ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

熊谷哲哉 ドイツ語教育、ドイツ文学、文学じゃないけどおもしろいものなど。

アクティブ・ラーニング教室を使った授業で何ができるか?

進化する経営学部、アクティブ・ラーニング室を開設!

私が務めているのは、本学の看板学部の一つ(ほかには理工学部が昔からあります)でありながら、いちばん校舎がボロい経営学部です。田舎のデパートのような天井の低い造りの古い建物には、上りのエスカレーターがついているものの、下りは階段のみで、エレベーターは10人くらいしか乗れない、普通のマンションについているようなのが二機のみです。一学年1300人以上いるのにこれかよ、とがっかりすることも多くあります。しかし、今年に入ってから、これまで物置のようだったゼミ室が、アクティブ・ラーニング室として改装され、非常に使いやすくなりました。

今回は、新しくなった教室でどんな授業ができているか、そして現在の課題はどんな点にあるのかということをレポートします。

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ホワイトボードを使った授業のイメージ


前後に全面ホワイトボード

以前の日記にも書きましたが、かつてはほとんど黒板ばかりだった私の授業ですが、現在は、語学5コマすべてがホワイトボードの部屋になりました。中でも火曜3、4限と木曜4限で使っている601教室は、部屋の前と後ろにホワイトボードがある、少人数、アクティブ・ラーニング型授業に対応した部屋となっています。

601教室は、以前は狭く細長い部屋の手前側に移動式の黒板があり、学生たちは2人がけの長机に4列くらいで座るようになっていました。ちょうど私が中学生の頃に通っていた、椎名先生の英語塾のようなこじんまりした部屋でした。

黒板は、運動部の部室にあるような小さな移動式のものしかなかったので、毎回ほとんどまとまった板書はできず、できる限り口頭およびプリントで説明していました。プロジェクタやスピーカーは当然ないので、音声はポータブルスピーカーで流し、教科書付属のDVD(ミュンヘン行ったりするやつ)は一度も使いませんでした。

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改装後は、図のように、部屋の一方にPCや書画カメラなどの入ったキャビネットが置かれ、短焦点プロジェクタがつき、壁には前後とも全面ホワイトボードがつけられました。机は個人ごとに、移動できるものに変わりました。(だいたい最大25名程度は入れそうです)

 

物置小屋からアクティブラーニング室へ

金曜日2時限、2年生クラスで使っているのは、かつては、よほどのことがない限り使う機会などなかった、20号館1階の部屋ですが、いつの間にかリニューアルしていました。(20号館は経営学部の21号館とセットになっている建物で、大教室、ゼミ室、語学等に使う教室があります。

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壁一面のホワイトボードだけでなく、3台もの単焦点プロジェクタ、移動式のテーブルやホワイトボードもついていて、わりと大人数のクラスでも使えるアクティブラーニング室に変身していました。(私のクラスは20名ですが、畳んであるデスク全てを使うと50人くらいの授業はできそうです)

私がとりわけ使いやすくて気に入っているのが、この教室です。

台形の可動式テーブルを組み合わせて、グループを作りやすくなっていたり、各テーブルのすぐ近くに、ホワイトボードを持ってくることができる点などが気に入っています。

 

可動式ホワイトボードを使ったグループワーク

せっかくアクティブラーニング室が使えるのだから、これまでとは違った形のグループ練習などができないものか、と模索して先月あたりから毎回の授業にグループワークを取り入れています。

以前の記事にも書いたように、私は本務校の授業では、簡単な作文をすることで、ドイツ語文法の知識の定着と運用能力をつけることを中心とした授業を行なっています。毎回ごとに授業終わりに、その日説明した内容を使った提出課題を出すという形式です。

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学生たちはそこそこ勉強ができるので、動詞の人称変化などパターン化された練習は得意なのですが、自由作文のような、これまでに習得した知識をまとめることは苦手です。そこで、中間テストや期末テストで以前から出題していた、条件にあった文章をいくつも作るということをグループワークにしました。

具体的には、以下の通りです。(出題の例)

1)動詞で始まる疑問文とその答えの文を3つ作る。

2)疑問詞で始まる疑問文とその答えの文を3つ作る。

出来上がった文をグループごとにホワイトボードに書きましょう。

 

学生たちには、初級文法の一番最初の段階である、動詞の人称変化および語順のルールを教えています。そこで教科書を使い、 すでに出てきた例文を参考にしながら、グループごとに作文をします。

教員は、途中でミスがある場合には、「ちょっと間違ってるけど、どこが変か考えてみよう」とか「もっと違った書き方はないかな」とコメントをしながら、机間巡視します。全グループの回答が出揃ったら、各グループごとに書けた文を紹介し、講評します。

このグループワークは、学生たちの提出課題を見ていると、語順や人称変化の間違いが多いので、教科書を使って復習させるより、課題をグループごとにやったほうがいいのでは、という発想からはじまりました。

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教室入り口側の全面ホワイトボードを私が使います。(よく見ると課題が先ほど書いたものとちょっと違っていますね。3、4格の目的語を含む文を作るという課題です)

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学生たちを見ていると、非常に生き生きと意見を出し合っているので、その後はほぼ毎回、何らかのお題を与えて、グループごとの作文練習を(15分〜20分程度で)行なっています。教科書やプリントで練習問題をやらせるより、たしかに数はこなせませんが、話し合うなかで、より一層理解は深まっているのではないかと期待しています。

 

全面ホワイトボードはちょっと使いにくい?

601教室を使う1年生の授業でも、ホワイトボードを使った作文のグループワークを取り入れています。10人履修者がいる火曜日4限のクラスでは、2人ごとのチームで実施しました。この時に、ちょっと学生の動きが鈍いように感じました。どうも、ホワイトボードに書くときに、いちいち躊躇してしまうように見えました。

私たち教員が期待するのは、チームのメンバーがあれこれ意見を出し合い、ホワイトボードにメモを書きつつ、チームの解答をまとめるというようなワークです。

しかし学生たちは、まずそれぞれのノートを使って話し合い、できあがった正解をボードに「清書」する、という作業手順を踏んでいるように見えました。 

私たち「大人」の感覚として、ホワイトボードにあれこれ思いついたことを書いて、意見を出し合いながら、消したり書き加えたりを行った作業をすれば良いと思うのですが、学生たちはまだなれていないのかもしれません。

これは、基礎ゼミでときどき行う、模造紙を使ったグループディスカッションなどでも感じたことです。学生たちは手を動かさずに話し合って、ようやく出てきた答えを、模造紙に清書するという手順をとります。せっかく大きな模造紙を使うのだから、書いたり消したり好きにすれば良いのにと思ってしまいます。

その点、20号館1階のように、各グループごとのホワイトボードが使える部屋だと、学生たちはもう少し気軽に作業ができるらしく、グループによっては、各メンバーが好き放題書きなぐって、あとで意見を出して推敲していくという方法を取っているところもありました。教員側としては、せっかくのホワイトボードなので、どんどん自由に使ってもらいたいと願っています。

 

ホワイトボードでのグループワークをどう発展させるか?

文章を作るグループワークを、各クラスで実施しながら気づいたのですが、これは教科書の作文問題から、会話文や自由作文を作るための橋渡し的な練習になるということでした。

以前の記事に書きましたが、2013年には、1年生クラスを中心に、ドイツ語で会話文を作り、動画にするというグループワークを実施しました。また、2015年の神戸大1年生クラスでは、やる夫・やらない夫のイラストを組み合わせた会話文をつくるワークも実施しています。

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このときに難しいと思ったのは、教科書の例文や練習問題のレベルから、会話のやり取りを含む「お話」をつくるという段階へのギャップをどう埋めるかということでした。結局は、私が必死で会話文を添削したり、あるいは語学センスのある学生の能力任せとなってしまいました。

最近のグループワークを振り返ると、たとえば一定の条件に従って疑問文と答えの文を作る、というのは、教科書の問題とシナリオの作成との間をうめる練習になるのではないかと思いました。以前の授業では学生に丸投げしていた、シナリオ作成ですが、いまのように段階的に、文章の語順や動詞の使い方を復習し、会話文を作るという段階を踏んで進めていけば、これまでより学生が取り組みやすくなるのではないかと思いました。

今学期の授業の最終目標をどこに設定するかはまだ決まっていませんが、これまでに行っていたプレゼンテーションの課題よりも、もう少し高度なところまで持っていけるのではないかと期待しています。

 

おばあさんを送る

祖母、98歳の大往生

母方の祖母の葬儀に出るため、久しぶりに母の実家がある宮城県に出かけていました。祖母と会うのは、2010年の春以来でした。その当時も祖母はもうだいぶ高齢で、なかなか顔をあわせる機会がないから、と山形への出張のときに無理やり寄り道したのでした。

その後母からはときどき様子を聞いていましたが、残念ながら再び会うことはありませんでした。

1921年生まれの祖母は、数え年で98歳、もうすぐ満97歳になろうというところだったので、だれもがしょうがない、よく生きたと受け入れることができました。

今回の葬儀では、前回祖父が亡くなった15年前から、あるいはもっと以前から会っていなかった母方の多数の親族に会うことができました。また、新緑の山里の景色を楽しむことができました。

 

母の田舎は、宮城県栗原市

母の実家がある宮城県栗原市栗駒文字の家は、神戸空港から仙台まで1時間半、その後レンタカーで約2時間かかる、宮城県北部の奥まった場所にあります。父の実家も同じ宮城県ですが、港町石巻にある父の実家と、山奥の母の実家は同じ県とはいえ、まったく風景も文化も異なっていて、小さい頃は移動に丸一日かかるほど遠く感じました。

今回数年ぶりに文字の家を訪れてみて、30年以上前の子供時代から全く変わっていない村の風景に、なんともいえない懐かしさを覚えました。

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お葬式に向かう途中で車を停めて、栗駒山を眺めました。 

ついた日(土曜日)は特にやることがないので、妻、兄とともに車で近くの湿原まで出かけていました。天気がよくなかったせいか、非常に温度が低かった(10度くらい)のですが、高原の自然を楽しむことができました。

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晴れた日に、おばあさんを送る

この地域では、通夜は行わず、1日で火葬と葬儀、その後の会食と続きました。(たぶん15年前の祖父の葬儀の時もだいたい同じ流れだったように思います)。お通夜は行いませんが、その代わり前日には昼から夜にかけてずっと近所の人たちがお線香をあげに来ていました。

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お墓がある洞泉院は、非常に立派なお寺です。伊達政宗の重臣だった茂庭綱元はこの地で晩年を過ごし、このお寺を創建したのだそうです。

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佐藤家の建物からすぐ近いこの場所で、おばあさんはおじいさんや、もっと昔からのご先祖とともに、子孫を見守ってくれているのでしょう。

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祖母の思い出

母の実家は農家だったため、農閑期になると、祖父母はかわりばんこに私たちの家に滞在し、孫たちの面倒をみていました。同じ栃木県北部にいる伯母(母の姉)のところにも1、2週間滞在し、そして私たちの家にもしばらくいてくれました。祖父母が家にいるときは、保育園のお迎えが(会社に勤めている母がくるよりも)早い時間になるので、いつもうれしかったのを覚えています。

祖母が最後に長期滞在したのは、おそらく私が大学に入る頃だったと思います。というのも、私が東京に出た頃に、実家には父方の祖父母が移住してきたため、以前のように長期滞在しづらくなったからです。

祖母と過ごした1995年の春は、ちょうど里帰り中だった兄もいて、祖母とみんなコタツに入って、毎日テレビでオウム関連のニュースを眺めていたのを覚えています。祖母の話す東北弁はやや難解で、一度聞いただけではなかなか理解しがたいのですが、毎日長い時間一緒にいるとだんだん慣れてきて、ニュースについてあれこれ話しをしていました。

 

母の家で過ごした夏休み

母方のいとこと会うのは、祖父の葬儀以来だったため、すごく懐かしくて、あれこれ昔の話をしました。特に那須にいる伯母の子供たちは歳が近い男子二人兄弟だったこともあり、夏休みには栗駒文字の家に来て、私と兄と4人で遊んでいました。

セミやトンボを捕まえたり、裏山の池に行って鯉やヒキガエルをみたり、夜には花火をしたことなどを思い出しました。一番上のいとこ(10歳上)には、小学校に上がる前くらいに、トイレに落ちたときに、お風呂場で洗ってもらったのを覚えています。

おばあさんが亡くなって、もう会えなくなってしまったのは本当に残念ですが、こうして一年で一番良い時期に、親戚一同が集まって、お互い元気な様子を確かめることができたのはなによりありがたいことだと思いました。

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エアポートおじさん。

葬儀だけどアルバムを作ろう

今回は、先日買ったα7R2でお葬式の様子をたくさん撮りました。良い写真を集めて、親戚の皆さんにアルバムにして送ろうと思います。

 

身近にあるドイツ語とは?

一年生クラスの課題:身近なドイツ語を探そう

以前職場のFD発表会で、韓国語の先生から授業実践のお話を聞きました。そのときに、いくつか紹介していた授業内の活動で、ぜひとも取り入れたいと思ったのが、身の回りにある韓国語を探すというワークでした。

学生にグループを組ませ、大学や大阪周辺で、韓国語の看板などと一緒に写真を撮り、簡単なレポートとともに提出させるというものです。新しい外国語を学び始めた学生にとって、身近に存在する外国語に関心を持って探してみるということは非常に意味があると思いました。

このようなワークは、中国語・韓国語の授業では非常に取り入れやすいでしょう。文字が違うのですぐにわかるからです。とりわけ韓国語は、大学周辺には大規模なコリアンタウンがあるし、大阪には韓国からくるツーリストも非常に多いから、看板などにも多く書かれています。しかし、ドイツ語の場合はちょっと事情が異なります。

 

身近なドイツ語?それは英語やフランス語ではないのか?

当然のことながら、ドイツ語の学習を始めたばかりの学生に、その辺で見つけたカタカナ名やアルファベット表記をドイツ語かあるいは他の言語か見分けることなどほぼ不可能です。そして、お店の名前やマンションの名前などに使われるのは、もっぱらドイツ語ではなくフランス語ばかりです。

とくに、パン屋さん、ケーキ屋さん、そしてマンションの名前などにはしばしば(間違った)フランス語の名前がついています。フランス語の中・上級クラスの課題として、間違ったフランス語看板のどこが間違いなのかを探すなんていうのも面白いかもしれませんね。

大学近くのケーキ屋さんです。お店のモットー的なものが書いてあります。

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素人の私ですら気づく大きなミスをやらかしています。

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もう一つ大学近所のお店。ケーキ工房ランコントフです。reを「ふ」とあえて表記しているのが本格的な感じがしますね。

 

韓国語やフランス語と違って、お店の名前や看板に限定するとかなり難しくなってしまいます。そこで学生への課題は、ドイツ発祥のブランドロゴや、ドイツ語が書かれた商品パッケージや説明書まで範囲を広げて、身近なドイツ語を探してもらいました。 

学生たちが見つけてきたのは?

  • ベースの弦、アンプなど音楽関連製品のマニュアルやパッケージ:けっこう音楽関係はドイツの製品が入ってきています。バンドをやっている男子学生ふたりが、自宅にあるものの写真を撮っていました。ドイツ製品で音楽というと、クラシック関係かと思ってしまいますが、ギターやベースもあったのは私も気づきませんでした。
  • 車屋さん:やはり日本におけるドイツの製品といえば、一番身近なのは車でしょう。
  • お菓子のパッケージ:カルディなどのお店が増えることで、最近はお菓子もメジャーになってきました。とくにハリボのグミは輸入食品店以外でも買うことができますね。
  • お店やアパートの名前:いくつか写真を撮っていましたが、だいたい英語・フランス語でした。ドイツ語のついた名前というと、私が思い出すのは、京大の近くにあった「レーベンプラッツ百万遍」というマンションです。
    追記:自宅近所で見つけたマンションを後半で紹介しています。

 

私が見つけた町の中のドイツ語

西門前のゲームセンター:あうとばあん

学生たちがなぜかスルーしていたのがこの店名です。あれ?ひらがな表記だから気づかなかったのかもしれません。Autobahn=高速道路です。

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コーヒーとケーキのお店、Bahnhof(大阪市内)

カタカナ表記ではなく、ドイツ語そのものの店名ですね。Bahnhof=駅です。しかし、このお店は駅から数百メートル離れていて、駅と名乗るのはちょっと違うんじゃないかな、と思いました。お店の上にはJR環状線が通っているので、より正確にUnter der Hochbahn(高架下)のほうがいいのではないでしょうか。

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自宅近所の家具工房&caféティシュラー Tischlerei

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看板に書かれているドイツ語と、その音を書き写した店名とが、違う語であることに非常に違和感を覚えます。Tischlerei(ティシュレライ)とは、家具工房を指します。しかしティシュラーTischlerとは家具職人のことです。店名にTischlereiと書くのであれば、その通りにカタカナ表記(ティシュレライ)すればいいのに、敢えてそうしなかったのは、やはりわかりやすさを優先したのでしょう。

 

大阪駅のデパート、ルクア1100(イーレ)

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大阪駅の駅ビル、ルクアです。数年前に改装されてこういう名前になりました。改札を出ないでとった写真なのでちゃんと看板が撮れていませんが、こういうロゴです。

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www.lucua.jp

イーレとは、「あなたの」を意味する所有冠詞Ihrに語尾eがついたものです。あなたの百貨店という意味なのでしょうが、なぜドイツ語にしたのでしょう。そして、数字1100をイーレと読ませるのはどういう意味なのでしょう。

ドイツ語の所有冠詞はしばしば学生が混乱するポイントなので以前記事を書いたことがありました。

schlossbaerental.hatenablog.com

創作バル まはと

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休日に偶然町歩きをしていて見つけたお店です。「まはと」とはドイツ語のMachtのことです。ニーチェの『Wille zur Macht 権力への意志』やカネッティの『Masse und Macht 群衆と権力』など、多くの場合「権力」と訳されます。Machtとは、支配する権限とか命令を行使する力のような意味です。たしかに独英辞典をみるとMacht=Powerとなっているので、Power=活力とか元気とかいう意味でこの名前をつけたのかなと思います。それならばむしろKraftのほうがいいでしょうか。

ドイツ語の姓が由来の会社名:日本フルハーフ

日本フルハーフ - Wikipedia

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お店の名前ではなく、会社名ですが、これは面白いと思ったので紹介しておきます。高速道路や大きな街道で渋滞している時など、ぼんやり前のトラックを見ていると「日本フルハーフ」というステッカーが目につきます。綴りをみると「Frueauf」とあります。カタカナ表記はおかしいけど、これもドイツ語です。

もとはアメリカのトラックやトレーラーの会社で、社名は創業者アウグスト・チャールズ・フルハーフに由来しているそうです。この人はアメリカ生まれですが、その両親はプロイセン出身で、19世紀半ばにアメリカに移住してきたとのことです。

www.immigrantentrepreneurship.org

Fruehaufとはドイツ語ではFrühaufと表記し、フリューアウフと読みます。元の意味は、Frühaufsteher=früh早く・aufstehen起きる・者というドイツ語の姓です。しばしばドイツ語では、人の特徴からつけられたあだ名が元になっている姓というのがあります。Frühaufもその一つと考えられます。この名前がアメリカに渡ってウムラウトがなくなり、そしてフルハーフと読み方が変わって、さらに日本に伝わるというのは非常に面白いと思いました。

 

追記(5月15日):ゲマインシャフトとベッサーボーネン

ドイツ語をつかったマンションの名前はあまり見かけませんが、なぜか自宅から近いところに二つも見つかりました。

ゲマインシャフト芦屋

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エントランスにはアルファベットで書いてありますが、GEMEIN SCHAFTと分かち書きになっています。本当はGemeinschaftで一語です。家族、共同体といった意味です。ドイツ語の長い単語や複合語をみると不安になって、適当なところでスペースを入れてしまうというのは、学生たちにもよく見られる現象です。

 

ベッサーボーネン芦屋

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ゲマインシャフトから道路一本挟んだ隣にあるのが、ベッサーボーネン芦屋というマンションです。(プレートが暗くてよく写っていませんが)どうも管理会社を見ると、この近くの三千院家みたいな大きなお屋敷がもとの地主なのかなと思います。

Besser Wohnenとは、besser:gutの比較級、より良い、wohnen:住む、暮らしといった意味です。ぐぐってみたら、同名の雑誌があるようです。ドイツ語圏の書店に多く置いてある、日本からみたらかなり本気のリフォーム雑誌のようです。

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授業に何を持っていくか?

授業用のポーチを紹介します

いつも教科書やプリントとともに授業に持っていく筆記用具などを、ポーチに入れて持ち歩いています。ペンケースではなくポーチを使うようになったのは、たしか滋賀県立大に通うようになったころからだったと思います。カバンをリュックやトートバッグに変えても、授業に必要な道具はポーチに入れておけば忘れずに持ち出せるだろうと考えたからです。毎日違う大学に違う交通手段で通っていた(京大は太秦からロードバイクで通っていました)ころだったので、この方法は画期的だったのでした。

現在は、毎日同じ大学の、ほぼ同じ校舎で授業をやっていますが、ポーチはそのまま使い続けています。今日は日々持ち歩いている授業道具を紹介します。

 

筆記用具とその他いろいろ

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下に写っている黒いのが無印良品のポーチです。iPad miniがぴったり入るくらいの大きさ(ちょうどA5くらいでしょうか)です。

 

ボールペン、蛍光ペン、万年筆

出席簿や授業ノートをつけるための筆記具です。

 

コピーカード、カードキーなど

経営学部の授業準備室に入るためのカードキーなどを入れています。ふだんあまりいく用事がないところなので、カードキーを持っていないことが多いのですが、忘れると部屋に入れないので困ります。

 

VGAケーブル

PCやiPadを教室で使うとき、プロジェクタと繋ぐためのケーブルです。最近では大抵の教室に備え付けてありますが、万が一見つからなかった場合に備えて自前のケーブルを持ち歩いています。講義ではiPadからプロジェクタに写すので、いつもライトニングケーブル変換アダプタをつけています。

 

iPad mini4とスピーカー

ドイツ語の授業で使う音声は、iPadからワイヤレススピーカーをつなげて再生します。以前は教室のスピーカーと音声ケーブルで接続していたのですが、教室によってはスピーカーすらないので、手のひらサイズのものを自分で買いました。ブルートゥース接続で音声が出るのですが、やや音量が小さいので、ケーブルを繋げています。

語学の先生方は今でもCDラジカセを教室までもっていく人が多いのですが、私は京大で非常勤を始めた8年前からずっとこの方法です。最初はiPhone3Gと教室のスピーカーを繋げていました。CDラジカセの場合、トラック番号をリモコンからカチカチ押さないといけないのでしょうが、iTunesの場合ささっと選曲できて楽です。

iPadは、講義の際にスライドを見せたり、ドイツ語の授業ではYouTubeの動画を見せたりするのにも使えて便利です。

 

ノート(メモ用紙)

 かつては手帳やメモ帳などを持ち歩き、授業の進度(各クラスがどの辺りまで進んだか)などをメモしていました。数年前から授業ノートは、一回ごとにメモパッド一枚程度にまとめるようになったので、授業にもノートではなく、切り取ったメモ用紙を数枚持ち歩いています。授業の中で気づいたことや、次の授業でやってみたいワーク、練習問題などをメモしておきます。

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以前の記事でも紹介した、マルマン、ニーシモネのA5メモパッドです。

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ホワイトボードマーカー

以前はほとんどの教室が黒板でしたが、今年度はゼミと講義以外はすべてホワイトボードの部屋になったので、毎回数本のホワイトボードマーカーを持ち歩いています。もちろん、マーカーくらいは教室に置いてあるし、講師控え室には新品が箱に入っています。しかし、大学が買っている使い捨てのマーカーはどうも書き味が悪く、たいていインクが少なくなっています(しかも残量が見えない)。もっと使いやすいものがないかと思って見つけたのが、このボードマスターというマーカーです。

 

 万年筆のようにカートリッジ式のインクを交換することができるし、またペン先も替えられます。なかなかお店では売ってないので、アマゾン等でまとめ買いしています。

 

ホワイトボード用イレーザー

今年度から、ほとんどの授業がホワイトボードになり、自分のマーカーを使って、快適に授業をしています。黒板とチョークよりも、手が汚れないし、落として床や靴を汚すこともありません。ホワイトボード超便利!と思っているところですが、唯一不満なのが、教室に置いてあるホワイトボードイレーザーです。

昨年まで通っていた神戸大でもそうでしたが、どの教室も、イレーザーの手入れが不十分で、汚れすぎていてちゃんと消えなかったり、あるいはイレーザーが洗いたてでびしゃびしゃだったりします(水に濡れたイレーザーで字を消すと、その後しばらくホワイトボードに字が書けなくなってしまいます)。

これでは快適な授業ができないので、マーカーと同様、イレーザーも自前のものを用意することにしました。

 

 今回買ったこのイレーザーは、フェルトのようなものが貼り付けてあり、ある程度汚れたら、フェルトを一枚剥がして、新しい面を使うことができるというものです。マグネットもついているので、教室のボードに貼り付けておくこともできます。

非常に便利なので、買ってよかったと思っているのですが、ひとつ困っていることがあります。

 

イレーザーってどうやって持ち運べばいいのか?

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昨日は買ったばかりのイレーザーでさっそくホワイトボードをシャカシャカ消して、いい気分で授業を終えたのですが、終わった後にどうやって持ち運ぶかをあまり考えていませんでした。そのまま無印のポーチにしまえば、当然のことながら持ち物がすべて粉まみれになってしまいます。

とりあえず買った時の袋に、上の写真のようにしまっていますが、袋の中にボードマーカーのインクの粉がついています。取り出すたびに今度は手に粉がつくことになりそうです。

中学3年生の頃、受験に向けて志望校のすぐ近くにあった小さな塾に通っていたことがありました。新興の塾でほとんど生徒がいなかったため、丁寧に指導を受けられました。しかし、そこの先生は身なりに気を使わない人で、いつも髪はぼさぼさ、手はホワイトボードマーカーが爪やシワにみっしり染み込んで黒くなっていました。友人と鳥の巣先生と呼んでいましたが、このままでは私もそうなりかねません。

 

イレーザーを運ぶ入れ物はない?

買った時の袋に詰めて持ち運ぶのがいやなので、「ホワイトボード イレーザー ケース」で検索していますが、なかなか探しているものは見つかりません。ホワイトボードマーカーのケースにもなるイレーザーとか、イレーザーとマーカーをホワイトボードにくっつけて収納できるケースなどしか見つかりません。

おそらくだれも、私のように、自分用のホワイトボードイレーザーを持ち歩こうとは思わないのでしょう。考えてみれば、黒板の教室だからってチョークを持ち歩く人はいても、黒板消しまで自分用のを持参する先生はいなかったでしょうから、やはりしょうがないのかもしれません。

とりあえずジップロックにいれて持ち歩くことにします。

 

 

エリアスとフェリックスのこと

ドイツ語の名前の話

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今日の授業で、ドイツ語のファーストネームVornameの話をしました。というのも、たまたま使っていた教科書に出てきたドイツ人の名前がHansとちょっと古風だったので、ドイツ語の名前にも流行り廃りがあるのだということを説明しました。

このテーマについては、以前のブログにも書いた通りです。

tetsuyakumagai.blogspot.jp

この記事でも紹介しましたが、beliebte-Vornamen.deというサイト(他にもたくさん類似のサイトがあります。犬の名前の人気ランキングなんてのもありました)を見ると、毎年ごとの人気の名前ランキングが掲載されています。

www.beliebte-vornamen.de

昨今の人気は、日本と同様、呼びやすくて国際的に通用しそうな名前です。男の子ならBen、Jonas、Leon、Paul、Finnなど、女の子ならEmma、Hannah、Mia、Sofiaなどが人気上位に並んでいます。フリードリヒやヴォルフガングやエリーザベトやグードルーンといったいかにもドイツっぽい名前は、今日もはやあまり人気はないのです。

 

人気の名前の移り変わり

beliebte-Vornamen.deを使うと、さまざまな名前がこれまでどのくらい人気があったかを見ることもできます。教科書に出てきたハンスの場合はこのようになります。

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ハンスという名前は、伝統的な名前で、1950年代までは人気の名前上位にずっとあったのですが、60年代から徐々に凋落し、現在ではあまり名付けられない名前となってしまったそうです。

昔の名前が廃れるのは当然かもしれません。しかし、ハンスと同様大昔からあるアレクサンダーという名前は今日も人気ランキング上位にあります。

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面白いことに、グラフを見るとこの100年ずっと上位にあったわけではなく、ちょうど第二次大戦ごろまでは、あまり人気上位ではなく、「アレクサンダー冬の時代」だったことがわかります。

 

同姓同名の学生が教室にいたらどうするか? 

さて、そろそろ今日の本題ですが、今回名前の話をしながら私が思い出していたのは、かつて自分のクラスにいた、同姓同名の男子学生たちのことでした。

はじめに同姓同名の学生たちを見たのは、2012年の滋賀県立大クラスでのことでした。山田健吾くん(仮名)がクラスに二人いて、初めは大いに驚いたのですが、たしか学科が違っていたので、〇〇学科の山田健吾くんと××学科の山田健吾くん、と区別していたように思います。

そして昨年の神戸大のクラスにも、西村拓也くんと西村拓哉くん(仮名)とふたりまったく同音の学生がいました。今度は漢字は違うものの、学科専攻が同じなので、名前を呼ぶ際に区別をするすべがありません。これには本当に困りました。

 

ならばこっちが名前をつけよう

結局1、2週考えた結果、彼らにこちらからドイツ語クラス用の名前をつけることにしました。名簿の順番が先の方がエリアスくん、後の方がフェリックスくんと人気ランキング上位の名前をつけて区別することにしたのでした。ふたりとも、なんでその名前?と訝しげな表情をしていましたが、名前とは本来勝手につけられるものです。たいせつな本名のほかに、教員が学生を勝手に名付けるなんて、乱暴であることは認めます。とはいえ、こうするのが一番わかりやすかろうと思ったので、二人にも納得してもらいました。

その後私たちのクラスでは、西村エリアスくん、西村フェリックスくん、と出席を取るときに呼ぶようになり、クラスの学生たちにもエリアス、フェリックスはそこそこ普及していたように思います。

 

名付けた本人が忘れそうになる

これで問題解決と思いきや、そう簡単な話ではありません。ときどき、どっちがエリアスかフェリックスかわからなくなって迷うことがありました。よく考えるとちょっと似た名前にしてしまったため、自分で区別できなくなっていたのです。まったくバカな話です。普段の授業では、名簿にミドルネームも書くことで間違えないようにしました。

小テストのときなどは、二人ともエリアス、フェリックスと書いてくれるのでわかりやすかったのですが、期末テストの成績登録のときにはやはり迷いました。ウェブの採点ページでは、名簿に点数を入力するのですが、当然ミドルネームを書いておく欄などはないので、学籍番号と「やの字:也または哉」で区別しました。

ほかにこれまで同姓同名の学生がいたことはないのですが、すでにこの6年間で2回も遭遇しています。3回目もきっと遠からずあるでしょう。そのときどうするか、いまから考えておかなければなりません。

 

 

超少人数クラスで教えています

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超少人数クラスでの授業のイメージ

教務委員の4月はたいへん

新学期が始まって2週目が終わりました(木曜日スタートなので、19日から3週目です)。この時期、私たち各言語の教務委員は、あちこち教室を回ったり、事務室や講師控え室に行ったりと、忙しく過ごしています。私も、今年は神戸大の非常勤をやめて、月曜日を授業なし日にしたにも関わらず、この二週間は月曜から金曜まで早朝から大学に来ています。

私たちがバタバタ過ごしているのは、勤務先の場合、第二外国語の選択をするのが、入学手続き時ではなく、1回目の授業が終わってから、という事情によります。かつて教えていた他の大学の場合は、1回目からすでに受講者名簿ができていて、受講者数の増減などは起こり得ませんでした。どこの大学もそうだろうと思っていたのですが、本学では、他の選択科目と同様、1、2週目に希望する授業に出たあとで、履修を決定することができるようになっています。

この制度があるために、当然現場は毎年混乱します。英語の場合は入学式後のプレイスメントテストでクラスを振り分けますが、第二外国語は学部学科で指定された時間(何曜日何時間目が決まっている)であれば、どの言語も選べます。そのため、クラスによっては希望者が殺到したり、逆に誰も来なくて不開講になってしまうこともあります。

私は着任2年目から5年目の今年まで、ずっと教務委員を担当しています。ドイツ語教員は5人いるので持ち回りで担当すればいいのかもしれませんが、それぞれ先生方には別の仕事があるので、今後もしばらくは(おそらく2、3年後に新人が入るまでは)私が担当し続ける見込みです。(クラバートの水車小屋みたいな職場です)。

今年は韓国語が大人気、ドイツ語はいよいよ虫の息!

本学では、独・仏・中・韓の4言語の教員(イタリア語、スペイン語もありますが専任教員がいません)はチームで仕事をする機会が多く、4月末には全体会議も行われ、毎年新入生がどの言語に集まったかが確認されます。やはり毎年中国語が一番人気で、経営学部の場合は7、8割の学生が中国語を選択します。ドイツ語は1割ちょっとです。

しかし、今年は中国語の履修者がそれほど多くないらしく、代わりに韓国語が増えているそうです。本学の場合、一クラス50名を越えると、クラスを分割するというルールがあります。韓国語クラスでは、超過するクラスが多発し、いくつかクラスを増設しないといけなくなったそうです。(教室、教員の確保がたいへんです)

経営学部のクラスというと、私のイメージでは男子7、8割で女子はごくわずかというのがふつうかと思っていましたが、韓国語のクラスはほとんど女子学生だそうです。ぜんぜん知らなかったのですが、韓国アイドルの人気はすごいのですね。

一方ドイツ語は、毎年あまり受講者は集まらず、教室に入りきらないなんてことはめったにありません。それどころかここ2年ほどは、とくに経営学部で履修者の減少が目立つようになってきました。かつては1クラス平均30名ほどいましたが、今年は10名以下が普通です。理由は分かりませんが、次にドイツ語履修者の変化を見てみます。

どうしてこうなった?ドイツ語履修者数の変化

自分のPCに保存してあるデータをもとに、私が着任して以後5年間の、水曜日クラスの履修者数をまとめました。私一人で長期のデータを蓄積しておけるのも、クラバート的に教務委員を務めてきたことの効用ですね。

経営学部の初級ドイツ語は、火曜、水曜、金曜に開講されていますが、私がこれまでずっと担当していたのはおもに水曜のクラスだったので、水曜日だけでまとめておきます。(正確な数字がわからないところはだいたいの数に直しています)

*ちなみに経営学部は1学年1300人〜1400人くらいいます。学科ごとに時間帯が分かれ、現在は1年生向けドイツ語は7クラス開講されています。

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 私が着任した2014年ごろは、経営学部の各クラス(金曜日の再履クラス以外は)はだいたい20人から30人程度の履修者が集まっていました。16年に私の担当する2限のキャリア・マネジメント学科クラスが8名と急に減り、また17年には1限の経営学科も減少してしまいました。一方で3限の会計学科O田先生クラスには30名近く学生が来ていました。

2016年にはじめて10人以下のクラスができてしまいましたが、それまではわりと大人数が集まっていたことがわかります。去年も今年もおもにゼミ室のような小教室ばかり使っていますが、14年、15年ごろは定員50人程度の教室をつかって、ちょうどいい散らばりぐらいに学生が座って、わいわい賑やかに授業をするというスタイルだったと思います。

 

超少人数クラスで何が問題か 

こういう経緯をたどって、私のドイツ語の授業は金曜日の中級クラスが20名程度登録している他は、すべて10名以下となってしまいました。

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語学の授業は一般に、少人数であるほどいいと言われていますが、大学で、しかも初習外国語ではなかなか10人以下の超少人数クラスというのはないのではないかと思います。なかでも火曜日の3時限目は3名、水曜日2時限目は2名と、村の学校のような規模です。

超少人数クラスになってしまったことは、少なからずショックでした。そして、これまでのような授業ができなくなってしまうのではと不安でした。しかし、登録期間が終わってしまえばもう履修者数は変わりません。何人であろうと授業をしないわけにはいきません。

そうして実際に超少人数クラスで授業をやってみましたが、非常に充実した時間がすごせたように思います。早く進み過ぎてしまうのではないか、あるいは、間が持たなくなってしまうのではないかといった心配は必要ありませんでした。学生たちの状況をよくみて、彼らそれぞれのペースに合わせて進めれば、大きいクラスよりもずっと学習効果は高いという当たり前のことに気づきました。(学生自身も、集中して勉強できていい、と言っていました)

私が不安だったのは、これまで10年近いキャリアで自分が確立してきたと思い込んでいた方法論が通用しなくなるかもしれないということでした。確立したと言っても、それは30人から50人程度のクラスに最適化した方法にすぎません。

ある程度人数が多いクラスでは、ペアでの会話練習やグループでの話し合いにどれだけ時間をかけるかが授業進行の大きなポイントになります。しかし人数があまりに少なすぎると会話練習も口頭発表や口述試験もあっという間に終わってしまいます。同じドイツ語総合1のクラスを3つ担当しているけど、その中で進度や学習内容に差が出てしまうかもしれない、そう危惧していたのでした。

 

超少人数クラスでいいじゃないか

たしかに同じ名前の授業である以上、進度や内容が違ってしまうことは問題です。クラスごとにドイツ語の理解度が違うのであれば不公平だ、とも言われかねません。*1

もちろんテストの難易度や成績評価は、同じ授業である以上揃えるべきです。しかし、学習者はそれぞれ違うので、当然どんなクラスサイズであれ、何もかも同じく揃えることは不可能です。

同じ授業科目で複数クラスを担当する場合、授業内容を揃えることは、これまでの私にとっては当たり前のことでした。1時限目も2時限目も同じ話をして、同じところまで教科書を進める。そうやって機械的に進めたほうが当然楽です。とはいえどのクラスだって、学力ややる気に差があるでしょうし、学部学科ごとに雰囲気も異なっています。それならば、一つ一つちがう授業をすればいいのです。人数が少ないのであれば、グループワークの内容を増やせばいいし、発音練習も繰り返しやればいいでしょう。小テストや期末テストで同じくらいできるようになれば、それぞれの授業では違う方法をとってもかまわないのです。

よく考えるとほんとうに当たり前のことなのに、私はこんなことにも気付かずに教えていた、経験によりかかって、楽をすることばかり考えていたんだと痛感しました。そもそも経験を頼りにするのであれば、もっと過去のこと、大学で教える前のことを思い出すべきでした。

博士課程に上って初めてドイツ語を教えたのは、某家電メーカーの社員さんへの短期集中講座でした。マンツーマンで1日4時間ドイツ語会話を教えました。その後もドイツ語で医学部を受験したいという高校生に半年間「受験ドイツ語」を教えたりもしました。あのころは、一対一の授業が当たり前でした。今回のことで、10年以上前の、もう忘れかけていた経験を思い出すことができました。

 

 

ドイツ語はこのまま超少人数でいいのか?

いくら超少人数クラスで充実した学びを!と言ったところで、来年度の履修者がゼロになってしまっては困ります。 

今のところ超少人数クラスになっているのは、もっぱら経営学部のみだといいます。(他学部にもいくつか少ないところはありますが、これほどではありません)

学生たちは一般に少人数の授業を嫌うので、どうしても先輩からのアドバイスを聞いた次の年の学生たちは、少人数になるドイツ語を避けようとしてしまうのでしょう。このままでは本当にゼロになることも考えられます。

本学の場合は、もう中国語や韓国語のようにドイツ語人気が回復することは今後はないでしょう。私たちが学生だった頃のように、いまはもう誰もがドイツ語を学ぶ時代ではないからしかたないのかもしれません。だから私としては、これだけ中国語を誰もが履修したがるのであれば、中国語か英語を第一外国語にして、その上でドイツ語や別の言語を学べるようにしてはどうかと思います。あるいは第二外国語だけでなく、第三外国語も学べる制度をもっと充実させる必要があるとも思います。*2

 

 

*1:じっさいにある学部では、同一時間に開講されている複数クラスのあいだで、テストや課題、進度が違っていると学生からクレームがあったそうです。

*2:さまざまな言語の初級クラスばかりを履修する学生の存在は、しばしば問題になっています。つまり、ドイツ語総合1(半期)1単位を取得し、翌年に中国語総合1、さらにその次の年に韓国語総合1と、1単位ずつ取得して、必修の語学の単位を取るというケースがあります。こういう学生は中国語、韓国語の2年生以上のクラスに多くいます。学習意欲が低い学生にありがちな行動ということで問題視されています。通常は半期1単位ずつ通年で履修するよう指導していますが、抜け道があるので、こういう学生が出てきます。もちろん語学が好きで、様々な言語を一年ごとに学びたいという学生もいるはずなので、ちょっと難しい問題です。

助手だったころを思い出す

2009年から3年間京都精華大学の嘱託助手でした

この春から、今の職場で准教授になりました。国立大学などでは、採用時から准教授というのが(私の年齢くらいだと)あたりまえですが、私の職場では、特任講師で採用後、2年すぎると専任講師、そこで業績をつんで少なくとも着任後3年以上でやっと准教授になれます。

職位が変わったところで、給料が劇的に上がるわけでも、研究室の備品が豪華になるわけでもない(教授になると椅子がきれいになるらしいです)ので、これといった変化はありませんが、まずは安心しております。

今日はもう10年くらい前、大学院を出て初めに就いた助手の仕事について、どんなことをしていたのか、当時どんなことを考えていたのかを思い出してみました。

 

嘱託助手とは?

32歳のころ、やっと大学院を研究指導認定退学(つまり3年以上在学してそれなりに研究したけどまだ学位論文は出せてなくて退学ということ)し、2009年4月から京都精華大学共通教育センターの嘱託助手になりました。

嘱託助手というのは、1年更新で最大3年間任期付の助手でした。助手というのは、大学の職位で一番下、一人では授業を担当することはなく、もっぱら教員のサポートをする仕事です。(助教より上の職位は、自分で授業ができます)

京都精華大学の共通教育センターでの仕事は、おもに1年生向けのゼミ「初年次演習」の授業を運営することと、学生たちの学習支援をすることでした。私はすでに2008年から京都精華大学人文学部で「基礎演習」の授業のティーチングアシスタントとしてアルバイトをしていました。2008年度まで各学科に分かれて行なっていた基礎演習を、人文学部全体の授業とするという方針の転換で、これまでTAに任せていた業務をもう少し拡張し、フルタイムの助手に担当させることになったのでした。

1クラス15〜18名程度の初年次演習を、一学年300人超の学部で実施するので、クラスは18クラスに分かれ、それらを担当する助手も6名が同時に採用されました。

私たち6名の助手は、学習支援室というデスクとソファが置いてある広い部屋の一部にオフィスを構え、日々学生たちの相手をしながら、あいまに自分の研究をしていました。助手たちの専門分野は、私の他は、音楽学、演劇学、日本美術史、環境学、農業経済学とばらばらでした。

 

それはバイトなのか、就職なのか?

助手の仕事は、自分で授業をやらないし、毎日朝から晩まで勤めていないといけないわけではなかったので、わりと気楽でした。しかし、待遇としては、月給20万円とボーナス夏冬計3ヶ月分がもらえたので、学振DCよりも収入はよかったです。

しかも一年ごとに昇給があり、任期が切れて退職した後には退職金ももらえました。下積みポストの話はいろいろ聞きますが、他と比べて精華大学の待遇はそこそこよかったのだと思います。

私にとっては、一つのところからもらう給与でちゃんと食べていけるようになったというのが本当に夢のようで、当時はうれしくて行く先々で「ついに就職しました!」と得意になって言っていましたが、ある先輩からそれって年限付きの仕事であって、就職じゃないだろ、と言われて正気に返りました。

何が就職かどうかはともかく、たしかに年限付きだし、教員ではなくあくまで助手なので、年限がなくても長く続ける仕事ではありませんでした。だから3年の年限が切れる時も、仕方ないなとしか思いませんでしたし、早く次の仕事につけばいいやと切り替えることができました。

 

助手のおしごと

具体的な仕事として、初年次演習に関する業務というのが第一に挙げられます。

1クラス15名程度のゼミで、どんな活動をするのか、担当する教員と助手全体で話し合って決めました。毎学期、4週から5週程度のプログラムを3つほど組み合わせて、共通の教科書を使用し、ゼミの内容を全クラスである程度そろえて授業をしていました。

こういうプログラムを実施することでこのような能力が身につく、こういう訓練になる、ということを会議のたびにみな真剣に話し合っていました。その雰囲気が非常に良くて、着任した当初は、良い職場に入れたと思ったものでした。

初年次演習のプログラム作りで難しかったのは、人文学部とはいえ、いろいろな分野が含まれているため、各教員が思い描く、一年目に身に付けたいスタディスキル像が大きく異なっていた点です。私のように、文学部文学科の出身であれば、本を探す、読む、レジュメを作り発表する、レポートを書くなどのプログラムを中心に考えます。しかし、社会学、人類学、環境学などフィールド調査を含む分野だと、グループ発表や聞き取り調査も取り入れるべきだという意見も出てきます。非常に難しいことですが、どの分野にも対応できるようなプログラムを工夫して考えていました。

2年目の夏休み明けには、京都の水について歴史や環境の面から知るというフィールドワークのプログラムをつくりました。下調べのために、暑い中ロードバイクを飛ばして、伏見や上賀茂に出かけて写真を撮ったりしたことを覚えています。

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水の名所を巡りました。

学生のケアに奔走する

教員としての仕事全体を見ると、当時も今も多かれ少なかれ似たようなことをしていると思うのですが、学生のケアに関しては、今の職場の比ではないくらいたいへん手厚く、教職員が一体となって対応していました。

もともと京都精華大学は、不登校や引きこもりだった学生を多く受け入れてきたため、大学に入ってからも不適応で苦しむ学生が毎年多くいました。本人との面談、教員を交えての面談、親御さんに来ていただいての面談など、毎週のようにいろいろな学生の抱える問題について、話し合う機会がありました。

今の職場は、精華大学の数倍の規模なので、一人ひとりの学生を教員が見ることはほぼ不可能です。学生のトラブルにわずらわされないことはたしかに気楽ではあるけれど、できたらそれぞれの学生がどういう思いで日々大学に来ているのかということは理解しておきたいものだと思っています。そういう意味で、基礎ゼミや(不人気なので少人数になってしまった)ドイツ語のクラスは貴重です。

 

アクティブラーニングで私が学んだこと

精華大学に勤め始めた頃は、アクティブ・ラーニングが流行し始めた時期だったので、学外のFDセミナーなどにしばしば足を運んで話を聞いたりしました。初年次演習でも多くの場合グループワークを行い、なるべく学生が協同で学習できるような授業をデザインしていました。

しかし本来人文科学系のクラシックな学問の世界は、アクティブ・ラーニングとはなじまない部分があります。本を読むのは一人だし、私たちはたいていの場合一人で論文を書きます。

だから、助手たちの間でも、私もふくめて文学部出身の者は、何でもかんでもグループで学べば、学習効果が上がるという考え方には懐疑的でした。授業を見ていても、学生たちがいきいきしていると実感する反面、本来は一人で学ぶべきなのに、と思う部分もありました。

また、学生たちも誰もがグループワークが得意で、ALが好きというわけではありませんでした。毎週の演習では、グループワークがうまくいくように、あれこれ心を砕いていたし、クラスでうまくやっていけなくて出て行く男の子や泣き出す女の子の相手をすることもありました。

しかし私自身が共通教育センターでいろいろな教職員と一緒に働いているうちに、共同作業の困難さを学ぶことがアクティブラーニングの意義なのかな、と思うようになりました。

共通教育センターの仕事では、これまで自分が信じていた、他人はこう考えるはず、という根拠のない他者理解というものをあらためないといけない場面が多々ありました。周りで働いてる人たちに何か問題があるわけでも、組織がダメなわけでもなく、それぞれ別の人間は別の信念で動いているんだというごく当たり前のことを、これまで理解する機会がなかったんだと思い知りました。

  

不完全燃焼だったけど、恵まれた職場だった

初めに書いたように、この職場は3年間という期限付きだったし、助教ではなく助手だったため、自由に仕事ができた反面、やりたいことや思いついたことができなかったことも多々ありました。

1年目から2年目あたりは、私も同僚たちもやる気に満ちていたし、仕事も手探りだったので、毎日新鮮な気持ちで取り組んでいました。2年目の途中あたりから、助手の立場では、できる仕事に限界があるなあ、と感じることが増えました。3年目には、もはや年限が切れたら出て行くのだから、と少し投げやりな気持ちにすらなっていました。

任期が切れる3年目終わりまでに、次の進路を確保できればと期待していましたが、博士論文はまだ提出できてなかったし、公募ではまったく引っかかりませんでした。結局母校の非常勤講師の仕事がもらえただけだったので、任期が切れてからは、2年間ドイツ語だけを教える専業非常勤講師になりました。

助手を退職してから、もはや学習支援や初年次教育に関わることはないだろうと思っていましたが、専任教員になってふたたび基礎ゼミを担当するようになり、当時学んだことが、いまは非常に役立っています。

たとえば学期の初めに、三枚の紙をつかったプレゼンテーションを毎年やります。A4の用紙一枚ごとに、自分を紹介するキーワードやイラストを描き、紙芝居のように見せながら自己紹介をします。これを基礎ゼミ最初の回で実施するとちょうどいいアイスブレイクになります。この方法は当時一緒に授業をしていたY先生から教わったものです。イラストで例を挙げるとこんなかんじです。

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3枚の紙をつかった自己紹介

(実際はもう少し長く話します)

その他、思い出に残っているできごと

オフィスが床上浸水

2010年の7月なかばに大雨が降ったことがありました。京都精華大学は山の中の谷に校舎が点在しています。私がいる清風館の共通教育センターはいちばん下に位置していました。夜の間に降った雨は、下へ下へと流れて、清風館の地下1階にある私たちのオフィスは床上浸水してしまいました。そのため床に置いてあった資料やコピー用紙、学生が提出した課題などが水浸しになってしまい、復旧までかなり時間がかかりました。

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床を剥がし、床下に溜まった水を業者さんに抜いてもらいました。

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 さらなる浸水被害を警戒して土嚢を積んでいました。

学生たちとの写真展

2年目の秋には、写真仲間の学生と展覧会を開きました。当時ペンタックスの一眼レフを買ったばかりで、出かけるたびに写真を撮っていました。写真好きの学生と知り合い、お互いの撮った写真について意見を言い合っているうちに、自分の撮り方の癖が見えて来ました。

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2009年冬に、当時まだ元気だった実家猫を撮りました。

考えてみれば、カメラやiMacを買ったのも、この大学に通うようになって周りの学生たちを見て自分も使ってみようかなと思ったのがきっかけでした。

 

ロードバイクでの片道12kmの通勤

着任当初はクロスバイク浄土寺から岩倉まで6kmの道を通っていました。2010年にはロードバイクに買い替えました。2011年に結婚して太秦に転居したため、今度は片道12kmをロードバイクで通いました。距離としてはロードならそれほどたいへんではないのですが、龍安寺鷹ヶ峰京都産業大前と、急な坂を何度も登らないといけないので、毎日汗だくで自転車に乗っていました。

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ときどき違う道を通ったり、帰りに峠道を走ってみたりと、自転車通勤を楽しんでいました。しかし夏の暑さや、冬でも汗だくになっていたことを思い出すと、もうああいう通勤はこりごりだなと思います。