ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

講義科目をどうするか?(1)

講義科目って難しい

今の職場に着任して3年目、毎年半期ごとの講義を担当しています。しかし毎年こんなんでいいんだろうかと反省するばかりだし、難しさを痛感するばかりです。どうしてこんなに難しいのか。ドイツ語を教えるのはだいたい2年目くらいで教科書をほとんど見なくても教える内容が出てきたのに。語学科目とどう違うというのでしょう。

自分の今学期も含めて3年間の講義内容を振り返りながら、どのように講義を進めればいいのかをもう一度整理したいと思います。

 

文学部には講義科目があまりない

そもそも私は講義科目というのがよくわかりません。大学で講義って必要ですか?教員側としては、少ない人数で大人数をいっぺんに教えられるからいいのかもしれませんが、学生側にとっては単なる睡眠時間になっているのではないでしょうか。そう思ってしまうのも、私自身が文学部のドイツ文学専攻の出身で、あまり講義科目を履修していないからです。文学部外国文学専攻だとほとんどの授業は語学およびテクストの訳読です。大学によっては学生が調べて発表するゼミなどもあるのでしょうが、私のところではほとんど機能しておらず、テクストをひたすら訳読するのがゼミでした。一応講義科目もありましたが、文学史や演劇史、比較文学など専門分野に近いものばかり(日本国憲法社会学、経済学など教職、公務員資格関係の科目もありました)で、全く関係がない、興味もない講義科目を仕方なく受けるということはあまりなかったように思います。

 

社会科学系学部=大教室なのか?

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明治大学和泉キャンパス第二校舎。外階段が目立つ。内側からだと迷いやすく、行きたい教室になかなか入れない。)

このような文学部にいたので、他学部の友人たちが大講義室の授業ばかり出ていると聞いて、驚きました。テレビや漫画などで描かれる、マイクを持った先生がえんえん一人で喋って、学生はひたすら寝るという授業は文学部ではめったに見ることはありません。でも友人が授業を受ける和泉キャンパス第二校舎では、確かにそういう授業が行われていたようです。

学期初めにもらうシラバスも、文学部は厚さ5cmくらいあるのに、政経学部などは厚さ1cmくらいしかありませんでした。ということは、人数は多いのに、開講科目はずっと少ないのだということでしょう。

 

経営学部生に文学の教員が何を教えるのか?

私の職場は経営学部です。経営学部生にドイツ語を教えるのが主な仕事ですが、講義科目もやらなきゃいけません。講義題目は「国際化と異文化理解ー外国文化論」というものです。英語、中国語、フランス語などさまざまな語学を担当する教員が週に1、2コマこのような講義を担当します。

しかし、外国文化だからって、学生たちに私の専門の話などしても、興味を持ってもらえないだろうし、そもそも私自身が学生がどのようなことを勉強しているのかよくわかりません。

 

そもそも経営学部って何を勉強するの?

この学部に勤めて3年になりますが、どうして企業の儲けやその計算が学問になるのかわかりません。それは企業経営や起業のために必要な知識だけど、学問的な話になるのでしょうか?あるいは簿記や会計の資格の勉強をやっているというのはわかります。そして学生たちの多くがそのような分野に関心を持っているというのは知っていますが、大学の授業はそれだけではないはずです。企業や商行為の歴史的背景などは面白そうだと思うのですが、それって経営学部のごく一部でしかありませんよね。どうもこの学部の学生が何をしているのかわかりません。

さらに私の職場は、経営学科、商学科、キャリアマネジメント学科、会計学科と4つに分かれています。会計学科は計算機を使うようです。キャリア学科は人事的なことを学ぶようです。しかし経営学科と商学科の違いは?母校にも経営学部と商学部があり、商学部は看板学部、経営学部は「あったか?経営」と呼ばれていましたが、やはり違いがわかりません。

 

歴史から現在を知ることって人文社会学の基本でしょう

学生の関心に合わせて内容を考える、というのは非常に難しいと分かったので、原則に立ち返り、彼らにとって何が必要かを考えることにしました。*1ドイツ語の授業だって同じことです。語学自体を教えるというより、語学を通して、他国の文化に触れ、知識を得て、さらに自分の暮らしている国や社会を見直そう、ということが目標になっているはずです。それならば、私の専門である近現代ドイツの歴史や文化を通じて、現代の日本を考えてもらうというのが一番よかろうとだんだん構想がまとまってきました。

 

*1:学生の関心に合わせるというのは他の大学においても難しいです。京都大学総合人間学部でのリレー講義の時も、なんでもありの総合人間学部でも、履修者の多くが海外文化というよりは、国際政治や国際経済に関心があったようで、私の文学よりの話はわかりにくかったという感想がありました