の名前からとりました。もう一人の日本人男子はタクヤです。これは私の名前をちょっと現代的にアレンジしたものです(最近の学生に、もうテツヤという名前はほとんどいません。テツヤは過去の名前となったようです)。

ドイツ人学生の名前は、人気名前ランキングから適当に決めたSophiaと、神戸大学で学生にもつけていたEliasにしました。本当は、EliasとFelixをミドリの友人として出したかったのですが、男子を二人も出すとストーリーを考えるのがめんどうだし、吹き込みに人数が要るためやめました。

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カメラ道楽がようやく役に立つ

教科書で力を入れたのは、表紙、裏表紙の写真や隙間に入れたコラムや街の紹介などです。コラムには、すでに他の教科書でも書いたネタですが、ドイツ語と英語の綴りの違い(yearがJahrになる、clearがklarになる)や名詞の性がどのように決まるかといった内容、そしてこのブログで書いていた所有冠詞と2格の区別などを文法コラムとして入れました。

表紙には、私自身がミュンヘンやウィーンで以前から撮りためていた写真を使ってもらえました。とくに、今年α7R2にトキナーの広角レンズをつけて撮った、ミュンヘンのマリーエンプラッツは自信作です。表紙に大きく載せてもらえて嬉しく思います。

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左上から時計回りに、マリーエンプラッツ、ミュンヘンの地下鉄、アウグスティーナーのビアガーデン、ウィーンの国立図書館です。

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裏(左上から)インゴルシュタットで食べた豚のスネ肉、ホーフブロイハウスのビアガーデン、フライブルクで食べたフラムクーヘン、ローテンブルクのシュネーバル、ウィーンのカフェのアインシュペンナーです。

食べ物や飲み物の写真も入れた方がよかろうと、フォルダを探したのですが、肉料理やビール、ワインの写真ばかりで甘いお菓子類をほとんど撮っていない(あっても、駅のパン屋で買った見た目が今ひとつなケーキとか。ちゃんとしたお店でケーキを食べる習慣がないので)ことに気づきました。かろうじて見つかったのが、この夏に食べたシュネーバルでした。

 

まだまだ仕事は終わってない

教科書はこのようにめでたく完成したわけですが、私の仕事はまだまだ終わっていません。いま必死で教授用資料の原稿を書いています。教授用資料として、各課の内容に関連した単語や練習問題を付ける予定です。しかし練習問題の形式をどうするかとか、問題自体を考えたりするのには、どうしても時間や集中力が必要で、なかなか作業が進みません。

それから、おそらく全国の大学に多くの見本誌が配られる中で、いくつかミスが発見されたりするのでしょう。あるいは面白くないとか、簡単すぎて使えないといった辛辣なコメントをもらうこともあるだろうと思います。

あとは、おそらく私の勤務先ではいくつかの学部で採用することになると思うので、非常勤の先生方に、授業の仕方などを提案できればとも考えています。できれば、私が普段の授業で使ったり、教科書づくりに参考にした、他の先生の教科書を、リンク集みたいな形で紹介したいくらいですが、まあそれはやめておいたほうがいいかもしれません。

今回、はじめて教科書という形でドイツ語文法をまとめてみて、いろいろこれまで考えなかったことや知らなかったことを気付かされました。今後、また大学向けの教科書を作ったり、あるいは一般向けの入門書を書くこともあると思います。今回の経験を生かして、もっといい本を書きたいものです。

*1:今の勤務校ではあまり経験しないことですが、第1回目の授業で挨拶Guten Tag! Guten Morgen! Guten Abend! Gute Nacht!をおしえると、なぜNachtだけguteなのか?という質問をうけることがあります。これを説明するには、Tag, Morgen, Abendと異なりNachtが女性名詞で、形容詞gutが男性4格のときguten、女性4格の場合はguteになるということを説明しなければなりません。そもそも4格とは何か?元の文はIch wünsche Ihnen einen guten Tag!だったとか、丁寧に説明しようとすると大変なことになります。