ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

移住者にとっての京都の楽しみ方

中途移住者として京都に14年

私は大学院修士課程進学時に、京都に移り住み、左京区北白川に7年、左京区浄土寺に4年、右京区太秦に3年と合計14年あまりを京都で過ごしました。

京都というと、先の戦争が応仁の乱だとか、本当の京都は洛中だけとか言ってる閉鎖的なイメージばかりが先行しますが、実際の市民の多くは、私のような中途移住者だったり、郊外在住者だったりします。(人口140万人のうち、30万人あまりが伏見区西京区山科区もあわせると、半数近くが郊外に住んでいる計算になります)

先日の記事では、京都に住み始めたころの違和感や、離れてみて気付いたことを書いたのですが、今回は、住んでいた頃に京都でどんなふうに過ごしていたのかを思い出してみます。

 

映画を見るならみなみ会館、だけ

東京時代は渋谷・新宿まで電車で10分のところにある大学に通い、自宅からあるいて5分のところに、映画ファンなら誰でも知ってる名画座がありました。そのため、学部1年生の頃から、週に1本程度のペースで劇場で映画を見ていました。

下高井戸シネマ

ベルリンに短期滞在した頃にも、ちょうどベルリン映画祭だったこともあり、映画祭参加作品を見に行ったり、東京で面白かった作品を、現地の劇場で見直したりと、映画ざんまいの日々を送りました。

そんな当時の私にとって、京都の映画環境は、最悪でした。市内にはあさひ会館(廃業)やムービックス、京都シネマみなみ会館など、いくつか映画館がありますが、最低でも三条河原町まで出ないといけないし、みなみ会館にいたっては、京都駅よりもさらに離れた場所にあります。

kyoto-minamikaikan.jp

東京時代に私が、渋谷のシネマライズユーロスペース、銀座のシネスイッチなどで見ていたような映画は、みなみ会館でしか見られませんでした。みなみ会館までは、自宅からバスにのっても1時間近くかかります。(その後バイクで行くようになりました)問題は交通の便だけではありません。東京に比べて、映画館が少ないので、見られる作品は当然少ないし、東京よりも何ヶ月も遅れてようやく公開されるのが普通でした。

京大近辺に長く住んでいる人たちは、百万遍の有名なレンタルビデオ店などで借りて見ていたそうです。私は長いこと自宅にテレビがなかったので、借りて見るということはまったく考えていませんでした。

東京時代にあれほど夢中で見ていた映画でしたが、京都の不便さに負けて、数年たつころには、年に1回程度しか見る機会はなくなりました。

 

送り火は屋上で見る

今年も行われた、五山の送り火ですが、京都に住んでいた頃は、どこか高いところに登って、ビールを飲みながら眺めたものでした。

京大に学籍があったころは、毎年総合人間学部の屋上で右大文字、妙・法など、近くで燃えている送り火を眺めました。

銀閣寺道に住んでいた頃は、大文字山のすぐ下なので、付近の白川通ぞいには、たくさんの人が詰め掛けて、大文字をみに来ていました。私の住む銀閣寺ハウスは、広い屋上があったので、住人は友達たちを連れて、屋上に集まっていました。

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大文字山銀閣寺ハウス屋上)

結婚して右京区に移ってからは、自宅マンションの廊下から、左大文字や、京大からはほとんど見えなかった鳥居を間近に見ることができました。また、嵯峨野の広沢池では、灯籠流しも行われるので、池のまわりで鳥居を見ることもありました。

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広沢池の灯籠流し

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マンション7階からみた鳥居

 

地元のお気に入りの場所にいく

京都に住んでいると観光などしなくなる、というのはたしかにその通りかもしれません。北白川からほど近い銀閣寺ですが、中に入ったのは、おそらく2000年に移住したばかりの頃一度きりだったと思います。清水寺金閣寺のような超人気観光地は、年中混雑がひどいので、近づくことすらしません。(親や外国人ゲストが来ないと、あのレベルの観光地に近く元気がでませんでした)

とはいえ、京都に住む人がまったく寺社仏閣を見に行かないというわけではありません。私も含めて、みな近所のお気に入りの場所に行っていたと思います。

以下、当時気に入って何度も行っていた場所を思い出してみました。

詩仙堂

北白川時代にいちばん多く行った場所です。住み始めた頃はそんなに人気スポットではなかった(修学院離宮曼殊院のほうが人気だった)ので、いつ行っても空いていたし、庭を眺める座敷でゆったり座って過ごせました。10年くらい前から、紅葉シーズン以外も混雑するようになりました。

大文字山

寺社仏閣ではありませんが、京都人が好きな場所の一つです。私も院生時代には、仲間とよくハイキングに来ていたし、トレイルランニングをするようになってからは、早朝のトレーニングとして、大文字山の頂上まで毎日往復したりもしました。高さは山頂までで460m、急な道が続きますが、割とすぐに山頂まで行けます。大文字山は、東山連峰の一つで、他の山と組み合わせて、もっと遠くまで行くこともできます。北に向かって比叡山まで行ったこともありました。

鴨川、高野川、岩倉ほか

院生のころは、毎年鴨川でお花見やバーベキューをしました。また、ジョギングを始めてからは、鴨川周辺だけでなく、高野川や岩倉まで行くコースも開発していました。ジョギングコースとして、非常に気に入っていたのは、船岡山です。女子駅伝などのコースで知られる、北大路通の坂を登ったところにある小さな山ですが、見晴らしがよくて気持ちがいいので、ときどき行っていました。

清滝川、北嵯峨の田舎

右京区に移ってからは、嵐山や嵯峨野を散策しました。年中あまり人が来ないのが、太秦の北、嵯峨野方面でした。広沢池のまわりは、栃木の実家付近のようにのどかでした。また、嵯峨野からさらに北西に向かうと化野念仏寺や愛宕念仏寺、トンネルを超えて清滝川までいくと、夏でもひんやりして気持ちが良かったです。

嵐山駅の足湯と駅ビール

嵐山周辺は年中無休で混雑しますが、観光客がたくさんいるのは、夕方6時ごろまでです。それ以降は地元民の時間ということで、日が長い夏には、よく嵐山を散歩しました。毎年楽しみにしていたのが、嵐電嵐山駅のイベント、駅ビールでした。嵐山駅でビアガーデンのように楽しめるという夏限定のイベントでした。また、嵐電ホームにある足湯も、夏だと空いているので、さきに足湯に浸かって体を温め、その後ビールでクールダウンするという楽しみかたもありました。

桂川松尾大社

右京区時代のジョギングコースとして、自宅から嵐山の渡月橋を超えて、桂川の土手を南下するルートをおもに走っていました。四条通りが桂川と交わる松尾橋付近で折り返すとちょうど10kmになるので、松尾にはよく来ていました。松尾大社苔寺など周辺の寺社と比べると、たいして人気の観光地でもないのですが、地元の人には非常に愛されていて、お正月やお祭りの時期にはたいへん混雑していました。

油かけ地蔵

すっかり忘れていましたが、当時一番気に入っていたのが、この場所でした。嵐電鹿王院駅から徒歩5分ほどの場所にひっそりと立つ油かけ地蔵。時々見に来ては、油をかけて手を合わせていました。

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