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ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

論文を書いてる途中で気づいたこと

論文を書きながらいろいろ気づく

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四月から今月にかけて、仕事がかなり忙しくなっていました。

五月の連休には、和歌山での講演のしごと(これについても近日中に感想などをまとめます)、そのあとには、論文の締め切りが二つあります。そのうち一つの論文は提出できたものの、もう一つは現在進行中です。

大学教員といっても、四六時中論文を書いているわけではありません。(そういうひともいるかもしれませんが)農家の人が毎日田植えや稲刈りをしているわけではないのと同様、私たちにも、さまざまな仕事があります。教務仕事をする時期、科研費の申請書を書く時期、学会発表や研究会の準備をする時期、海外で資料調査をする時期などがあって、そして論文を書く時期があるという感じで私は捉えています。

数ヶ月ぶりに、Wordで論文を書いていると(私がふだん授業ノートや発表レジュメなどを作るのは、WordではなくPagesです)、こういう書式ってどうするんだっけ?とか、この部分はどうしたらうまくいくのだろう?とわからなくなることが多々あります。

以前このブログでも、ドイツ語の文字の入力方法をまとめました。ここでとりあげた、ジャーマンクオーテーションは、本当にたまにしか使わないので、ときどき読み直しています。

schlossbaerental.hatenablog.com

また、註の書式を整えたりする方法も、他の人が書いた論文を査読しながら、どのように言えば、うまく書式を直す方法が伝わるだろうかと考えながら書いていました。この記事も、今回読み直して役に立ちました。

 

schlossbaerental.hatenablog.com

1)文末註の前に、何か文字を入れる方法

 今回よくわからなくて調べたのが、まずこの書式についてです。文末についている註は、もちろん本文に紐づけられているので、註1、2のように番号をつけて、その項目を書くわけです。しかし、人の論文を読むと、註1が始まる前に、「本発表は、○○学会(・・・大学、2016年・月・日)での口頭発表「・・・・における。。。。的、、、、性について」に大幅な加筆修正をしたものである。」とか「本論稿は、科研費。。。(研究代表者:xxxx太郎)の助成による」的なことが書いてあります。

これって、どうやって入力しているのでしょうか?

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自分の論文で恐縮ですが、註につづく次の行以下の部分です。

私も以前、自分の原稿で、「本論稿は、・・・・学会で・・・」と書いたことがありました。確かその時は、論文タイトルに註をつけ、その註の番号部分だけ文字色を白くして見えなくして、註に入れるという、原始的でアクロバティックな方法をとっていたように思います。もう少しましな方法があるはずだと思ったら、けっこう簡単でした。

手順は以下の通りです。

  1. 印刷レイアウトから、下書きレイアウト表示にする

    f:id:doukana:20170512175726p:plain通常は印刷レイアウトになっています。

    f:id:doukana:20170512175730p:plain右側の下書きレイアウトボタンを選びます。

  2. 文末注を表示ボタンを押す。

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  3. 文末脚注の境界線を選択する。

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  4. 境界線で改行し、その下に文章を入力する。

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 2)音引きではなく、ダッシュをワードで出す方法 

要はこれ。サブタイトルにつける「-」ですね。

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以前はMacだとWordでもPagesでも、「ー長音符」を変換するとダッシュになっていたのですが、いつのまにかやり方が変わっていて、うまく出せなくなっていました。

それでもなんとなく適当にハイフン「-」を何個もつなげたりしてしのいでいました。今回、もうちょっとましなやり方はないのかと思い調べて見たら、これも画期的な方法が見つかりました。

shirose.jp

この問題については、こちらのブログを参考にさせていただきました。

やり方は簡単です。

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このように、optionキーを使うのがポイントでした。

しかし、縦書きの原稿だとこの方法だと横棒が縦に並んでしまいます。どうしたら縦書きでもダッシュが表示できるのか、まだよくわかりません。 

 

3)カタカナ変換をファンクションキーではなく、コントロールで行う方法

だいぶ以前から、日本語で入力した文字をカタカナにしたいときは、ファンクションキーでf7を押せばいいと思っていました。しかし、Wordでf7を使うと、このように表示されてしまいます。

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これも調べたところ、コントロールキーを使ったショートカットがありました。

出典が見つかりませんが、Ctrl+kでカタカナになります。

また、その発展形として、日本語からアルファベットに変換する方法もあります。

Ctrlと:です。

f:id:doukana:20170512181806p:plainこのように入力して、Ctrlと:を押します。

 

f:id:doukana:20170512181811p:plainほら、この通り。

私は授業ノートなどで、しばしば「seinとhabenの変化を説明」とか「Dialog1を読む」などと書くのですが、いちいち英数とかなを切り替えることに煩わしさを覚えていました。このショートカットをつかえば、簡単ですね。

ちなみに、よく使うので、seinは「せいん」と入力すれば変換できるように登録してあります。

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また、そんなにしょっちゅう使うわけではないものの、いちいち一文字ずつ変換するのが面倒なので、郁文堂さんも、「ikbd」で変換できるようにしています。

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新しいカテゴリ「論文の書き方」をつくります

これまでにもドイツ語入力の方法や、脚注の編集の仕方、そして註番号にカッコをつける方法など、論文執筆の際に役立つ小ワザをいくつかブログで取り上げてきました。

schlossbaerental.hatenablog.com

しかし、カテゴリー「ドイツ語」や「研究活動」の中身がいろいろ増えてきてしまって、書いた自分自身でも、記事が見つけられなくなったので、あらたに「論文の書き方」というタグでまとめることにしました。

とりあえず、今日紹介した記事など4本を新しいカテゴリーに入れることにします。

論文の書き方といっても、論文入門的なものではなく、どのような書式で書くのかとか、Wordでこういうことをするにはどうしたらいいか、的なことをストックしておいて、自分自身の執筆活動に役立てたいと思います。

さて、もうすでに締め切りをすぎてる論文をこれから書きますよ!

 

アクティブ・ラーニング型初級ドイツ語教科書についての挫折と成果

思いっきり不評だった教科書

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昨年選んだ、アクティブ・ラーニング型の教材が非常に不評でした。自分としては、いろいろ考えて選んだはずだったのに、多くの非常勤の先生方には、いい本と思ってもらえなかったようでした。私が何を期待して教科書を選んだのか、実際の授業では、どのように使ったのか、そして他の先生方にとっては、何が使いにくかったのかを考えながら、教科書選びと授業の運営についてのさまざまな問題点についてまとめていきます。

1年間、以前からやってみたいと思っていた、ドイツで使われている(日本版ですが)アクティブ・ラーニング型の教科書を使ってみました。昨今、ドイツで出版されている教科書としては、Menschenが人気があるそうです。

 

Menschen: Kursbuch A1 MIT DVD-Rom

Menschen: Kursbuch A1 MIT DVD-Rom

 

パラパラめくってみると、非常におもしろそうだし、ぜひ使ってみたいと思うのですが、本学の場合は週一コマだけの授業で、ほとんどの学生が一年間で学習をやめてしまいます。やる気のある学生は多いものの、そうでない学生もそこそこいる今の状況では、このような「意識高い系」の教科書は使いこなせないだろうと思っていました。

 

日本語版の『プリマ・プルス』を選ぶ

朝日出版社からとどいたサンプルに、南山大の太田達也先生らが編集された、『プリマ・プルス』という本が入っていました。これもMenschenと同様、現地で使われている初級用教科書を編集し、適宜日本語の説明を入れたものです。ぱっとみると、ドイツ語だらけで難しく見えますが、よく読むと、ひとつひとつのワークはたいして難しくありません。むしろ、学生たちにとっては、自然にドイツ語になじめるので、じっくり教えれば、勤務校の学生でも十分理解できるはずだと確信しました。

 

プリマ・プルス

プリマ・プルス

 

 

教科書会議では、半ば無理やり自分の意見を通した

勤務先では、ドイツ語専任教員5名が集まって、各学部の教科書を話し合って決めます。1年生向けの総合1については、それぞれ担当する学部でどんな教科書がちょうどいいかを考え、自分の学部では、これ!という具合に意見をだします。

私のいる経営学部の学生は、学力的には中ぐらいですが、元気がよく、他者とのコミュニケーションを厭わない人懐っこさがあります。そのため、ひとりひとりがもくもくと勉強するような教材よりは、ペアワークやグループワークなど他者との協働で学ぶスタイルの教材を選ぶようにしています。

教科書選定会議のさいには、はじめからある程度予想はしていましたが、他学部の先生方から反対意見が出ました。オールカラーでA4サイズの教科書はダメだという、全く内容に関係ない反対意見がまず出ました。そして本学の学生には難しすぎる、会話練習を嫌う学生が多い場合はどうするのか、といった声があがりました。私の担当するクラスであれば、どの学生にも自分にあったやりかたで、授業に参加してもらうようにはできるでしょう。しかし、他の先生方がどうするか、あるいは他学部のクラスだったらどうするか、というのは正直よくわかりませんでした。それでも、一度やってみたいのです、と半ば強引に、経営学部と薬学部の指定教科書に選ぶことになりました。

その後、3月までに担当の非常勤講師の先生方に、出版社から教科書を送ってもらいました。3月末には、次年度の授業についての説明会があります。なにか否定的な意見がでるかもしれないと少し心配していました。あるいは上手くできるか心配する先生がいたら話をしなければと思っていました。しかし、非常勤講師説明会では、それほど否定的な意見は出てきませんでした。あるベテランの先生は、先進的で非常に面白そうとおっしゃってくれました。

ところが、やはり半期も立たないうちに、非常勤の先生方から苦情にも似た疑問や質問をあちこちでぶつけられるようになりました。私自身のクラスではうまくいっていたという手応えがあったのですが、多くの先生方にとっては、非常に使いにくい教科書だったようでした。では、何がいけなかったのでしょうか。

一年たってみて、気づいたこと

1)体系的でない。

これはすぐに気づいたことだし、何人かの非常勤の先生方から指摘されたことです。

数字一つをとってみても、1〜10まではともかく、20以降の数の読み方は、各ページに記載されているので、数字の話になると、いちいち学生が教科書をペラペラめくって確認することになります。要はページ番号といっしょに、ドイツ語の表記があるわけです。21ページだったら、21 einundzwanzigという具合です。

普通の教科書のように、1ページに1から100までの数と序数詞をまとめてあったらよかったのにと思います。

文法事項についても、冠詞の変化や動詞の人称変化は、少しずつ説明されます。そのため、このページを見れば全てのルールを網羅できる、という箇所がありません。学生達にもその都度教える形になるため、体型的に知識を整理することができず、教員によっては、プリントやサブテキストを作る必要があったようです。

まあ、これについては、やる夫シリーズのように私にとってはむしろ特技なので、自分のクラスではあまり必要がなかったものの、あえて自作プリントを使うこともありました。

しかし、いちおう各課の最後に、文法事項のまとめページがあるので、特に問題ないと思っていたのですが、いわゆるスタンダードな教科書のように、文法説明と例文がいくつも載っていないと教えにくかったのかもしれません。

2)作文、プレゼン、グループ練習の扱い 

この教科書は、ほとんどの練習を、パートナーとともに、あるいはグループで、あるいはクラス全体でのプレゼンテーションの形式で行います。ちょっとしたスキットを二人で練習したり、それを応用して自分のことを言ってみる練習、さらに一つの課で出てきた知識や表現をまとめて、一つのプレゼンテーションや作文をするといった練習が含まれています。

これらの練習を一つ一つまともにこなそうとしたら、週一コマの授業であれば、一年間で教科書の半分も進むことはできません。私の場合は、進度についてはあまり考えず、ゆっくり進めるように心がけました。

また、担当が一つのクラス、しかもごく少人数(8名)のクラスだったため、ペアワークやグループワークは非常に楽に進められました。課題のスピーチやプレゼンテーションなども、教科書に載っている例とほぼ同じように、PCをつかって行うことができました。動詞の人称変化や格変化など、初歩のドイツ語において格となる文法事項については、ドリル形式ではなく、何度も繰り返して作文を行うことで定着を図ることができました。

3)テストはどうやった?

学期末の試験は、事前に口述試験を行い、試験期間中にはほとんど作文問題だけの筆記試験を行いました。作文といっても、基本は教科書に出てきた疑問文にたいして、自分で考えた答えの文を作るという形式です。後期には話法の助動詞や分離動詞も出てきたため、人称代名詞(あるいは主語になる人名)・動詞・助動詞・その他を組み合わせて、意味の通る文章を作るという問題も出しました。

また、プレゼンテーションやスピーチなど、自分自身のことを語る場面がほとんどだったため、Ich spiele gern... Ich trinke..., Ich esse...と人称代名詞と人称変化のバリエーションにとぼしい練習に偏りがちでしたが、それでも教科書の丸写しではなく、自分なりに言いたいことを考えて言えればいいと思ったので、この点については、学生の自主性に任せました。

他の先生方はどうやっていたのか?

多くの非常勤の先生方は、使いにくさや学生たちの動きの重さに苦労された様子でした。二年生クラスでは、私以外の教員の授業をとっていた学生も半分くらいいるので、一年時どうしていたか聞いてみると、発音、パートナー練習、プレゼンテーションなどはほとんどやっていないというクラスもありました。

予想はつきますが、クラスの雰囲気的にグループワークができないというところも多かったし、人数が多すぎてクラス全体を動かせなかったという場合もあったでしょう。

また、日本語の教科書にくらべて、授業でとりあげる文法事項が少なくなってしまったというクラスもありました。私のクラスではなんとか話法の助動詞や分離動詞まで教えられたので、勤務先の大学の進度としては、いちおう合格点といえるでしょう。(本学の場合は、一年時に初級文法を終えることは全く不可能です。2年目のクラスでも、現在完了まで行ければいいという感じです。関係代名詞や接続法は、3年目以降です)

文法事項をどこまで教えるか、というのは難しい問題です。週一コマで、専門に学ぶ必要がない学生が対象なので、私としては、現在時称で、自分自身や自分の周りのことを表現できるという段階までで十分だと思っています。何でもかんでも詰め込めばいいというわけではないでしょう。

 

私の学生たちのその後

昨年私が担当した一年生は、一クラスだけで、わずか八名でした。しかし、そのうちの7名が二年生クラスに進んでくれました。別の教科書で授業を受けた法学部の学生と比べると、やはり文法的な知識、単語の知識などはとぼしいのですが、その反面、発音や作文はよくできます。2年次は全学部共通の、オーソドックスな文法と作文の教科書を使っていますが、ノーヒントで和文独訳をする練習でも、臆せずにどんどん書いていくことができます。むずかしいことでなく、基本的な文章であれば、知っている知識やこれまでの経験を使って、少しでも書こうとする態度は、昨年度の授業で培われたものだと思っています。 

統一教科書のむずかしさ

私自身は、自分の学生たちの手応えをみると、昨年使った教科書が失敗だったとは、思いません。しかし、多くの非常勤の先生がたの意見を聞くと、ダメだったと言わざるを得ないでしょう。私は非常勤の先生たちの教え方を非難するつもりはまったくありません。むしろ選んだ自分がバカだったし、見通しが甘かったのだと思っています。

では、何が悪かったのか?一つ言えることは、授業スタイルを選ぶ教科書はむずかしいということです。最低限の内容が書かれていて、誰でもどんなスタイルでも、同じように教えられる教材がいちばんなのかもしれません。

とはいえ、予備校のようにひたすら教員が説明し、学生は問題を解くだけというスタイルがいいという先生もいれば、学生が主体的に練習し、教員はサポートに徹するだけでいいという形もあります。(もちろん私は後者よりのスタンスです)

もちろん、理想は、共通教科書など使わないで、各担当教員が自分のクラスごとに教科書を選ぶことです。これまでに教えた国立大学などは、そのようにしています。

かといって、担当者が自由に選ぶと教務委員や事務職員が地獄を見ることになります。じっさいに、今年の神戸大学では、教務委員の先生との連絡ミスで、私の担当授業で、教科書が入れ替わってしまったという事件も起こっています。こんなことが本務校で起こっていたら、もっととんでもない事態になっていたでしょう。これは現実的に不可能な話です。

今年度は

昨年秋に教科書会議で話し合い、今年はもう少しとっつきやすそうで、かつアクティブラーニング的な要素も残した教科書を、文系学部(文芸学部を除く)では統一して採用しました。まだ一ヶ月しかたっていませんが、いまのところ問題や否定的な意見は聞こえてきません。教員それぞれが自分の意見や好みがあるので、誰もが納得する教科書などありえないのでしょう。しかし、今回の経験から、非常勤の先生方との日頃の情報交換の大切さを知りましたし、私たちがそもそも何を教えるべきなのかという大きな問題についても考えさせられました。今後の授業に上手に活かしていきたいと思います。

 

工事現場の記録(3)2016年度〜完成へ

2016年春、一気に建物が高くなる

2016年春休みの前半は、オーストリアに行ったりしましたが、その間大学では、すこしトラブルがあり、帰国後は新学期まで、毎日その対応に追われて過ごしました。

3月9日

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その前の写真を撮ったのが、6日なので、わずか3日ほどの間に、一気に鉄骨が組み上げられたことがわかります。

3月10日

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前日の写真を見ても、形が違っていることがわかります。この時期、恐るべき速さで、ビルの骨組みが建てられていきました。

3月11日

こちらは、11号館北側からみた様子です。それぞれの工区で、同時に工事が進んでいきました。

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3月15日

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3月24日

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早くもとなりの15号館よりも高くなっています。この時期は、見るたびに建物の形が変わっていき驚きました。

3月28日

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柱が高くなり、いつもの11号館西側の窓からでは、全体を収めきれないほどに成長しています。

4月8日

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7階あたりまで鉄骨が組み立てられ、5階建ての11号館よりも高くなっていました。

4月15日

この時期は、授業準備のため(国際化と異文化理解の講義内容を大幅に変えていました。詳細は過去の記事)、ときどき夜遅くまで大学に残っていました。夜9時ごろになると、重機がやってきて、大きな柱を運んでいました。学生や職員がいない時間帯に、このような大きな作業をしていたようでした。

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ちゃんと撮れていませんが、このように夜遅い時間に、クレーンが大きな柱を運び上げる様子が見られました。

4月25日

別の工区の建物もできてきました。一番早く形が定まったのが、この写真にうつっている、3号館でした。

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この段階で、もう9階くらいの高さでしょうか。

5月3日

やはり授業準備などで、連休中も研究室にいました。この日は、ちょうど柱を釣り上げる場面を見ることができました。フェンスのすぐ裏がわに見える、横向きになっている白い棒が、釣り上げられる柱です。

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5月12日

久しぶりに15号館から撮っています。1号館北がわのガラス張りのビルが組み立てられています。また、2号館のような低層の建物の工事も少しずつ進んでいました。

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5月16日

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1号館のビルは、はやくもいつもの撮影場所では、全景を捉えることができなくなりました。高さも11号館の倍以上になっていました。

5月18日

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1号館は、南側のビルと北側のビルが別々の工法で作られていて、真ん中で接合されています。北側の建物は、斜めの鉄骨が組み合わされていて、これで本当に大丈夫なのかと見ていて不安になりました。

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一番最後に始まった、4号館の工事ですが、今後一気に進みます。

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6月2日

ちょうどこのころ、タレントの厚切りさんが、大学を訪問されました。非常に賑わっていましたが、どんなお話をされたのか知りません。

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1号館南側のビルは、鉄骨が組みあがって、今度は壁がつけられていました。また、左側に見えるオレンジ色の部分が、エレベーターで、これを使って職人さんたちが行き来していました。

 

7月28日

少し間が空きましたが、鉄骨が組み上がると工事のスピードはゆっくりになるというか、外側から見た、劇的な変化というのは少なくなりました。

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15号館のとなりに完成した、国際学部棟から撮っています。1号館は足場に覆われて、中が見えにくくなっていますが、内装等はほとんど何もできていない様子です。

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最後に、低層の5号館が作られ始めています。

8月3日

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建物全体が収まらないので、敷地から出て、南門前の道路から撮りました。

 

9月16日

昨年書いたブログ記事にも使った写真です。この時期、外壁がつけられ、外側はほとんど完成したように見えます。

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10月15日

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11月9日

前の年と同じように、年末調整の手続きのため、10号館の部屋に行きました。一年前とは見違えるような風景でした。

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手前に見える3号館は、ほとんど完成しているように見えます。

 

11月16日

久しぶりに、11号館2階のいつものポイントで撮っています。足場が取り払われ、ビルの様子がよく見えるようになりました。しかし、まだ足元にはフェンスがあり、近づくことはできませんでした。

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1月19日

鉄骨に囲まれた箱だった5号館も、すっかり建物らしくなりました。その後このそれぞれの部屋に、図書や机などが搬入されていきました。

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2月8日

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どの建物も、ほぼ完成しています。

2月21日

フェンスが取り払われました。

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3月30日

4月6日のオープンを控え、建物内部の整備も進んでいました。

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4号館1階、2階にはそれぞれカフェが入りました。

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おわりに

ここまで3回にわたって、私が着任して以後3年間で見てきた工事現場の様子をまとめてきました。同じような写真ばかりで退屈されたかもしれませんが、毎日窓から様子を見て、写真を撮り続けていた私にとっては、工事現場の変化はほんとうにおもしろいものでした。ちょうど20年ほど前、語学学校に通うために滞在したベルリンの街のようだと思いながら、記録を残していました。

これから二期工事がはじまり、今後は、私の研究室があった11号館が解体されることになります。そこにどのような新しい建物ができるのかはもちろん楽しみですが、なくなっていく古い建物の様子も、忘れないように記録しておきたいと思っています。

 

工事現場の記録(2)2015年度

土地を均し、穴を掘り、基礎を固めた15年度

15年度春から、本格的に工事がはじまりました。しかし、最初の頃は、重機がたくさんいるわりに、何が行われているのかさっぱりわからない状況で、とくに何も作られていないように見えました。

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授業のたびに往復1km。移動にうんざりする毎日

授業が始まると、毎日仮設通路を通らなければならないことが非常にストレスになりました。授業が行われる教室までは、約500mですから、往復1km。事務に用があってでかけることもありますから、だいたい1日に3往復、多い日は5往復くらいする日もありました。

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上の地図のように、11号館から21号館までは、二種類の経路がありましたが、右側紫色のルートだと、工事区域への車両出入り口をまたぐ仮設歩道橋を上り下りしなければなりません。私たち教員は、少々距離は増えても、左側の赤い矢印、15号館・18号館を経由するルートをとっていました。

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18号館から15号館へと、国際学部棟の工事現場を迂回する通路がつけられていました。この通路が通っているのは、かつてのトイレです。タイルでわかるでしょうか。

2015年6月初め

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6月中旬

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このころ急に巨大なタンクが設置されました。どうやら、セメントを混ぜるのに使うものだったようです。

7月31日

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7月ごろから、多数の鉄筋が運び込まれ、それを組み合わせる作業が行われるようになりました。手前には、たくさんの鉄筋。それを溶接して柱のような形に加工する職人さんがいました。どうやら、穴を掘った場所に、円柱型に組んだ鉄骨を埋めていたようです。

8月21日

夏休み中ですが、オーストリアへの出張を前に、工事現場の様子が気になって、写真を撮っていました。

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同じような作業が続いています。気がつくと、かなり大きな重機が増えてきました。

 

9月14日

夏休みが終わり、久しぶりに登校して、さっそく工事現場を撮りました。これは15号館の教室から撮ったものと思われます。

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これまでにはなかった、穴が掘り始められています。

 

10月14日

穴がより深くなり、また、重機を乗せるための鉄板が敷き詰められた足場が作られています。

下の写真左側のシートで覆われているのが、国際学部棟です。もう4階あるいは5階部分までできているようです。

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10月29日

年末調整の手続きのため、普段は来ない、10号館の部屋に行きました。ここからは工事現場がよく見えるだろうと思いうきうきしながら写真を撮りました。

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2016年1月20日

冬の間しばらく写真を撮っていないうちに、ずいぶん工事が進んでいました。

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穴とその周辺部分の落差が10m近くあるように見えました。穴ばかり毎日深くなっていくだけで、何ができるのか全然見えてきませんでした。一方写真上の方にうつっている、国際学部棟ですが、シートがかけられた前面は見えないものの、側面の様子から、もう完成していることがわかります。

 

2016年3月

本部校舎東側で工事が進んでいた、新法学部棟のC館がほぼ完成しました。春休みに再び私はウィーンを訪れていましたが、帰国して早々、教務関係の仕事のため、法学部棟に入りました。

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現在はすっかり整備されている非常勤講師室や、事務室は、この当時まだ全く中身が入っていませんでした。5階にある研究室には入れたものの、C館に入る際にはスリッパを履かないといけませんでした。

このころ、本部キャンパスの工事現場のほうも、一気に作業が進んでいきます。

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工事現場の記録(1)2015年春頃まで

職場が工事現場だった

私が着任した2014年春頃から、つい最近まで、近畿大学では、東大阪本部キャンパスの大改装工事が続いていました。現在もまだ、すべて完了したわけではなく、今年度中に二期工事が始まり、あと2年ほどで完成する予定です。

超近大プロジェクトとキャンパスマップの変容

昨年あたり、非常に話題になり広告の賞を受賞していたと思いますが、こちらのポスターが駅などに掲示されていました。

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写真では、でっかい握りこぶしで、大学本館が粉砕されていますが、実は本館は、中身が入れ替わったもののまだ残っています。

なくなったのは、本館の隣に立っていた16号館、そして私の研究室が入っていた、11号館の一部です。

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私が非常勤講師になった2012年ごろの地図だと、16号館とその周辺の建物はすべて残っていますが、2015年ごろの地図を見ると、そのへん一帯がすべて工事区域となっています。

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現在は、下の地図のように、5号館(松岡正剛プロデュースの図書館)を中心に、1号館(事務棟)、2号館(ホール)、3号館(自習室)、4号館(カフェと高いレストラン)ができています。

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新しい建物全体(アカデミックシアターのイメージ図がこちらです。

以下の記事では、私が着任前から撮りためた写真を元に、どのようにキャンパスの風景が変化して行ったのかを振り返っていきます。

 

2013年、すべてがまだあった

私が非常勤講師として勤めていた、2012年から13年度の2年間は、とくに大学内で大きな工事は行われていませんでした。近大のように大きな大学だと、じつはほとんど毎年、何らかの大きな工事が行われ、何か新しい建物が作られています。先ほど紹介したキャンパスマップを見ても、私が非常勤になるちょっと前には、薬学部の39号館や、総合社会学部のG館などが新築されています。

非常勤で教えにきていたときには、経済学部の授業だけの担当だったため、本館や11号館があるキャンパスではなく、東側の経済学部の校舎周辺しか、ふだんは見ていませんでした。しかし、13年の秋に面接を受けて内定をもらって以後は、来年からここで働くのだという期待もあって、11号館や15号館など、キャンパスのあちこちを歩いてから授業に行くようになりました。

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その当時(提灯があるので、ちょうど11月の学園祭ごろでしょう)撮影した11号館(上)と16号館前(下)の様子です。11号館北側(写真左側)の低い棟には、国際交流室などが入っていたそうです。この部分は、私が着任するころには、ちょうど取り壊されていました。

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これは着任する直前に、研究室に荷物を入れる作業をした日に撮った写真です。16号館は数日かけて、取り壊されました。

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また、11号館も北側に飛び出した部分のみ、壊されました。残った建物の壁には穴が開いたままになっていました。そこから私はいつも工事現場の様子を撮影していました。

 

2014年 大規模工事の準備が進む

16号館は取り壊され、その周辺は壁で覆われてしまったものの、キャンパス内の様子は大きく変わってはいませんでした。16号館と11号館の間に広がる芝生スペースは、このころはきれいに整備され、春から夏頃は学生たちがいつも集っていました。

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右側が16号館跡地です。左側の工事現場は、国際学部棟を作るためのものです。

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15号館前の薬学部植物園(左側)も残っていました。緑が多くて気に入っていた場所でした。

この年の秋には、11号館南側にあった研究室にラクロス球が飛び込んで、ガラスが割れるという事件が起こりました。

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すぐに直してもらえましたが、数日後には、隣の空き部屋のガラスも割られました。こっちのほうが被害が深刻で、自分の部屋でなくて本当に良かったと思いました。

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このように、窓から見ると、南グラウンド端の、用具置き場の建物周辺は、ネットがないので、ここからボールが飛び出してしまったようです。

南グラウンドも15年度途中から改装工事が行われ、現在はすっかりきれいになっています。

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14年度終わり頃の様子です。16号館と11号館周辺の庭園は撤去され、舗装道路と更地だけになっています。14年度の終わり頃には、周辺の道路はすべて封鎖され、11号館から本館や経営学部のある21号館にいくには、仮設通路を通って、大幅に迂回していかなければならなくなりました。

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それまでは、工事現場をまっすぐ上に進むだけでよかったのに、右側の仮設通路をとおるか、または南門前から15号館、仮設通路を通って18号館へ抜けなければなりません。キョリ測で計測したところ、11号館から21号館までは、500mほどありました。

15年度に変わる頃、本格的に基礎工事が始まることになります。続きは次の日記で。

先生しごとを始めた頃のこと

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学期始め、前の年のノートを見直す

新年度がはじまり、私のドイツ語のクラスも4週目に入っています。

毎年この時期になると、昨年は何をしていたのかと振り返ります。というのも、それぞれのクラスで一週目や二週目にどんなことをしていたのか、よく覚えていないからです。昨年あるいは一昨年の自分の授業メモを見直して、ああこういう感じにやったらいいのか、と確認しているのです。

本来ならば、新しい年なのだから、全て新たに考え直せばいいのかもしれません。しかし、そう簡単に、授業内容をすべて刷新するということはできません。前年度の内容を引き継ぎながら、改めるべきところを改め、少しずつ新しくしていくというのが現実的でしょう。

 

ドイツ語の先生になる前

ドイツ語を教えるようになったのは、前にも書いたように、2010年度からでした。それ以前は、初年次教育科目を担当したり、看護専門学校倫理学を教えたりしていました。ドイツ語を初めて人に教えたのは、博士課程1年のころで、大阪の某家電メーカー本社で、駐在員になる人向けに、一ヶ月の短期集中講座をやりました。この仕事は非常に面白くて、勉強になりました。今でもよく思い出すので、今度詳しく書きます。

博士課程2年の頃から、大阪市南部の看護専門学校で教え始めました。看護学校の仕事は、2つの学校で、2012年度まで7年ほど続けました。最初の学校で教えるようになったのは、もう10年以上前、私がまだ20代だったころでした。

 

激しいモテ期、でも準備がすごく大変だった

20代で元気いっぱいだった当時の私。看護学校の生徒さんからも非常になつかれました。今とは比べ物にならないくらいモテました。すごく楽しかったけど、やはり当時はなにより授業準備がたいへんでした。毎回授業で何をしたらいいのか考え、ノートを書き、資料を読み、前日はほとんど寝ている暇などないくらいでした。

授業準備が大変だった理由のひとつとして、じつはこの頃教えていたのは、自分にとっては専門分野でもなんでもない科目ばかりだったことがあげられます。倫理学や心理学、情報科学や看護と法律など、まったく知識のない分野の教科書を読み、参考文献を集め、授業をするというのは、並大抵の苦労ではありませんでした。

 

授業ノートをどのようにつくっていたか

さて、ここからが本題です。当時はいったいどのように授業準備をしていたのでしょうか。私の場合は、一週間かけて、授業ノートを作っていました。ノートには、その授業で話すことを、一言一句もらさずすべてWordで書き出していました。つまり、学会発表とおなじように、読み上げ原稿を作っていたわけです。

「こんにちは、熊谷です。最近は、どんどん暖かくなっていますね。先月まで水道が凍りついていたことが嘘のようです。・・・」という授業開始時から、「という具合に、本日は・・・についてお話ししてきました。次回は・・・の話に進みましょう」と授業が終わるまでの発言を、思いつく限り全部書いていました。

このようにすると、話す内容が文字カウントによって数量化され、紙に印刷することで見える化されるので、途中で話す内容が思い浮かばなくなると云うことを避けられるし、話すスピードを調整することもできると考えていたのでした。

この方法、今から見るとほんとうに非効率的でバカバカしいのですが、こうでもしないと安心して授業などできなかったのでしょう。

当時担当していた授業は、おもに講義科目だったため、私が90分ずっと話し続けないといけないと思っていました。現在は語学の授業がほとんどだし、講義でも学生に課題を出したり、ディスカッションをさせたりしているので、私だけが話し続けるということはありません。教員一人で90分を埋めるというのは、初めの頃はほんとうに難しいと思っていました。なにしろ、学会発表だって、長い場合でも30〜40分、研究会でも60分くらいがせいぜいです。それ以上の時間をどうやってひとりで埋めればいいのか、小話をすればいいのか?と途方に暮れていたし、じっさいに当時は授業内容と関係のない、ちょっといい話とか最近の出来事など、時間を埋めるための話題というのを毎回入れるようにしていました。とにかく当時は、沈黙の時間や、用意したことを全て喋り終えてしまったらどうすればいいのか、といったことが怖くて仕方がありませんでした。

ドイツ語は2010年から教え始めましたが、これも初めの頃は、教科書の内容を整理し、紹介する例文と、その説明など、細かくノートに書き出していました。初級ドイツ語の授業でも、1コマで4、5ページのノートを作っていたと思います。それでも、毎回うまく説明できないことや、とっさに名詞の性を間違えることもしょっちゅうでした。

【追記】

同じようなことを一年近く前に書いていました。

昨年度から講義科目の刷新を試みました。そのさいに、かつての自分の講義スタイルや、それを変えようとしたきっかけについて書いていました。こちらも少し内容は異なるのでご参照ください。

schlossbaerental.hatenablog.com

 

助手時代に授業のやり方を学ぶ

ドイツ語を教え始めた頃、ちょうど京都精華大学で助手を務めていました。週四日は助手の仕事で岩倉へ、週一で京大のドイツ語、土曜日は看護学校という形で仕事をしていました。

助手というポジションは、一人で授業を担当できません。主な仕事は、担当教員と初年次演習(1年生用ゼミ科目)の授業を作ること、そして授業時間外に学生の学習サポートをすることでした。

いつも担当の先生と授業内容を話し合い、だれが何を話すか、学生にどんな活動をさせるか、といったことを決めました。このとき、パートナーの先生が、毎回活動内容と担当者、そして所要時間をどのくらい、と決めていました。この方法は、私にとって、非常に画期的でした。

それまでの私は、授業内容をいくつかの部分に分け、そこにどれだけの時間をかけるかといった考え方をまったく分かっていなかったのでした。授業というのは、単線的というか、小説を読むように進行していて、1時間半過ぎたところで、今日はおしまいにしましょう、と終える。いわば、大学院の購読ゼミのような方法しか知らなかったのです。だから、毎回どのくらい進めたらいいのか不安だったし、なるべく時間と話す内容を可視化したくて、細かいノートを作っていたのです。

活動内容と時間を明確にすることで、授業準備は飛躍的に簡単になりました。

たとえば、ドイツ語の授業の4月2、3週目だったら

1)発音の確認。教科書の発音のページを数回繰り返して読む。10分

2)教科書で人称代名詞と人称変化について説明。10分。

3)教科書で各自確認問題を解いた後、グループで会話練習。15分。

このように、1回の授業でどのようなことをするのかを考え、その中で、それぞれのパートにどれだけの時間をかけるのかを決めていきます。授業ノートはこの当時よりはるかにシンプルになりましたが、現在もだいたいこのような感じで、授業準備をしています。

非常勤講師として各大学で教えていた頃、このような授業準備の方法に気づくのに、非常に時間がかかったという話を同僚の先生にしたことがありました。しかし、その先生がいうには、教育学部や教職課程では、まず始めにこのような授業の進め方を習うとのことでした。私が何年もかけてやっとわかったことは、教育学の世界では、ほとんどスタート時に学ぶことだったようです。

授業ノートを作る意味と今後の授業

先ほども書いたように、現在も毎回授業ノートをつくり、授業準備をしています。おそらく特に何も見なくても、毎年ドイツ語の授業で話すことは大体いっしょなので、問題なく授業を進めることはできます。しかし後で見たときに思い出せるように、PC上にデータを残しておくことは重要です。

昨年、一昨年のノートを見ると、今年もこのままでもいいや、と思う部分もありますが、逆に、今だったらこういう教え方はしないかな、と思うこともあります。

何年も同じ授業をやっているような先生もいるかもしれませんが、やはり少しずつ内容は変わっていきます。毎年学生の雰囲気や学力が少しずつ違う(履修登録者数などは年によって劇的に変動します)ように、私たちの教え方も少しずつ変えざるをないのです。

ドイツ語でも講義科目でもそうですが、教える内容の中心が定まってきているので、学生への課題の出し方や、授業内での練習の仕方、説明の仕方など、さまざまな工夫をする余裕で出てくるようになっています。同じことを教えているように見えて、おそらく私の授業は少しずつ良くなってきていると思います。

将来的な目標といっていいのかわかりませんが、そのうちに、何のノートもメモも用意することなく、1、2時間話せるようになれればとも思います。私はふだんからあまり人に話したくて仕方がない、おしゃべりがしたくて言葉が溢れてくる、というタイプではないので、メモやノートなどで、あらかじめ話すべきことをまとめておきたいのですが、この業界で長く活躍されている先生方だと、自分の話ならいくらでもできるという方が多くいるように思います。それはもともと持っていた才能なのかもしれないし、研究と授業を続ける中で身につけていった能力なのかもしれません。

以前、知り合いの先生と偶然ラーメン屋で会うことがありましたが、この先生は、ラーメン一杯を食べる間に、授業1コマ分くらい、長いお話をされていました。正直うんざりしましたが、これくらいのしゃべりの能力がないと、この仕事をやっていけないのかな、とも思いました。まだまだ勉強が必要ですね。

 

香住マラソン2回目の完走

得意なはずの暑さと坂道に負ける

昨年は好タイムを出せた、兵庫県香美町の香住マラソンに今年も参加してきました。昨年同様、好天に恵まれましたが、走っている間は暑くて倒れそうでした。走り終わって一息つくとそれほどきびしい暑さではなかったとわかりました。

この大会の特徴は、景色がいいけど、かなり起伏の激しいコースです。香住港周辺のいくつもの小さな湾をぐるぐると回るコースなので、海岸部は低く、集落と集落の間はぐねぐねした坂道の上り降りがなんどもありました。昨年は、3月から4月にかけて、自宅近くの急坂でトレーニングを積んでいたので、この坂道にも対応できていました。

しかし、今年は3月の六甲山縦走トレイル以後、あれこれ忙しく過ごしているうちに、水泳以外ほとんど運動する機会がありませんでした。一週間前に、すこしくらい足を動かしておこうと、走りに出かけましたが、暑くて10km程度しか走れませんでした。

 

いかにぶっつけ本番で走るか、という競技ではない

今回ははからずも、全く準備をせずに、いかにぶっつけ本番でフルマラソンを走るかというチャレンジとなってしまいました。幸いリタイヤもせず、4時間半以内でゴールできたわけですが、これは良くないなと痛感しました。

多くの参加者は、みんな普段積み重ねた練習の成果をたしかめようと、大会にきているわけです。いっぽう私はほぼ事前の練習ゼロでした。

以前、マラソン大会は学会発表みたいなものとたとえました。それなりに調べてきていることであれば(あるいは昔からの持ちネタなどであれば)、準備ゼロでも学会発表らしきものはできるのかもしれません。しかし、せっかく出てきてそんな不本意な出来では、やはりもったいないですね。

マラソン大会も同じです。当日ぶっつけ本番でも完走できるとはいえ、ちょっとくらい準備をしておかないと、大きくタイムを落とすことになりますね。

 

足は痛いが、温泉と砂丘を楽しめた

今回は、香住港周辺にちょうどいい宿が見つからなかったので、すこし離れた湯村温泉に泊まりました。たしか楽天トラベルで検索すると、周辺の宿ということでヒットしたので、適当にこの辺でいいか、という感じで決めたのでした。

どんなところか全くイメージがありませんでしたが、非常に素晴らしい温泉でした。

香住からは、鉄橋で有名な餘部の集落を通って、40分ほどでつきました。

途中道の駅あまるべに寄って、新しくできた鉄道橋と古い鉄橋の跡を見ました。

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列車転落事故からもう30年も経ってしまったことに驚きました。

 

 

ホテルの部屋から見た、湯村温泉の街です。山間の小さな谷に、温泉街が広がっています。有馬温泉を思い出しましたが、ずっと人が少ない静かな街でした。

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この源泉、荒湯は98度もあるとのことで、近づくと熱かったです。源泉近くには、温泉卵を煮たり、山菜やタケノコを浸している人たちもいました。

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川沿いの足湯で脚を温めました。

 

翌日は鳥取砂丘に行きました。

修士課程のころ、バイクで訪れて以来おそらく4度目です。

毎回、季節が異なるため、砂丘の様子が違っていて、おもしろいです。

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今回は、天気が非常に良かったため、砂丘の向こうに広がる日本海の青さがあざやかに見えました。

 

このあと、日本酒ととうふちくわを買って帰りました。山陰というと地の果てみたいなイメージがありますが、自宅から車で3時間もかかりません。気軽に行ける地の果てです。

 

次の大会は、6月の飛騨高山ウルトラ71kmの部です。今回のようなていたらくでは、リタイヤすることになりそうですから、もう少し練習を積んで臨みたいところです。