ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

オドラデクの形

国際化と異文化理解講義第9回はカフカ特集

国際化と異文化理解の第9回目は、ウィーンやプラハの世紀転換期文化を紹介し、カフカの小説を読みました。

今回はカフカの作品の中でも特に私が好きなものを三編とりあげました。最も有名な『変身』、そして文庫本でも半ページくらいしかない超短編『隣り村』、それから動物(あるいは動物っぽい何か)を描いた作品の代表ともいえる『父の心配』です。

考えてみるとカフカの作品というのは、私が今やっているような、学生にテクストを読ませて、考えを書かせるという授業にはまったく理想的であるといえます。短編で、予備知識なしでもとりあえず読めるし、いくらでも内容を想像できるからです。正直言って、カフカだけで3、4回使ってもいいくらいです。今回とりあげなかった作品でも、『最初の悩み』や『ジャッカルとアラビア人』は短くて読みやすいし、『歌姫ヨゼフィーネ』や『あるアカデミーでの報告』のような動物物語は、さまざまな寓意を読み取ることができるでしょう。『訴訟』や『城』のような長編も、どこか一部分を取り出して読んでみてもいろいろ想像できて楽しいでしょう。

さて、今回取り上げた作品ですが、『隣り村』はべつに人気がある作品でも有名な作品でもありません。しかし私にとっては初めてドイツ語で読んだカフカ作品ということでひときわ思い入れがあります。学部2年時に、最初の購読の授業(東大駒場から来られていたH先生担当)で読んだのがこの短編でした。ドイツ語の文構造はわかっても、いっていることが何一つわからず、カフカってすげえな、と驚愕したのをよく覚えています。

なぞの生き物(生きてるのか?)オドラデク

『父の心配(Die Sorge des Hausvaters)』(学生に配布した多和田葉子訳では『お父さんは心配なんだよ』)もまたたいへん短い作品です。日本語訳だと2〜3ページしかありません。この作品は、ある家の父が、家の中にいる「オドラデク」というなぞの生き物について語っています。

オドラデクは、生き物と私は書きましたが、正確に言えば「生物ではなく、何らかのモノ」なのでしょう。語り手は、オドラデクの形状を詳しく描写しています。

とりあえずそれはひらたい星形の糸巻きみたいな形をしていて、実際、糸が巻いてあるようだ。と言っても、その糸は切れた古い糸で、だんごみたいな結び目ができていて、種類も色もまちまちの糸がフェルト状に縒り合わせてある。でもそいつは糸巻きであるだけでなく、星の真ん中から棒が垂直に出ていて、そこからまた直角に棒が出ている。その棒と星のぎざぎざを二本の脚にして立っている。    (多和田葉子訳、203ページ)

 

 

これは、一体、何なのでしょう。読む人誰もが、一体どんな形なのかなと想像していることでしょう。そして、この作品を授業で取り上げる先生方はみなさんやったことがあるかもしれません。私も学生たちに、オドラデクを描かせてみました。

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早速机間巡視してみると、学生たちは皆、五芒星に棒が生えたものを描いていました。

答案を勝手に使うのもまずいので、私が再現したイラストですが。

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糸まきZwirnspuleのようなものと言っているので、家庭科用具箱に入ってる糸のように、筒型のものを描く学生も多く見られました。

しかし、ドイツ語で糸まきをググってみると、五芒星ではなく、もっと角の多い歯車のような形をしたものが出てきます。Sternzwirnというものらしいです。ヨーロッパで売られている刺繍糸には、そのような星あるいは歯車形の厚紙に糸が巻き付けられているものが多くあります。実際に妻が買ってきた外国製の糸は、オドラデク的な形をしていました。

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なんとなく星型の糸巻きのイメージは分かりましたが、オドラデクの模型を実際に作る人がいるのかな、と思って探してみると、やはりたくさんの作例が見つかります。イラストを描く人も多いようですが、3次元的に再現した物の方が、リアルで本物っぽいですね。

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オドラデクとは?

オドラデクは、模型が表しているように、何らかの意味や目的を持った道具ではありません。「全体的に無意味だが完成している」形なのだというのです。

そしてオドラデクは、家のあちこちに転がっています。ドアから出て、階段の手すりに寄りかかっているのを見ると、話しかけたくなると語り手(お父さんなのか?)は言います。

身体が小さいせいか、つい子供扱いしてしまう。「君、名前は?」と訊くと、「オドラデク」という答えが返ってくる。「どこに住んでいるの?」「住所不定」と言って、そいつは笑う。でも、その笑いは、肺を使わない笑だ。枯葉が落ちる音みたいに聞こえる。  (多和田、204ページ)

オドラデクとはなんなのでしょうか。学生たちは、妖精のようなもの、ネズミやゴキブリなど様々な解釈をしていました。ゴキブリのような害虫のイメージはちょっと違います。おそらく彼らには、その後に読んだ「変身」のザムザのイメージとごっちゃになっていたのではないかと考えられます。

非常に面白い解釈として、星型のオドラデクは、人間を表しているのでは、という意見もありました。星と人型の類推ということです。なるほどそのように解釈すれば、オドラデクに息子のように話しかけてしまう父の気持ちもわかります。

父の心配とは?

語り手(父)は、最後の段落で、不安を口にします。彼にとっては、目的も意味も持たないオドラデクは、普通の生物のように死ぬこともなく、自分自身が亡くなった後に、自分の子孫の足元にもずっとコロコロ転がり続けるのだろう、そしてそう思うと心が痛むというのです。

この父の心配というのは何なのでしょう。この点についても学生に考えてもらいました。多くの学生が書いていましたが、オドラデクが自分の死後もずっと生き続けるというのが、寂しくてかわいそう、という意見がありました。確かに、ずっと幾世代の後に成っても、目的も活動もないオドラデクが残り続けるのは寂しい感じがします。

また、オドラデクを子供のように思っている父は、子供を残して先に死ぬことが寂しいのだ、という解釈もありました。

素晴らしかったのは次の解釈です。オドラデクは、父の頭の中にごちゃごちゃに存在する記憶や体験が無造作に混合したものであり、自分が死ねば肉体は滅びるが、記憶は何らかの形で残り続けるということが心配なのだ、というものです。

オドラデクが古い何らかのものの痕跡であるとか、記憶であるというのは、ベンヤミンカフカ論にも見られる解釈です。

オドラデクは忘却の中の事物がとる形である。そうした事物は歪められている。(151ページ)

 

ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈2〉エッセイの思想 (ちくま学芸文庫)

 

 

このような素晴らしい意見が、文学の知識を特に持っていない経営学部の1年生から出てきたことをすごくうれしく思いました。そして、今回カフカを取り上げたのは、全く正解だったと実感しました。