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ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

1999年秋アパート取り壊しと立ち退きの思い出

どういう脈絡かわからないけど、急にずっと昔のことを思い出すことがあります。

東京で大学に通って4年目、アパートの取り壊しが決まった

大学4年生になって、大学院進学を決意した頃だったと思います。当時住んでいたアパートは築40年以上の木造で、階段や二階の廊下が少し崩れかかっていたり*1、部屋の畳が傾いて沈んでいたり*2と、それなりに古い部屋だったのですが、そこそこ広いし、駅から近い(徒歩3分以内)し、温泉宿のように明るい和室が友人たちに人気だったのでした。

引越ししたいけど、お金ももったいないし、このまま大学院に進み、ドイツに留学するまでしばらくつつましく勉強の日々を過ごすのだ、そう思っていました。

 

それはアパートの他の住人から伝わってきた

第一志望の大学に過去問をコピーしに行ったり、もう一つ行きたいと思ってたところの院ゼミに入れてもらって、毎週大学院生たちと勉強を始めた春のある日、日頃ほとんど顔を合わせない、他の住人のだれかが廊下で立ち話をしていました。おそらくそのとき、このアパートがもうじき取り壊されるということを聞いたのだと思います。数日前に、近所で酒屋を営む大家さんに、いつも通り一ヶ月遅れの家賃を支払いに行った時は、全くそんな話は聞かなかったのに、なんで急に?と非常にショックを受けました。

ネタとして美味しいと思う反面とまどいも

まわりの友人たちはみんな関東近県から通いだったり、あるいは一人暮らし組はけっこう仕送りをたくさんもらってたりしていたので、私のようにアパートの立ち退きに遭遇するなんていう話は誰からも聞いたことがありませんでした。これは得難い経験!と興奮した反面、一体これからどうしようかと戸惑ってもいました。他の住人から聞いた話だと取り壊しは秋ごろ。実家に帰ろうにも卒業まではまだ半年以上もあります。勉強しないといけないし、なにより院試だってあります。なんとかして東京にとどまらないといけません。

不動産屋が立ち退きを迫りに来る

数日後、見慣れないスーツの男性が夜にやってきました。大家から権利を買った不動産屋さんでした。早く立ち退きに応じて欲しい、立ち退き料も出さないでもないというような話で、私としても即答できる話ではないから、ちょっと考えさせてくださいと答えて帰ってもらいました。もう20年も前の話だから曖昧にしか覚えていませんでしたが、非常に感じの悪い人だったように思います。

 一階のおじいさんが言った「徹底的に戦おう」

ある晩、銭湯から戻ると(当然のことながらお風呂はなかったので、毎晩銭湯に行っていました)、アパートの一階に数人の住人が集まっていました。一階1号室にはおじいさんが、2号室にはおばあさんが一人で住んでいました*3おばあさんとはときどき話すことはあったのですが、おじいさんが動いているのを見るのは2回目くらいだったと思います。みんながいるのであいさつをすると、立ち退きの話でした。

おじいさんは集まったみんなに言いました「ゴネたほうが立ち退き料が上がる。みんな、同意するなよ!まだまだねばらなきゃだめだ!」と。みんなは頷きながら話を聞いていました。

不動産屋がたびたびやってくる

それから夏休みごろまで、何度も不動産屋がやってきました。いつも決まって夜7時か8時ごろだったように思います。毎回、もうそろそろ同意してくださいよ、とか立ち退き料も払うんですから、などと言うのですが、「いえ、同意できません」とつっぱねて帰ってもらっていました。友人が遊びに来ている日に来ることもあって、本当に不愉快でした。

立ち退き料は家賃1年分

いつごろのことだったか思い出せませんが、たぶん夏休みの終わりごろだったと思います。京大大学院の入試をその頃に受けていますが、それくらいの時期に、最終的に立ち退きに合意しました。立ち退き料はちょうど家賃の1年分。家賃が4万円だったので、48万円にもなっていました。すげー!これで引越し代金と大学院の入学金が全て払える!と大喜びしました。そのときのお金をどうやって受け取ったのか覚えていないのですが、当時は銀行振り込みなんて使っていなかった(自分の通帳でお金を下ろしたことはほとんどなかった)ので、現金でもらったはずでした。夜に不動産屋さんから現金で大金をもらって、それを後日郵便貯金の口座に移したのでしょうが、その時自分がどんな思いだったのかを、いまはもう覚えていません。

11月、友人の叔父さんの2階に引っ越す

アパートを立ち退かざるをえなくなり、このまま東京にとどまることに疑問を抱くようになりました。今後ドイツに行くのであれば(結局長期留学は今に至るまでできていないのですが)日本のことをもっと知る必要があるのではないか。そのためには一度関東以外の地域にも住んでみたい、そう強く思うようになりました。結局9月に受験した京大大学院に合格し、それ以外の志望校(東京でほかに3つの大学を受験する予定でした)は辞退し、卒業までで東京を去ることに決めました。

とはいえまだ4年生の後期。卒業論文はメモ程度しかできていません。バイトや友人との関係もあるし、ということで引越し先を探し、ちょうど友人の叔父さんが住んでいる家の2階が空いているというので、11月末に引越しをしました。

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父が借りてきたトラックに荷物を積み、家族と友達一人に手伝ってもらって、それまで住んでいたところから5km程度の場所に転居しました。

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これは転居先のアパートではなく、その近くの味わい深い物件。

あっという間に更地になっていた

卒業論文を提出したあとの、2月ごろだったか、たまたまかつて住んでいた町を通りがかることがありました。たぶんバイトの帰り道に夕方寄ったのだと思います。駅から商店街を抜け、住宅の間の狭い通りを過ぎると、いつも帰っていたはずのアパートは跡形もなく消えていました。建物だけでなく、南側に少しあった庭も塀も消えていました。後に残ったのは水道菅だけでした。ちょっとだけ涙が出ました。

その後関西に移住し、現在に至る

11月の引越しで、それまで住んでいた物件よりさらに古い、世田谷区のアパートに移り、大学生活の残り四ヶ月を過ごしました。卒業後、すぐに京都に引越し、そのまま現在に至るまで16年間関西に住み続けています。今の生活は気に入っていますが、きっかけはほんとうに些細なことだったのだと思うとなんだか不思議な気がします。

*1:私も含め、訪ねてきた人数人がこの階段から落ちました

*2:勉強机を置いている場所が常に傾いていました

*3:2階は4部屋あり、3号室は一人暮らしの女性、4号室は欠番で5号室は同棲している大学生カップル、6号室は中年の夫婦で、私が7号室に住んでいました。