ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

大阪の台風被害

また天災がやってきた

ドイツから9月1日に帰国しました。1日に帰国したのは、3日から一泊二日でドイツ現代文学ゼミナールがあったためです。私は2日目、4日の午前中に口頭発表をする予定でした。しかし、帰国前から懸念していた台風21号が、かなり強い勢いで関西を直撃することがわかったので、1日に大阪に戻ってすぐにメールを回して相談し、現文ゼミは延期することに決めました。

その後台風が実際に来ました。幸い私の家も職場も何一つ問題はないのですが、まだまだライフラインが復旧していない地域は残っています。今日は、私の住んでいる福島区周辺での被害状況とその後の復旧の様子を写真で紹介します。(もちろん私の見た範囲での被害がそれほど大きくなく、テレビでももう報道しなくなったからといって、大した被害ではなかったということではありません。まだまだ不自由な生活をしている人がたくさんいるし、復旧に時間がかかるところもあることもお伝えしておきます)

 

12時ごろ台風の気配が近づく

3日は特に何事もなく、4日もJRほか鉄道は止まっているものの、お昼近くまで、全く何も変わらない、ちょっと天気が悪そうな日という様子でした。

私も妻も、鉄道が止まっていて何もできないので、朝から自宅でじっと過ごしていました。昼食をとる時間帯あたりから、にわかに空が暗くなり、雨が降り始めました。

西側に面したリビングには、壁に換気口がついています。エアコンのドレーンから空気が逆流してポンポン鳴るのをふせぐため、日頃は換気口を開けています。

(注:エアコンからのポンポン音については、こちらを参照)

運転していないのにエアコンから「ポコポコ(ボコボコ)」と音がします。 (動画説明あり) - エアコン

しかし、昼過ぎから換気口からかなり強い風が室内に入り込むようになりました。音がうるさいので換気口を閉めようとしましたが、風圧が強すぎてなかなか閉められませんでした。ベランダには日頃からほとんど物を置いていません(高層階なので)が、物干し竿が出しっぱなしになってたことを思い出し、慌てて回収しました。(その後の暴風を考えると、物干し竿くらいは簡単に飛ばされていただろうと思います。)

ここ数年で最大級の台風というテレビの情報があったので、どれほどのものが来るのかと心配して身構えていましたが、最大級の暴風は、14時ごろ、一気にやって来ました。

 

家屋の屋根が飛び、マンションの屋根が剥がれる

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暴風のピークの時間帯には、窓の外にさまざまな物が飛んでいくのが見えました。日頃はどんなに風が吹いても私のいる部屋まで落ち葉が飛んで来ることはありませんが、葉っぱやゴミなどがすごい勢いで飛んでいくのが見えました。

初めて経験したことですが、部屋が海に浮かぶ船のように、断続的に揺れていました。7月に来た台風の時も、かなりの風と雨に驚きましたが、部屋が揺れるほどではありませんでした。約2時間くらい建物全体がゆらゆら揺れるのを感じていました。

一番驚いたのは、すぐ近くのマンションの屋根が飛ばされたときでした。まだ築20年ほどのマンションの屋根がめくれ上がるように剥がれ、ばらばらになって吹き飛ばされました。そしてマンションのすぐ下にある古い一戸建ての家でも、土埃とともに屋根が持ち上がり、飛んでいくのが見えました。 

 

夕方、点検と片付けが始まる

2時間ほど、室内で船酔いのような状態で過ごしましたが、夕方が近づく頃、風も雨も止んで、落ち着いてきました。

家の窓から町を見下ろすと、さまざまな物が道路に散乱しているのが見えました。紙や木の葉、枝などはもとより、どこかの家の屋根の切れ端や大きなゴミなども路上に転がっていました。国道2号線や阪神電車の線路上では、早くも点検作業が始まっていました。

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路肩には大量のゴミと屋根や壁の破片が吹き寄せられていました。

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大きな屋根の破片に警察官が集まっていました。

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街の人たちも外に出ていました。どこからか飛んで来た看板の破片をみんなで見ていました。

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阪神神戸線の線路上でも点検が始まっています。この写真では、信号機が大きくゆがんで、線路上まではりだしてしまっているのがわかります。

 

その後わかった被害状況

翌日5日は、朝から大学に行く用事があったので、早く出かけました。しかし鉄道は遅れがあったりして心配だったので、車を使いました。高速道路を通れば安心だろうと思ったからです。たしかに阪神高速は全く平気でしたが、高速に乗るまでの自宅近所の道路で戸惑いました。さきほどの画像にもあげたように、信号の向きが変わっていたからです。交差点でどこを見たらいいのかわからず迷いましたが、ほかの車の様子を見て、無事にすごせました。(しかし電気が止まって、信号が機能していない場所もあったのだとあとで気づきました。車に乗るのも安全ではないと思いました。)

5日の夕方、帰宅後に近所のスーパーに行きました。初めて自宅近所を歩いてみましたが、あちこちに爪痕が残っていました。剥がれ落ちたマンションの屋根の破片はまだそこここに残っていたし、信号もゆがんでいました。90度近く動いてしまって、2つの歩行者用信号がほぼ重なっているところもありました。そして、自宅前の街路樹がぼっきり根元から折れていました。

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この木は翌日には撤去されていました。

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ゴミ捨て場に集められた残骸。

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線路にはみ出していた信号機は応急処置として、この位置まで戻されていました。しかしまだ向きが直っていません。

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信号機が二つ重なっています。本来は別方向を向いていたものです。

 

ブルーシート等での補修が進む

6日頃になると、窓から見える街のあちこちに、ブルーシートが見えました。屋根や壁を飛ばされた家が仮補修されていました。

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このビルは屋上の手すりが倒れたようです。支柱と手すり部分に分けて片付けられていました。

f:id:doukana:20180907120115j:plainマンション周辺の植え込みは、多くの木の枝が折れたり、根こそぎ倒れたりしていました。

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梅田のスカイビルでは、ガラスの壁が割れていました。木の板か何かで補修しているように見えました。

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こちらのマンションは、最上階とその下の階で、ひさしに嵌っていたガラスが割れています。

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西野田工科高校の屋上です。手すりや風車、太陽光発電パネルなどが倒れています。

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マンションの下にある小学校の体育館です。屋根の一部が無くなっています。

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屋根が剥がれたマンションはまだそのままになっています。剥がれかけた部分が、もう一度強風が来たら落ちてしまうのではないかと心配です。この建物自体も15階建くらいとけっこう高いので、そう簡単に補修工事ができそうにないのでしょうか。

 

以上のように、自宅の窓から見える範囲の被害状況をまとめておきました。

私たちの住む大阪市内西部(西、福島、此花など)の地域はほとんど停電などはなかったのですが、市内でもまだいくつかの地域、そして泉州の多くの市町村では停電が続いています。停電が解消されても、今度は屋根や電柱などの補修もしなければなりません。被害にあった人たちが元の生活に戻るにはまだまだ時間がかかりそうです。