ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

おばあさんを送る

祖母、98歳の大往生

母方の祖母の葬儀に出るため、久しぶりに母の実家がある宮城県に出かけていました。祖母と会うのは、2010年の春以来でした。その当時も祖母はもうだいぶ高齢で、なかなか顔をあわせる機会がないから、と山形への出張のときに無理やり寄り道したのでした。

その後母からはときどき様子を聞いていましたが、残念ながら再び会うことはありませんでした。

1921年生まれの祖母は、数え年で98歳、もうすぐ満97歳になろうというところだったので、だれもがしょうがない、よく生きたと受け入れることができました。

今回の葬儀では、前回祖父が亡くなった15年前から、あるいはもっと以前から会っていなかった母方の多数の親族に会うことができました。また、新緑の山里の景色を楽しむことができました。

 

母の田舎は、宮城県栗原市

母の実家がある宮城県栗原市栗駒文字の家は、神戸空港から仙台まで1時間半、その後レンタカーで約2時間かかる、宮城県北部の奥まった場所にあります。父の実家も同じ宮城県ですが、港町石巻にある父の実家と、山奥の母の実家は同じ県とはいえ、まったく風景も文化も異なっていて、小さい頃は移動に丸一日かかるほど遠く感じました。

今回数年ぶりに文字の家を訪れてみて、30年以上前の子供時代から全く変わっていない村の風景に、なんともいえない懐かしさを覚えました。

f:id:doukana:20180520134525j:plain

f:id:doukana:20180520071425j:plain

お葬式に向かう途中で車を停めて、栗駒山を眺めました。 

ついた日(土曜日)は特にやることがないので、妻、兄とともに車で近くの湿原まで出かけていました。天気がよくなかったせいか、非常に温度が低かった(10度くらい)のですが、高原の自然を楽しむことができました。

f:id:doukana:20180519153534j:plain

f:id:doukana:20180519154428j:plain

 

晴れた日に、おばあさんを送る

この地域では、通夜は行わず、1日で火葬と葬儀、その後の会食と続きました。(たぶん15年前の祖父の葬儀の時もだいたい同じ流れだったように思います)。お通夜は行いませんが、その代わり前日には昼から夜にかけてずっと近所の人たちがお線香をあげに来ていました。

f:id:doukana:20180520072724j:plain

f:id:doukana:20180520081350j:plain

f:id:doukana:20180520082045j:plain

f:id:doukana:20180520091859j:plain

f:id:doukana:20180520115743j:plain

お墓がある洞泉院は、非常に立派なお寺です。伊達政宗の重臣だった茂庭綱元はこの地で晩年を過ごし、このお寺を創建したのだそうです。

f:id:doukana:20180520134323j:plain

佐藤家の建物からすぐ近いこの場所で、おばあさんはおじいさんや、もっと昔からのご先祖とともに、子孫を見守ってくれているのでしょう。

f:id:doukana:20180520134513j:plain

祖母の思い出

母の実家は農家だったため、農閑期になると、祖父母はかわりばんこに私たちの家に滞在し、孫たちの面倒をみていました。同じ栃木県北部にいる伯母(母の姉)のところにも1、2週間滞在し、そして私たちの家にもしばらくいてくれました。祖父母が家にいるときは、保育園のお迎えが(会社に勤めている母がくるよりも)早い時間になるので、いつもうれしかったのを覚えています。

祖母が最後に長期滞在したのは、おそらく私が大学に入る頃だったと思います。というのも、私が東京に出た頃に、実家には父方の祖父母が移住してきたため、以前のように長期滞在しづらくなったからです。

祖母と過ごした1995年の春は、ちょうど里帰り中だった兄もいて、祖母とみんなコタツに入って、毎日テレビでオウム関連のニュースを眺めていたのを覚えています。祖母の話す東北弁はやや難解で、一度聞いただけではなかなか理解しがたいのですが、毎日長い時間一緒にいるとだんだん慣れてきて、ニュースについてあれこれ話しをしていました。

 

母の家で過ごした夏休み

母方のいとこと会うのは、祖父の葬儀以来だったため、すごく懐かしくて、あれこれ昔の話をしました。特に那須にいる伯母の子供たちは歳が近い男子二人兄弟だったこともあり、夏休みには栗駒文字の家に来て、私と兄と4人で遊んでいました。

セミやトンボを捕まえたり、裏山の池に行って鯉やヒキガエルをみたり、夜には花火をしたことなどを思い出しました。一番上のいとこ(10歳上)には、小学校に上がる前くらいに、トイレに落ちたときに、お風呂場で洗ってもらったのを覚えています。

おばあさんが亡くなって、もう会えなくなってしまったのは本当に残念ですが、こうして一年で一番良い時期に、親戚一同が集まって、お互い元気な様子を確かめることができたのはなによりありがたいことだと思いました。

f:id:doukana:20180520185045j:plain

f:id:doukana:20180530235705j:plain

エアポートおじさん。

葬儀だけどアルバムを作ろう

今回は、先日買ったα7R2でお葬式の様子をたくさん撮りました。良い写真を集めて、親戚の皆さんにアルバムにして送ろうと思います。