ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

コンビニバイトの思い出

毎日のようにコンビニに荷物を出しに行く

ここ最近とある事情のため(この辺のことは後日記事にまとめます)、頻繁にコンビニに出かけては荷物を出していました。ローソンやファミマにでかけ、機械から伝票を出力して、レジで荷物を預けると、店員さんがテキパキと寸法を測って、送り伝票を打ち出してくれます。

しかし、どの店の店員さんも、ちゃんと仕事ができるのかと言うとそうでもなくて、まだ不慣れであやういバイトさんもいるので、そういうときは、私の方から、これは店控えで、こっちが僕がもらう控えね、と助け船を出しました。

彼らの仕事ぶりを見ていると、もう20年くらい前に、東京のコンビニで働いていた頃のことを思い出します。この20年のあいだ、コンビニ自体は現在と変わっていませんが、いろいろな面で世の中が変わって来ているのは事実です。あの頃と現在との違いなどを考えながら、当時どんなふうにコンビニのバイトをしていたのかを思い出してみます。

 

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高給バイト=激務、普通の仕事をするのが一番、と気づくのに半年かかった

一年浪人して大学に入って、最初の1ヶ月は栃木から通いましたが、五月の連休がおわると東京での一人暮らしが始まりました。

schlossbaerental.hatenablog.com

今思うと、当時実家は、兄が東北の美大の4年次に在学中、父の会社はかなり危ない状況、そして私が東京の私学で一人暮らしと、ずいぶん厳しい経済状況でした。そのため、アパートは風呂なし、仕送りは家賃と食費程度で、あとは奨学金とバイトで補わなければなりませんでした。それでも栃木から通うよりはずっとマシだと思ったので、大学四年間、さまざまなアルバイトを経験しました。

はじめに友達の紹介で、披露宴会場の配膳人をやることにしました。時給は見習いでも1000円以上とのこと。これはいい、というので期待して出かけましたが、とんでもなく厳しい仕事が待っていました。入った時期が6月はじめと一番忙しい時期だったのが悪かったのですが、ほとんど研修などないまま、週末には一日で三件の披露宴を担当し、へとへとになって、すぐにやめました。(覚えることが多い上に、マナーなど気を使わないといけないこともあって、心身ともに疲れました)

その後、家の近所で、牛肉を鉄板で焼いて、パンに挟む仕事をしましたが、これもめちゃくちゃ怒られるわりに給料が少ないので、夏休みだけでやめました。

大学一年の後期が半分終わる頃、今度こそ失敗したくないと思って、立地や交通量などをリサーチして(大学の近く、商店街の中など、忙しそうな店舗は避けました)、渋谷の町外れにあるコンビニで働くことにしました。

このコンビニには、結局1年生の後半から、3年生の終わりまで、2年半つとめました。結局、誰でもできる仕事を地道にやっていくことが一番だと思いました。

 

当時のコンビニと現在の違いは?

気がつけば、私がコンビニバイトをしていた頃から、もう20年もたってしまいました。その間、ユニフォームなどは少し変更がありましたが、基本的に売っているものや商品の陳列などは大して変わっていません。

たとえば、当時私がよく買って(あるいは廃棄をもらって)食べていた、白身フライのり弁当は、いまでもコンビニで売っています。お弁当のラインナップもだいたい同じです。また、プライベートブランドの菓子パンなども当時からありました。

追記(2018年1月24日)

当時バイト仲間から非常に評価が高かったヤマザキの菓子パン、マロン&マロンですが、現在も全く同じ形で売られていました。(でも一個あたりのカロリーはもっと高かったように思います。ちっちゃくなったのでしょうか?)

www.yamazakipan.co.jp

 

また、宅配便の扱いもだいたい同じです。サイズごとに色分けされたメジャーで三片を測り、郵便番号とサイズを入力して料金を表示するという仕組みは当時も今も変わりません。私が働いていた店は、昼間あまり混まないのに、夕方以降は、近所のお金持ちのおじさんおばさんがたくさんきて、金曜日などはゴルフ道具を宅配便で出す人が多くいて、店のカウンター内が狭くて困りました。

しかし、当時なかったもサービスも当然あります。ATMなどはありませんでしたし、(私がいたのはローソンでしたが)郵便物の受付もしていませんでした。トイレも今のようにきれいに整備されているお店は少なかったと思います。あと、ポンタカードもありませんでした。(あのポイント何に使えるのかわかりません)

ペットボトル飲料が普及し始めた時期

飲み物類についてですが、数年前に栄養ドリンク類がコンビニで売られるようになりました。

あとはあまり変わっていないように見えますが、20年前当時、私が非常に驚いたのは、店の冷蔵庫がつぎつぎペットボトル飲料に入れ替わっていくことでした。今でこそ当たり前のペットボトルですが、20年ちょっと前は、缶入りが主流で、ペットボトルはそれほど普及していませんでした。コンビニで働き始める頃に、どんどんペットボトル化が進んでいきました。500mlの缶ビールとペットボトルを比較すればわかると思いますが、ペットボトルの方が、缶入りよりもかさばるので、店の倉庫に在庫が収まりきらなくて困りました。

以前のブログに書きましたが、20年前と今の学生とでは、飲み物の持ち歩き方が変わりました。

tetsuyakumagai.blogspot.jp

写真のプリント受付はコンビニの仕事だった

ほかに、大きな違いとしては、写真のプリント受付という業務がありました。

もうこの種のサービスを全く利用しなくなった(PC画面上で写真を見るのが主体になったため)ので、よくわからなくなっていましたが、どうもいまはコンビニにフィルムを持って行って現像してもらうというサービスはほとんどなくなっているようです。

現在は、ネット経由でデータを写真屋さんにプリントしてもらったり、あるいはコンビニのプリンタで出力したりといった方法が普及しています。

しかし、20年前は、デジカメではなくフィルムの時代です。私たちは旅行やイベントのたびに、フィルムや写ルンですをもって、コンビニや写真屋さんで現像してもらっていたのでした。コンビニ業務においても、宅配便の受付と同じくらい手間がかかるけど需要のある仕事が、写真の受付でした。お店に依頼されたフィルムは、専用の工場に集められ、2日後くらいにプリントしてお客さんに渡すことができました。この種のサービスの常として、出したきり受け取りに来ないお客さんも多くて、年度末などの時期には店長がお客さんに取りに来るよう催促の電話をかけていたのを覚えています。

 

チケット発券マシーンは月一でCDを入れ替えていた

最近は、スマホQRコードをかざすとすぐに必要なチケットや宅配便の伝票が出てくる、ロッピーやファミポートなどのチケット発券マシーンですが、ちょうど私がコンビニでバイトしていた頃に設置され始めました。

今ではそれらの店頭に置かれている端末にも当然インターネットが接続されていて、データを更新したりできるようになっているのだろうと思います。お客さんは必要なチケットやサービスを検索したり、あるいはスマホですでに予約したものをQRコードを使って読み出したりできるようになっています。(この辺の仕組みはあまりくわしくわかりませんが)

www.lawson.co.jp

あんまり使わないので知りませんでしたが、本当にいろんなサービスに対応しています。

しかし、その昔はコンサートやイベントのチケットは、情報誌(ぴあなど)や店頭にある冊子を見て、必要なコード番号を手で入力して注文していました。また、発券マシーンの中にあるデータは、月に一回CDロムを入れ替えることで、最新のデータに更新していました。CDの更新をするのは、コピー機の小銭を数えることとともに、私が担当していた仕事でした。

道案内サービスは今もあるのか?

今ならたいていの場所は、スマホの地図で調べることができますが、当時は道に迷ったら交番かコンビニで聞くのが一般的でした。そのため、店のカウンター内には、近隣の地図が用意されており、だいたい毎日数件の道案内をしていたと思います。

私がいた店は渋谷駅から西に10分ほど坂を登ったところでしたが、入試の当日に、青山学院はどこですか?と半泣きの高校生が来た時は、あちゃーと思いました。青学とは完全に反対方向でした。

 

雪が降りつづくとコンビニは潰れる?

ちょうどこの記事を書いている今日、東京地方は雪がたくさん降って、交通が麻痺しているとの報道を目にしました。

私がコンビニで働いていた頃から、東京は雪に弱く、とくに車で工場から商品を輸送している都内のコンビニは、雪が降ると途端に搬入がストップしてしまいたいへんなパニックになってしまいました。

よく覚えているのが、大学3年の冬、授業がない日が増えたので、この年は朝から夕方までのシフトに週2回くらい入っていました。いつもは出勤してすぐの9時半ごろに、お昼に売るためのお弁当がとどき、退勤直前の16時ごろに、夕飯用のお弁当がくることになっていました。

雪の中なんとか出勤したものの、いつまでたってもお昼のお弁当はとどきません。千葉の工場からくる道路が渋滞しているとのことで、お客さんは買いに来るのに商品はない、という状態でお昼を過ごしました。普段は何個か売れ残りがでるはずのお弁当やサンドイッチのコーナーはからっぽになり、せっかく買いに来てくれたお客さんにも謝らなければいけなくなりました。

結局、私たちが退勤する直前に、ようやくお昼のお弁当の便がやってきました。せっかく届いたお弁当ですが、これから検品して陳列しても売れる時間はもうほとんど残っていません。店長には、もうどれでも好きなもの持って帰りなと言われたので、普段人気があってほとんど食べられないお弁当を持ち帰りました。

東京ではこのようなドカ雪が一冬に一度くらいあります。そのたびに多くのコンビニでお弁当の棚が空になっているのだろうと思います。

 

楽しかった思い出

コンビニでのバイトは、さまざまな仕事があり忙しかったのですが、居心地が良くて長く続きました。なにより店長夫婦が非常に優しくて、バイトのスタッフたちそれぞれの都合や活動に合わせて働けるよう取り計らってくれたことがありがたかったです。

私は大学1年生の春休みから、数回にわたって、ドイツや中欧の国々に旅行したり、語学研修に参加したりと、長期休暇に数週間バイトを休んで出かけることがありました。

そういったときにも店長はいつも快く送り出してくれるし、餞別にとカロリーメイトを何個も買ってくれたこともありました。(バックパッカー旅行では、すぐ食べられるカロリーメイトは非常にありがたかったです)

それから、店長の奥様にもお世話になりました。実家が近いので、クリスマスもお正月もバイトに出ていた私は、お店で売っているお年賀のお菓子(カステラなど。ノルマがあって置いてたのかもしれないけど、あまり売れない)が売れ残ると、私たちバイトに、お年玉がわりに買ってくれました。また、奥様や同僚たちと他のバイト仲間の出ている演劇の公演を見に行ったこともありました。お二人とも私の両親と変わらない年だったと思うので、もう引退されているころでしょう。

 

コンビニバイトで身についたこと

学生時代に経験したアルバイトでは、いろいろなスキルが身につくし、それが大人になっても時々役立つ機会があります。コンビニのように誰でもできる(と言われている仕事)では、大したスキルは身につかないのではないかと思われるかもしれませんが、様々な業務があっただけに、掃除や品出し、お金の数え方から、おでんの仕込み、ダンボールゴミの結束方法など、日常生活に役立つことがたくさん学べたといまは実感しています。