ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

国際化するビジネスと衰える国際感覚

珍しく学生から相談を受ける

ふだんは1、2年生向けの講義やドイツ語の授業しかない私にとって、学生から勉強についての相談を受けることはめったにありません。研究室に学生が来ることも(学期末に提出物などを持って来る場合を除けば)ほぼありません。しかしここ数日、たまたま別々の学生から、ゼミでやっているビジネスプランコンテストについて相談を受けました。ビジネスの問題は全く専門外ですが、大学における専門分野の学習と語学教育との関係を考える上で、非常に重要な問題というのを見たように思ったので、まとめておきます。

 

ケース1:外国人旅行者対応のレストラン検索サイトをつくりたい

一年時から私の授業に出ている、非常に真面目で優秀な学生から、授業後に相談を受けました。この学生は、レストランガイドのようなサイトを作り、そこで料理の紹介とともに、アレルギー情報や栄養価についての情報も閲覧できるようにするというサービスの展開を考えていました。

私もインターネットは大好きなので、このようなサービスが意味を持つことはよくわかります。しかし問題はここからです。レストラン情報サイトを作り、さらに昨今増え続ける外国人観光客(大阪で暮らしている学生たちは観光客の激増を日々肌で感じているでしょう)に対応するべく、多言語サイトとして展開したいというのです。そして、多言語化については、業者に頼むと高いので、語学教員にお願いするというのはどうだろうか、と私に相談してきたのです。どうも、ゼミの担当教員が、語学教員に相談してみては、と提案したらしいのですが、あまりのことにあきれてしまいました。

学生が、何も考えずにとりあえずそこら中にいる英語の先生(本学はネイティブ先生の授業が必修であるため、非常にたくさんの先生がいます)や、学部の専任として所属しているドイツ語や中国語の教員なら頼みやすいかな、と考えただけならばまだ理解できます。しかし、ゼミの教員がそのような提案をしたというのは問題です。

学生には、プロの技術や知識をただで使うことの問題について、しっかり伝えました。たとえばあなたの友達のお父さんがIT系企業の社長だからって、サイトのデザインとかぜんぶタダでやってもらうのはまずいでしょう?というと、わかってくれたようでした。

多くの人に使われるサービス=多言語に翻訳すればいい?

しかし私が問題だなと思ったのは、外国語をどうするかという点ではありませんでした。むしろ気になったのは、学生側に、世界から来る観光客に使ってもらう=多言語化という視点しかなかったことです。

その学生が考えていたような、食品にふくまれるアレルギー成分の表示などは、たしかに多言語で表示できればいいでしょう。しかし食品の栄養価と健康づくりへのアドバイスのようなコンテンツを付加する場合、たんに日本語を別の言語に移すだけでは不十分ではないかと思います。たとえば、ドイツ人はどのように食べ物と健康の関係を考えているのでしょう。日本人のように、炭水化物は何グラム、野菜は何グラムと目安があるのでしょうか?日本人にとっての理想的なバランスは、他の国の人にとっても同じなのでしょうか?このように考えると、観光客向けのサイトとはいえ、多くの外国語で表示すればいいというわけではないように思います。多くの人に使われるサービスにするのであれば、他の国から来る人が、どのようなサイトやサービスを必要としているのかを考える必要があるでしょう。

 

ケース2:国際的なスポーツ大会におけるサービスの計画

別の学科の顔見知りの学生から急に相談したいと声をかけられました。この学生たちは、昨年ドイツ語の授業に出ていたのでよく知っていました。彼らも同じようにビジネスプランコンテストに出すため、スポーツイベントについて話をしたいというのです。

彼らは私から簡単にドイツのスポーツ事情のような情報が得たかったようです。私自身はスポーツ教育と体罰の研究グループに入って、ドイツ体操史について少し調べていましたし、自分自身でもドイツでスポーツイベントに出場したこともあるので、彼らにはいろいろ知っていることを話すことができました。

彼らは、国際的なスポーツ大会を誘致するにあたって、民泊や駐車場の手配、駅から会場への案内といった方面について、どのようなサービスができるかを考えていました。

 

言葉が通じなくてもできることを想像する=それも国際化

彼らのいいところは、国際的なスポーツイベントだからといって、安易に通訳を大量に雇う(あるいはボランティアに任せる)といった、しょうもない発想に走らない点でした。そうではなく、海外事情を知る教員などへの聞き取りから、どのようなサービスの可能性があるかをリサーチし、言葉が通じなくてもどのように来客に便利なサービスを提供できるかと考えているようでした。

世界の数十カ国から参加者や観客が来るようなイベントの場合、各言語の通訳を手配するなんてことは、ほぼ不可能でしょう。それよりは、言葉が通じなくても不便なく会場に移動できるような誘導の仕方や、海外のイベントを参考にした、イベントの運営方法を模索する方がよほど建設的です。

 

国際化するビジネスと退化する国際感覚

今回2つの学生の事例(ケース1は個人、ケース2はチーム)から、語学教員として学部の教育にどう関わるべきかという問題について、考えさせられました。

彼らがゼミで専門の先生方の指導のもとに学んでいくビジネスの世界について、私はほとんど知りません。それでも、ものづくりにせよサービス業にせよ、多言語・多文化に対応したものが今後主流になっていくことはよくわかります。とはいえ、学生たちはそれだけ外の世界に関心をもっているのでしょうか。英語の必要性はわかっているようですし、頑張って勉強している学生も多くいます。

残念ながら多くの学生たちは、英語圏以外の言語や文化について、彼らはほとんど関心も知識ももたないまま、専門の勉強をして、卒業していきます。

この点が非常に大きな問題です。(資格やスコア以外の)外国語教育をすみっこへ排除して、専門教育やゼミにおける国際的なビジネスプランづくりといったことをやっているうちに、逆に外国語教育がこれまでやってきた、語学力とは異なる、国際感覚の涵養という要素が、時代に求められるようになっているのではないかと思います。

いまこそ外国語を!といったところでもう手遅れなのは、私もよくわかっています。これからドイツ語のコマを増やすことは容易ではないでしょう。それでは、どうやって彼らに必要な国際感覚、あるいは外の世界への関心というものを、授業の中で伝えていけばいいのでしょう。週に一度の講義、週に一度の語学の授業では限界があるのでしょうが、せっかくこの学部に所属しているのですから、もうすこし経営学を学ぶ学生の役に立つようなことができれば、と考えています。