ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

ドイツ現代文学ゼミナールの思い出

3月5日、6日はドイツ現代文学ゼミナール

3月前半は出張、校務、トレランと、毎日忙しく過ごしていました。3月5日、6日は箱根強羅で行われる、ドイツ現代文学ゼミナールに参加していました。この研究会は、毎年春休みと夏休み(8月末)に行われていますが、ここ10数年、ほぼ毎回参加しています。今回のゼミで、ちょうど70回目を迎えていたそうで、第1回目から参加されている先生方などが集まり、いろいろなお話を聞けました。30年以上前から参加している先生方の話を聞きながら、私も初めて参加した大学院生のころを思い出していました。

今回は、自分自身の思い出を振り返りつつ、ドイツ現代文学ゼミナールを紹介します。

 

現文ゼミって何をしているの?

ドイツ現代文学ゼミナール(通称現文ゼミ、GBSなどとも表記される)は、東京都立大などの教員・院生を中心に、1983年から始まりました。その後、都内の大学だけでなく、名古屋大、京都大、九州大などの教員・院生も参加するようになり、伊豆、箱根、信濃大町(八坂村)、塩尻、琵琶湖などいくつか会場を変更しながら今日まで続いています。(現在は春が箱根強羅、夏が琵琶湖です) 。

私が参加し始めたのは、修士課程2年目が終わる、2002年3月の回からでした。京大の先輩から、東京の大学から多くの先生が参加していると聞いたことがきっかけでした。何度かブログにも書いてきましたが、東京の私学を出て、京大院に進んだ私は、なかなか勉強や生活に慣れず、始めの数年間は東京に帰ることばかり考えていました。だから、現代文学ゼミに参加して、母校や他の東京からくる先生方と会うことが楽しみでした。

先日、本の間から、2002年に初めて参加したときの参加者名簿が出てきましたが、このときは57名も参加者がいました。最近では、30名から35名程度と、やや少なくなりましたが、活気は変わっていません。

現代文学ゼミナールで、どんなことをしているのかですが、1日目の午後には共通テクストについての発表があります。共通テクストは、最近1、2年のうちに発表された若手による長編小説が選ばれ、参加者は作品を通読し、担当者による発表ののち、議論をします。共通テクストはたいてい、Deutscher Buchpreis(ドイツ書籍賞)の候補作などから、それほど長くないもの(300ページくらいまで)が選ばれます。

この3月に取り上げられた作品は、バービ・マルコヴィッチの『スーパーヒロインズ』(Barbi Marković: Superheldinnen)でした。

 

Superheldinnen

Superheldinnen

 

 

セルビア出身で、ユーゴ内戦時代にオーストリアに移住してきたというマルコヴィッチ本人と同様に、内戦を生き延びウィーンに暮らす3人の超能力をもつ女性たちがどのように自分たちの生活を変えていくかが描かれています。しかしこの作品は、タイトルに反して、ヒロインたちは地味で、超能力を使った派手派手しい活躍が描かれているわけではありません。それよりむしろアメコミ的、ハリウッド的な能力者像ではない、どこにでもいる、力を持たない移民・難民としてのスーパーヒロインたちが主題となっています。一読して、なんだろうこの作品は?と考え込んでしまいましたが、参加者の議論を聞いていて、いろいろ腑に落ちました。

共通テクスト発表ののち、1日目夜と2日目午前には、個別発表が行われます。2人または3人の発表者が、現代ドイツ・オーストリアの文学(小説に限らず、とりわけここでは演劇関係の研究発表が多いです)について報告をします。バッハマン、ベルンハルト、ヨーンゾンなど現代における古典的作家をはじめ、最新の作家作品についての発表もあり、毎回刺激をうけています。

 

わたしと現文ゼミ 

現代文学ゼミの紹介が済んだので、私自身が2002年以降どのように参加してきたのかを振り返ってみます。

2002年3月の初参加後、当時修士論文のテーマに考えていた東ドイツ現代演劇について、2002年夏に報告しました。このときの発表は、作品の読み込みが足りず、言いたいことがちっともまとめられない、ひどいものでした。その後、修士論文を書くことはあきらめ、テーマを変えて修士4年目に入ることになりました。

博士課程に進学後は、現代文学は研究テーマではなくなりましたが、それでも現文ゼミの雰囲気が気に入って、毎回参加していました。京都の院生とはちがう問題意識を持っている東京の仲間との議論は非常に刺激になっていました。このころから私は、京大の後輩たちを多く連れていくようになりました。しかし、考えてみると、議論に参加するというよりも、飲み会が楽しみだったように思います。

日本酒をよく飲むようになっていたので、このころは気に入った地酒などを一升瓶で持って行ったり、4合瓶を2本くらいリュックに入れて持ち込んだりしていました。おそらく、遠隔地に行って、温泉に入り、仲間と飲むことが何より楽しかったのでしょう。一日目夜の飲み会で、持ってきた酒をたくさん飲んで、二日目はほとんど無意識状態で過ごすということもよくありました。

2002年のあと、しばらく間があきましたが、2006年には、共通テクストヤン・ベトヒャーの「金か命か」(Jan Böttcher:Geld oder Leben)について報告しました。70年代のドイツ赤軍による銀行強盗事件がトラウマになっている母のために、息子が現代において銀行強盗事件を起こすという、コメディと家族ドラマを合わせたような話でした。すでに博士課程3年でしたが、小説をサクサク読めるほどのドイツ語力はなく、夏休みの一ヶ月くらい非常に苦労して作品を読んだことを覚えています。

博士課程を出る頃から、だんだん若手の中でもややお兄さん的な立場になってきたので、発表や司会を担当する機会が増えました。

博士論文を提出した後、2012年には、ドイツ書籍賞をとったウーヴェ・テルカンプの『塔』(Uwe Tellkamp: Der Turm)について個人発表をしました。この発表は、同じ年の秋に行われる日本独文学会シンポジウムに向けたプレ発表で、学会には5月ごろに発表要旨を送っていました。しかし、全部で1000ページもある超長編小説をちゃんと読むのはたいへんで、結局8月半ばごろにようやく作品の結末にたどりつきました。(つまり最後まで読まずに発表要旨を書いていたわけです)ただ、現文ゼミでの議論で、10月の学会発表本番には、プレ発表での反省点を踏まえてちゃんと発表ができたように思います。

2016年には、ひさしぶりに共通テクスト発表を担当し、クリスティーネ・ヴニケの『狐と島村博士』について発表しました。この発表は、昨年春に論文に書き直しました。

schlossbaerental.hatenablog.com

また、専任教員になってからは、幹事の補助的な立場で、会の運営にも携わるようになりました。

 

会場の変遷 

私が参加し始めた2002年から現在まで、春のゼミはずっと箱根強羅の清雲荘で開催しています。しかし、夏のゼミは、八坂村→塩尻→琵琶湖と会場を変えています。

八坂村というのは、松本駅から大糸線に1時間くらい乗って信濃大町まで行き、そこから宿のバスで20分ほどのところにある温泉施設でした。村全体が山村というか、村人住むところないんじゃないか?と心配になるような場所でしたが、非常に気持ちのいい宿でした。残念ながら2011年に宿が倒産してしまいました。(現在はまた復活しているようです)

その後八坂村より南に下った塩尻で3回ほど開催していました。こちらも山の中の快適な宿でした。当時住んでいた京都からは少し近くなりましたが、名古屋から信州へ向かう特急しなのの乗り心地が悪く、毎回辛い思いをしていました。

そこで私と他の関西からの参加者とで、琵琶湖への会場変更を訴え、2016年、17年は湖西の近江高島で開催しています。2016年春に、会場変更について理解を得るために作ったプレゼン資料(10ページくらいあるうちの一部)です。↓

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2017年夏の会場、南小松の琵琶湖です。すごくきれい。

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この夏もまた、湖西での開催です。夏の琵琶湖は非常に気持ちがいいので、楽しみです。

 

参加者も変わってきた

2002年3月の初参加時には、57人もの参加者が集まっていたと先ほど書きました。現在は少し減りましたが、参加者名簿を見ていると、人数の増減だけでなく、構成にも変化が現れていることがわかります。

かつて、私が参加し始めた頃は、各大学の独文科の教員と、その弟子である院生が中心となっていました。私やその数歳上の世代は、ちょうど大学院が拡充された時期にあたるので(あと就職氷河期もあって)、各大学に独文学を学ぶ院生が多く集まっていました。 

私が大学院を出る頃になると、当初参加されていた先生方は定年を迎え、代わりに本務校を持たないいわゆる専業非常勤講師が多くなりました。私たちの世代だと、30歳くらいから40近くまで専業非常勤という人も珍しくはありませんでした。

私が4年前に専任教員になったころ、ちょうど私たちの世代はみな専任教員になり、現在はもっと若い世代が早くも専任ポストを得ています。そのため、現在ゼミの参加者は専任教員と大学院生が多くなってきています。

しかし、20年前に学生だった私たちは、教員になったものの、多くは学生の研究指導をしないポストについています。私のように学部の教養課程しか教えないという人がほとんどです。そのため、指導教員が声をかけて若い院生をゼミに連れてくるということも減りつつあるようです。

 

ホーム研究会としての現文ゼミ

ここまで書いてきたように、私は現代文学ゼミナール35年あまりの歴史の、半分くらいを参加者として見てきました。院生から教員へと立場が変わっていくに連れて、私自身の参加の仕方も、より主体的になってきたように思います。

院生の頃には、あまりよくわからなかった共通テクストの小説も、最近は非常に面白く読めるようになったし、自分でもドイツに滞在するときは、積極的に新刊書や文学賞候補作などをチェックするようになってきました。(院生の頃は、京都にこもっていたので、ヨーロッパもドイツも遠くて、現代ドイツの作家たちがどんな関心を持っているかなんて、想像もつかなかったのだろうと思います)。

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研究室にだんだん増える現代文学ゼミ関連棚。ドイツのハードカバー小説って、装丁がきれいなので、置いておくだけでも楽しめます。(なのであんまり読んでません)

 

個別発表についても、参加し始めた頃は、こんな新しい作品を読むなんてすごいなあ、とただ感心するばかりで、議論に参加したりはできていませんでした。このごろになってようやく、作家作品については詳しく知らなくても、発表内容を理解して、質問することができるようになってきました。

この会に15年くらい参加し続けて、私自身が少しずつ成長してきていることを実感しています。それから、現文ゼミで知り合った同年代の研究仲間のみなさんとは、いまも関係が続いています。

私は卒論こそ現代文学だったものの、修士課程の途中から博論提出後まで、現代文学を研究してはいませんでした。そんな私ですが、現文ゼミは、分野が合致するわけではないけど、いちばんリラックスして参加できる研究会でした。ここに来ればまた元気が出る、そう思いながらお土産を下げて、毎回出かけていました。誰でも出身大学の研究室や読書会、留学先など、自分が心落ち着く研究の場があると思いますが、私にとっては、現文ゼミが、ちょっと遠いけどホームなのだと思っています。