ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

丹後ウルトラマラソン、ふたたびリタイヤ

9月18日に開催された、歴史街道丹後100kmウルトラマラソンに出場していました。3年前に60kmの部に出て、60kmを2回完走し、昨年と今年は100kmに出ています。結果から先に書きます。昨年(71km地点で時間切れリタイヤ)につづき、今回も時間切れで54km地点でリタイヤとなりました。以下、当日の状況と、なぜ走れなかったのかを簡単にまとめておきます。

 

1)スタート

今回も昨年と同じ、浅茂川温泉の旅館に前日から泊まりました。夜は20時ごろ床についたものの、3時間くらいで目が覚めてしまい、その後はごろごろしているうちに、2時の起床時間を迎えました。宿の食事をとって、着替えやテーピングを済ませて3時過ぎに会場に着きました。

激しい雨が降っていましたが、建物の中で4時半のスタートまで待ちました。昨年がどうだったのか思い出せないのですが、スタートの時点ではかなり蒸し暑さが気になりました。

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6月の飛騨高山ウルトラのスタートは、5時ごろですが、やはり6月なので明るくなるのが早いです。いっぽう9月の丹後は、初めの10kmほどは真っ暗な道を進みます。まだ周りに人がたくさんいるので、ぶつからないように注意しながら、ヘッドランプなどを装備している人の後ろについて進みます。暗いし、周りの人も元気な時間帯なので、このへんは少しオーバーペースになっていたと思います。

七竜峠を越えると久美浜湾に出ます。久美浜道の駅(16km)で一旦休憩しました。宿の食事を食べ過ぎたような気分の悪さが気になっていました。でもまあ何十キロも走るので、満腹感なんてものは、次第に薄れていきます。

久美浜駅とその周辺の町並みを越えて、久美浜湾西側の坂道に入ったあたりから、走るのが苦しくなってきました。そろそろ20kmを越えたあたりだったと思います。久美浜湾が海と繋がっている小天橋の手前で、左足の甲がひどく痛むので、いったん座って休み、靴を履き直しました。

小天橋の先は、海に挟まれた砂嘴のようなところを走りました。このへんで少しずつ歩いたりしていました。

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100kmコース、久美浜湾周辺。

 

2)25km〜44kmあたり

久美浜湾をぐるりと一周して、ようやく30km地点。だんだん歩く時間が増えてきました。昨年はこの辺を通った時はもう少し元気だった気がする、そう思いながら何で足が前に進まないのかいろいろ考えていました。

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左足の甲は痛いものの、いつも決まって痛くなる、足の裏や足指はいまのところ全く無事でした。脚もまだまだ疲れていないはずなのに走るのがつらくなるというのは、内臓の苦しさだろうかと思い至りました。

思えば、この夏は、本当に全く練習をしていませんでした。ときどき練習を中断してしまう私は、練習しないとどうなるのかを経験的に知っていました。実は、脚の筋力そのものは、毎日それなりに(ドイツでは1日1万5千、日本でも1万歩くらい)歩いていれば、たいして落ちません。それよりむしろ、上半身のほうが早くダメになります。腕振りで使う肩や背中の筋肉、着地の際に体を支える体幹や腹筋などは、数週間休むとだいぶ弱ってしまいます。ミュンヘンでビールばかり飲んで過ごしていた日々が悔やまれました。

はじめに越えた七竜峠を再びのぼって40km地点まできました。フルマラソンの距離ですが、ウルトラマラソンでは中間地点ですらありません。下り坂を降りるのもしんどく感じながら、なんとか43km浅茂川漁港のエイドまで到達できました。漁港でうどんを食べ、すぐに走り出し、500mほど離れた旅館のまえで妻と会いました。おそらく、元気だったのはこの辺までだったと思います。

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3)〜54km弥栄庁舎、リタイヤまで

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今年は少しコースが変わり、例年ゴールの直前に通過する離湖のまわりを通って網野町から弥栄町に入りました。歩いたり走ったりをくりかえしながら、50.8kmのエイドまで来たところで、もしかして、次の関門に間に合わないのでは、とようやく気づきました。ペース表については、裸足で走る平さんのブログからいただいていたものの、関門の時間をチェックするのを忘れていました。丹後ウルトラでは、ゴールが14時間までという制限以外に、4箇所の関門が設けられています。昨年は第3関門の碇高原までいけたので、第2関門については当然間に合うものと想定していました。しかし、50.8km地点で時間をチェックすると、もうリミットまで20分しかありません。普段の練習であれば、3kmちょっとを20分というのは、べつに早くも何ともないペースですが、すでに50kmを超えて、だいぶ疲れている時間でした。もう無理かもしれないと思いながら、なんとかペースを上げました。

弥栄庁舎までのこり1kmとなったあたりで、もうあと5分しか残っていませんでした。1km5分で走る体力は、さすがに残っていません。しかたあるまいと諦めて、のんびり弥栄庁舎前まで来て、リタイアとなりました。

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50km以上走ったとはいえ、スタート時間が早いので、まだお昼の12時過ぎです。まる一日走るつもりで来たのに、こんなに早くウルトラマラソンが終わってしまうとは思っていませんでした。昨年のように、70kmくらいまでは走らなければ、と思っていたので、なんとも手持ち無沙汰な気持ちでした。

 

4)リタイヤしてから

もう時間を気にする必要はないので、弥栄庁舎のエイドでばらずしをたべたり、飲み物を飲んだり、ビニールシートの上で脚を伸ばしたりして休みました。ひとしきり休んで、すぐに会場へ引き返すバスが出るというので、バス乗り場に移動しました。バスを待っていると、徐々に同じように関門を越えられなかった人たちが集まってきました。おじさんたち同士が、今回の敗因をそれぞれに語り合っていました。そのなかで、一人のおじさんが言っていたことが心に残りました。「フルマラソンならまだごまかしがきくけど、ウルトラは練習不足が結果に出る」と。全くその通りだと思いました。直前に30km走(西明石まで電車で行って、三宮まで走りました)をしたけれど、付け焼刃にすらならなかった、とこれまで自分が練習をさぼり続けてきたことを反省しました。

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会場行きのバスにのると、30分ほどでゴール地点に来ることができました。ゴールには、100kmの部の上位入賞者が少しずつ入ってきていました。みな、8時間くらいで100kmを完走するというとんでもない人たちでした。それに比べて私は、彼らの半分の距離しか進めなかったと、すこし悲しくなりました。

会場のテントで食事をとり、歩いて旅館に戻ってもまだ14時ごろでした。お風呂に入り、何もすることがないので、横になると、いくらでも眠ることができました。

 

5)反省点、足の状態など

今回こういう結果になってしまったのは、完全に練習不足が原因でした。四月に香住のフルマラソンで好タイムを出したものの、足底筋膜炎を発症し、その後の練習量は減らさざるをえませんでした。六月の飛騨高山では71kmを完走しましたが、足のダメージがひどかったので、二週間くらい休みました。そろそろ走れるかというところで七月には夏風邪をひいて、二週間ほど苦しみ、七月末から八月前半は仕事の忙しさがピークでした。そして八月半ばからはドイツ、という具合にこの数ヶ月間まったく計画的な練習ができていなかったことが思い出されました。

私にとって、マラソン大会は学会発表のようなものです。あらかじめ設定した締め切りにむけて、日々の練習(準備)を頑張るという点では共通しています。このところ学会発表もぶっつけ本番のような状態でこなしてきたので、こちらも同時に反省しました。

飛騨高山ウルトラのときは、両足の小指の爪が黒くなりました。今回もなんらかの故障を覚悟していましたが、足裏や足指は全く無事でした。なぜか左足だけ、足の甲が痛みましたが、靴あるいは靴紐や靴下との干渉が原因らしく、すぐに治りました。今回は、前回のアディゼロジャパンブースト3よりも、少しゆるめの靴ということで、ミズノのウェーブエアロ15を直前に買って履きました。

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たしかに足幅が広めなので、小指を傷める不安はなく、安心して走れました。しかし締め付けすぎて足の甲が痛くなるというのは、やはり靴があっていないのかもしれません。アディダスのフィット感のほうが良かった気もします。この辺も、練習をしながら自分にとってベストの靴を選びたいところです。