ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

2003年春、手探りで論文の書き方を模索していた頃

講義の資料に使えそうな昔の発表原稿や資料などをHDDのなかから探していると、2003年ごろのメモ書きが出てきました。コンピュータに保存してあるデータというのは、全く場所をとらないものですから(当然ですね)、何でこんなものまでとっておいたのかと思うような、思いがけないファイルが出てくることがあります。

2003年、修士課程4年生になっていた

先日のエントリで、東京を離れることを決意したころのことを書きました。あのあと希望に燃えて京都にやってきた私ですが、あっという間に挫折して、学問に向かう意欲をなくし、一体何をしているのか自分でもわからない日々を過ごすうちに、通常2年で修了する修士課程なのに、留年を繰り返し、4年目の春を迎えようとしていました。

4年間も何をしていたのか?

あの頃からもう10年以上の年月が過ぎ、何とか私も研究者の端くれとして、この仕事で生活できるようになっています。今から振り返ってみると、あの頃の私は、典型的な失敗する院生でした。

1年目は理想に燃えて、いろいろがんばろうとして、さまざまな研究会に入ったり、合宿に行ったりしていました。でももともと大して勉強しないで大学院に入ったこともあり、まわりの院生たちのレベルには到底ついていけないし、大学院のゼミも苦痛で仕方なくなってきました。外国文学専攻だと、進学するような志の高い学生は、みんな学部時代に1年くらい留学してたり、外国語で論文を書いたりといった基礎を固めてきているのです。私は1ヶ月の語学研修に行っただけで、卒業論文も中心になるテクスト以外は外国語の文献など何も読んでいませんでした。

2年目、3年目は修士論文がちっとも進まない苦しさで、遊びまくったり、バイトに励んだりと完全に研究に背を向けて過ごしていました。なんでそんなことしてたのに、いまも研究者を続けていけてるのか、考えてみれば不思議な話ですが、当時の無駄に過ごした日々のことはいまも激しく後悔しています。

ダメになる院生の見本のよう

博士課程に進学後に何人も同じように挫折する後輩たちを見てきましたが、いくつかパターンがあるようです。中でも一番多いのが、私と同じように、外部の大学出身(とくに私学出身者)で、大学院に入ってから、学部までの勉強とのギャップにショックを受けて、自力で研究ができなくなるケースです。指導教授もあれこれ気を使ってくれるのだけど、研究が進まない→先生に会わせる顔がない→ますます研究が進まないという悪循環にはまり込んでしまうのです。

4年目の春、毎日何か書こうと決めた

修士課程4年目に入る頃、研究テーマを変えることにしました。ともかく今の自分が一番面白いと思うことをやれ、と指導教授は言いました。それでちょうどその頃アルバイトの合間に読み進めていた『シュレーバー回想録』について、何か書いてみようと思ったのでした。

 

シュレーバー回想録 (中公クラシックス)

シュレーバー回想録 (中公クラシックス)

 

 

 

乾いた樹の言の葉―『シュレーバー回想録』の言語態 (叢書フォーゲル (5))

乾いた樹の言の葉―『シュレーバー回想録』の言語態 (叢書フォーゲル (5))

 

 

しかし卒業論文を書いてから早3年が過ぎ、どうやって論文を書けばいいのかということがさっぱりわからなくなっていました。このままだらだら過ごしてしまえば再び留年となることは目に見えています。そこで私は毎日図書館に行ったり、共同研究室に行ったり、定期的に文献を読む時間を取り、そして何かしら毎日書くことを自分に課しました。

日々、概説書を読み、時代背景、問題意識、先行研究などをまとめる作業

そして冒頭に挙げた、当時のPC*1に保存していたたくさんのメモの話に至るわけです。 シュレーバー論を書こうと思い立った私ですが、まず手をつけたことは、シュレーバーが生きていた時代を知ることでした。歴史的事実やシュレーバーのような精神の病がどのように扱われていたのか、そしてその後の精神分析理論がどのようにできあがってきたのかといったことを概説書や先行研究(上のリンク、臼井先生の本など)から調べました。指導教授には、定期的に書けたものを持ってくるよう言われていたのですが、当時私が書いていたのは、もっぱら読んだ本の内容のまとめでした。これは学習ノートであって、論文ではありません。おそらく読んだ先生にも同じことを言われたはずでした。しかし、このメモを集めるという作業は、自分が論文を書き始める前の段階として、やはり必要なものでした。概説書で知識を得て、先行研究をまとめることで、自分の問題意識を明確化する、そういう段階を、2003年春に自分で書いたメモからたどることができます。この時期に毎日少しずつ書いていたメモから、8月ごろに徐々に論文の形が見え始め、9月ごろから一つ一つの章ができあがってきます。この段階までくると、いわゆる躁状態で、毎日バイトから帰って、次の章を書き始めるのが楽しみでした。

今もやってることは同じだ

当時のメモを読み直しながら、やり方は違えど、同じように作業を進めていることがわかります。日記ではないので、当時の自分の感情を想像することはできません。しかし、何を書いていたのか、何に関心を持ち、どのように論文へとつなげようとしていたのかという思考のプロセスをたどることは、現在の私が見落としている問いを浮かび上がらせてくれるかもしれません。PCに残したファイルだけでなく、ノートやカードにも様々なかつての自分の問いの痕跡があるでしょう。それらが今の自分を作っているのだし、またこれからの自分の研究へのとっかかりにもなるのでしょう。