ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

昔の人の文字について思ったこと

マールバッハのドイツ文学資料館(Deutsches Literaturarchiv Marbach)でドイツの神秘思想家カール・デュ・プレル(1839~1899)の手書きの書簡を読んできました。読んできましたと書いたばかりですが、残念ながらほぼ何もわかりませんでした。*1現物を見て初めて思い出したのですが、19世紀の人というのは現在のドイツ人と同じような書体ではなく、少し異なる書き文字を使っていたのでした。

Kurrentschriftという文字

ドイツ語の文字は、歴史とともにいくどか変化があったようですが、ここでは細かいことは省きます。近代から1950年代(おもに第二次世界大戦ごろまで)使われていたのが、Kurrentschriftという書体です。ちょうどFrakturといういわゆるひげ文字が活字で使われていた時期とも重なります。

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ウィキペディアのサンプルを見てもわかるように、どの文字も現在の筆記体とは大きく異なります。

Carl du Prelの手紙

こちらがカール・デュ・プレルの手紙です。

現物はポストカード(今のハガキよりも少し小さくちょうど5×3インチの情報カードくらいのサイズです)に横書きで書かれています。

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 いっぽうこちらは、Moderne Rundschau編集者のエドゥアルト・ミヒャエル・カフカからの書簡です。こちらも独特の字で書かれています。右下に細かい文字で書かれているのが、デュ・プレルの返信です。

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ウィキペディアの図と照らし合わせて見比べてみても、ほとんど何が書いてあるのかわかりません。点がうってあるのが、uまたはウムラウトのついたa, o, uであることはわかるのですが、そもそも行の初めの大文字からわからないという始末です。(現物を見ていた時は思いもよりませんでしたが、こうして大きい写真で見るとだいぶ読みやすくなりそうです。現物はそれくらい非常に小さい字でした)

何枚もの書簡を見比べていくと、これが挨拶の表現かな「親愛なる…」とか、小説のタイトルがこれだなとか、少しずつはわかってきます。

彼の字に比べて、まだ判読しやすかったのが、同じファイルに収められていた妻アルベルティーネ・デュ・プレルと息子ゲルハルト・デュ・プレルの字でした。アルベルティーネからコッタ書房にあてた書簡が何通か出てきましたが、どれも非常に見事な文字で書かれています。こちらはコピーを撮れなかったのですが、線の強弱の付けかた、文字の装飾性など、見本として飾りたいと思うようなエレガントな文字でした。いっぽうゲルハルトの字は、男性らしいというか太くて一文字が大きい、黒々とした文字でした。

なぜこんなに文字が小さいのか?

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文学博物館に展示されていたシラーの『群盗』手帳のような小さい本です。

以前19世紀末に刊行されたレクラム文庫を見たときにも思ったのですが、なぜこの時代の本の文字、そして人々が書く文字はこんなに小さいのでしょうか。デュ・プレルの手紙を見たとき、初めに驚いたのが、その文字の小ささでした。非常に細いペンで、いわば名刺のフォントくらいの大きさの文字が書かれています。

現在はむしろ太い字、大きい字が一般的

現在のドイツ人たちは、一般的に私たち日本人よりも大きめ、太めの文字を書いていると考えられます。というのも現地で買う文房具がことごとく日本製のものより太い字が書けるようになっているからです。ふだん私が愛用しているラミーの万年筆も、ドイツで売っているのはF細字までですが、日本ではEF極細もあります。(それでも漢字を書くにはラミーのEFは太すぎるという意見もあります)

ホテルに備え付けのボールペンも、フライブルク大学で買ったペンもだいたい0.7㎜程度の太さで、日本だと手帳には不向きで、伝票とかメモ帳など、しっかりした字を書きたい時に用いられる太さではないでしょうか。

日本では、現在、0.3mmの極細ボールペンなどが一般的になっています。大昔の筆文字の時代から、日本語を書く文字は、技術の進歩とともに細く小さくなっていったと私は、理解していました。(資料館などにある昔の作家のメモなども太い鉛筆の文字で書かれていますし)だから、100年前のドイツ人が、現在の私たちよりもはるかに小さい細い字を書いていたことにおどろかされます。

現在では大きい字を書くことが一般的なのでしょうが、どうして100年前はこんなに小さい細い字を書き、今よりもずっと細かい字の文庫本を読んでいたのでしょう。活字の小ささと、書き文字の小ささはあきらかに連動していると考えられます。この100年の間にどんな変化があったのでしょう。資料館と博物館で古い本やメモを見ていると、日頃考えないようなことにいろいろと気づかされます。

手稿の判読は訓練を積んでもう一度

今回の滞在では、せっかくデュ・プレルの手稿を見ることができたのに、ほとんど読めませんでした。それでもコッタ書房からのタイプ原稿の手紙などを読んで、小説『Das Kreuz am Ferner』の出版時の状況がよくわかったので、ある程度の収穫はありました。

手稿については、数時間文章を見つめていると、だんだんと、おのおのの文字がなんであるかわかってくるというところまできましたが、虫食い状態の文章を転記するのが精いっぱいで、内容を理解するというところまではいけませんでした。それでも訓練次第では、十分読めるようになるかもしれません。そして、わからない文字をあれこれ考えながら解読していくというのは、思いのほか楽しい作業でした。時間がないとなかなかできないことですが、日本に戻って少しでも訓練を積んで、また資料館を訪れたいと思いました。

その後市内の本屋さんでさっそくKurrentschrift含め色々な手書き文字の読み方書き方の本を見つけたので勉強してみます。

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Deutsche Schreibschrift - Kurrent und Suetterlin lesen lernen: Handschriftliche Briefe, Urkunde, Rezepte muehelose entziffern

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*1:それでも、書店からのタイプ文書の出版契約書など、私にも読める資料も見つかったので、全く無駄足に終わったというわけではありませんでした。