ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

百万遍、大阪コピーの思い出とBSBのスキャナ

ミュンヘンBSBで毎日スキャナの前で過ごす

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ミュンヘンに来て一週間、毎日バイエルン州立図書館(BSB)のスキャナ室で、文献をコピーして過ごし、現在はウィーンに移動しております。

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ウィーンのオーストリア国立図書館

バイエルン州立図書館は、フランクフルトやライプツィヒ国立図書館だったら閲覧できないような、かなり古い文献やボロボロな資料も、気前よく見せてもらえます。また、スキャナーが置いてあるコーナーは、機械の数が多く、職員さんが常時二人以上いるので、トラブルやわからないことにもすぐに対応してもらえます。

→これまで訪問したいくつかの図書館については昨年の記事を参照。

schlossbaerental.hatenablog.com

ここに来て、毎日スキャナに向かっていると、京都時代に毎日コピー屋さんに通って、何時間もコピー機の前で過ごした頃のことを思い出します。

紙のコピーではなく、スキャンしてUSBメモリにデータを保存するようになった現在、コピー屋に行くことはもうないのでしょうが、あの場所で過ごした時間のことは、いまも懐かしく思い出します。

大阪コピーの思い出とともに、資料収集の方法が大きく変わったことについてまとめておきます。

博士課程進学後、コピーを取る量が増える

コピー屋さんというものがあることは、大学院に入った頃に知りました。しかし、修士課程の頃は、コピーは研究室のカードを使って、研究科内のコピー機を使えばよかったので、わざわざ自腹で百万遍まで出かけて(私がいた吉田南キャンパスの人間・環境学研究科棟からは徒歩で10分以上かかる)コピーを取るというのは、考えにくいことでした。

そもそもそんなにたくさん、一度に100ページ以上もコピーを取ることはなかったので、研究室のコピー機で事足りていたのでした。私の指導教員はあまりうるさく言わない人でしたが、いちおう研究室ごとのコピーカードには枚数制限があるようでした。年間に数千枚を超えると、カードが使えなくなるということを、ときどき噂話としてきいていましたが、私の研究室はそもそもメンバーが少ないので関係ない話でした。

しかし、修士課程4年を終えて、博士課程に進む頃には状況が変わっていました。私が入学した頃、数人いた先輩たちはいつのまにか何処かに消えてしまいました*1が、かわりに何人もの後輩が入ってくるようになりました。

博士課程進学後は、しばらく足踏みしたものの2004年の夏頃からは、博士論文までシュレーバー研究を続けようと決意し、これまで読んでこなかった関連文献を集めるようになりました。100年前の一次文献を参照する研究スタイルに変えたので、たくさんの文献を探し、取り寄せる日々がはじまりました。

ドイツ語の文献の場合、今でもそうですが、手に取ってすぐに、どこを読めばいいかわからないので、大抵の場合はほとんどのページをコピーすることになります。そうするとどうしても、コピーの枚数は増えてしまいます。一ヶ月で数百枚のコピーを取るようになると、だんだんカードの枚数制限が気になるようになりました。研究室の後輩たちに優先的にコピーを使ってもらいたかったので、私はたくさんコピーを取るときは、大阪コピーを利用するようになりました。

 

大阪コピーに通う日々

2004年から2008年ごろまで、ほぼ毎日のように、大阪コピーに通いました。

文献のコピーを取ったり、集めたコピーの製本を頼んだりして、研究室・図書館・大阪コピーをぐるぐる回りながら過ごしたものでした。

大阪コピーは、おじさんとおばさんを中心とした家族経営のお店でした。(ときどき結婚されている娘さんも子供づれで手伝いに来ていました)

学内で資料を探し、自分自身のホームである(所属研究科の図書館である)総合人間学部・人間・環境学研究科図書館(総人図書館)だけでなく、中央図書館である附属図書館、ドイツ文学については文学部図書館、精神病理学精神分析については、教育学部や医学部図書館、さらに19世紀の自然科学については理学部図書館などにも足を運んで、集めた文献をもって毎日のように大阪コピーに通いました。

毎日通ううちに、だんだんコピーのノウハウもわかってきます。初めはA4横向き、両面コピーなど基本的な操作だけでした。しかし、おじさんおばさんたちに教えられながら、だんだん細かな技術も身につけていきました。余白が黒くなるとコピー機に引っかかるので、余白数センチを消去したり、また上下別々の尺度でコピーして、ちょっと大きな洋書もうまくA4に収めるといった方法も覚えました。

 

コピーだけでなく、製本も

また、大阪コピーが便利だったのは、製本も頼めたことです。京大の場合学内各所の生協には製本セットと製本機がそなえてあり、コピーを簡易製本することができました。しかし、この簡易製本セットは、1センチを超える分厚いコピー本の場合にはちょっと強度に不安がありました。また、手作業なのでうまく糊がくっつかず(熱でボンドを溶かしてくっつける方式です)自分で修復することもよくありました。

その点、大阪コピーのくるみ製本は非常に仕上がりがきれいで、長期保存に耐えるので、気に入っていました。一冊800円と、決して安くない金額だったので、どうしてもきれいに保存したい本や分厚い本などに限って、お店にまとめて依頼しました。この時に作ったコピー本は、いまも研究室でどこも損壊することなく使えています。

大阪に拠点を移してからは、ちょうどいいコピー屋が見つからないので、南森町キンコーズを利用しています。キンコーズは安くて仕上がりも早いのですが、A4横向きのくるみ製本に対応していません。企業の資料などの作成が中心なので、やはりA4、B5とも縦でないとダメなのだそうです。

 

毎日通ううちにおやつをもらう

大阪コピーには、3、4年ほど通っていたので、だんだんおじさんおばさんとも打ち解けてきました。顔を見るだけで、今日は製本を取りに来たんだね、とか今日はコピー両面ね、とすぐにわかってもらえるようになりました。また、おばさんからはよくおやつをいただきました。近所の喫茶店から出前で取り寄せたタマゴサンドをいただいたりしたのは、いい思い出です。

 

BSBのスキャナも高性能

今回大阪コピーのことを思い出したのは、BSBのスキャナでいろいろな機能をつかいこなしているうち、かつて自分がコピー機の使い方を覚えたころのことが蘇ってきたからです。

BSBのスキャナは写真のように、本を開いて、手元のボタンまたは足元のペダル(ミシンのペダルのようなものが足元においてあります)で操作します。

両手で本を開く場合は、足でスイッチを押せるのは便利です。カラー、白黒、グレースケールと色を変えても値段は一緒なので、イラストや写真が入る場合はグレースケール、文章のみの時は白黒としていました。

本を持っていると指が写り込んでしまうので、「ゆび除去」機能をオンにしておくと、本のページを抑えている1cmくらいの部分だけ白く切り抜くことができます。

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(スキャナのコントロール画面。Fingerentfernung(指除去)をAktivにしておくと、本のふちの暗くなる部分とともに、指を置いているエリアがトリミングされます)

また、このスキャナのいいところは、失敗しても料金がかからないことでした。10枚あるいは20枚とスキャンして、一区切りついたところでPDFにファイル名をつけ、保存します。その時に初めて枚数を数えてコピーカードから料金が引かれるので、途中で失敗してもその都度料金を取られずにやりなおしができます。

↓今使っている、オーストリア国立図書館のスキャナは、さらに高性能です。(しかし料金支払いシステムが古いので使いにくい)

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このように本を開き、緑色の部分をタッチするとスキャンが始まります。

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ÖNBはコピー機もスキャナも多言語対応です。しかし翻訳がまずいのか、日本語だとわかりにくいのでドイツ語にしています。

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またタブレットのようなキーボードで、コピー開始時にファイル名をつけることもできます。

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指除去はオートです。この写真でも私の左親指の先がかぶっているところが白く消されています。

文献の保存とPDFによる閲覧

昨年からBSBやLMUで、スキャナを使って文献を集めるようになりました。はじめは紙がないと書き込みができないし、不便だなと思うことが多かったのですが、だんだんPDFによるデータの保存と、PC上で文章を読むことに慣れてきました。

思えばこの10年くらいのあいだに、古い文献の複写と保存、そして閲覧の方式はおおきく変わってきました。

私が大阪コピーに通っていた頃には、私が現在とりくんでいる100年くらい前の資料は、旧帝大またはドイツ・オーストリアの図書館、あるいは古書で買うしか、現物を手にする機会はありませんでした。それで各大学から図書を取り寄せたり、ネットで古書を注文したりしていました。

schlossbaerental.hatenablog.com

この記事にも書いたように、大学院を出る2000年代後半ごろから、古い書籍のコピー本が安価に出回るようになりました。著作権が切れたことが原因なのでしょう。以前の記事に載せたような、同じ形の本が多数出回っています。この本は当時のページ付や配置がそのままなので非常に便利ですが、そのぶんやや判型が大きくて持ち運びに不便でした。(多くの出版社から出ているはずなのに、なぜかみな同じ形でした。印刷会社が同じだったのでしょうか?)

しかし、現在では、デュ・プレルだけでなく、多くの書籍や雑誌がPDFの形で、大学図書館国立図書館のサイトからダウンロードできるようになりました。ミュンヘンでも大量の文献をスキャンしましたが、それと同じくらいたくさんの本を、PDFデータでダウンロードしていました。

最近では、BSBのサイトだけでなく、こちらのサイトでも文献を探すようになりました。

Internet Archive: Digital Library of Free Books, Movies, Music & Wayback Machine

アメリカの大学図書館などに保存されている古い文献をそのまま複写したものが閲覧できるようになっています。はじめにこのサイトですでにPDF化されていないか確認してから、図書館に閲覧請求をするようにしています。

 

本の読み方が変わってきている

ここまで書いてきたように、最近の10年間で、私たちが手にする資料は、紙のコピー、コピー本、そしてPDFへと移り変わってきました。

はじめはPDFをアクロバットで開いてドイツ語を読むというのがものすごく苦痛でした。そのために、大きなモニタを用意したりしましたが、現在ではだんだんと慣れて、MacBookの小さい画面でもとくに苦もなく資料を読めるようになってきました。Acrobat Readerの機能でも、マーカーで線を引いたりコメントをつけたりと、紙の資料と遜色ないほど操作性が上がっています。

それから非常に便利なのが、本棚とちがってPCやクラウドのデータは、どこに置いたかわからなくなることがありません。ファイルに著者名や題名をつけるだけでなく、キーワードをつけておけば、すぐに検索して文献を見つけることができます。私のようにすぐに本やコピーをなくす者にはむしろPDFでの保存が向いているのだとわかりました。

 

*1:先輩たちは、みな研究からはなれ、別の業界で活躍されています。翻訳家として非常に有名な方もいます