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ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

私たちは何を教えているのだろう

今年2月に定期試験が終わったあとに残したメモから。

毎学期、文法事項を中心としたドイツ語の筆記試験を行っている。できる学生も、できない学生もいる。

学生たちを見ていて、自分がやってきたことは何だろうか、と考えることが多い。

 

定冠詞・不定冠詞の格変化はもう表を出してしまっていいのではないか。

問題は格の概念を理解しているかどうかなのだし。

テストにおけるしょうもないカンニングを減らせる。

 

さらにいえば、A4くらいの文法まとめ表を配ってもいい。

そのうえで、読解や作文など、知識を応用する問題を中心にだしたらいいのでは。

うちの大学だとどうしても穴埋めとか変化表を埋めるとか、レベルの低い問題ばかりに

なってしまって、毎回うんざりする。

 

いったい私たちは何を教えているのだろう?

週一回、文学部じゃない学部でドイツ語を教えることの意味とは何だろうか?

意味という言い方はおかしいかもしれない。意味はあるのか?というと、限りなく無いほうに近くなってしまいそうだから、問わないことにしたい。

※もちろん文系学部だし、ドイツの経営学説やビジネス事情を学ぶためにドイツ語は大いに役に立つ。しかし実際のところ私の職場の先生方の場合は、ドイツ企業を対象に研究しているとしても、英語の文献しか読まないのが一般的らしい。

 

私は学生たちに何を教えているのだろう。ドイツ語の基礎を教え、それが彼らにしっかりと習得されることを目的としているのだろうか。

変化のしかたを覚えるのではなく、変化があるということ、日本語にはない定冠詞・不定冠詞、そして格変化という考え方に親しんでもらうこと、

これがまず第一歩である。格変化が正確に言えるというのは、実のところドイツに行って実際に生活していてもなかなか身につかないのではないか。

初級文法の挫折ポイントの一つである、形容詞の格変化だが、私自身はドイツ語の教員になってようやく間違えないで言えるようになった。それくらいどうでもいいことなんじゃないか。となると大切なことは何なのか?

 

ここで再びはじめの問いに戻る。私たちは何を教えているのだろう?