ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

超少人数クラスで教えています

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超少人数クラスでの授業のイメージ

教務委員の4月はたいへん

新学期が始まって2週目が終わりました(木曜日スタートなので、19日から3週目です)。この時期、私たち各言語の教務委員は、あちこち教室を回ったり、事務室や講師控え室に行ったりと、忙しく過ごしています。私も、今年は神戸大の非常勤をやめて、月曜日を授業なし日にしたにも関わらず、この二週間は月曜から金曜まで早朝から大学に来ています。

私たちがバタバタ過ごしているのは、勤務先の場合、第二外国語の選択をするのが、入学手続き時ではなく、1回目の授業が終わってから、という事情によります。かつて教えていた他の大学の場合は、1回目からすでに受講者名簿ができていて、受講者数の増減などは起こり得ませんでした。どこの大学もそうだろうと思っていたのですが、本学では、他の選択科目と同様、1、2週目に希望する授業に出たあとで、履修を決定することができるようになっています。

この制度があるために、当然現場は毎年混乱します。英語の場合は入学式後のプレイスメントテストでクラスを振り分けますが、第二外国語は学部学科で指定された時間(何曜日何時間目が決まっている)であれば、どの言語も選べます。そのため、クラスによっては希望者が殺到したり、逆に誰も来なくて不開講になってしまうこともあります。

私は着任2年目から5年目の今年まで、ずっと教務委員を担当しています。ドイツ語教員は5人いるので持ち回りで担当すればいいのかもしれませんが、それぞれ先生方には別の仕事があるので、今後もしばらくは(おそらく2、3年後に新人が入るまでは)私が担当し続ける見込みです。(クラバートの水車小屋みたいな職場です)。

今年は韓国語が大人気、ドイツ語はいよいよ虫の息!

本学では、独・仏・中・韓の4言語の教員(イタリア語、スペイン語もありますが専任教員がいません)はチームで仕事をする機会が多く、4月末には全体会議も行われ、毎年新入生がどの言語に集まったかが確認されます。やはり毎年中国語が一番人気で、経営学部の場合は7、8割の学生が中国語を選択します。ドイツ語は1割ちょっとです。

しかし、今年は中国語の履修者がそれほど多くないらしく、代わりに韓国語が増えているそうです。本学の場合、一クラス50名を越えると、クラスを分割するというルールがあります。韓国語クラスでは、超過するクラスが多発し、いくつかクラスを増設しないといけなくなったそうです。(教室、教員の確保がたいへんです)

経営学部のクラスというと、私のイメージでは男子7、8割で女子はごくわずかというのがふつうかと思っていましたが、韓国語のクラスはほとんど女子学生だそうです。ぜんぜん知らなかったのですが、韓国アイドルの人気はすごいのですね。

一方ドイツ語は、毎年あまり受講者は集まらず、教室に入りきらないなんてことはめったにありません。それどころかここ2年ほどは、とくに経営学部で履修者の減少が目立つようになってきました。かつては1クラス平均30名ほどいましたが、今年は10名以下が普通です。理由は分かりませんが、次にドイツ語履修者の変化を見てみます。

どうしてこうなった?ドイツ語履修者数の変化

自分のPCに保存してあるデータをもとに、私が着任して以後5年間の、水曜日クラスの履修者数をまとめました。私一人で長期のデータを蓄積しておけるのも、クラバート的に教務委員を務めてきたことの効用ですね。

経営学部の初級ドイツ語は、火曜、水曜、金曜に開講されていますが、私がこれまでずっと担当していたのはおもに水曜のクラスだったので、水曜日だけでまとめておきます。(正確な数字がわからないところはだいたいの数に直しています)

*ちなみに経営学部は1学年1300人〜1400人くらいいます。学科ごとに時間帯が分かれ、現在は1年生向けドイツ語は7クラス開講されています。

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 私が着任した2014年ごろは、経営学部の各クラス(金曜日の再履クラス以外は)はだいたい20人から30人程度の履修者が集まっていました。16年に私の担当する2限のキャリア・マネジメント学科クラスが8名と急に減り、また17年には1限の経営学科も減少してしまいました。一方で3限の会計学科O田先生クラスには30名近く学生が来ていました。

2016年にはじめて10人以下のクラスができてしまいましたが、それまではわりと大人数が集まっていたことがわかります。去年も今年もおもにゼミ室のような小教室ばかり使っていますが、14年、15年ごろは定員50人程度の教室をつかって、ちょうどいい散らばりぐらいに学生が座って、わいわい賑やかに授業をするというスタイルだったと思います。

 

超少人数クラスで何が問題か 

こういう経緯をたどって、私のドイツ語の授業は金曜日の中級クラスが20名程度登録している他は、すべて10名以下となってしまいました。

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語学の授業は一般に、少人数であるほどいいと言われていますが、大学で、しかも初習外国語ではなかなか10人以下の超少人数クラスというのはないのではないかと思います。なかでも火曜日の3時限目は3名、水曜日2時限目は2名と、村の学校のような規模です。

超少人数クラスになってしまったことは、少なからずショックでした。そして、これまでのような授業ができなくなってしまうのではと不安でした。しかし、登録期間が終わってしまえばもう履修者数は変わりません。何人であろうと授業をしないわけにはいきません。

そうして実際に超少人数クラスで授業をやってみましたが、非常に充実した時間がすごせたように思います。早く進み過ぎてしまうのではないか、あるいは、間が持たなくなってしまうのではないかといった心配は必要ありませんでした。学生たちの状況をよくみて、彼らそれぞれのペースに合わせて進めれば、大きいクラスよりもずっと学習効果は高いという当たり前のことに気づきました。(学生自身も、集中して勉強できていい、と言っていました)

私が不安だったのは、これまで10年近いキャリアで自分が確立してきたと思い込んでいた方法論が通用しなくなるかもしれないということでした。確立したと言っても、それは30人から50人程度のクラスに最適化した方法にすぎません。

ある程度人数が多いクラスでは、ペアでの会話練習やグループでの話し合いにどれだけ時間をかけるかが授業進行の大きなポイントになります。しかし人数があまりに少なすぎると会話練習も口頭発表や口述試験もあっという間に終わってしまいます。同じドイツ語総合1のクラスを3つ担当しているけど、その中で進度や学習内容に差が出てしまうかもしれない、そう危惧していたのでした。

 

超少人数クラスでいいじゃないか

たしかに同じ名前の授業である以上、進度や内容が違ってしまうことは問題です。クラスごとにドイツ語の理解度が違うのであれば不公平だ、とも言われかねません。*1

もちろんテストの難易度や成績評価は、同じ授業である以上揃えるべきです。しかし、学習者はそれぞれ違うので、当然どんなクラスサイズであれ、何もかも同じく揃えることは不可能です。

同じ授業科目で複数クラスを担当する場合、授業内容を揃えることは、これまでの私にとっては当たり前のことでした。1時限目も2時限目も同じ話をして、同じところまで教科書を進める。そうやって機械的に進めたほうが当然楽です。とはいえどのクラスだって、学力ややる気に差があるでしょうし、学部学科ごとに雰囲気も異なっています。それならば、一つ一つちがう授業をすればいいのです。人数が少ないのであれば、グループワークの内容を増やせばいいし、発音練習も繰り返しやればいいでしょう。小テストや期末テストで同じくらいできるようになれば、それぞれの授業では違う方法をとってもかまわないのです。

よく考えるとほんとうに当たり前のことなのに、私はこんなことにも気付かずに教えていた、経験によりかかって、楽をすることばかり考えていたんだと痛感しました。そもそも経験を頼りにするのであれば、もっと過去のこと、大学で教える前のことを思い出すべきでした。

博士課程に上って初めてドイツ語を教えたのは、某家電メーカーの社員さんへの短期集中講座でした。マンツーマンで1日4時間ドイツ語会話を教えました。その後もドイツ語で医学部を受験したいという高校生に半年間「受験ドイツ語」を教えたりもしました。あのころは、一対一の授業が当たり前でした。今回のことで、10年以上前の、もう忘れかけていた経験を思い出すことができました。

 

 

ドイツ語はこのまま超少人数でいいのか?

いくら超少人数クラスで充実した学びを!と言ったところで、来年度の履修者がゼロになってしまっては困ります。 

今のところ超少人数クラスになっているのは、もっぱら経営学部のみだといいます。(他学部にもいくつか少ないところはありますが、これほどではありません)

学生たちは一般に少人数の授業を嫌うので、どうしても先輩からのアドバイスを聞いた次の年の学生たちは、少人数になるドイツ語を避けようとしてしまうのでしょう。このままでは本当にゼロになることも考えられます。

本学の場合は、もう中国語や韓国語のようにドイツ語人気が回復することは今後はないでしょう。私たちが学生だった頃のように、いまはもう誰もがドイツ語を学ぶ時代ではないからしかたないのかもしれません。だから私としては、これだけ中国語を誰もが履修したがるのであれば、中国語か英語を第一外国語にして、その上でドイツ語や別の言語を学べるようにしてはどうかと思います。あるいは第二外国語だけでなく、第三外国語も学べる制度をもっと充実させる必要があるとも思います。*2

 

 

*1:じっさいにある学部では、同一時間に開講されている複数クラスのあいだで、テストや課題、進度が違っていると学生からクレームがあったそうです。

*2:さまざまな言語の初級クラスばかりを履修する学生の存在は、しばしば問題になっています。難しい問題ですが

助手だったころを思い出す

2009年から3年間京都精華大学の嘱託助手でした

この春から、今の職場で准教授になりました。国立大学などでは、採用時から准教授というのが(私の年齢くらいだと)あたりまえですが、私の職場では、特任講師で採用後、2年すぎると専任講師、そこで業績をつんで少なくとも着任後3年以上でやっと准教授になれます。

職位が変わったところで、給料が劇的に上がるわけでも、研究室の備品が豪華になるわけでもない(教授になると椅子がきれいになるらしいです)ので、これといった変化はありませんが、まずは安心しております。

今日はもう10年くらい前、大学院を出て初めに就いた助手の仕事について、どんなことをしていたのか、当時どんなことを考えていたのかを思い出してみました。

 

嘱託助手とは?

32歳のころ、やっと大学院を研究指導認定退学(つまり3年以上在学してそれなりに研究したけどまだ学位論文は出せてなくて退学ということ)し、2009年4月から京都精華大学共通教育センターの嘱託助手になりました。

嘱託助手というのは、1年更新で最大3年間任期付の助手でした。助手というのは、大学の職位で一番下、一人では授業を担当することはなく、もっぱら教員のサポートをする仕事です。(助教より上の職位は、自分で授業ができます)

京都精華大学の共通教育センターでの仕事は、おもに1年生向けのゼミ「初年次演習」の授業を運営することと、学生たちの学習支援をすることでした。私はすでに2008年から京都精華大学人文学部で「基礎演習」の授業のティーチングアシスタントとしてアルバイトをしていました。2008年度まで各学科に分かれて行なっていた基礎演習を、人文学部全体の授業とするという方針の転換で、これまでTAに任せていた業務をもう少し拡張し、フルタイムの助手に担当させることになったのでした。

1クラス15〜18名程度の初年次演習を、一学年300人超の学部で実施するので、クラスは18クラスに分かれ、それらを担当する助手も6名が同時に採用されました。

私たち6名の助手は、学習支援室というデスクとソファが置いてある広い部屋の一部にオフィスを構え、日々学生たちの相手をしながら、あいまに自分の研究をしていました。助手たちの専門分野は、私の他は、音楽学、演劇学、日本美術史、環境学、農業経済学とばらばらでした。

 

それはバイトなのか、就職なのか?

助手の仕事は、自分で授業をやらないし、毎日朝から晩まで勤めていないといけないわけではなかったので、わりと気楽でした。しかし、待遇としては、月給20万円とボーナス夏冬計3ヶ月分がもらえたので、学振DCよりも収入はよかったです。

しかも一年ごとに昇給があり、任期が切れて退職した後には退職金ももらえました。下積みポストの話はいろいろ聞きますが、他と比べて精華大学の待遇はそこそこよかったのだと思います。

私にとっては、一つのところからもらう給与でちゃんと食べていけるようになったというのが本当に夢のようで、当時はうれしくて行く先々で「ついに就職しました!」と得意になって言っていましたが、ある先輩からそれって年限付きの仕事であって、就職じゃないだろ、と言われて正気に返りました。

何が就職かどうかはともかく、たしかに年限付きだし、教員ではなくあくまで助手なので、年限がなくても長く続ける仕事ではありませんでした。だから3年の年限が切れる時も、仕方ないなとしか思いませんでしたし、早く次の仕事につけばいいやと切り替えることができました。

 

助手のおしごと

具体的な仕事として、初年次演習に関する業務というのが第一に挙げられます。

1クラス15名程度のゼミで、どんな活動をするのか、担当する教員と助手全体で話し合って決めました。毎学期、4週から5週程度のプログラムを3つほど組み合わせて、共通の教科書を使用し、ゼミの内容を全クラスである程度そろえて授業をしていました。

こういうプログラムを実施することでこのような能力が身につく、こういう訓練になる、ということを会議のたびにみな真剣に話し合っていました。その雰囲気が非常に良くて、着任した当初は、良い職場に入れたと思ったものでした。

初年次演習のプログラム作りで難しかったのは、人文学部とはいえ、いろいろな分野が含まれているため、各教員が思い描く、一年目に身に付けたいスタディスキル像が大きく異なっていた点です。私のように、文学部文学科の出身であれば、本を探す、読む、レジュメを作り発表する、レポートを書くなどのプログラムを中心に考えます。しかし、社会学、人類学、環境学などフィールド調査を含む分野だと、グループ発表や聞き取り調査も取り入れるべきだという意見も出てきます。非常に難しいことですが、どの分野にも対応できるようなプログラムを工夫して考えていました。

2年目の夏休み明けには、京都の水について歴史や環境の面から知るというフィールドワークのプログラムをつくりました。下調べのために、暑い中ロードバイクを飛ばして、伏見や上賀茂に出かけて写真を撮ったりしたことを覚えています。

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水の名所を巡りました。

学生のケアに奔走する

教員としての仕事全体を見ると、当時も今も多かれ少なかれ似たようなことをしていると思うのですが、学生のケアに関しては、今の職場の比ではないくらいたいへん手厚く、教職員が一体となって対応していました。

もともと京都精華大学は、不登校や引きこもりだった学生を多く受け入れてきたため、大学に入ってからも不適応で苦しむ学生が毎年多くいました。本人との面談、教員を交えての面談、親御さんに来ていただいての面談など、毎週のようにいろいろな学生の抱える問題について、話し合う機会がありました。

今の職場は、精華大学の数倍の規模なので、一人ひとりの学生を教員が見ることはほぼ不可能です。学生のトラブルにわずらわされないことはたしかに気楽ではあるけれど、できたらそれぞれの学生がどういう思いで日々大学に来ているのかということは理解しておきたいものだと思っています。そういう意味で、基礎ゼミや(不人気なので少人数になってしまった)ドイツ語のクラスは貴重です。

 

アクティブラーニングで私が学んだこと

精華大学に勤め始めた頃は、アクティブ・ラーニングが流行し始めた時期だったので、学外のFDセミナーなどにしばしば足を運んで話を聞いたりしました。初年次演習でも多くの場合グループワークを行い、なるべく学生が協同で学習できるような授業をデザインしていました。

しかし本来人文科学系のクラシックな学問の世界は、アクティブ・ラーニングとはなじまない部分があります。本を読むのは一人だし、私たちはたいていの場合一人で論文を書きます。

だから、助手たちの間でも、私もふくめて文学部出身の者は、何でもかんでもグループで学べば、学習効果が上がるという考え方には懐疑的でした。授業を見ていても、学生たちがいきいきしていると実感する反面、本来は一人で学ぶべきなのに、と思う部分もありました。

また、学生たちも誰もがグループワークが得意で、ALが好きというわけではありませんでした。毎週の演習では、グループワークがうまくいくように、あれこれ心を砕いていたし、クラスでうまくやっていけなくて出て行く男の子や泣き出す女の子の相手をすることもありました。

しかし私自身が共通教育センターでいろいろな教職員と一緒に働いているうちに、共同作業の困難さを学ぶことがアクティブラーニングの意義なのかな、と思うようになりました。

共通教育センターの仕事では、これまで自分が信じていた、他人はこう考えるはず、という根拠のない他者理解というものをあらためないといけない場面が多々ありました。周りで働いてる人たちに何か問題があるわけでも、組織がダメなわけでもなく、それぞれ別の人間は別の信念で動いているんだというごく当たり前のことを、これまで理解する機会がなかったんだと思い知りました。

  

不完全燃焼だったけど、恵まれた職場だった

初めに書いたように、この職場は3年間という期限付きだったし、助教ではなく助手だったため、自由に仕事ができた反面、やりたいことや思いついたことができなかったことも多々ありました。

1年目から2年目あたりは、私も同僚たちもやる気に満ちていたし、仕事も手探りだったので、毎日新鮮な気持ちで取り組んでいました。2年目の途中あたりから、助手の立場では、できる仕事に限界があるなあ、と感じることが増えました。3年目には、もはや年限が切れたら出て行くのだから、と少し投げやりな気持ちにすらなっていました。

任期が切れる3年目終わりまでに、次の進路を確保できればと期待していましたが、博士論文はまだ提出できてなかったし、公募ではまったく引っかかりませんでした。結局母校の非常勤講師の仕事がもらえただけだったので、任期が切れてからは、2年間ドイツ語だけを教える専業非常勤講師になりました。

助手を退職してから、もはや学習支援や初年次教育に関わることはないだろうと思っていましたが、専任教員になってふたたび基礎ゼミを担当するようになり、当時学んだことが、いまは非常に役立っています。

たとえば学期の初めに、三枚の紙をつかったプレゼンテーションを毎年やります。A4の用紙一枚ごとに、自分を紹介するキーワードやイラストを描き、紙芝居のように見せながら自己紹介をします。これを基礎ゼミ最初の回で実施するとちょうどいいアイスブレイクになります。この方法は当時一緒に授業をしていたY先生から教わったものです。イラストで例を挙げるとこんなかんじです。

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3枚の紙をつかった自己紹介

(実際はもう少し長く話します)

その他、思い出に残っているできごと

オフィスが床上浸水

2010年の7月なかばに大雨が降ったことがありました。京都精華大学は山の中の谷に校舎が点在しています。私がいる清風館の共通教育センターはいちばん下に位置していました。夜の間に降った雨は、下へ下へと流れて、清風館の地下1階にある私たちのオフィスは床上浸水してしまいました。そのため床に置いてあった資料やコピー用紙、学生が提出した課題などが水浸しになってしまい、復旧までかなり時間がかかりました。

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床を剥がし、床下に溜まった水を業者さんに抜いてもらいました。

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 さらなる浸水被害を警戒して土嚢を積んでいました。

学生たちとの写真展

2年目の秋には、写真仲間の学生と展覧会を開きました。当時ペンタックスの一眼レフを買ったばかりで、出かけるたびに写真を撮っていました。写真好きの学生と知り合い、お互いの撮った写真について意見を言い合っているうちに、自分の撮り方の癖が見えて来ました。

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2009年冬に、当時まだ元気だった実家猫を撮りました。

考えてみれば、カメラやiMacを買ったのも、この大学に通うようになって周りの学生たちを見て自分も使ってみようかなと思ったのがきっかけでした。

 

ロードバイクでの片道12kmの通勤

着任当初はクロスバイク浄土寺から岩倉まで6kmの道を通っていました。2010年にはロードバイクに買い替えました。2011年に結婚して太秦に転居したため、今度は片道12kmをロードバイクで通いました。距離としてはロードならそれほどたいへんではないのですが、龍安寺鷹ヶ峰京都産業大前と、急な坂を何度も登らないといけないので、毎日汗だくで自転車に乗っていました。

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ときどき違う道を通ったり、帰りに峠道を走ってみたりと、自転車通勤を楽しんでいました。しかし夏の暑さや、冬でも汗だくになっていたことを思い出すと、もうああいう通勤はこりごりだなと思います。

 

 

 

 

ドイツ語教科書の舞台はどこなのか?

新しい学期、新しいドイツ語教科書

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新学期が始まりました。今年も新しい教科書で授業が始まります。

毎年秋から新学期ごろまで、教員のデスクや本棚には、教科書が山のように積み上がります。

自分の授業で使う教科書も数種類あるし、同学年でも学部ごとに違う本を使ったり、毎年教科書を変えたりしていると、それだけでも年間5冊くらいは使うことになります。

私の授業で今年採用しているのは以下の教科書です。

ドイツ語総合1・2(1年生向け、週1回の授業)

ドイツ語アルファ

ドイツ語アルファ

 

 

ドイツ語総合3・4(2年生以上向け、週1回・文法読解系の授業)

Vier Jahreszeiten―4ステップドイツ語

Vier Jahreszeiten―4ステップドイツ語

 

 

ドイツ語コミュニケーション1・2(2年生以上向け、週1回・作文会話系の授業)

 

ドイツ語+α コミュニケーション

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以前使っていたお気に入りの教材(部分的にワークなどを使う)や採用していないけど、ネタ本(説明、ワーク、問題練習などを部分的にコピー)にしている本なども含めると、授業で使う教科書は全部で10冊くらいになってしまいます。

このうえ、新刊の見本が毎年5社くらいから各5〜10冊とどくので、毎年冬から春ごろは教科書が自宅にも研究室にも溢れることになります。

膨大の見本の中から取捨選択して、(本学では11月末ごろに)自分で使う教科書を決定し、そのほかに使えそうな本を手元に残して、不要なサンプルは処分します。

 

新刊書は毎年たくさん出るが、使いたい本はなかなか見つからない。

毎年こんなに新刊書が必要だろうか?似たような本ばかり出ているのではないかと思わないではないし、そういう意見もよく耳にします。とはいえ、こんな本があればいいのに、という要望はあるし、毎年いい本が出たなあと感心することも多くあります。

これから出て欲しい本、あるいは自分で書くならこんな教科書がいいのに、という要素をいくつか挙げてみます。

1)週1コマ授業に対応した教材

私の大学は週1コマ、たいていの学生は1年次のみ履修という形式なので、通常の週2コマを前提とした教材や、2年間学習することを前提とした教材だと量が多すぎたり、レベルが高すぎるといったことがあります。

ドイツ語総合1・2で使っている『ドイツ語アルファ』は、非常にバランスがよくて使いやすい教科書ですが、週2コマ以上履修する学生を対象にしているらしく、かなり高度な内容が含まれていて、そのまま全てを教えるわけにはいかないと思っています。

2)中堅大学での授業にちょうどいい難易度の教材

『ドイツ語アルファ』は早稲田大学、『ドイツ語+アルファコミュニケーション』は立命館大学の先生が書かれた教科書です。そのため、やはり難易度が高く、量も多いです。

見本誌のなかには、あまりレベルが高くない大学や、本学のように週1コマ授業のための本もあります。しかし、学生の低学力に合わせた優しすぎる内容は、学生たちも退屈してしまうし、教える側の士気も下がり兼ねません。

英語が得意で学習意欲がある学生、週2コマ2年間履修する学生以外の、そこそこのレベルの学生に向けた週1コマ授業でも使いやすい教科書があればと思います。

3)アクティブラーニングあるいは座学どちらでも授業がしやすい教材

毎年本学の場合は、専任教員が意見を出し合って教科書を選びます。本学の場合は語学センターのような形態ではなく、各学部に分属しているので、基本的に自分がいる学部の学生にあった教科書を選ぼうとします。学部ごとに、学生のカラーは大きく異なっています。外交的でグループワークなどが得意な学生が多かったり、あるいは大人しくて知らないクラスメイトと話したがらない学生ばかりの学部もあります。

また、教員の教え方もいろいろだし、本学ではとくに「初級文法を最後まで終えること」などといったノルマはないので、進度や教え方は教員の裁量に任せられています。座学、アクティブラーニングどちらにも対応できる教材でないと、先生方から不満の声が上がってしまいます。

むりに先進的な教材を選んでしまうと、あとで後悔します↓

schlossbaerental.hatenablog.com

 

第二外国語の教科書といえば、定番は現地人との出会いや現地での生活

さて、今日の本題ですが、大学で使うドイツ語教材といえば、だいたい内容的な傾向は似ています。よくあるのが、日本人学生がドイツに行き、ベルリンやミュンヘンの街に暮らして、現地の大学生や先生と出会い、観光や学生生活を送るというストーリーです。

出会い、買い物、乗り物での移動、夏休み、クリスマス、帰国などの場面ごとに文法事項を学べる会話文がついているというのが定番です。

なぜ、ドイツへの留学や旅行のストーリー仕立てになっているのかといえば、やはり会話とりわけ旅行会話を学びたいという学生側の要望があるからでしょう。旅行に役立つ会話から、初級文法を教えていくというのが、語学の授業では一般的な形になっています。

また舞台になる地域を設定するのは、現地の観光地や名物料理などを通じて、ドイツ語圏の文化、とりわけ地域的な差異や多様性を知ってほしいという意図も含まれています。

今でもよく覚えていますが、私も学部1年生のドイツ語で使っていたのも、『それいけ明子』という日本人女子学生がドイツに行って友達ができたり、いろんな場所に出かけたりするという教科書でした。

もちろんどの教科書でも、必ず日本人とドイツ人の交流が描かれるのかといえばそういうわけではありません。登場人物などは決まっておらず、ひたすら例文で文法事項を学ぶという教科書も割合としては半分くらいはあるでしょう。

また、特定の場所を定めずに、ドイツの名所・名物を紹介する教科書や、童話などで初級文法が学べる教科書などもあります。私が昨年使っていたのは、ドイツで親しまれているキャラクターを紹介する本でした。

Wir kommen aus Deutschland―ドイツから来たよ!

Wir kommen aus Deutschland―ドイツから来たよ!

 

 神戸大の1年生の授業でしたが、文章がけっこう難しくて、学生たちは苦労したと思います。私にとっては、ザントマンやザラマンダーなど、おなじみのキャラについて詳しく知ることができ、楽しく勉強になりました。

 

教科書の主人公はどの街に滞在するのか?

教科書の会話文では、さまざまな街が舞台になっています。代表的な教科書をあげながら、どの街がよく取り上げられるのかをみてみましょう。

やはり人気はベルリン

 

ベルリンに夢中―DVD付

ベルリンに夢中―DVD付

 

4年前に理工学部で使用した教科書です。やや使いにくく不評でした。

 

パノラマ初級ドイツ語ゼミナール

パノラマ初級ドイツ語ゼミナール

 

 神戸大でも近畿大でも使っていた定番の教科書です。文法書よりの内容ですが、会話文ではベルリンの壁なども出てきます。

 他にもいくつかの教科書がベルリンを舞台にしていました。

昔から多いミュンヘン

近畿大のコミュニケーション1で4年間使っていたのがこの教科書です。 

ドイツ語の時間<ときめきミュンヘン>コミュニカティブ版

ドイツ語の時間<ときめきミュンヘン>コミュニカティブ版

 

ミュンヘンの映像などDVD教材がついていたそうですが、私が使っている教室の設備が悪く、ほとんど使用しませんでした。代わりに自分で撮ってきた写真や動画をPCで見せました。

 

ミュンヒェンに夢中

ミュンヒェンに夢中

 

 ヴァイスヴルスト、ビール祭りなどの名物や、バイエルン州立図書館、BMW博物館など私も行った観光地なども取り上げられています。写真がきれいです。

 

ハロー・ミュンヒェン・ノイ

ハロー・ミュンヒェン・ノイ

 

私は使ったことはありませんが、このシリーズは非常に有名です。 

留学生に人気のハイデルベルク

小さな街ですが、古くから大学があり、留学先として(もちろん観光地としても)人気なのがハイデルベルクです。私がかつて使っていた教科書はハイデルベルクが舞台でした。

ウニ・プラッツ―大学広場

ウニ・プラッツ―大学広場

 

 京大の授業で2年ほど使いました。マインツライン川地域への遠足の話が印象的だったので、後日自分でもう一度教科書に出てきた場所に行ってみました。

 

やや地味だけど、いい街、ライプツィヒ

旧東側の街を舞台にした教科書はほとんどないのですが、今年の授業で使う教科書はライプツィヒへの留学生が出てきます。

 

ドイツ語+α コミュニケーション

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ウィーンもときどきある 

ウィーンを舞台にした本は、他にもあったような気がしますが、とりあえず一冊見つけました。やはりウィーン=音楽というイメージが強いですね。音大などの授業で使われているのでしょう。

 

ようこそヴィーンへ!(解答なし)

ようこそヴィーンへ!(解答なし)

 

 

ビジネスの街だけど、留学先としてもおすすめのフランクフルト

 

初級ドイツ語フランクフルト四重奏

初級ドイツ語フランクフルト四重奏

 

日本からの直行便がつくところですが、観光地としてはそれほどでもなく、ビジネスの街として知られるのがフランクフルトです。しかし、大学があるのは非常にきれいな住宅街で、留学するには良さそうな街です。

地方都市も教科書の舞台に:ヴィッテンベルク

非常に珍しいのがこの教科書です。ベルリン、フランクフルトなどの大都市ではなく、一応有名な街ですが、ヴィッテンベルクのような地方都市が出てくると、ちょっと驚きます。著者の先生の出身大学あるいは勤務校の提携先なのかもしれません。 

 

ヴィッテンベルクでドイツ語・文法

ヴィッテンベルクでドイツ語・文法

 
日本にドイツ人が来るという設定も

数としては多くはありませんが、日本に来た留学生とドイツ語で話す、という設定の教科書もあります。

冒頭に挙げた『ドイツ語アルファ』は東京が舞台です。

 

ヴェスト 初級ドイツ語クラス

ヴェスト 初級ドイツ語クラス

 

また、こちらの本は、京大出身の著者たちによって書かれ、関西(主に京都)が舞台となっています。

 

このへんまだなさそうなので今後の開拓が待たれる

ドイツ北部:デュッセルドルフ、ケルン、ハンブルクなどは旅行や留学先としても人気ですが、あまり教科書には出てきません。

オーストリア:ウィーン以外のオーストリアの街もあまり教科書には登場しません。言語や文化の多様性の話で取り上げても面白そうです。

旧東ドイツ:今の所、ライプツィヒ以外は出てきません。ドレスデンは音大もあるし、観光客にも人気です。 ドレスデンを舞台にした本、ありました!

スイス:やはり多言語地域なので、初級ドイツ語の教科書には登場させにくいのかもしれませんが、ベルンやチューリヒは大学の街なので、教科書に出しても面白いと思います。

 

追記:2018年4月10日 

こちらの本がドレスデンを舞台にしています。以前、見本誌で見て、ドレスデンか、ほぉーっと驚いたのですが、使う機会がなく忘れていました。

ダンケ・シェーン、ドレスデン! - 白水社

 

ドイツ語教科書の特徴としての舞台の多様性

フランス語を以前教えていた妻と、教科書の見本誌を見比べたことがありました。フランス語教科書の場合、ほとんどは日本人の学生(たいていは女性)がパリに留学するというストーリーになっているそうです。ドイツ語のように、首都以外の都市が舞台になることは考えにくいといいます。

今回は、以上のように、たくさんの教科書を挙げて、どの街が舞台になっているのかをみてみました。いろいろな街や地方が教科書に取り上げられています。それは、やはりドイツ語教員が、ドイツ語圏に属するさまざまな地域の魅力をアピールしたいからに他なりません。地味で実用的でなく不人気になりつつあるドイツ語ですが、ステレオタイプにおさまらない多様性を教科書を通じて学生の皆さんに理解してもらえればと願っています。

2018年度の担当授業

新年度がはじまったので、2018年度の時間割を公開します。

 

月曜  自宅研修日

火曜  3時限目 ドイツ語総合1 経営学商学

    4時限目 ドイツ語総合1 経営学商学

水曜  2時限目 ドイツ語総合1 経営学部キャリアマネジメント学科

木曜  2時限目 国際化と異文化理解 経営学

    4時限目 ドイツ語コミュニケーション1 経営学

金曜  2時限目 ドイツ語総合3 経営学経営学科・キャリア学科

    3時限目 基礎ゼミ 経営学経営学

 

オフィスアワーは、木曜日3時限目です。

 

神戸大学の非常勤講師をやめたので、月曜日が研修日として一日空きます。また、今年は例年担当していた法学部や理工学部の授業がなく、すべて経営学部です。

胡人俑を見てきたよ

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こういうポーズで写真撮る人、一日に数十人はいただろうと思います。

中之島の東洋陶磁美術館へ

二週間ほど前ですが、たまたま大阪の街中に出る機会があったので、大阪市立東洋陶磁美術館で開催していた(3月25日までで終了)特別展、唐代胡人俑展を見てきました。 

過去の展覧会 | 展覧会情報 |大阪市立東洋陶磁美術館

東洋陶磁美術館は、京都から淀屋橋にでて、大阪で仕事をしていた頃からなんとなく知っていて、知人などからはしきりに勧められることが多かったのですが、今回初めて中に入りました。

胡人俑展は、インパクトのあるポスターが、駅などに貼られていて関西ではかなり話題になっていました。夕方5時の閉館時間まであまり余裕がありませんでしたが、非常に見応えのある素晴らしい展示でした。

 

胡人俑はお墓の副葬品

胡人俑は、始皇帝兵馬俑と同じように、昔の人のお墓に副葬品として収められたもので、今回の展示品は、唐代730年ごろにつくられたお金持ちの人の墓に入っていたものが、工事現場から出てきたそうです。

彩色されたリアルな人形からは、当時の人々の生活、昔の人が人間や動物を見るときどの部分を見ていたのかがわかります。そして、当時の人々の作ったリアルな人間像が、現代の私たちにとっても少しも変じゃない反面、彼らの表現が、私たちとは少し異なっている点が面白いと思いました。

 

人物と馬

ポスターにもなっていた、動きがあり表情豊かな人形ですが、写真に撮って、さらに拡大すると非常によくできていることがわかります。

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ウィンクしているのか右目を閉じている人。

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かっぷくのいいおじさん。ヒゲがシャベルのよう。

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キリッとした若者。耳が大きく、緑色の服がおしゃれです。

このポーズ、何をしているのかというと馬を引いているのです。

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人とセットで収められていた馬。体格が立派です。

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こちらはラクダ。シルクロードを通じて中央アジアとも交流があったから、ラクダを引いてくる人もいたのでしょう。背中のコブは、なんだかひしゃげて、背びれのようになっています。顔が馬と異なっているのもおもしろいですね。

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ラクダを引く人。

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こちらは、笑っている人でしょうか。

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いい表情のおじさん。

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この人も馬を引くポーズでしょう。頬骨から口元あたりのつくりが、どの人形でもやたらリアルです。

 

 

その他動物たち、小さい人形たち

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手のひらサイズの牛。まだ立ち上がれない子牛。

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これまで写真を上げてきた人形や馬はけっこう大きくて、馬の像などは高さ60cmくらいあります。それに対して、こちらの動物や人物はかなり小さく、10cm〜15cm程度でした。しかし、小さくても同じくらい精巧に作られています。

牛たちの像は、なんだかかわいいですね。 

小さい人物たちと、小さな動物がなんだかシルバニアファミリーのようでした。子供の頃見ていたら、自分でも紙粘土で作ろうと思ったかもしれません。

 

常設展もすばらしい

特別展以外のところには、常設で日本、中国、朝鮮半島の古い時代から現代までの陶芸が展示されています。こちらも素晴らしい作品ばかりでした。中でも特に惹かれたのが、この二つです。

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座っている獅子像です。緑色があざやかです。後ろ足をあげて、あごをかいているような、猫がよくやるポーズをとっています。

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拡大してみると、足の上げ方や顔の角度など、ちゃんと作られていることがわかります。

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この鮮やかな青い壺は、レプリカがあったら欲しいと思いました。

 

閉館時間まで1時間程度しかなかったので、大急ぎで見るだけになってしまいましたが、次回はもう少しゆっくり、常設展も見てみたいです。

 

おまけ

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大阪市の某所。コインパーキングの機械の下に、五分刈りの生首が落ちていました。ギョッとして辺りを見回すと、床屋さんの裏口でした。なるほど、と納得しました。 

 

ドイツ現代文学ゼミナールの思い出

3月5日、6日はドイツ現代文学ゼミナール

3月前半は出張、校務、トレランと、毎日忙しく過ごしていました。3月5日、6日は箱根強羅で行われる、ドイツ現代文学ゼミナールに参加していました。この研究会は、毎年春休みと夏休み(8月末)に行われていますが、ここ10数年、ほぼ毎回参加しています。今回のゼミで、ちょうど70回目を迎えていたそうで、第1回目から参加されている先生方などが集まり、いろいろなお話を聞けました。30年以上前から参加している先生方の話を聞きながら、私も初めて参加した大学院生のころを思い出していました。

今回は、自分自身の思い出を振り返りつつ、ドイツ現代文学ゼミナールを紹介します。

 

現文ゼミって何をしているの?

ドイツ現代文学ゼミナール(通称現文ゼミ、GBSなどとも表記される)は、東京都立大などの教員・院生を中心に、1983年から始まりました。その後、都内の大学だけでなく、名古屋大、京都大、九州大などの教員・院生も参加するようになり、伊豆、箱根、信濃大町八坂村)、塩尻、琵琶湖などいくつか会場を変更しながら今日まで続いています。(現在は春が箱根強羅、夏が琵琶湖です) 。

私が参加し始めたのは、修士課程2年目が終わる、2002年3月の回からでした。京大の先輩から、東京の大学から多くの先生が参加していると聞いたことがきっかけでした。何度かブログにも書いてきましたが、東京の私学を出て、京大院に進んだ私は、なかなか勉強や生活に慣れず、始めの数年間は東京に帰ることばかり考えていました。だから、現代文学ゼミに参加して、母校や他の東京からくる先生方と会うことが楽しみでした。

先日、本の間から、2002年に初めて参加したときの参加者名簿が出てきましたが、このときは57名も参加者がいました。最近では、30名から35名程度と、やや少なくなりましたが、活気は変わっていません。

現代文学ゼミナールで、どんなことをしているのかですが、1日目の午後には共通テクストについての発表があります。共通テクストは、最近1、2年のうちに発表された若手による長編小説が選ばれ、参加者は作品を通読し、担当者による発表ののち、議論をします。共通テクストはたいてい、Deutscher Buchpreis(ドイツ書籍賞)の候補作などから、それほど長くないもの(300ページくらいまで)が選ばれます。

この3月に取り上げられた作品は、バービ・マルコヴィッチの『スーパーヒロインズ』(Barbi Marković: Superheldinnen)でした。

 

Superheldinnen

Superheldinnen

 

 

セルビア出身で、ユーゴ内戦時代にオーストリアに移住してきたというマルコヴィッチ本人と同様に、内戦を生き延びウィーンに暮らす3人の超能力をもつ女性たちがどのように自分たちの生活を変えていくかが描かれています。しかしこの作品は、タイトルに反して、ヒロインたちは地味で、超能力を使った派手派手しい活躍が描かれているわけではありません。それよりむしろアメコミ的、ハリウッド的な能力者像ではない、どこにでもいる、力を持たない移民・難民としてのスーパーヒロインたちが主題となっています。一読して、なんだろうこの作品は?と考え込んでしまいましたが、参加者の議論を聞いていて、いろいろ腑に落ちました。

共通テクスト発表ののち、1日目夜と2日目午前には、個別発表が行われます。2人または3人の発表者が、現代ドイツ・オーストリアの文学(小説に限らず、とりわけここでは演劇関係の研究発表が多いです)について報告をします。バッハマン、ベルンハルト、ヨーンゾンなど現代における古典的作家をはじめ、最新の作家作品についての発表もあり、毎回刺激をうけています。

 

わたしと現文ゼミ 

現代文学ゼミの紹介が済んだので、私自身が2002年以降どのように参加してきたのかを振り返ってみます。

2002年3月の初参加後、当時修士論文のテーマに考えていた東ドイツ現代演劇について、2002年夏に報告しました。このときの発表は、作品の読み込みが足りず、言いたいことがちっともまとめられない、ひどいものでした。その後、修士論文を書くことはあきらめ、テーマを変えて修士4年目に入ることになりました。

博士課程に進学後は、現代文学は研究テーマではなくなりましたが、それでも現文ゼミの雰囲気が気に入って、毎回参加していました。京都の院生とはちがう問題意識を持っている東京の仲間との議論は非常に刺激になっていました。このころから私は、京大の後輩たちを多く連れていくようになりました。しかし、考えてみると、議論に参加するというよりも、飲み会が楽しみだったように思います。

日本酒をよく飲むようになっていたので、このころは気に入った地酒などを一升瓶で持って行ったり、4合瓶を2本くらいリュックに入れて持ち込んだりしていました。おそらく、遠隔地に行って、温泉に入り、仲間と飲むことが何より楽しかったのでしょう。一日目夜の飲み会で、持ってきた酒をたくさん飲んで、二日目はほとんど無意識状態で過ごすということもよくありました。

2002年のあと、しばらく間があきましたが、2006年には、共通テクストヤン・ベトヒャーの「金か命か」(Jan Böttcher:Geld oder Leben)について報告しました。70年代のドイツ赤軍による銀行強盗事件がトラウマになっている母のために、息子が現代において銀行強盗事件を起こすという、コメディと家族ドラマを合わせたような話でした。すでに博士課程3年でしたが、小説をサクサク読めるほどのドイツ語力はなく、夏休みの一ヶ月くらい非常に苦労して作品を読んだことを覚えています。

博士課程を出る頃から、だんだん若手の中でもややお兄さん的な立場になってきたので、発表や司会を担当する機会が増えました。

博士論文を提出した後、2012年には、ドイツ書籍賞をとったウーヴェ・テルカンプの『塔』(Uwe Tellkamp: Der Turm)について個人発表をしました。この発表は、同じ年の秋に行われる日本独文学会シンポジウムに向けたプレ発表で、学会には5月ごろに発表要旨を送っていました。しかし、全部で1000ページもある超長編小説をちゃんと読むのはたいへんで、結局8月半ばごろにようやく作品の結末にたどりつきました。(つまり最後まで読まずに発表要旨を書いていたわけです)ただ、現文ゼミでの議論で、10月の学会発表本番には、プレ発表での反省点を踏まえてちゃんと発表ができたように思います。

2016年には、ひさしぶりに共通テクスト発表を担当し、クリスティーネ・ヴニケの『狐と島村博士』について発表しました。この発表は、昨年春に論文に書き直しました。

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また、専任教員になってからは、幹事の補助的な立場で、会の運営にも携わるようになりました。

 

会場の変遷 

私が参加し始めた2002年から現在まで、春のゼミはずっと箱根強羅の清雲荘で開催しています。しかし、夏のゼミは、八坂村塩尻→琵琶湖と会場を変えています。

八坂村というのは、松本駅から大糸線に1時間くらい乗って信濃大町まで行き、そこから宿のバスで20分ほどのところにある温泉施設でした。村全体が山村というか、村人住むところないんじゃないか?と心配になるような場所でしたが、非常に気持ちのいい宿でした。残念ながら2011年に宿が倒産してしまいました。(現在はまた復活しているようです)

その後八坂村より南に下った塩尻で3回ほど開催していました。こちらも山の中の快適な宿でした。当時住んでいた京都からは少し近くなりましたが、名古屋から信州へ向かう特急しなのの乗り心地が悪く、毎回辛い思いをしていました。

そこで私と他の関西からの参加者とで、琵琶湖への会場変更を訴え、2016年、17年は湖西の近江高島で開催しています。2016年春に、会場変更について理解を得るために作ったプレゼン資料(10ページくらいあるうちの一部)です。↓

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2017年夏の会場、南小松の琵琶湖です。すごくきれい。

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この夏もまた、湖西での開催です。夏の琵琶湖は非常に気持ちがいいので、楽しみです。

 

参加者も変わってきた

2002年3月の初参加時には、57人もの参加者が集まっていたと先ほど書きました。現在は少し減りましたが、参加者名簿を見ていると、人数の増減だけでなく、構成にも変化が現れていることがわかります。

かつて、私が参加し始めた頃は、各大学の独文科の教員と、その弟子である院生が中心となっていました。私やその数歳上の世代は、ちょうど大学院が拡充された時期にあたるので(あと就職氷河期もあって)、各大学に独文学を学ぶ院生が多く集まっていました。 

私が大学院を出る頃になると、当初参加されていた先生方は定年を迎え、代わりに本務校を持たないいわゆる専業非常勤講師が多くなりました。私たちの世代だと、30歳くらいから40近くまで専業非常勤という人も珍しくはありませんでした。

私が4年前に専任教員になったころ、ちょうど私たちの世代はみな専任教員になり、現在はもっと若い世代が早くも専任ポストを得ています。そのため、現在ゼミの参加者は専任教員と大学院生が多くなってきています。

しかし、20年前に学生だった私たちは、教員になったものの、多くは学生の研究指導をしないポストについています。私のように学部の教養課程しか教えないという人がほとんどです。そのため、指導教員が声をかけて若い院生をゼミに連れてくるということも減りつつあるようです。

 

ホーム研究会としての現文ゼミ

ここまで書いてきたように、私は現代文学ゼミナール35年あまりの歴史の、半分くらいを参加者として見てきました。院生から教員へと立場が変わっていくに連れて、私自身の参加の仕方も、より主体的になってきたように思います。

院生の頃には、あまりよくわからなかった共通テクストの小説も、最近は非常に面白く読めるようになったし、自分でもドイツに滞在するときは、積極的に新刊書や文学賞候補作などをチェックするようになってきました。(院生の頃は、京都にこもっていたので、ヨーロッパもドイツも遠くて、現代ドイツの作家たちがどんな関心を持っているかなんて、想像もつかなかったのだろうと思います)。

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研究室にだんだん増える現代文学ゼミ関連棚。ドイツのハードカバー小説って、装丁がきれいなので、置いておくだけでも楽しめます。(なのであんまり読んでません)

 

個別発表についても、参加し始めた頃は、こんな新しい作品を読むなんてすごいなあ、とただ感心するばかりで、議論に参加したりはできていませんでした。このごろになってようやく、作家作品については詳しく知らなくても、発表内容を理解して、質問することができるようになってきました。

この会に15年くらい参加し続けて、私自身が少しずつ成長してきていることを実感しています。それから、現文ゼミで知り合った同年代の研究仲間のみなさんとは、いまも関係が続いています。

私は卒論こそ現代文学だったものの、修士課程の途中から博論提出後まで、現代文学を研究してはいませんでした。そんな私ですが、現文ゼミは、分野が合致するわけではないけど、いちばんリラックスして参加できる研究会でした。ここに来ればまた元気が出る、そう思いながらお土産を下げて、毎回出かけていました。誰でも出身大学の研究室や読書会、留学先など、自分が心落ち着く研究の場があると思いますが、私にとっては、現文ゼミが、ちょっと遠いけどホームなのだと思っています。

 

 

 

4回目の六甲縦走トレイルラン40km

五島つばきマラソンから2週間

先日の記事に書いたように、2月末には五島つばきマラソンに出場していました。授業や学会がないこの時期は、ちょうどマラソンのシーズンと重なるので、業務のあいまに色々な大会に出場しています。

2月25日にフルマラソンを走りましたが、3月10日にはすぐに、地元の神戸で六甲縦走トレイルランに出場しました。

こうやって大会ばかり出ていると、準備などがたいへんで仕事どころではないのではないかと心配されてしまいますが、時間的には特に問題ありません。本当はよくないのでしょうが、もう10年も走っていると、フルマラソン程度の距離ならば、事前の準備はとくに何もしなくてもとりあえず完走はできます。

長崎から帰った後は、研究および大学の仕事がつづいて、3月初めには連続して関東への出張が入りました。脚の筋肉痛はすぐに治りましたが、トレイルランに備えた山登りの練習は、今年はほとんどできませんでした。

 

フルマラソンとは別の準備が必要な大会

もう今年で4回目なので、六甲縦走トレイルのコースはすっかり頭に入っています。どこが楽しくて、どこが苦しい区間なのか、どのへんで休んだらいいかといったことは過去の経験から想定済みです。

昨年のレポートです↓

schlossbaerental.hatenablog.com

40kmの区間のほとんどは山で、ふつうに走れるところはわずか数キロしかありません。日頃私はマラソン大会に向けた練習ばかりしているので、トレイルのための練習が不足していました。

2年前には、2月ごろから準備をして、数回に分けて実際のコースを登ってみる練習をしていました。しかし今回は、出張に行く前に、近所のゴロゴロ岳(標高565m)を一回登っただけです。山登りの苦しさを思い出す程度の練習しかできていませんでした。

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苦楽園中学校の裏から20分くらい急坂を登るとゴロゴロ岳山頂。

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緩やかな斜面を下る途中に、ガベノ城(483m)という山があります。山城だと思われていたけど、ただの山だったらしいです。

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ガベノ城からつづく、ゆるやかな稜線。

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眺めのいい岩。まっすぐ前方に甲山と関西学院

 

好天に恵まれたがとにかく寒い

六甲縦走トレイルは、8時半ごろからウェーブスタートで瀬戸内海に面した須磨浦公園からスタートします。

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前半は小さな山をいくつも超えて、鵯越駅へと向かいます。鵯越で小休止したら、中盤の菊水山の急坂を登ります。菊水山で昼食後、鍋蓋山、摩耶山を越えて、あとは緩やかな斜面を六甲山最高点まで登って、最後は有馬温泉へ向かう下り坂です。

標高差を合計すると2500mくらいになるそうです。40kmという距離ですが、速い人でも4時間以上、のんびり歩けば8時間以上はかならずかかります。昨年は気持ちよく走れて、7時間40分くらいで完走できましたが、今回は、なかなかペースがあがらず、苦戦しました。

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序盤の栂尾山。住宅地から急な階段を登ります。

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須磨アルプス。きれいな景色ですが、転んだら大変なので慎重に超えました。

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鵯越のチェックポイントで小休止。この辺まではまだ楽でした。

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菊水山のはしごのように急な階段。

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菊水山。ここまでの登りがいちばんきついです。

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ちょうどお昼頃なので、菊水山でおにぎりを食べました。

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摩耶山のアンテナ。ここで急な登りは終わりですが、もう体力が尽きていました。

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摩耶山の掬星台。神戸市が見下ろせますが、トレイルランナーはだれも展望台には行かず、ベンチに座ってぜいぜいいっていました。

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六甲山頂付近。北側の道路沿いの崖にはつららがたくさんついていました。

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雪が残っていて、風が吹くとかなりの寒さでした。

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4時ごろになって、ようやく六甲山最高点に着きました。

 

どこで遅れたのかよくわからない

ゴールしてみると、前回より1時間くらいタイムが遅くなっていました。たしかに、序盤からものすごく苦しくて、リタイヤ後も電車で帰れる、第一チェックポイントの鵯越駅まででやめようかとも思っていました。しかし、いくつか山を超えているうちに、だんだんコツを思い出して、登るのが楽になった感じもありました。例年地獄だと思っていた摩耶山も、今回は菊水山ほどではないと思いました。ゴール後の疲れやその後の回復具合を振り返っても、いつもと同じくらいです。

レース中から何でこんなに遅いのかとあれこれ考えていましたが、おそらく原因は、長崎でのフルマラソンの疲れでしょう。長崎から六甲まではちょうど二週間空いていました。間の週末に自宅から走って苦楽園まで上がり、ゴロゴロ岳を登りました。このときは、たしかにどこも痛くはないけど、早くは走れない程度に疲れが残っていました。その後とくに練習していなかったので気づかなかったのですが、やはり疲れで普段のように走ったり登ったりはできなかったのでしょう。

 

六甲縦走じゃなくても山に行ってみよう

近所に住んでいるにも関わらず、最近はトレイルランをするのは、大会およびその直前のみとなっています。今回山に入ってみて、やはり山歩きは楽しいと実感しました。ウルトラマラソン前の体力づくりとして、また来月ごろにでも六甲山最高点まで行って見る予定です。マラソンの練習以外にも、ちょっとしたドライブとか川遊びに行ってもいいでしょう。

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摩耶山の地獄のような登りの手前に、ハイカーやバーベキュー客でにぎわうきれいな河原があります。この場所はおそらく車で行けるみたいなので、そのうち行ってみたいと思います。