ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

12時間も何をしていたのか? コンビニバイトの思い出(承前)

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男子学生のコンビニバイトといえば、夜勤!

コンビニバイトの思い出を書き終えたあと、夜中にふと目が覚めて、夜勤のことを書かなきゃいけなかったのに書いてなかったと思い出しました。コンビニの仕事でやはり一番思い出深いのは、夜勤だったはずです。私がいたお店は、夜9時から朝9時までの12時間シフトでした。時給は1100円くらいで休憩時間1時間を抜くので、1回で11時間分もらえました。週2回も夜勤をすれば、当時住んでいたアパートの家賃(4万円)の2ヶ月分にもなりました。しかしそのぶん時間は長く、体への負担もあり、まあ当然大学の授業にも出にくくなりました。

 

12時間も何をしているのか?

昼間や夕方の時間帯であれば、お客さんに品物を売り、店内を掃除し、品出しをして、さらに唐揚げやおでんを作っていれば、あっという間に時間は過ぎます。そのように過ごしていた時間のことはよく思い出すのですが、夜勤の12時間は何をしていたのでしょうか。おっさんになって深夜にコンビニに行くことが減ったこともあり、どんな仕事をしていたのか思い出すことがなくなりました。しかし、部分的な記憶は残っています。あのころ、どんなことをしながら12時間もコンビニにいたのかを思い出して、どの時間にどんな仕事をしていたのか書き出してみました。

 

12時間の仕事を時系列に並べる

夜の8時50分に出勤して、翌朝9時10分くらいに退勤するまでの12時間に一体何をしていたのかを時系列順に並べてみます。

20時50分 店に到着。

私の場合、自宅にお風呂がなかったので、7時ごろに銭湯でお風呂に入ってから出勤していました。翌朝店の仕事が終わっても風呂に入れないので、先に入っておくということだったのでしょうが、なんだか贅沢な感じもします。 

21時 仕事始め。

夕方のバイト(女の子や自宅暮らしの学生が多かった)や店長の奥さんと交代でカウンターに入ります。最初の1、2時間くらいはまだお客さんが多い時間帯なので、普通に品物を売ったりするのが中心です。お客さんが減り始めたら、まずはカップ麺の補充をします。補充をしながら、箱にストックがないものや新商品を発注します。

23時ごろ アイスクリームと冷食の搬入。

深夜になると、いくつかの業者さんから、商品が届けられます。たしか始めに来るのが冷凍ものでした。このくらいの時間からお客さんが減り始めるので、冷蔵庫の飲み物類を補充し、発注などをします。

24時ごろ お弁当、パンなどの廃棄。

お弁当の廃棄は私の店ではあまりなかったのですが、菓子パン惣菜パン類は、日付の変わり目でけっこうな量を廃棄していました。廃棄になった食品をもらえることがコンビニバイトの特権だと思われていますが、実際のところ公式には廃棄は持って帰らないことと厳しく言われていました。しかし味見くらいはしていいだろうと思っていたので、気になる商品を味見することはありました。

1時〜2時ごろ 休憩

いよいよお客さんがいなくなる時間帯なので、一人ずつ1時間交代で休憩をとります。たいていは新人が先、先輩があとという順番でした。休憩後に始まる商品を並べる作業がかなり大変なので、先輩バイトのほうはしっかり休んでおく必要があるからだと思います。

私たちの店は、倉庫兼事務所(バックルームと呼ばれていた)が極端にせまくて、2畳分くらいしかありませんでした。せまくて細い部屋には、商品がつまれており、その隙間に小さな椅子と机、そして一台のデスクトップPCなどが置かれていました。休憩時間はこの小部屋で過ごすのですが、足を延ばすことも、背中を壁に持たれることもできず、非常に窮屈でした。夜勤経験の長い先輩バイトさんは、つぶした段ボール箱を倉庫の床に広げて、無理やり横になるスペースを作って仮眠したりしていました。私は床に寝るのが嫌なので、ひたすら小さな椅子に座って本を読んでいました。 

3時ごろ 食品と雑貨の品出し

大きなトラックが来て、食品と雑貨のつまったコンテナを何箱も置いていきます。お店に並んでいる賞味期限の長い食べ物類や生活雑貨をこの時間に並べて(同時に発注もする)いきます。

ここから2時間くらいは、ひたすら箱をあけて商品を並べる作業が続きます。初めのうちはいろんな商品が売られているんだなあと感心したものですが、慣れて来るともう機械的に体が動くようになります。

この作業を終えると、お菓子類やポテチの段ボール箱がかなりたまってくるので、潰してビニール紐で結束します。段ボール箱をまとめるときは、ぐっと体重をかけて段ボールを潰しながら縛っていくと、ぴっちりと結ぶことができます。

商品を並べる仕事がおわったら、夜が明けるころまで、のんびり朝の準備を進めていきます。大量に届く新刊雑誌もこのくらいの時間に開封して並べます。

7時ごろ ホットスナックの準備

夜が明けると、徐々にお客さんがお店に来るようになります。私のいた店は、高級住宅地にあったのですが、東急系の会社や養命酒の本社が近くにあって、会社に出勤して来るお客さんもたくさんいました。

からあげやおでん、肉まん等の仕込みをするのがこの時間帯です。カウンターの奥の方にあるフライヤーでひたすら唐揚げやアメリカンドックを揚げてました。

8時ごろ お客さんが来はじめる。

朝早い時間帯はタクシーのドライバーさん*1などが多いのですが、徐々に会社勤めの人も増えてきます。このくらいの時間にお昼のお弁当がとどきます。けっこう量が多いので、夜勤スタッフは検品だけして、陳列は9時以降の担当者に引き継ぎます。

8時半ごろ 退勤の準備

店長や交代のバイトが来たら、レジ点検をします。いまでもよくコンビニで、コインカウンターに小銭を並べている様子を見ると思います。1日に4、5回くらいピークが終わる時間帯や、シフトの引き継ぎ時に、レジ2台のお金をすべて数えました。たいていは数十円以内の誤差で済むのですが、1000円単位でズレが出るとたいへんまずいので、みんな真剣に数えていました。

9時 いよいよ退勤。

店内の有線で時報が鳴ると退勤時間です。ちょうど込み合う時間帯なので、お客さんをさばいているうちに15分くらい残業してしまうこともありました。

 

ひまな時間に何をしていたか?

こうして書き出すと、12時間のうち休憩時間以外はひたすら仕事ばかりしているかのように見えます。しかし実際のところ、もっとのんびりしていたように思います。休憩時間以外にもお客さんが全く来ない時間には、30分ずつカウンターと倉庫を交代で担当するといったこともよくやっていました。あるいはカウンターの中にいても、監視カメラに見えない奥の方でじっと本や雑誌を読んでいることもありました。

ちょうど1年生の後期から3年生ごろは、いちばん集中して文学の勉強をしていた時期でした。大学で読むドイツ語のテクストのほかに、文庫本で世界の名作を読み、たまに友人たちと神保町や早稲田通りに、古本の買い出しに出かけたりと、本を読むことに生活のほとんどの時間を費やしていた時期だったと思います。だからコンビニでも、カウンターの隅っこで、ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』を読んだりしていました。

 

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

 

いろいろな本を読んだはずなのに、一番覚えているのがこの本です。たぶん、自分と同じように労働している人の(ずっと過酷な)一日が描かれていて共感したからでしょう。 

それから、私以外のバイトのみんなも、たいていは雑誌などを読んで過ごしていました。今のコンビニと違って、当時は立ち読みには寛容だったので、毎週新刊の漫画雑誌はほとんど読めました。

ときどき夜勤でいっしょになる東大生(場所柄東大駒場の学生も数人いました)は、単位を落として本郷に進学できなくなっていたので、店のカウンターの中でも必死で勉強していました。

おそらく今のコンビニだと、ひまな時間はスマホを見たりして過ごすのだろうと思います。私たちの時間の潰し方は、この20年で決定的に変わってきたように思います。

 

バイトが終わったら大学へ? いや家に帰って寝るだけ

私は1年生の後期に、火曜日と金曜日に夜勤をしていました。水曜日は3、4時限目に選択科目の授業があったはずで、たぶん仮眠をしてから出席をしようという計画だったはずです。しかし当然のことながら12時間も働いたら、もうあとは寝るだけです。

きらきらしたまぶしい朝日のなか電車の壁にもたれながら帰宅して、家に着いたら夕方まで眠り続けました。火曜日も金曜日も結局翌日は何もできなくなってしまいました。夜勤ばかりしていると、だんだん常に睡眠不足のような状態になります。いつでも眠いし、いつでも眠れるという状態でした。バイトを始めて数ヶ月後に会った母から、顔色が悪くなっていると心配されました。たしかに、どんどん白くなっていることに気づきました。

 

バイトを通じて大学では学べないことを学んでいるのか?

今私が教えている学生にも、同じように夜勤バイトをしながら大学に来ているという学生がいることでしょう。2時限目に出席するのも難しいという学生や、せっかく来てもほとんど寝ている学生も少なくありません。彼らもきっとバイトしているのでしょう。

私ははじめの半年は必死で夜勤をして、1年生の終わりにヨーロッパに旅行しました。旅行から帰って、ふたたびバイトに戻りましたが、さすがに夜勤ばかりでは大学に行けなくなるというので、2年生以降は夕方と土日を中心にシフトに入るようにしました。

夜勤のように少ない出勤回数で稼げるわけではありませんが、1年間がんばって貯金して、2年生の終わりにはベルリンのゲーテに行くことができました。

私自身は、先日の記事に書いたように、コンビニの誰でもできる仕事から、いろんなことを学びました。やっててよかったと思うこともいまでもあります。しかし、こうして苦しかった夜勤を思い出したりすると、やはりバイトのやりすぎで大学に行けなくなってしまうなんて、時間と学費がもったいないと言わざるをえません。

教員になってから、昔の自分と同じように、非常に責任感を持ってバイトを頑張っている学生をときどき見ることがありました。たしかに責任を持ってお金をもらう仕事をして、現実の社会に関わっていく、というのは、大学の授業だけでは学べない、大切な社会勉強のようにも見えます。しかし、逆にいうと、容易に達成感が得られたり、参加する喜びが得られるからバイトばかりやってしまうということもあります。

実社会で必要なスキルや金銭感覚を学生のうちに身につけることは必要かもしれませんが、社会で必要なことなら社会に出てからすぐに学べるから急ぐ必要はありません。大学の勉強にも面白さはあるのだから、大学にいるうちは勉強に集中したほうがいいと一教員として思います。

 

 

 

 

*1:印象に残っているお客さんで、いつも早朝にコッペパンとおにぎりなどを買って、マーガリンとジャムのコッペパンをあたためて、というドライバーさんがいました